娼館の闇(後編)
騎士団が用意した監視拠点は、娼館からは一区画離れた場所に設けてもらった。
「エルメール卿、こんなに離れた場所で大丈夫なんですか?」
「あと三区画以上離れても大丈夫ですけど、不意に移動されると対応出来なくなるかもしれないので、このぐらいの距離の方が都合が良いです」
ゴブリン・クィーンの巣を探った経験を活かせば、娼館内部の様子もある程度は探れるはずだ。
スピーカーからはソルタンドのものと思われる足音と街のざわめきが聞こえて来る。
『おかえりなさいやせ』
『おかえりなさいませ』
どうやら、ソルタンドが娼館に帰り着いたようだ。
いくつかのドアを抜け、手下に挨拶されながらソルタンドは自室に向かって歩いているようだ。
『ベイツに部屋に来るよう伝えろ』
『へいっ!』
更に何度かドアを開け閉めする音が響いた後、ソルタンドは腰を下ろしたようで、椅子の軋む音が聞こえた。
「ベイツっていうのは?」
「ソルタンドの腹心の一人です」
ゴトゴトと何かを置く音がした後、ソルタンドがゴクゴクと喉を鳴らす音が聞こえた。
『はぁぁ……あのクソ騎士が、思い出すだけでムカつく』
レーブの奮闘は、かなりの効果があったようで、ソルタンドは舌打ちを繰り返している。
そこにドアをノックする音が響いてきた。
『ベイツです』
『入れ!』
『お呼びですか?』
『おぅ、オルデレスに指示があるまで来るなって伝えろ。いや、食い物と酒を届けて、暫く出歩かないようにさせろ』
『騎士団っすか?』
『あぁ、大して役に立たねぇクセに、ガキを何処にやったんだとか、ネチネチとうるせぇのなんの……』
『でも、騎士団の連中はオルデレスの名前も面も知らないんですよね?』
『そうだが、あのエロ司祭が騎士団の見張りに加わっていない保証はねぇからな』
どうやら、二人が話しているオルデレスという男が、人身売買に関わったドゥエルという男なのだろう。
『分かりやした。出歩くな、勝手に出歩いて捕まったら、知らない他人だと切り捨てるって伝えおきます』
『オルデレスの所に行くなら、騎士団に悟られないようにしろよ』
『それなら、酒場を表から裏へ抜けて行きます』
『あぁ、そうしろ。それと、ここには暫く誰も通すなと言っておけ』
『へい、分かりやした』
ソルタンドに一礼して部屋を出て行くベイツという男に探知ビットを張り付けた。
これでもう逃げられる心配は要らない。
ベイツを送り出したソルタンドは酒をもう一杯注いで、今度はゆっくりと飲み始めたようだ。
「いきなりでしたね、エルメール卿」
「ええ、まさか聞かれているとは思っていなかったんでしょう」
「では、ベイツを追い掛けさせます」
「いえ、その必要は無いです」
ボイスレコーダーの機能を一旦停止して、ファイルを保存してから、昨日のうちに撮影しておいた娼館を中心にした静止画を開く。
「これは……街を空から見た絵ですか?」
「そうです、ここが我々のいる位置、ここが娼館ですね。ベイツはまだ娼館の中にいるようです」
頭の中で、自分の位置とソルタンドの位置を基準にすれば、ベイツの位置を画像に反映させられる。
「まさか、ここからベイツを追跡するんですか?」
「ええ、気付かれる心配も要らないですし、やってみる価値はあると思います」
「エルメール卿、追跡だけでなく、このベイツとオルデレスという男を一緒に捕らえたいので、誘導してもらえませんか」
「分かりました。それでは、ベイツとオルデレスが接触して、人身売買に関わる何らかの会話をした後で捕らえましょう。逃がさないように、俺も現場に出ます」
捕縛要員としてレーブが四人の騎士を率いて、巡回を装って移動する。
