密談(前編)
ホフデン男爵領の一件を共有し、一安心して帰ろうかと思ったのだが、そう簡単にはいかなかった。
話が終わったと思ったところで、バルドゥーイン殿下に呼び止められてしまったのだ。
「ニャンゴ、もう少し付き合ってくれ」
「まだ何か?」
「ちょっとな……アンブリス、部屋を借りるぞ」
バルドゥーイン殿下に連れて行かれたのは、第二街区にある騎士団の建物から階段を上がり、第一街区にある騎士用の食堂の一室だった。
さては、俺のための特別料理が用意されているのかにゃ?
バルドゥーイン殿下は、慣れた様子で職員に声を掛けて、食堂の奥まった場所にある一室へと俺を連れ込んだ。
そこは洒落た内装の一室で、内部には四人掛けの応接ソファーとテーブルが置かれていた。
以前訪れた王城の応接間に比べると簡素な感じだが、あちらよりも手狭な感じが、かえって落ち着く気がする。
南側の一面は庭が良く見えるようにガラス張りになっていて、日当たりの良い日に昼寝をしたら気持ち良さそうだ。
「なんだか落ち着く部屋ですね」
「そうだろう、時々使わせてもらっている」
「ここは、騎士団の幹部が会食する部屋ですか?」
「いいや、そうした部屋は、以前ニャンゴや騎士見習いを招いた部屋だ」
「あぁ、なるほど……では、この部屋は?」
「ここは、貴族の取り調べをする部屋だ」
「えぇぇぇ! お、俺には、にゃんの容疑が……」
「ふはははは! 落ち着け、ここは内密の話をするのに丁度良いから、アンブリスに言って使わせてもらっているだけだ」
ここは、あらゆる派閥について中立な場所で、情報漏洩に関しても万全の配慮がなされているそうだ。
つまり、王城でもできない内密な話をするには、もってこいの場所なんだそうだ。
「ディオニージと同じ母親を持つ俺は、どうしたって第四王子派だとみなされているが、女神ファティマ様に誓って、この国にとって最良であるなら誰が次の王になっても構わないと思っている」
「と仰るってことは、王位継承に関わる話ですか?」
「なかなか、他の場所ではしづらいからな」
バルドゥーイン殿下は一つ溜息をついた後、少し待ってくれと言うと壁際の紐を軽く引いてみせた。
「それは?」
「別室に控えている者にお茶を頼んだんだ」
なんでも、引っ張る回数や間隔で、お茶だけでなく食事や、場合によっては応援の人員を呼ぶこともできるそうだ。
暫くすると、ドアがノックされ、ワゴンを押してボーイさんが現れた。
ボーイさんは、お茶を淹れ終えると、ワゴンを押して退出していった。
バルドゥーイン殿下は喉を潤すようにお茶を一口飲むと、ふーっと息を吐いた後で話を切り出した。
「ニャンゴ、次の王には誰がふさわしいと思う?」
「バルドゥーイン殿下ですね」
「おいおい、真面目に聞いているんだぞ」
「別にふざけてなんかいませんよ。王家の慣習に疎い平民上がりの名誉子爵に尋ねれば、こんな答えが返ってくるの予想できたんじゃないですか?」
「まぁ、そうだな……」
ほんの数年前までは、国の端っこにある村から出たことすら無かった猫人の俺が、こうして護衛も付けていない王族と差し向かいで話すようになるなんて、誰も想像できなかっただろう。
王様になるのは獅子人に限るという暗黙の了解も知らなかったし、国の未来を思うなら、あの三馬鹿王子よりもバルドゥーイン殿下やファビアン殿下の方が良いに決まっている。
「そんなに慣習を変えるのは難しいものなんですか?」
「ニャンゴや私のような人間は、慣習なんてどうでも良いと思うのだが、中には拘りの強い者もいるのだ」
「拘りですか……」
「どんな者達が拘るのか分かるか?」
「どんな人達……年配の方でしょうか?」
「そうだな、年寄りは拘る傾向が強いが、若い者の中にも拘る者はいる」
「自分の派閥に危機感を抱いている人……ですか?」
