イネスとキンブル(中編)
※今回はキンブル目線の話です。
カーン……カーン……夜明けを知らせる鐘の音を聞いて寝床から飛び起きた。
急いで着替えて、井戸で顔を洗い、起きてきた母に行って来ると告げて家を出た。
空は曇っていたが、まだ雨が降りそうな気配はない。
カリサさんの薬屋を目指して、まだ眠りから覚めない村の道を急ぎ足で歩く。
道の脇に目をやると、草がしっとりと朝露に濡れている。
薬草は、朝露をいっぱい吸った朝の時間に採取すると、薬効も濃く、良い薬の材料となるそうだ。
そのためにも、日が昇りきり、朝露が乾くまえに採取を始めなければならない。
今日は初めて、僕とイネスさんだけで薬草の採取に行く。
まだ薬草の種類を覚え始めたばかりだし、薬草の生えている場所もうろ覚えだ。
僕らだけで行ったら、カリサさんやゼオルさんが一緒の時よりも時間が掛かるだろう。
だとすれば、少しでも早く出発した方が良い。
気持ちが逸り、カリサさんの薬屋へと向かう足は、いつしか小走りになっていた。
「おはようございます、カリサさん」
「おはよう、ちゃんと起きて来られたね、偉いよキンブル。ほら、イネス、しゃきっとおし!」
「ふわぁ~い……おはよう、キンブル」
僕が薬屋の裏手に回ると同時に、裏口からカリサさんとイネスさんが顔を出した。
カリサさんは、いつも通り矍鑠としているが、イネスさんは、まだ半分ぐらい眠っていそうだ。
「じゃあ、気を付けて行っておいで」
「はい、行ってきます!」
「行ってきま~す……」
「朝露が乾く前に出来るように急ぎましょう、イネスさん」
「うんうん、分かった……」
分かったと言いつつ、フラフラしているイネスさんが差し出した手を引っぱって、村の南側の山を目指す。
今日、採取する場所と薬草の種類は、あらかじめカリサさんから指示されている。
僕らだけだと時間が掛かるのも考慮しての予定だから、なんとか指示された薬草は全て集めて帰りたい。
気持ちは焦るが、イネスさんが歩くペースはなかなか上がらない。
早く行きたいと思ってしまうが、同時に手を繋ぐ理由が出来て嬉しいとも思ってしまう。
僕は気が強くないし、話すのも得意ではない。
村のみんなと一緒にいても、輪の中心ではなく端っこに加わっている感じだから、女の子と話す機会も殆ど無かった。
カリサさんに弟子入りした理由は別にあるのだが、イネスさんと話す機会が増えて、弟子入りして良かったと感じているのは確かだ。
お付き合いするとか、そんな大それた事を考えている訳ではなく、今はただ一緒の時間を過ごせるのが嬉しい。
でも、イネスさんと手を繋いでいられるのも、山に入るまでだ。
「イネスさん、山に入ります。ちゃんと起きて下さい」
「えっ、もう?」
「はい、鉄の輪を鳴らしながら歩きますけど、周囲を警戒してください」
「うん、分かった」
今度の分かったは、薬屋の裏手で口にした分かったとは違って、しっかりとした口調だ。
そして、イネスさんは繋いでいた手を放すと、自分の頬をパンパンと叩いて気合いを入れ直した。
「行きますよ」
「うん、行こう」
鉄の輪を束ねたものを振り、ガシャンガシャンと音を立てながら森へと踏み入る。
この音を聞いた魔物や獣は、僕が武器を持っていると思って近づいて来ないそうだ。
それでも、中にはこうした威嚇が通用しない魔物も存在しているそうなので、警戒を緩める訳にはいかない。
ガシャン、ガシャンと鉄の輪を鳴らしながら、山に分け入り、見通しの良い場所では、休息を兼ねて足を止め、周囲の様子に目を凝らし、耳を澄ます。
「キンブル、こっち側ってゴブリンの討伐をやったんだよね?」
「そう聞いてますけど、油断するなってゼオルさんに言われましたよ」
「分かってる。私だって襲われるのは嫌だもん」
