イネスとキンブル(前編)
※今回はイネス目線の話になります。
薬屋の仕事は、見るのとやるのとでは大違いだった。
実際にやってみるまでは、村の近くに自然に生えている薬草を採ってきて、ちょちょいと手を加えて薬として売れば良いのだから、元手も掛からず良い商売だと思っていた。
ところがカリサさんに弟子入りしてみたら、そんなに甘いものではないのだと思い知らされる毎日を過ごす羽目になった。
まず、薬草の種類が膨大で、それを憶えるだけでも大変なのだ。
しかも、薬草ごとに生えている場所も違っているので、それをまた憶えなければならない。
生えている場所は多くが山の中だし、道がある場所など限られている。
道無き山の中へと踏み入って、薬草を見つけ、その場所を記憶しなければならないのだから、村の周囲の山全体を把握するようなものなのだ。
ニャンゴは、学校に通っている頃から一人で山に入って薬草を摘んで来ていたそうだが、私はいまだに一人で山には入れていない。
一人で山に入ったら、迷子になって帰って来られなくなりそうだ。
薬草の種類を覚え、生えている場所を覚えても、それで終わりではない。
薬草は、種類によって使われ方が違う。
摘んで来たばかりの新鮮な状態で使うものもあれば、カラカラに乾燥させてから使うものもある。
効用がある場所も、根っこだったり、茎だったり、葉っぱだったり、花を使うものもある。
薬草以外にも、木の若芽や樹皮、樹液、実、種なども使われるので、そうしたものも憶えなければならない。
こんな苦労をするならば、私もニャンゴと一緒に学校をサボってカリサさんの薬屋に出入りしていれば良かったと感じている。
薬草を摘んできて、下処理を終えて、ようやく薬の調合に取り掛かれる。
薬の調合は、カリサさんの作ったレシピ帳を元にして作業するので、薬草の種類や分量は覚えなくても良いのだが、調合の手順は憶えなければならなかった。
丸薬一つを作るにしても、擦り潰したり、熱したり、冷ましたり、乾燥させたり、手順通りに作らないと薬の効能が落ちてしまう。
丁寧に、ひたすら丁寧に行わなければ、カリサさんから合格がもらえない。
最近、ようやく一発で合格が貰えるようになったが、弟子入りした直後の自分を思い出すと、ニャンゴにガサツだと言われていた意味がよく分かった。
よくぞ根気よく教えてくれたものだと、カリサさんには感謝しかない。
そして、薬屋の仕事は、薬を作れば終わりという訳ではない。
薬の販売や在庫管理も重要な仕事だ。
定期的に在庫のチェックを行い、残り少なくなったら調合しなければならない。
また薬によっては保存期間が限られるものもあるので、期限切れの薬を売ったりしないように注意が必要だ。
そして、もう一つ、薬屋とは直接関係は無いが、プローネ茸の栽培実験もやらなければならない。
プローネ茸は、手の平に載るぐらいの大きさの丸くて白いキノコで、イブーロでは高値で取引されているそうだ。
これまでは山に自然に生えているのを見つけるしかなかったが、ニャンゴが村で栽培できるようにしようと言い出したのだ。
私たちが暮らすアツーカ村は、この近辺では大きな街であるイブーロに比べると閑散としている。
イブーロは街道が交わる街だし、アツーカは国の端っこの村だし、比べること自体間違っているのだろうが、それにしても寂れている。
村で生まれた子供は、自分の家を継げる者以外は、隣村のキダイ村に嫁いだり、イブーロに働きに出たりして、それきり帰って来なくなってしまう。
アツーカ村には名産品と呼ばれる物も無く、畑作をする以外には織物の内職をするぐらいしか仕事が無いのだ。
そこでニャンゴは、プローネ茸を栽培できるようにして、名産品として売れば村が潤い、暮らしも良くなると考えたらしい。
現在、プローネ茸の栽培実験を行っているのは、村長の家の裏手を流れる小川の川岸と、北の橋の下だ。
毎日、お昼過ぎに実験場を回って、地面の湿度を整えている。
栽培実験にはイブーロの学校のルチアーナ先生も協力してくれていて、実験のやり方を指導してくれている。
