侯爵家の内情
乗合馬車を待つために、ニーデル村に一日滞在することになった。
それならば、近くの川に出掛けて魚を捕って来て調理しようかと思い、良い川が無いか村の人に尋ねてみた。
「あぁ、今の時期は禁漁だから魚は捕っちゃ駄目だよ」
「えっ、禁漁なんですか?」
「稚魚が遡上してくる時期だから、今捕っちゃうと夏から秋の漁獲量が減っちまうんだ」
「なるほど……」
でも、そこは名誉子爵様の特権で……なんて捕らないよ。
猫人の貴族は意地汚い……なんて言われたら困るからね。
「でも、先のことを考えて禁漁期間を設けるなんて、立派な村長さんですね」
「いやいや、村長が決めたんじゃねぇよ。領主様からのお達しだ」
「えっ、ケンテリアス侯爵様ですか?」
「そうだ、今の侯爵様だ」
村のオッチャンの話によると、昔は小魚まで捕らないように網の目の大きさに決まりを設けていたらしい。
ところが、少しでも多く捕りたいと欲をかいて、目の大きさをごまかして漁をする者が後を絶たなかったそうだ。
そのため、年々漁獲量が減少し、事態を重く見た現在の侯爵様が禁漁期間を設けて、厳しく密猟者を取り締まり、厳罰を科したそうだ。
「それは、村の人たちからすると厳しすぎると思ったんじゃない?」
「確かに、最初は反発する者もいたが、禁漁期間を設けた年は、前年の倍を超える豊漁でな、それから反発する者は居なくなったし、みんな密猟の取り締まりに協力するようになったんだ」
「今の侯爵様は、良い領主様なんだね」
「あぁ、飢饉があった年には、年貢の取り立てを免除するだけでなく、備蓄の小麦を配ってくれたんだぜ。あれが無ければ、俺も死んでたかもしれないな」
オッチャンから話を聞くほどに、昨日のバカ息子とイメージが違いすぎると感じてしまった。
そこで、単刀直入にケンテリアス侯爵家の嫡男の評判を尋ねてみると、オッチャンはアントニーの名前を聞いた途端、顔を顰めてみせた。
「大きな声じゃ言えないけど、長男はどうしようもないボンクラでな、次男のベネディクト様に後を継いでもらいたいと、みんなが思ってるよ」
「次男は優秀なんですか?」
「優秀かどうかは知らんが、あのボンクラよりはマシだろう」
村のオッチャンは詳しい内情までは知らなかったが、どうやらケンテリアス侯爵家は家の中に問題を抱えているようだ。
だとすると、アントニーが言っていた侯爵様の名代という話も疑わしくなってくる。
もう少し詳しい話を聞きたいと思い、村長の家を訪ねてみたのだが、アントニーが滞在しているようで騎士が出入りする人間に目を光らせていた。
ギルドカードを提示して、村長に面会を求めることは可能だろうが、実際に会うまでに一悶着起きそうだし、肝心な話を聞くのは難しそうだ。
それならば、ギルドの職員から話を聞こうと思ったのだが、こちらはゴブリンクィーン討伐の後処理に追われていて、とても話を聞いている余裕はなさそうだった。
「うーん、困ったにゃぁ……みゃっ!」
「どうしたの?」
どこかで情報を聞き込めないかと考えていたら、後ろからレイラに抱き上げられた。
「うん、ちょっと侯爵家の内情について知りたいんだけど……」
これまでの経緯をザックリと説明すると、レイラは少し考えた後で、通行人に一番流行っている酒場の場所を聞き、そちらに向かって歩き始めた。
「酒場って、まだ昼間だよ」
「こうした村の酒場は、昼間は食事処になってたりするし、今はゴブリンクィーンの討伐が終わった直後だから、昼間から飲んでる冒険者も多いはずよ」
「なるほど……そういう冒険者から話を聞くんだね?」
「違うわ、話を聞くのは店のマスターよ」
レイラが言うには、酒場で一番の情報通はマスターだそうだ。
お客は勿論、店で働いている女給さんからも話を聞いて情報を集めているらしい。
こうした村の酒場のマスターは、情報屋を兼ねていたりもするそうだ。
教えてもらった酒場に行くと、レイラの予想した通り、多くの冒険者で賑わっていた。
みんな今回の討伐で稼いで懐が暖かいから、気前良く飲んでいるみたいだ。