イネスさんは少し不安そうにキョロキョロと周囲を見回している。
大丈夫です、何かあっても僕が守ります……なんて言いたいけれど、実際にはゴブリンの討伐にすら参加した事が無い。
ゼオルさんから棒術を習っているけど、どのぐらい強くなったのか実感出来ていない。
今は、ひたすら鉄の輪を鳴らして威嚇し、魔物よりも早く相手を発見できるように目を凝らすしかない。
「イネスさん、ムラサキツユクサです」
「本当だ。いい感じじゃない?」
「はい、迷わずに来られました」
イネスさんと手分けしてムラサキツユクサを採取する。
ムラサキツユクサは茎を切るのではなく、根っこから掘り出さないといけない。
それに、取り過ぎて無くならないように、半分は残しておくのだ。
例えば、四本生えている所では二本を残し、五本生えている所では三本を残す。
掘り出したムラサキツユクサは、根の部分を布で巻き、イネスさんが魔法で出した水で湿らせておく。
普通の水でも大丈夫だが、魔法で出した水で湿らせた方が薬草の鮮度が保てるらしい。
「キンブル、ツユクサは採取できたから、朝ごはんにしようよ」
「そうですね、お腹空きました」
ムラサキツユクサの群生地から少し離れた見通しの良い場所で、持って来たお弁当を広げる。
お弁当と言っても、パンにハムとチーズ挟んだだけのものだ。
それでも、イネスさんは本当に美味しそうに食べている。
「んーっ、朝から山登りはつらかったけど、その分お弁当が美味しいわね」
「はい、食べたら移動しましょう」
「えぇぇ……少し休んでいこうよ」
「あんまりノンビリしていると、回り切れなくなりますよ」
「ちょっとだけ、ねっ、お願い!」
「しょうがないなぁ、ちょっとだけですよ」
朝日の差し込む陽だまりで、木の幹に寄りかかって座ると、イネスさんはすぐに寝息を立て始めた。
ニャンゴさんはガサツだなんて言うけれど、イネスさんの無防備な寝顔にはドキリとさせられてしまう。
じっとイネスさんの幸せそうな寝顔を見つめていると、僕まで眠たくなってしまったけど、二人して眠り込む訳にはいかないので、立ち上がって周囲を警戒する。
歩き回っていると、木の幹に茸が生えているのを見つけた。
「これは、どっちだろう?」
ケンジャノコシカケと、ゴブリンノコシカケは、良く似ていて見分けが付けづらい。
カリサさんからは、迷ったら後で見分けてやるから、取り合えず採っておいでと言われている。
採取用のナイフを使って丁寧に茸を木の幹から取り外す。
茸を採り終えて、籠に収めたところでイネスさんを起こす。
「イネスさん、そろそろ起きて下さい」
「ん、んーん……もうちょっとだけぇ……」
「駄目ですよ、起きてください」
「んー……もうちょっと……」
手を引っ張って起こそうとしたのだが、ぐにゃぐにゃなイネスさんが妙に艶っぽくてドキドキしてしまう。
「もう、しょうがないなぁ……」
今日が休みで、ここが村の中を流れる小川の畔ならば、一緒に眠ってしまうのだけど、
今は心をオーガにしてイネスさんを起こす。
鉄の輪を束ねた物を思い切り振り上げ、振り下ろした。
「ひゃぁーっ! ビックリした!」
ガシャンという大きな音が響き、イネスさんが目を丸くして飛び起きた。
「イネスさん、食べ物の匂いがする場所に長居するのは危険です」
「もう、しょうがないなぁ、移動すればいいんでしょ? 移動すれば」
ニガリヨモギの粉を撒いて、僕らの匂いを消して、次なる薬草の自生地を目指す。
「イネスさん、頑張らないと、今日の予定を回りきれませんよ」
「分かってるわよ、キンブルのケチ」
今日は南の山から村に沿って右回りで進み、西側の山から村に戻る予定だ。
この時の僕らは、予定通りに採取を進めることに夢中で、空模様の変化に気付いていなかった。