レーブには空属性魔法の通信機を持たせて俺が上空から誘導し、ベイツとは別の通りを歩かせて追跡させた。
娼館を出たベイツは五分ほど歩いた所で、話していた通りに酒場に入り込んだ。
ベイツの近くに設置した収音マイクが拾った音からすると、この酒場は娼館と同じくフーバーの持ち物らしい。
「あっ、マズい。レーブさん、その先を右に曲がって下さい」
『どうかされましたか?』
「酒場を通り抜けてくるベイツと鉢合わせになりそうだったので……」
『了解です。この先はどうしますか?』
「えっと、ゆっくりそのまま進んで下さい……」
『了解』
酒場を通り抜けたベイツは、小走りで通りを進むと細い路地に入り込んだ。
更に細い路地を右に左に折れ曲がりながら着ていた上着を脱ぎ、何食わぬ顔で違う区画の通りに出て歩き始めた。
「レーブさん、次の角を左に曲がって下さい」
『了解です』
レーブ達が角を曲がった頃、ベイツが一区画先の十字路を渡っていったが、両者共に気付いた様子は無い。
ベイツは路地へと入り込み、少し進んだ所で振り返って尾行が無いか確かめ、建物のドアをノックした。
まさか、空から尾行されているとは思っていなかったようだ。
『誰だ?』
『ベイツだ、食い物と酒を持って来たぞ』
『おぅ、ありがてぇ』
ドアが開いて、中年の犬人の姿が見えた。
ベイツがドアの中へと姿を消したところで、レーブ達を路地の入口まで誘導しておく。
『おぉぉ、随分と気前が良いじゃねぇか』
『まぁな、その代わり暫く出歩くな』
『はぁ? 明日あたりには出歩いても大丈夫なんじゃねぇのかよ』
『馬鹿、今日もソルタンドさんが騎士団に呼び出されたんだぞ』
『マジかよ、俺を探してやがるのか?』
『あぁ、ドゥエルって謎の男をな』
ドゥエルという名前を聞いて、二人は笑い声を立てた。
『だったら、別に出歩いたって構わないだろう。教会の連中は全員引っ張られたんだろう?』
『だからだよ、騎士団の連中がエロ司祭を連れまわして、お前を探してるかもしれねぇだろうが』
『それもそうか……でも、いつまで引き籠ってればいいんだよ』
『ソルタンドさんが良いって言うまでだ。勝手に出歩いて捕まったら、知らない男だと切り捨てるからな』
『あぁ、マジか……だったら、誰か女を寄越してくれよ。やる事なくて退屈だ』
『あと数日だろうから我慢してろ』
『いいじゃんかよ。駄目だって言うなら、フラフラ歩き回って騎士どもに捕まって、うっかりのクーネベルト商会の主人が変態趣味とか口走っちまうかも……』
『手前、死にてぇのか?』
突然、ベイツの声のトーンが下がった。
『じょ、冗談だよ、冗談』
『調子に乗ってると、バラして埋めるぞ』
『すまねぇ、二度と言わねぇし、大人しくしてる。勘弁して……な、何だそれ』
『カブラダの毒を蜜蝋で包んだものだ。持ってろ。万が一、騎士に捕まったら飲め』
カブラダは猛毒で知られる蛇で、嚙まれるとオークでも数分で命を落とすと言われている。
『いや、言わねぇ、絶対に言わねぇよ』
『騎士に捕まった時点でお前は喋ると判断する。仮に処刑されずにシャバに出て来られても、組織が必ず殺す。そん時は、毒を食らうよりも長く苦しむことになるからな』
『分かった。大人しくしてるから殺さねぇでくれ』
『ちっ、手間掛けさせんじゃねぇよ』
話を終えたベイツは、路地に出ようとしてドアを開けたところで目を見開いた。
「雷!」
「あがぁぁぁ……」
「そっちも、雷!」
「ぎぃぃぃ……」
ドアを開けたベイツに雷の魔法陣を食らわせ、すかさずオルデレスも昏倒させた。
二人の会話も録音したし、ソルタンドも加えた三人に色々話してもらいましょうかね。