マーケット
杖の打ち込みを受け流した直後、風を切って迫って来た回し蹴りを間一髪バックステップで躱す。
更なる追撃の後ろ回し蹴りは、ダッキングした俺の耳を掠めていった。
「危なっ……」
「これも躱すか……なかなか……」
拠点で顔合わせをした翌朝、早速シューレと手合わせをしている。
俺が握っている棒は、ケビンが鍛錬に使っていたものを短く切り詰めたものだ。
シューレが握っている杖も、元はケビンが使っていたものだ。
拠点の前庭は昨日の雨でぬかるんでいるが、俺が空属性魔法で足場を作っているから問題なく手合わせが出来ている。
おそらくシューレは、まだ実力の半分も出していないと思うが、俺は防戦一方で攻め込む隙すら見出せないでいた。
シューレを一言で言い表すならば、足クセ悪過ぎ……凶悪レベルだ。
音も無く、予備動作も無く、滑るように距離を詰めて来て、変幻自在の蹴りが思わぬ方向から、思わぬ間合いで伸びてくるのだ。
いくら猫人の身体が小さいとは言え、足払いに来たと思った蹴りが、次の瞬間頭に向かって跳ね上がって来るなんて思ってもみなかった。
シューレが手加減しているからギリギリで躱せているが、本気モードだったらサッカーボールのように蹴り飛ばされているだろう。
「ニャンゴ、魔法を使っても良いよ」
シューレの言葉に、小さく首を振って答える。
「ニャンゴは頑固者……でも、良い」
「みゃっ!」
言葉を切った直後、シューレの前蹴りが槍のごとく突き出され、その勢いのままに踏み込み、膝蹴りが迫って来る。
膝蹴りをギリギリで避けながら懐に飛び込もうとすると、今度は杖の打ち下ろし、そしてまた前蹴りが襲ってくる。
まるで小型の竜巻を相手にしているようで、髭がビリビリしっぱなしだ。
手にした棒もシューレの攻撃を受け流すのに手一杯で、突きも薙ぎも繰り出す暇がない。
「しまっ……ふみゃ!」
躱しきれなかった前蹴りを棒で受けたものの、威力を受け流せずに蹴り飛ばされた。
身体を丸めてゴロゴロと転がり、すばやく起き上がろうとした俺の喉元に、シューレの杖が突き付けられた。
「参りました」
「ふふっ、これで今夜もニャンゴと一緒に寝る権利は私のもの……」
「みゃっ! そんな賭けなんてした覚えは……」
「敗者は勝者に従うもの……」
「ぐぬぬ……」
昨夜は風呂こそ一人で堪能したものの、寝る支度の途中で捕獲され、シューレのベッドに連れ込まれた。
布団は湿っぽいし、ダニ除けの粉は変な臭いがするし、散々な一夜を過ごす羽目になった。
起きてすぐにシーツを洗濯し、布団は屋根に広げて干してあるが、出来れば今夜はゆっくり一人で眠りたい。
というか、俺の布団を買いに行きたい。
「お前ら、朝から元気だなぁ……」
大あくびをしながらセルージョが、一階の窓から顔を出した。
昨夜は深酒はしていないはずだが、まだ眠り足りなそうな顔をしている。
「セルージョ、おっさん臭い……」
「うっせぇ! ニャンゴ、朝飯の買い出しに行くぞ」
「はい、支度してきます」
ステップを使って屋根に上り、湿気を抜くために開け放っておいた天窓から屋根裏部屋に入る。
汗をぬぐって着替え、リュックを背負って天窓から飛び出した。
途中、ステップで勢いを殺しながら、前庭に着地する。
「まったく、猿顔負けの身軽さだな」
「夜間の潜入とかをやらせたら、ニャンゴに敵う者は殆どいないと思う」
「確かに、黒い服着ていたら、夜なら目立たないだろうしな」
夜間の潜入なんて依頼があるのか知らないが、スパイとかエージェントみたいで格好良さそうだ。
チャンスがあれば、是非やってみたい。
セルージョに連れられて向かったのは、表通りにあるマーケットだ。
拠点のある倉庫街は市場から少し離れているので、この界隈に暮らす人向けに色んな品物が置いてある。
ここでパンとミルク、卵、チーズ、ベーコン、ソーセージ、葉物野菜、ワインなどを仕入れる。
チャリオットのメンバー二日分なのだが、身体の大きい冒険者四人分プラス俺ともなると結構な量だ。
「しまった。ライオスも連れてくれば良かった」
「俺が運ぶから大丈夫ですよ」
買った品物は、空属性魔法で作ったカートに載せて押して行く。
「かぁ、そんな事まで出来るのかよ。ニャンゴ、お前便利過ぎるぞ」
「体格の良い人なら、背負うとか両手で抱えて運べるでしょうから、この程度は驚く事じゃないですよ」
「馬鹿言うな。驚く事じゃなかったら、こんなに注目されねぇよ」
