逆手に取る
虫の知らせなのだろうか、何だか胸騒ぎがする。
ヒゲがビリビリするような切羽詰まった感じではないが、妙に落ち着かない。
原因は、猫人の自爆攻撃を見てしまったことだろう。
騎士候補生の規律に反した取り締まりに端を発した猫人の自爆は、反貴族派にとって想定外の出来事だったはずだ。
昨年の『巣立ちの儀』の襲撃では、反貴族派は何重にも策を巡らせていた。
これまでに摘発した現場の状況を見ても、今年も何重もの策を用意していたのは明らかだ。
幸い、その内のいくつかを事前に潰せた訳だが、まだ完全に防ぎ切ったという確証は得られていない。
そして、昨年の襲撃を指導した反貴族派の幹部が、今年も襲撃の計画を立案しているならば、想定外の自爆攻撃もプロパガンダに利用してくる可能性が高い。
その標的は王国騎士団であり、都外で聞き込みを行っている騎士候補生も狙われるはずだ。
俺の心配の種はオラシオだ。
オラシオは体は大きいけれど、性格は温厚で優しい。
反貴族派の斬り付けるような悪意に晒されたら、心が折れてしまうのではなかろうか。
あと二年もすれば王国騎士に叙任されるオラシオは、もう守られる存在ではないのかもしれない。
オラシオ自身、俺に守られるのは本意ではないだろう。
それでも手が届く場所に居て、危険に晒されているならば、救いに行かないという選択肢は無い。
なによりも、グロブラス伯爵領で反貴族派の罠に落ち、命の危険に晒されていたオラシオの姿が脳裏に浮かんでしまう。
またあんな事になったらと思うと、自分の仕事に集中していられなくなってしまうのだ。
寝つきの悪い夜を過ごした後、騎士団長に断りを入れて朝から新王都の空に上がった。
実は、昨日オラシオの革鎧に貼り付けた探知ビットを消さずにおいた。
薄くて丈夫に作ってあるので、多分触っても気が付かないだろう。
オラシオ本人に気付かれないように、遥か上空から見守っていたのに、オラシオに見つかってしまった。
まったく、何を呑気に手なんか振ってるんだか……シャキっとしろよな。
オラシオは、俺に向かって手を振った後で、ぐっと拳を握ってみせて、今日も頑張るとアピールしていた。
早く持ち場に行けと追い払うように手を振ると、不満そうに膨れっ面をした後でいそいそと持ち場へと向かっていった。
空属性の集音マイクを作り、オラシオの周囲の音を拾う。
担当場所に到着したオラシオは、俺の懸念とは裏腹に都外の住民から歓迎されているようだった。
オラシオ達は、都外で行われる『巣立ちの儀』への参加希望者の名簿を作っているようだ。
都外で暮らす人達は新王都の住民として登録されていないので、誰が『巣立ちの儀』を受けるのか把握出来ていないらしい。
そのため都外で『巣立ちの儀』を行うには、まず参加者の把握から始めなければならないようだ。
これまでは、色々な方法を個人で講じないとならなかったのが、無償でやってもらえるとあって、多くの人が列を作っていた。
オラシオは、住民が貸してくれた机と椅子を使い、テキパキと名簿作りを進めていた。
この調子ならば、胸騒ぎは俺の思い過ごしだろうと思い始めた時だった。
参加希望者の列の様子を窺っていたシカ人の男が、急に声を張って喋り始めた。
「昨日、新王都の北側で猫人が自爆したのを知ってるか? 騎士見習い共に酷い暴力を振るわれて、仲間を守るために自分の命を犠牲にしたんだ! 貴族階級になる騎士見習い共は、俺達貧しい者達を見下し、馬鹿にしてやがるのさ! 謝れ、膝をついて地面に頭を擦り付けて謝れ!」
上空からではオラシオの表情は見えないけれど、名簿を作る手が止まり小さく震えているようにも見える。
そして、オラシオが椅子から立ち上がろうとした時だった。
「ふざけんじゃないわよ! この子が何をしてくれたのか、あんたこそ分かってないだろう!」
「そうさ、この子はあたしらの子供が『巣立ちの儀』を受けられるように奔走してくれてんだよ」
