研究者の望み
発掘再開に向けた第一回の打ち合わせを終えて、会議室から廊下へ出ると、窓の外を白い物体が下から上へと通り過ぎていった。
「何だ、あれは?」
「空に浮いてるのか?」
ライオスだけでなく、学院の関係者までもが窓辺に集まり、空を見上げている。
白い物体の大きさは直径一メートル程度で、長さは四から五メートル程度だろう。
白い物体の形は、どう見ても飛行船だ。
中央下部にロープが繋いであり、数人が中庭で保持している。
そのうちの一人は、どうやらレンボルト准教授のようだ。
「飛行船の模型かぁ……」
「ニャンゴ、あれが何か知ってるのか?」
俺の呟きを耳にしたライオスが尋ねてきた。
「見ての通り、空を飛ぶための乗り物の模型だね」
「ニャンゴ以外の者も、空を飛べるようになるのか?」
「もっと大きく作らないといけないし、乗り越えなきゃいけない壁はいくつもあるけれど、飛べるようになると思うよ」
「マジか……」
中庭に下りて、飛行船の模型を見物することにしたのだが、ケスリング教授が険しい表情をしている。
「レンボルトめ、いつの間にこんな物を作っていたんだ」
どうやらレンボルト准教授は、上司であるケスリング教授にも内緒で飛行船の模型の制作を進めていたらしい。
俺達が中庭に下りた時には、飛行船の模型を目にした研究員や学院の生徒たちが集まり始めていた。
これは世紀の発明、大騒ぎになるかと思いきや、飛行船の模型は浮力を失って高度を下げ始め、遂には落下してしまった。
「あぁぁ……落っこちちゃったよ」
「人が空を飛べるようになるかと思ったのにな」
張りを失って落下した飛行船の模型を見て、見物人からは溜息がもれたが、ロープを握っていたレンボルト准教授たちは成果を噛みしめているようだ。
「レンボルト先生!」
「おぉ、エルメール卿、ご覧いただけましたか?」
「例の魔法陣で作った気体を使ったんですか?」
「そうです、エルメール卿が検証してくださった。軽くて、火を近付けても安全な気体を使いました」
まだ俺もレンボルト先生もイブーロに居た頃、用途不明の泡が出る魔法陣を教えてもらったことがある。
検証した結果、水素や酸素など特定の気体を発生させる魔法陣だと分かった。
そのうちの一つがヘリウムらしき気体を発生させる魔法陣で、実際、俺も空属性魔法で作った飛行船に充填して空の旅を楽しんだことがある。
空属性魔法でも空中を飛ぼうと思えば可能だが、ヘリウムを浮力として使った方が魔力を節約できる。
「機体の密閉の度合いが足りないから、浮く気体が洩れてしまったみたいですね」
「そうみたいだね。空気を閉じ込め、なおかつ軽く丈夫な素材を作るのが課題です」
俺の前世の世界では、熱気球やパラシュートなどには特殊な素材が使用されていたが、シュレンドル王国には、ゴムやビニールのように気体を通さない素材は存在していない。
防水処理をした布地は売られているが、殆どが厚手で重たい丈夫さ重視のものばかりだ。
落下した模型を見せてもらったが、薄手の布に何かを塗って防水処理を施しているようだ。
ただし、布地と布地を縫い合わせている部分には、シームテープのような処理はしていないみたいだ。
「レンボルト准教授、縫い目にも処理をしましたか?」
「いいや、何も……そうか、縫い目からも抜けてしまうのか」
空気を閉じ込めるために、防水処理を活用する事は思いついたらしいが、模型の形に縫製してもらった際の縫い目の処理までは頭が回らなかったようだ。
飛行船の模型を見ながら、俺とレンボルト准教授が話し込んでいると、難しい顔をしたケスリング教授が歩み寄ってきた。
「レンボルト、いつの間にこんな物を作っていたんだ」
「申し訳ありません、ケスリング教授。飛行機の研究をしているクブルッチ教授のところで資料を拝見しまして、軽い気体を発生させる魔道具と組み合わせることを思いつき、研究の合間に制作を進めておりました」
そう言えば、泡の魔法陣の検証結果を伝えるときに、風船とか飛行船の話をしたような気もする。
あの時は、他の魔法陣の検証結果も伝えたので、飛行船についての詳しい説明は省いたはずだ。
どんな資料を目にしたのか分からないが、飛行船の実物の画像や図面のようなものを見たのであれば、作ってみたいと思うのも当然だろう。
それに、先史文明の生活インフラに主眼を置こうとしているケスリング教授の研究と、長年魔道具の研究を続けてきたレンボルト助教授では、相容れない部分があったのだろう。
もっと魔道具に主眼を置いた研究をしたいという欲求の捌け口が、この飛行船の模型ということなのだろう。
険しい表情でレンボルト准教授と向かい合っていたケスリング教授は、不意に視線を俺の方へと向けた。
「エルメール卿、この研究にどの程度の意味を感じますか?」
「えっ、意味ですか?」
内輪の問題を俺に振らないでくれるかなぁ……。
「空を自由に行動されているエルメール卿から見ても、この模型は意味のある研究でしょうか?」
「勿論、大いに意味がありますよ。今は模型を浮かべているだけですが、研究を続ければ人が乗って遠くまで移動することも出来るようになるでしょう」
当然、天候次第という条件は付くが、今現在シュレンドル王国に存在しているどの交通手段よりも速く、遠くまで行けるようになるのは間違いないだろう。
「落ちたら死んでしまうのでは?」
「そうですね、その可能性は高いですが、船だって転覆や沈没すれば死ぬ場合がありますし、馬車だって崖から落ちれば助からない場合もありますよ」
俺の前世でも、飛行機の墜落事故が発生して、乗員乗客全員死亡……なんてニュースを見ることがあった。
飛行船の事故ではヒンデンブルグ号の爆発事故が有名だった。
地上を走る乗り物ならば安全かと言えば、鉄道やバスでも大勢の人が亡くなる事故は起こっている。
危険は何にでもつきまとうし、安全は運行する者の意識によって確保される。
「要するに、道具をいかに使うか……ですか?」
「その通りです」
ケスリング教授は、それでも難しい表情で考え込んでいたが、ふっと表情を緩めてみせた。
「レンボルト、この飛行船の研究の継続を許可する。予算も配分できるように手配しよう」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、研究を継続するにあたって条件をつけさせてもらう」
「条件……ですか?」
「そして、この条件は必ず守ってもらう」
「な、何でしょうか」
また厳しい表情に戻ったケスリング教授を見て、レンボルト准教授は身構えた。
「私が生きているうちに完成させて、空の旅を味わわせろ、いいな」
「はい! 必ずや完成させてみせます」
レンボルト准教授が完成させられなかったら……いや、何なら今からでも俺が飛行船を作って空の旅を味わわせてあげても良いのだが、それは言わない方が良いよね。