確かにすれ違う人が驚いて振り返っているが、それは荷物が宙に浮いているせいだろう。
物珍しいから驚くのだろうが、運んでいる荷物は驚くほどの量ではない。
まぁ、俺が本気出せばオーク一頭丸ごと運べるけどね。
いずれ本気を披露する日が来るだろうから、その時には大いに驚いてもらおう。
「泥棒! 泥棒だ、誰か捕まえてくれ!」
清算を終えてマーケットを出て、拠点に向かって歩き始めたところで後ろから大声が聞こえてきた。
振り向くと、ヘラ鹿人の店員がマーケットから飛び出して来たところだった。
その前方には薄汚れた猫人が、両手いっぱいにパンを抱えて走っている。
シールドを展開して前方を塞ごうとしかけたが、出来なかった。
盗んだパンを抱えた猫人は、ヘラ鹿人が入って来られない建物と建物の狭い隙間に飛び込んで、そのまま逃走していったようだ。
地団太を踏んで悔しがるヘラ鹿人に背を向けて、カートを押して拠点に向かう。
拠点に向かう通りを曲がり、マーケットが見えなくなった所でセルージョが話しかけてきた。
「知り合いか?」
「分かりま……いえ、たぶん……」
薄汚れ、面やつれしていて確信は持てないが、たぶん春に家を出た二番目の兄貴だ。
今年は雪解けが遅れて、イブーロに出るのが遅くなったから心配ではあったのだが、何の連絡も無いし、アツーカに戻っても来なかったので、仕事が忙しいのだと思い込んでいた。
「向こうの方向には貧民街がある。パっと見た感じ、だいぶ汚れていたから貧民街で暮らしているんだろう」
ほんの短い時間だったのに、さすが弓使いのセルージョは良い目をしている。
「そこって、治安は良くないですよね?」
「まぁ、控えめに言って最悪だな。まともな服装の人間が近づけば、身ぐるみ剥がれて命が残ればめっけ物だ。忠告しとくぞ、絶対に近づくな。いいか、洒落や冗談じゃないぞ。絶対に近付くな」
右手の人差し指を鼻面に突き付けられて、セルージョにくどいほど念を押された。
セルージョの剣幕におされ、頷かずにはいられなかった。
「もし、さっきの奴を探したいと思うなら、貧民街から出て来たところで取っ捕まえろ。確率の低い話だと思うだろうが、縁が繋がっていればチャンスはある。いいか、絶対に自分から足を踏み入れるな」
「分かりました」
普段はチャラく感じるセルージョが、これだけ念を押してくるのだから相応の理由が有るのだろう。
それに、兄貴のように見えたのは俺の見間違えで、他人の空似かも知れない。
いずれにしても、不用意に近付ける場所ではなさそうだし、もう少し情報を集めてからだ。
さっきまで軽かったカートが、何だかやけに重たく感じられた。
拠点に戻ると、買ってきた材料を使って、セルージョが朝食を作り始めた。
ガドがパンを切り分け、ライオスはカルフェを淹れている。
「シューレ、ミルクを注いでくれ、カップはそっちの棚だ。ニャンゴ、そこの皿を取ってくれ」
セルージョも、ガドも、ライオスも、全員慣れた手つきでテキパキと準備を進めている。
家事全般は全くやらない、実家の親父や兄貴に見習わせたいものだ。
今朝のメニューは、目玉焼きと分厚く切ったベーコンのロースト、スティック状に切った大根、人参、きゅうり、チーズを挟んだパンとミルク、それにカルフェだ。
野菜に付けるドレッシングなんてものは無いし、目玉焼きには殻が混じっていたり、いかにも大雑把な男の料理だが、ベーコンにはコショウが振ってあったり、妙なこだわりも感じられる。
「うみゃ! このベーコン、うみゃ!」
「だろう、あのマーケットのベーコンは美味いんだ」
フライパンで焼き目を付けてあるので、表面はカリカリだけど噛みしめると熱で溶けた脂がジュワっと染み出してくる。
脂の甘味とスモークされた肉の旨味、それとコショウの香りが混然となって口の中に広がる。
「うみゃ! チーズも合わせると更に、うみゃ!」
「分かった、分かった、この程度なら何時でも食わせてやるから黙って食え」
「ふふっ、ニャンゴとの食事は、うみゃ……」
パンも、ミルクも、アツーカ村で食べていたものよりも、ずっと美味い。
朝からシューレと手合わせをして、お腹が空いていたから更に美味く感じるのだろう。
手強い相手との手合わせ、マーケットで買い物、美味い朝食……これで、泥棒猫人の騒ぎが無ければ、何も言うことの無い一日の始まりなのだが、やつれて汚れた猫人の横顔が俺の心に暗い影を落としていた。





