吟遊詩人の歌
旧王都を出て四日目、俺達はサリトデンという街に着いた。
ノイラート辺境伯爵領までの旅程の丁度中間点だそうで、南北に走る街道と東西に走る街道が交わる要衝だそうだ。
街は近くの川から引き入れた水堀で三重に囲まれていて、街の規模が大きくなるほどに、新たな水堀が作られてきたそうだ。
街の規模は新王都や旧王都ほどではないが、それでもイブーロの数倍はありそうだ。
「大きな街だね」
「そうね、女性の服装が独特ね」
俺は街の大きさに気を取られていたが、レイラは道行く女性たちの服装に目を奪われていたようだ。
サリトデンの女性達が着ている服は、前世の日本の袴に良く似ていた。
沢山のプリーツが付いた太めのパンタロンのようで、多くの女性が颯爽と歩いている。
「男物は折り目が無いんだね」
「そうみたいね」
男性も裾の広いズボンを穿いているが、こちらにはプリーツは付いていない。
この地方独特の衣装なのだろう。
馬車を降りて、宿に荷物を預けたら、今夜は近くの酒場で夕食をとることになった。
ノイラート辺境伯爵領へは、地竜が現れたという穴の情報を収集するためなので、途中の街でも伝わって来る情報を仕入れておくのだ。
宿で紹介してもらった酒場は、この辺りでも一番流行っているらしく、まだ早い時間にも関わらず席は殆ど埋まっていたが、なんとか席を確保できた。
その代わり、俺はレイラの、ミリアムはシューレの膝の上だ。
六人なのに、四人掛けのテーブルで済むのは便利といえば便利なのだが、ミリアムも微妙な表情を浮かべている。
まぁ、猫人の宿命と思って諦めよう。
店のおすすめメニューを適当に頼み、飲み物はエールが四つとミルクが二つ。
「おいおい、ママのおっぱいが恋しいガキが来る所じゃねぇぜ」
俺がミルクの入ったカップに手を伸ばしたら、隣の席の虎人の男から声が飛んできた。
旧王都でも顔を知られるようになって、この手の揶揄いは久しぶりだ。
「よう、姉ちゃん、そんな乳臭いニャンコロなんか放り出して、こっちで飲まないか?」
隣のテーブルは六人掛けで、全員が冒険者のようだ。
「どうだい、俺らはここらじゃちょいと名の知れたBランクのパーティーなんだぜ」
六人組のパーティーは、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながらレイラとシューレを品定めするように眺めている。
ライオスとセルージョはいるけど、六対二なら負けない……ぐらいに思っているのだろう。
さて、どうやって遊ぼうかと考えていたら、レイラが先に口を開いた。
「あら、Bランクのくせに知らないの?」
「知らない? 何をだ?」
「不落の魔砲使いは、酒癖が悪いから飲ませられないのよ」
「はっ……?」
レイラの言葉を聞いた直後、六人の表情が固まった。
無言で目線を交わし合いながら、今度は俺に視線を向けてくる。
ミルクをグビリと飲んだ後、芝居っ気たっぷりに声を掛ける。
「本物かどうか試してみる? 俺は楽しい時間を邪魔する奴には優しくないよ」
ニヤっと余裕の笑みを浮かべたら、向かいの席のミリアムに突っ込まれた。
「ミルクで髭ができてるわよ」
「にゃにゃっ、嘘っ……」
慌てて口許を拭っていると、隣の席の虎人の男が腰を浮かせていた。
「ガキが、舐めやがって……いっでぇ!」
俺に掴み掛かろうとした虎人の男の指先が空属性魔法で作った雷の魔法陣に触れ、バチンという音と共に火花が散った。
「そっちで大人しく飲んでくれ、次は加減しないぞ」
「あら、優しいのね、ニャンゴ」
「まぁね、今日は飲んでないからね」
「ふふっ、そうだったわね」
気が付けば、ライオスやセルージョもニヤニヤしながら成り行きを見守っている。
隣のテーブルの六人はヒソヒソと囁き合った後で勘定を済ませると、不満げな虎人の男を引っ張って店を出て行った。
「一応、帰りも気を付けておいた方が良いかな?」
「そうね、無いとは思うけど、あったら手加減無しでやっちゃいなさい。
「いやいや、死なない程度には加減するよ」
一応、帰り道で襲われる可能性も頭に入れていると、突然弦の調べが鳴り響いた。
音の先にはハープを手にした吟遊詩人の姿があった。
「山を震わせ、大地を穿って、荒ぶる竜が現れる……」
吟遊詩人が歌い始めると、酒場の喧騒が止んで店にいる全ての者が聞く態勢を整えた。
「巨木を薙ぎ払い、家を、村を、民の暮らしを踏み潰す……」
どうやら歌の題材は、ノイラート辺境伯爵領に現れた地竜のようだ。
「それは悪夢、それは死、それは絶望……」
山から現れた地竜は、山の麓の村を壊滅させた後、真っ直ぐ南下してモンタルボという街を襲ったそうだ。
「立ちはだかる騎士を薙ぎ払い、あまたの冒険者を踏み潰し、城壁さえも突き破る……」
地竜は、街の手前で食い止めようとした冒険者やノイラート騎士団、城壁さえ突き破ってモンタルボの街に踏み入ったらしい。
「誰しもが絶望し、神に祈るしかなくなりし時、一人の男が立ち上がる。その名は勇者カワード! 何処にでもいる兎人、いくらでもいるEランク、されど稀なる勇気の人!」
勇者と呼ばれた人物が、兎人のEランク冒険者だと聞いて、酒場の客からどよめきが起こった。
「歴戦の騎士でも歯が立たず、腕利き冒険者も逃げ出す相手に、そなたじゃ無駄死にするだけと、止める伯爵の手を払い、カワードは一人で地竜に立ち向かう」
王都の『巣立ちの儀』が襲撃された後、俺も吟遊詩人の題材に使われたと聞いたが、内容は面白おかしく脚色されていたらしい。
この勇者カワードの話も、実際の状況とは異なっているのだろう。
「まるで一本の剣のごとく、まっしぐらに街を駆け抜けて、カワードは地竜に飛び掛かるが……所詮はEランクの兎人、ペロリと一口で平らげられてしまう」
カワードが食われたと聞いた客からは、落胆するような声が洩れた。
「哀れカワード、やはり無駄死に……誰しもがそう思った瞬間……ドガァァァァァァン!」
吟遊詩人はハープを掻き鳴らしながら、声の限りに叫んでみせた。
「街に轟く轟音の、出何処は地竜の口の中、グラリと頭を傾かせ、ズシーンと倒れ、二度とは動かなくなった……」
ハープの余韻を止めた吟遊詩人が押し黙ると、酒場は水を打ったように静まり返った。
「伯爵様、粉砕の魔道具がありません! なんだと、そうか、カワード……愛する人を守るため、愛する街を守るため、己の命と引き換えに、カワードは地竜と刺し違えたのか!」
「おぉぉぉぉぉ!」
酒場が歓声に包まれる中、見てもいない自爆の瞬間を思い浮かべて動けなくなっていた。
吟遊詩人の奏でる歌は、実際に起こった事を題材としても、脚色されたフィクションだ。
では実際には、地竜はどうやって倒されたのか。
本当に、地竜を倒した兎人はいたのだろうか。
勇者カワードなる人物が実在していたとして、その人は本当に自ら自爆という手段を選んだのだろうか。
その選択に、外部からの強制は無かったのだろうか。
「ニャンゴ、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないかも……」
割れんばかりの歓声を上げて盛り上がる酒場の中で、俺達のテーブルだけが隔絶された世界のようになっていた。