「あぁん? ここはニャンコロのガキが来るような場所じゃ……」
「よせっ! ありゃ不落の魔砲使いだ」
「げぇ……」
入口を入った途端、いきなり絡んでこようとした犬人の冒険者は、仲間に止められると文字通り尻尾を巻いて酒場の隅に引っ込んだ。
ご注文は……ミルク……のパターンで遊ぼうかと思ったのに残念だ。
というか、レイラに抱えられたままで、ヒソヒソと話されるのは何か違う気がする。
レイラはまるで気にした様子も無く、真っすぐにカウンターへと歩いていった。
「さすがは名誉子爵様、いい女連れてるな」
カウンターの中に居たのは五十代ぐらいの熊人のマスターで、口許には笑みを浮かべつつも目は油断なく観察しているように見える。
「注文は?」
「冷たいミルクを」
「私はエールね」
「あいよ」
マスターが出してくれたミルクは、良く冷えていて味わいもなかなかだったが、レイラが頼んだエールはイマイチだったようだ。
「なぁに、これ。温くない?」
「悪いな、冷やす間も無く飲まれちまうんでね」
どうやら、冒険者が飲むペースが速すぎて、エールを冷やすのが間に合わないようだ。
「ニャンゴ、ちょっと冷やして」
「はいはい、かしこまりました」
空属性魔法でカップを作り、中に冷却の魔法陣を仕込む。
そこにレイラから受け取ったエールを注げば、急速冷却が出来ると言う訳だ。
「んー……やっぱりエールは冷えてないとね」
「いったい、どうなってんだ?」
冷えたエールの喉越しに満足げな笑みを浮かべたレイラを見て、マスターは目を丸くしている。
「何をどうしたら、空属性の魔法でエールが冷やせるんだ?」
「ケンテリアス侯爵家の内情を教えてくれたら、どうやったか教えてあげるよ」
「侯爵家の内情?」
「長男はボンクラで、次男の方が見込みがあるとか」
「あぁ、その通りだ。アントニーとベネディクト様は母親が違うんだよ」
マスターの話によれば、前の侯爵夫人はアントニーが幼いころに病死したらしく、母を亡くした悲しみを癒すために甘やかされて育ったらしい。
その後、今の侯爵夫人を後妻に迎えたそうだが、アントニーは懐かなかったそうだ。
その後に生まれた次男ベネディクトは素直な性格で、屋敷の使用人たちからも評判が良いらしい。
甘やかされて我儘に育ったアントニーは、何かと次男と比べられて、ますます我儘に拍車がかかっていったようだ。
「今の侯爵夫人は、自分の子供であるベネディクトに侯爵家を継がせる気は無いそうだ」
「えっ? 次男の方が優秀なのに?」
「家督争いになれば家が乱れ、それは領地にとっても好ましくない……というのが夫人の気持ちだという話だが、ボンクラは疑っているらしい」
「一方は争う気は無いのに、勝手に目の敵にしてるってこと?」
「だとさ……ゴブリンクィーンの魔石の件も、実績を作りたくて焦っているからみたいだぜ」
「いや、冒険者から無理やり奪えば、実績どころか汚点になるんじゃないの?」
「それに気付かないからボンクラなんだよ。まぁ、周りの連中も問題らしいけどな」
アントニーがボンクラなのは間違い無いらしいが、馬鹿げた行動を唆している輩が居るらしい。
ただ、その連中の意図までは分からないようだ。
単純に今すぐ甘い汁を吸いたいだけなのか、それとも将来に渡って侯爵家に寄生するつもりなのか、はたまたアントニーを失脚させてベネディクトを領主にしたいのか……。
「いずれにしても、侯爵家が好ましい状況じゃないってことだけは確かだな」
「なるほどねぇ……貴族って面倒だねぇ……」
「あんただって貴族様なんだろう?」
「俺は名ばかりのお飾りみたいなもんだし」
「じゃあ、侯爵家の問題には口出ししないのか?」
「そもそも、名ばかりの子爵が侯爵家の問題をどうこう出来るはずもないし、自分から面倒ごとに巻き込まれに行くなんて馬鹿のやることだよ」
「そりゃそうだ」
侯爵家の内情も大体分かったし、関わらない方が良いのも分かったので、アントニー絡みの話は打ち切って、マスターと討伐や魔法の話をして楽しんだ。
あと一晩野営して、明日は乗合馬車に乗って旧王都へ向かおう。