処分の予測
ホフデン男爵家の家宰は、淡々と顔色一つ変えずに仕事をこなした。
シュレンドル王家に提出された虚偽の財務報告書と対を成す、裏の財務管理表は年代別に丁寧に保管されていた。
これは、今回のように王家の監査が行われた場合に備えて、家宰が自己保身のために隠しておいたものなのか、それとも亡きホフデン男爵の指示なのか、今となっては分からない。
分からないが、ホフデン男爵家がシュレンドル王家に対して虚偽の報告を行っていたことを裏付ける、これ以上ない証拠であるのは間違いない。
バルドゥーイン殿下が連れて来た財務官たちは、提出された書類にざっと目を通しただけで、完全に黒だと言い切った。
ホフデン男爵領の税率は、シュレンドル王家が決めた制限を遥かに超える高税率だそうで、農民たちは収穫の半分以上を接収されていたらしい。
シュレンドル王国の税率限度は、大きな災害が起こった場合や突発的な支出が嵩んだ時に限って、単年ならば超える事を許されているが、ホフデン男爵領では何年にも渡って続けられていた。
ホフデン男爵家に対する処分を決定するには、新王都に書類を持ち帰り、更に詳細な調査が必要となるが、取り潰しはほぼ間違いないらしい。
「エルメール卿、我々は殿下と共に明朝出立して新王都へ戻ります。帰りの道中は、これまで以上に油断なく警備をお願いしたい」
新王都に戻る予定が決まった後、ヘーゲルフ師団長から改めて警備の強化を頼まれた。
「まさか、取り潰しされないために、殿下を亡きものにしようなんて考えているんですか?」
「さすがに、そんな馬鹿な真似はしないと思うが、世の中には我々の常識では測れない人間が存在するのは、エルメール卿も良くご存じでしょう」
「そうですね。追い込まれた人間は、何をしでかすか分かりません。王城に戻るまで、気を緩めないようにしましょう」
この日、バルドゥーイン殿下はホフデン男爵家の別館に宿泊することになった。
夕食も男爵家の人々とは別々の場所で、給仕はこちらの人間が担当する。
更に、全ての料理は近衛騎士の毒見役が安全を確かめる念の入れようだ。
俺は物理や魔法による攻撃は防ぐ自信があるが、毒物による攻撃は防ぐ手立てを持っていない。
毒物を鑑定できる魔法陣があれば良いのだが、そんな都合の良い魔法陣は存在していない。
もしくは、光属性の治癒魔法を使える魔法陣があれば良いのだが、こちらも存在は確認されていない。
先史時代の今よりも進んでいた魔道具の技術ならば、治癒の魔法を刻印魔法で再現していてもおかしくないと思うのだが、残念ながら未だに発見されていない。
夕食後、俺はバルドゥーイン殿下と同じ部屋で一夜を明かすように依頼された。
もし、ホフデン男爵家の人々が王家に反旗を翻した場合、最強の盾を側に置いておけば、バルドゥーイン殿下が生き残る確率が高まるからだ。
「頼むぞ、不落の魔砲使い殿」
「大船に乗ったつもりで、安心してお休み下さい」
「そうだな、ニャンゴの魔法を撃ち破るような攻撃を使える者が、ホフデン男爵家にいるとは思えないからな」
「だとしても、油断は禁物です」
「分かっている。ただ、油断するつもりは無いが、ホフデン男爵家の者達には、そんな馬鹿な行動はしてもらいたくないな」
現状、ホフデン男爵が取り潰しとなれば、夫人たちは実家に戻ることになるだろう。
ただし、次男は第一夫人の実家に行くとして、長男の処遇が心配だ。
「殿下、長男のアルフレートはどうなるのでしょう?」
「産みの母親が元メイドだからな、平民として生きていくしかないだろうな」
「第二夫人の実家に引き取ってもらえないのでしょうか?」
「難しいだろうな。そもそも、第二夫人が後ろ盾になっているのは、長男として家督を継ぐであろうと思われていたからだ。それが、ホフデン家自体が無くなってしまうのでは、後ろ盾をする意味が無いだろう」
