到着
今回の遠征、俺はバルドゥーイン殿下が用意してくれた革鎧を装備して参加している。
遠くからも目立つ赤で染められていて、胸にはエルメール家の紋章である翼の生えた猫が金で箔押しされている。
というか、これ少し離れた所から見ると、王家の紋章にしか見えないんじゃないの。
これは不敬じゃないのかなぁ……でも、用意してくれたのがバルドゥーイン殿下だし、つまりは取り込まれつつあるってことなのかな。
旧王都からホフデン男爵領までの道程は天候にも恵まれ、特に問題も無く順調に進んで来られた。
途中、通り抜けるコレッティオ侯爵の挨拶を受けたが、バルドゥーイン殿下は屋敷での歓待を断って、予定通りの日程でホフデン男爵領を目指してきた。
今回の一行にはバルドゥーイン殿下が加わっているので、コレッティオ侯爵家やホフデン男爵家には、事前に訪問の日程が知らされている。
ただし、歓待は必要無いので、到着までの時間的な余裕としては三日間程度だそうだ。
バルドゥーイン殿下が訪問する予定ですと知らされた三日後には、殿下本人が到着するという運びだ。
つまり、ホフデン男爵家がバルドゥーイン殿下に体面を保つために、残された時間は三日間しか残されていない。
バルドゥーイン殿下としては、連絡無しで領地を訪れ、隠ぺい工作など何も出来ない状態の現状を確かめたかったようだが、さすがに王族が訪れるのに先触れ無しは駄目らしい。
だがホフデン男爵領へ入る前の晩も、バルドゥーイン殿下は先触れを出した事を悔やんでいた。
「でも、三日で相続争いを決着させ、反貴族派を鎮圧するなんて無理じゃないですか?」
「まぁ、難しいだろうな。それでも、悪足掻きさせずに処分してしまいたかった」
「悪足掻きでも、本来やるべき事を慌ててやって、終わらせられない状態を晒すだけじゃないですか?」
「その程度で済めば良いが……追い詰められた連中は、我々の常識では考えられない事をやらかしたりするからな」
別に、俺自身もホフデン男爵家を高く評価している訳ではないが、それにしてもバルドゥーイン殿下の評価はかなり低いようだ。
まぁ、反貴族派と思われる連中から襲撃されて、当主が殺害されてしまったのだから、その統治体制が良かったはずはない。
「とりあえず、明日はホフデン男爵領の領都に入る。色々と策を弄して、我々を賊の立て籠もる場所へ近付けさせまいとするだろうが、翌日には視察を行う。その後の行動は、その視察を終えてから考える。良いな?」
「かしこまりました」
翌日の午前中、コレッティオ侯爵領とホフデン男爵領の領地境へ到着すると、正装した騎士が出迎えに来ていた。
バルドゥーイン殿下の乗った馬車の近くに跪き、声を張って歓迎の意を伝えた。
『遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました、バルドゥーイン殿下。こちらに、ご休息の用意を整えてございます。どうぞ、ごゆるりとお休みください』
領地境の街道脇には、大型の天幕がいくつも建ち並び、食べ物やお茶、酒までもが準備されていたが、バルドゥーイン殿下は見向きもしなかった。
『ツェザール、全軍に通達しろ、馬への給水、用足しなどを終わらせて、十五分後には出立する』
『はっ! 全軍通達、小休止! 馬に水を与え、十五分後に出立する!』
『えっ……あの、料理も沢山用意して……』
『心遣いは有り難いが、我々は遊びに来ている訳ではない。予定通り、今日中に屋敷を訪れると先触れを出されるが良い』
ヘーゲルフ師団長に、穏やかではあるがキッパリと拒絶の言葉を伝えられ、出迎えの騎士は顔面蒼白で立ち尽くしていた。
おそらく、少しでもバルドゥーイン殿下の到着を遅らせるように指示を受けているのだろう。
てか、こんな準備をするぐらいなら、さっさと暴徒を鎮圧すれば良いだろう。
十五分後、小休止を終えた隊列は、予定通りに出発した。
相変わらず、俺は隊列の前方上空を移動しているのだが、領地境近くの最初の街に到着した所で気付いた事がある。
前回、ホフデン男爵領を訪れた時には、空の上をビューンと飛んで襲撃に遭遇した所で一旦地上に降りて、その後はまた上空を通り過ぎただけだった。
今回も空の上から眺めているのだが、高度も低いし、地上の様子は良く見て取れる。
ここまでの道中、通り過ぎた街や村では隊列の通過を優先して、町中の往来を止めていたのだが、それでも多くの人が行列を見ようと路地や建物の窓から顔を出していた。
ところが、この街では沿道の建物どころか、街道と交差する路地、更には路地先の裏通りにも人の姿が見えない。
まるでゴーストタウンか、災厄から身を守るために息を殺して閉じこもっているかのようだ。
「殿下、街に全く人の姿がありません」
『そうだな、覗き見る者もいないようだ。どうだ、ツェザール』
『建物中からは、気配が伝わって来ますので、厳しく通達を出しているのでしょう』
上空からでは分からないが、ヘーゲルフ師団長の位置からだと人の気配は感じられるようだ。
「何だか、チグハグな感じがしますね」
『ほぅ、どの辺りが?』
「我々の足止めを目論むなら、街ごとに歓迎の式典みたいなものをやってくるのかと思っていたのですが……」
『なるほど、確かに時間稼ぎがしたいなら、ニャンゴが言うような方法を取るのが普通だろうな』
『それよりも、殿下が襲われるのを恐れたのではありませんか?』
王族を含む行列が襲撃されたとなれば、その土地を治める者が責任を問われることになる。
現状でも評価の悪いホフデン男爵にとって、これ以上の失点を重ねれば、それこそ家が取り潰される可能性が高まってしまう。
逆に、ホフデン男爵家に叛意を抱いている者からすれば、騒ぎを起こすことで自分にとって有利な状況を作り出せる。
時間稼ぎはしたいが、民衆を信用できないホフデン男爵家は、歓待は家が取り潰されたら困る騎士や兵士に行わせ、民衆が関わらないようにしたのだろう。
この後も、歓待は街や村の外にある野営地に準備され、家から出ることすら禁じられているらしい民衆の姿を見ることは無かった。
「これだけの統制が行えるなら、反乱なんて起こらないような気もしますが……」
『一日限り、一時限りならば、脅して従わせることも可能だろうが、それが長く続けば積み重なった不満が爆発するのだろう』
確かに、バルドゥーイン殿下の言う通り、こんな状況は一時限りだから耐えられるが、長く続けられるものではない。
結局、昼の大休止を行った街では歓待を受けたものの、その他の街や村では準備された歓待を断り、予定通り夕方の早い時間にホフデン男爵家の屋敷に到着した。
屋敷では、故バルドレード・ホフデン男爵の遺児である、長男と次男、次男の母である第一夫人、子供のいない第二夫人、そして長男の母である元メイドの第三夫人が出迎えた。
バルドゥーイン殿下は屋敷に入る前に、既に葬儀を終えた墓所を訪れて、故人の冥福を祈った。
俺とヘーゲルフ師団長もバルドゥーイン殿下に付き従い、墓所を訪れて祈りを捧げた。
バルドレード・ホフデン男爵と顔を合わせたのは、たった一度、それも良い出会いではなかったが、さして時も置かずに殺害されたと聞けば同情を禁じ得ない。
ただ、あの親にして、この子あり……なのだろうが、ホフデン男爵家の人々が俺に向ける視線は、お世辞にも友好的とは思えないものだった。