「それだけじゃないよ、うちの小屋が傾いた時に汗だくになって直すのを手伝ってくれたさ」
「お兄ちゃんは肩車して遊んでくれた」
恰幅のよいおばちゃん連中だけでなく、小さな女の子までがオラシオを庇って声を上げる様子に涙が溢れてしまった。
オラシオは曲がらず真っ直ぐに、騎士への道を歩み続けているようだ。
「そりゃあ騎士や見習いの中にはとんでもない連中がいるのかもしれないけど、それは世の中には良い人もいれば泥棒や人殺しがいるのと一緒だろう」
「大体、お前はどこの者だ。この辺りじゃ見掛けないな!」
住民達に詰め寄られたシカ人の男は、形勢が不利になったと悟ると背中を向けて逃げ出した。
当然、空属性魔法で作った探知ビットを貼り付けた。
「そうだ、反貴族派の連中がプロパガンダを行うならば、追跡してアジトを見付ければ良いんだ」
住民からの信頼を勝ち取ったオラシオは大丈夫だろう。
それなら俺は都外の他の地域で街宣活動している反貴族派を見つけて、片っ端から探知ビットを貼り付けてやろう。
これで芋蔓式に反貴族派を捕まえられると思ったのだが、現実はそんなに甘くなかった。
他の地域へと移動すると、住民達に吊し上げを食っている革鎧で完全武装した騎士候補生の姿があった。
四人の騎士候補生は住民に取り囲まれ、背中合わせの格好で防戦一方の状態だ。
「こいつ、剣に手を掛けやがったぞ。斬るのか、何もしてないのに斬るつもりか!」
騎士候補生の一人が腰に吊るした剣に手を掛けると、それを指摘して更に住民を煽っている犬人の男がいた。
見失わないうちに探知ビットを貼り付けておいた。
『そこまで! 一旦落ち着いて下さい!』
暴徒と化しそうな住民の上に、空属性魔法で大きなスピーカーを設置して大音量で呼びかけた。
突然頭の上から降ってきた声に驚いて、住民だけでなく騎士候補生までもが俺を見上げた。
『今、そこにいる騎士候補生の仲間が中心になって、都外で『巣立ちの儀』を行う準備を進めています。都外に暮らす皆さんが『巣立ちの儀』の対象から外れて困っていると知って、彼らが考えて実現するために奔走しています。今ここで大きな騒ぎが起こってしまうと、折角の計画が中止になってしまうかもしれません。皆さんが不満に思うこと、腹立たしいと思うこと、色々あると思いますが、落ち着いて冷静に行動してください』
都外で『巣立ちの儀』を行うという話は、まだ行き渡っていないのか、本当なのかと騎士候補生に訊ねる人もいた。
「み、耳を貸すな! あいつは黒い悪魔だ。名誉騎士になって、俺たちを見下すようになった裏切者だ!」
場の空気が変わったのを見て、犬人の男が俺を指差して叫んだけれど、住民達の反応は今ひとつ……というか戸惑っているように見える。
『反貴族派を名乗る暴徒と戦うと裏切者になるんですか? だったら、あなたは何者なんでしょうね? この辺りで暮らしている人ですか?』
オラシオを庇ってくれた住民の言葉をヒントにして呼びかけると、住民達の表情が変わった。
「こいつ、どこの者だ?」
「えぇ、見かけない顔よね」
「俺たちの代表みたいな顔してっけど、こんな奴知らねぇぞ」
犬人の男の顔からは血の気が引き、ダラダラと冷や汗を流し始めた。
「お、俺はたまたま通り掛かって、見習い共の姿が見えたから文句を言っただけだ! あ、怪しい者なんかじゃない……」
いやいや、そのセリフが怪しい者の典型でしょう。
騎士候補生を取り囲んでいた住民が、今度は犬人の男を取り囲み始めたのでストップをかけました。
『どうやらお帰りのようです。皆さん、通してやって下さい。それと、『巣立ちの儀』を受ける年齢の子供がいる人は、そこの騎士候補生に訊ねて早目に登録をお願いします』
住民の注意が『巣立ちの儀』に向かったところで、犬人の男は人混みを掻き分けるようにして逃走を始めた。
勿論、さっきのシカ人の男も含めて逃がしやしないけどね。