「まぁ、そうした者の多くは派閥に依存しがちだな」
何やら匂わせるような言い方だが、バルドゥーイン殿下の意図が読み切れない。
「ニャンゴ、慣習に拘る者とは、己に自信の無い者達だ」
「己に自信の無い者……ですか?」
「自分の身に当て嵌めて考えてみるがいい。ニャンゴぐらい実力のある者だったら、むしろ古い慣習に縛られることは窮屈だと感じるのではないか?」
言われてみれば、先日のホフデン男爵に凹まされた一件は典型的な一例と言って良いだろう。
領地ごとに身分証を提示して立ち入りの許可をもらわなければいけないなんて、空を飛んで移動する俺にとっては古臭く窮屈な慣習そのものだ。
「でも、何でもかんでも変えてしまったら、世の中が混乱してしまうのではありませんか?」
「確かに、その通りだ。長年続いてきた慣習を変えるのは、それだけ大変だし、慎重に行わなければならないと分かるだろう?」
「あぁ、なるほど……」
「貴族という地位に縋ることしかできない者達にとって、王家の権威が少しでも揺らぐことは看過できない。そして、変革を厭わない者達にとっても、急激な変化はすぐには受け入れられないものなのだ」
こう言われてしまうと、国王を獅子人以外から選ぶことが、いかに困難なのか良く分かる。
「はっきり本人から聞いた訳ではないが、父が次の王を誰にするか選ばないでいるのは、一つは三人の成長を促すため、一つは三人で本当に良いのか貴族たちに考えさせるため、そして慣習を変えるかどうか貴族たちに考えさせるためだと思っている」
「なるほど……それで、バルドゥーイン殿下は王様になる気はあるのですか?」
「それが、この国にとって最良の選択であるならば」
バルドゥーイン殿下の口から、王位継承について前向きな発言を聞いたのは、これが初めてだと思う。
これまで思ってこなかったのか、思っていても場所や同席している人間の関係で口に出さなかったか、どちらなのかは分からない。
だが少なくとも、あの三馬鹿王子が使い物にならないと思ったなら、次の王に名乗りを上げる可能性があるのは分かった。
「ニャンゴ、ここでの話は外に漏れる心配は要らないし、どんな発言であっても罪に問うたりはしない。その上で、あの三人をどう思っている?」
「そうですね……クリスティアン殿下にはアーティファクトを披露して以後、お会いしていないので分かりませんが、ディオニージ殿下は相変わらず思慮が浅いと感じました」
「そうだな、ディオはエデュアールに良いように踊らされていた感じだな」
「えっ、エデュアール殿下の暗躍をご存じだったんですか?」
「私を誰だと思っている、これでもあいつらの兄なんだぞ」
「失礼いたしました」
ディオニージ殿下は、自分がエデュアール殿下の思惑に踊らされていると気付いていなかったようだが、バルドゥーイン殿下は気付いていたらしい。
「自分は他人よりも賢いと過信しがちなのがエデュアールの悪いところだ」
「そうですね、他人を動かすこと自体は上に立つ者として必要ですが、エデュアール殿下の場合はそこに悪意が感じられます」
「そうだな、共に何かを成し遂げようという感じではなく、他者を利用しようという思惑が透けて見える。あれでは、自分にとって利益になると感じる者からしか支持されなくなってしまうだろうな」
「バルドゥーイン殿下から見たクリスティアン殿下の評価はどうなんですか?」
「慎重すぎて機を逸する感じだな。今回も、結局は様子見をしただけで動かなかった」
「それは……暴走するよりは良いのでは?」
「そうだな、暴走して周囲を混乱させるよりはマシだが、何もしないのは滅びに向かうのと同じだぞ」
なかなか、クリスティアン殿下に対しては手厳しい。
というか、このままだと、王位継承争いに思いっきり巻き込まれてしまうような気がするんだけど……。