第二夫人が、元メイドである第三夫人の子供の後ろ盾をしていたのは、自分に子供が無く、第一夫人の子供が次期当主となれば、冷遇される可能性が高かったからだ。
ところが、ホフデン男爵家が無くなってしまったら、冷遇されるどころか第二夫人は実家に戻るしかない。
当然、不祥事を起こして取り潰された家からの出戻りなんて、温かく迎え入れてもらえるはずがない。
自分自身ですら余裕が無いのに、他人の子供である長男を連れて行くはずもないのだ。
「大変そうですよねぇ……」
「同情しているのか、ニャンゴ」
「だって、見るからに生活力ゼロじゃないですか」
長男のアルフレートは、ようやく生まれた跡継ぎだったからか、甘やかされて育てられたようだ。
第一夫人が次男を産んだ後も、第二夫人が後ろ盾になったおかげで冷遇されることも無かったらしい。
見た目だけで判断するのは間違いかもしれないが、どう見ても世間知らずなお坊ちゃんにしか見えない。
そして、それは次男のバルナルベスも同じだ。
「次男のバルナルベスは、第一夫人の実家に引き取られるんですよね?」
「恐らくそうなるだろうが……歓迎はされないだろう」
「そうでしょうけど、でも食うに困るような事態にはならないんじゃないですか?」
「まぁ、そうだろうな」
「でも、アルフレートの母親の実家って、貴族じゃないですよね?」
「メイドとして働いていたのだから平民だろうな」
「あんなお坊ちゃんを養ってくれるとは思えないんですけど」
「そうだが、我々が心配することではないだろう」
「まぁ、そうなんですけどね。何も知らされてこなかったのだとしたら、ある意味では被害者なのかなぁ……って、ちょっと思ったんです」
ホフデン男爵家の家宰は、参考人として新王都まで連行されるらしい。
俺が見たところでは、ホフデン男爵家が何とか体裁を保てているのは、あの家宰の働きがあったからだろう。
言うなれば、扇の要を引っこ抜いて新王都へ連行するのだ、取り潰しの沙汰をする以前にホフデン男爵家はバラバラになってしまうような気がする。
「ホフデン男爵家が取り潰しになった場合、この領地はどうなるのですか?」
「一旦は王家が預かることになる。誰かに下賜するとしても、こんなに住民が疲弊した状態では引き渡すことなど出来ないだろう」
「まぁ、そうですね。今のまま引き渡されたら、恩賞ではなく処罰ですもんね」
住民たちはとことん疲弊し、領主に対する反感はマックスの状態で引き渡されたら、まずは住民の暮らしを立て直すために私財を持ち出す必要に迫られるはずだ。
最初から持ち出しでは、領地を与えると言われても喜べないだろう。
「そういえば、例のグラースト侯爵領は、誰に下賜するか決まったんですか?」
「いいや、まだだ。元グラースト領は、ここと違って住民は疲弊していなかったから、今すぐ引き渡しても大丈夫だ。私としては、エルメール名誉子爵が適任だと思っているのだが……」
「にゃ、にゃんで俺なんですか。元侯爵領なんて、名誉子爵には大きすぎですよ」
「それならば、エルメール侯爵となれば問題なかろう」
「駄目、駄目、駄目ですよ、問題大ありです。今だって反感を買ってるんですから」
ホフデン男爵と揉めたのも、俺が名誉騎士から一足飛びに名誉子爵へと格上げされたからだ。
はっきりと確認した訳ではないが、男爵家や子爵家の多くは俺に対して反感を抱いているだろう。
「言うまでもないことだが、別にニャンゴを特別扱いしている訳ではないぞ。大きな功績を挙げた者が正当に評価されないようでは、国は衰退していくばかりだ」
「それは、そうかもしれませんが……」
「だから、今後もニャンゴが功績を挙げたならば、王家は迷うことなく陞爵するつもりだからな」
「それは……出来ればご容赦願いたいです」
「まぁ、今すぐという話ではないが、頭の片隅には置いておいてくれ」
ニヤっと笑ったバルドゥーイン殿下に、俺は引き攣った笑いで応じるしかなかった。





