道楽旅
「うみゃ! このクープは脂が乗ってて、うみゃいでやんすね、若旦那」
「うむ、確かに美味いな」
グラースト侯爵領へと向かう道中、バルドゥーイン殿下扮するメローカル商会のドルーバ若旦那の一行は、金持ちの道楽息子らしく高級な宿に宿泊した。
今日はロマーシという街の川辺の宿で、この辺りではクープという大きな淡水魚とイノシシの料理が名物らしい。
宿の食堂では、俺達以外の客も食事をしているが、どの客も服装などから見ても裕福そうに見える。
俺たちのテーブルは、バルドゥーイン殿下とレイラ、俺の三人で、他の四人は別のテーブルに座っている。
普段なら、レイラの膝の上に抱えられて餌付けされているが、今日は一人で座って思う存分料理を堪能させてもらっている。
道化の衣装を身につけて、普段以上に騒がしく食事をする俺を、他の宿泊客は苦笑いしたり、物珍しそうに眺めたりしている。
今の時代、観光のために旅をする人は、貴族か富裕層の一部に限られる。
そんな中でも道化を連れて歩くなんて酔狂な人間は、更に少数派だ。
耳障りで迷惑だと感じている人達も、隣りのテーブルに控えている屈強なルーゴとベスの姿を見て、関わらない方が賢明だと思っていそうだ。
「この薄造りにした白身で、薬味の野菜を巻いて、ラーシとビネガーで作ったソースを絡めると、シャキシャキ、ムチムチ、サッパリでうみゃい!」
「まったく騒がしい奴だな、食べるか喋るか、どちらかにしておけ」
「これはこれは失礼いたしました、それでは暫しの間は食べるのに専念させていただいて……うみゃ! このスープ仕立ても身がホコホコになって、うみゃ!」
「ふははは、お前に喋るなと言った私が間違っていたようだな」
「そんな事はございません。聡明にして寛大なる若旦那が、間違えるなど……うみゃ! にゃに、この煮込み……肉がトロットロで、うみゃ!」
バルドゥーイン殿下が目立つ行動をしているのは、金持ちを標的にして、金品を騙し取ろうと考えている連中を誘き寄せるためだが、今のところ成果は無い。
そういった輩を誘き寄せるなら、もう少し宿のランクを落とした方が良い気もするが、高級な宿に泊まれる機会は多くないので、俺からアドバイスはしない。
今夜も騒がしく食事をしながら、同宿の人達の様子を窺っているが、特に怪しい人物も見当たらない。
金持ちを狙う追いはぎなどは、少し高級な宿に泊まって獲物を物色したりするそうだが、最上級の宿だと身元の確認も厳しいので、そういった胡乱な人物は入り込みにくいのだ。
食事を終えた後は、離れの客室へと戻った。
離れの客室には、川を眺められる広いリビングの他に寝室が三つ、風呂が二つ、トイレが三つに炊事場まで付いている。
こういった宿の宿泊客の中には、様々な事情を抱えている者がいて、食事は全て自分達で用意しないと安心できない人もいるそうだ。
それって、暗殺の心配をしているってことなんだろうけど、そこまでして旅をしなくても良いのでは……と思ってしまう。
というか、本来なら殿下に出す食事は俺達が準備しなきゃ駄目な気がするが、地元の名物を味わいたいという殿下の一言で自炊は取りやめになったそうだ。
今回は毒物のスペシャリストも同行しているし、俺も美味い物が食べたいから反対しなかった。
「ふぅ、食べた、食べた……」
「ニャンゴ、食べ過ぎじゃない?」
「ぐふっ、クープが美味しすぎるのが悪いんだ……」
「まぁ、タプタプニャンゴも嫌いじゃないけどね」
そう言いながら、膝に乗せた俺のお腹をタプタプするのはやめて欲しいにゃ。
宿の部屋割りは、殿下とルーゴ、ベスの三人で一部屋、俺とレイラで一部屋、ドーラとアメリで一部屋だ。
俺がルーゴとベスと一緒の部屋で、殿下とレイラが同室という案も出たが、俺が反対して却下してもらった。
旅の恥はかき捨て……みたいに盛り上がってもらったら困るのだ。
ドーラとアメリも強力に反対してくれた。
この二人もまた、何やら事情を抱えていそうな気がするが、味方してくれるのだから文句を言うつもりは無い。