ルチアーナ先生はタヌキ人の女性で、服装とか、髪型とか、お化粧とか凄くお洒落で、街で暮らす女性と村の女たちの違いに、いつも驚かされている。
実験場はロープを張って区切り、各区画ごとに日の当たり方や地面の湿り具合を変えている。
「イネス、ここはもう少し水を撒いておくれ。キンブル、そっちの日除けが倒れそうだから補強しておくれ」
実験場には、カリサさんも毎日のように足を運んでいる。
ルチアーナ先生が村を訪れた時には、毎回専門的な話を熱心に重ねている。
ニャンゴが村のためを考えて始めた実験だからと、口癖のように言うけれど、私も毎日の管理をやっているのだから、もう少し私を褒めてくれても良いと思う。
まぁ、力仕事の殆どはキンブルがやってるけど……。
私たちよりも一つ年下のキンブルは、カリサさんに弟子入りして、ゼオルさんから棒術を習い始めてから、急に逞しくなった気がする。
それまでは、ちょっとオドオドして背中が丸まっている印象が強かったけれど、姿勢が良くなったからか背も伸びたように見える。
「イネスさん、その桶、僕が持って行きますよ」
「えっ、ありがとう……」
それにキンブルは、男のくせに気が利くのだ。
カリサさんの荷物を持ったり、手を貸したり、ちょこちょこ掃除したり、片付けたり、細かい所まで見ている気がする。
薬草の種類とかも、私よりも早く覚えてしまうし、私よりもカリサさんに褒められている気がして、ちょっとムカつく。
でも力仕事をやってくれるのは、正直有難い。
でもでも、このままだとキンブルが薬屋の主人になってしまって、私の居場所が無くなってしまうような気がして不安だ。
「カリサさん、いるかい?」
村長の家の離れで暮らしているゼオルさんとも、カリサさんに弟子入りしてから顔を合わせる機会が増えた。
ゼオルさんは村長が村の外に出掛ける時に、馬車の御者兼護衛をしたり、時々村人に武術の訓練をしたりしている。
先日も、村のおっちゃん達と一緒に山に入って、新たに出来たゴブリンの巣を討伐してきたそうだ。
その討伐には、キンブルも同行して帰ってきた時には何だかゲッソリしていた。
「いらっしゃい、ゼオルさん。今お茶を淹れるよ」
ゼオルさんは時々薬屋に顔を出しては、カリサさんからお茶を買ったり、ニャンゴから届く手紙を届けてくれたりもする。
「カリサさん、ゴブリンの巣も討伐したし、そろそろ例の件も大丈夫だろう」
「そうだね、キンブルも大分しっかりしてきたみたいだしね」
例の件とは何だろう。
時々、二人で『例の件』とか、『あれは……』とか、言葉を濁すような言い方をするのが気になる。
「イネス、キンブル、あんたらも手を休めておいで」
ゼオルさんが顔を出すと、たいていの場合は休憩になるから有難い。
それに時々、村長の家からお茶菓子をもって来てくれるゼオルさんは良い人だ。
今日も焼き菓子を持って来てくれた。
村を訪れる行商人が、挨拶かたがた村長の家に置いていく品物らしい。
村にある商店は、カリサさんの薬屋の他には、ビクトールの何でも屋があるだけで、行商屋からしか手に入らない品物もある。
イブーロなら市場に行けば何時でも手に入るそうだが、アツーカ村が同じようになるにはプローネ茸の栽培が出来るようになっても何年掛かることやら。
「ん-美味しい! サックサク!」
こんな焼き菓子も、イブーロだったら毎日食べられるのだろうな。
お茶と焼き菓子を味わっていたら、唐突にカリサさんから命じられた。
「イネス、キンブル、明日は二人で山に入って薬草を摘んでおいで」
「えぇぇぇ!」
「ぼ、僕ら二人でですか?」
「そうだよ。何時までも、あたしに教わるばかりじゃ駄目だろう」
「ゴブリンの巣も討伐したし、安全だとは思うが気は抜くなよ」
カリサさんとゼオルさんが言っていた『例の件』とは、この事だったのだろう。
私はキンブルと目を合わせ、互いに不安そうな表情を浮かべながらも、いずれ訪れたであろう事態にどう対処しようか考え始めていた。