ちなみに、殿下が泊まる部屋の窓には、空属性魔法の探知ビットを貼り付けてあるので、侵入者が窓を開ければ分かるようにしてある。
その他にも、侵入者対策として探知ビットを配置しているから、賊の手が殿下に届くことは無いはずだ
「なんだか、思っていたより退屈ね」
「そんなに頻繁に事件なんて起こらないよ」
「そうなんだけど、せっかく王族が出歩いているんだから、何かハプニング的なものがあっても良いんじゃない?」
一緒に旅をしてみて分かったのだが、バルドゥーイン殿下は奔放な性格に見えて意外に几帳面だったりする。
お酒もタバコも嗜むけれど、セルージョみたいにデレデレになるほどは飲まない。
一度、深酒することは無いのか聞いてみたが、王城にいる時は飲み過ぎることもあるそうだが、外にいる時には足元が危うくなるほどは飲まないそうだ。
自分がまともに動けない状態で襲撃されれば、護衛する者達を危険に晒すことになるし、それで命を落とすような無様を晒せば王家の威厳に泥を塗ることになるからだそうだ。
そこまで自分を律しているバルドゥーイン殿下には、『巣立ちの儀』の襲撃で暗殺されたアーネスト殿下はどう見えていたのか気になったけど、さすがに聞けなかった。
「まぁ、ここまでは宿の手配とかも騎士団がやってたみたいだし、本番は明後日ぐらいからじゃない?」
「そうね、王都から離れるほどに街道の治安は怪しくなるものね」
王家の直轄地を抜け、今いるジャルマーニ侯爵領を明日一杯で通り抜ける予定だ。
明後日の朝、レオミュール伯爵領に入った後は、宿の手配などもこちらでやることになる。
お金には困っていないけど、良い宿に空きがあるかは分からないし、下手すれば野営することになるかもしれない。
バルドゥーイン殿下も騎士団の野営の訓練に参加したことがあるそうだが、騎士団の敷地内だったらしいので、本格的な野営は戸惑うのではなかろうか。
「どうかしら、あの王子様なら、むしろ楽しみそうな気がするけど」
「うん、俺もそう思うけど、理想と現実は違うからね」
「というか、あの馬車なら天幕はる必要も無いし、ニャンゴが暖房入れてくれるんだから文句を付けることなんて無いんじゃない?」
「それもそうか」
チャリオットが野営する時は、俺が空属性魔法で魔導具を作って冷房、暖房、除湿までやっているから快適だ。
今回も移動中の馬車の中は、俺が暖房を入れている。
御者台にも風除けを作って暖房を入れているから、ルーゴやベスが凍えることもない。
ここまでは、本当に金持ちの道楽旅行という感じだ。
「レオミュール伯爵領には、どんな美味しい物があるのかにゃ?」
「ふふっ、ニャンゴにとっては事件とか視察よりも美味しい物の方が重要なのね」
「美味しい特産品を知るのは、立派な視察だよ」
「はいはい、そういうことにしておきましょう」
だから、俺のお腹をタプタプするのは止めてほしいにゃ。
翌朝、晴れ渡っていた空は昼を過ぎた頃から曇り始め、宿泊予定のフルダンの街に着く頃には本降りの雨になっていた。
雨が酷くなると、野営を諦めて宿を取ろうとする者が増えるので、急がないと部屋を抑えられなくなる。
こうした場合、冒険者ならば街の入口で衛兵に聞いたお薦めの宿の三番目ぐらいから当たり始める。
評判の良い宿から埋まっていくし、他の人が交渉している間に少し落ちる宿でも部屋を抑えてしまった方が良いからだ。
ただ、今回はバルドゥーイン殿下が一緒なので、少々事情が変わってくる。
「若旦那、一番高い宿の一番高い部屋なら空いてますよ」
「確かに、そうかもしれんな」
そもそも宿泊費の高い宿に泊まる客は限られている。
雨に降られて野営を諦めるような連中は、そんな高級な宿には最初から泊まろうとしない。
俺の読みは当たって、フルダンの街で一番高い宿には部屋の空きがあった。
朝食の席では、今日からは庶民的な宿で……なんて言っていたバルドゥーイン殿下も、雨の中の野営と高級宿を天秤にかければ、どちらに傾くかは言うまでもない。
さてさて、今夜はどんな美味い料理が食べられるのか……デザートは何かにゃ?





