旅立ち
「婆ちゃん、いる?」
「ニャンゴかい? 入っておいで……」
ゼオルさんにイブーロ行きの相談をした後、モリネズミを捕まえに行ってから薬屋のカリサ婆ちゃんを訪ねた。
「はいよ、婆ちゃん。モリネズミを持ってきたよ」
「いつもすまないねぇ……何だい綺麗に捌いてくれたのかい、手間掛けて申し訳ないね」
「いやぁ、もう慣れてるから……」
ゼオルさんに後押ししてもらい、イブーロへ行く決心をしてきたはずなのに、カリサ婆ちゃんの前に来たら、上手く切り出せなくなった。
「どうしたんだい、ニャンゴ。何か悩みでもあるのかい?」
「婆ちゃん、俺っ! 俺……」
イブーロで冒険者になる……たったそれだけの言葉が、なぜだか喉から出て来なかった。
「村を出るって決めたんだね」
「婆ちゃん……」
「村に残って根を下ろす者、村から旅立って行く者……身体は小さくても、あんたにはアツーカ村は小さすぎる。これは私だけじゃない、村のみんなが思っているだろうよ」
「俺……婆ちゃんに薬草の種類とか採り方とか……一から教えてもらったのに……大した恩返しもできないで……」
「なに言ってるんだい、礼をするのは私の方だよ。婆ちゃん、婆ちゃんって懐いてくれて、長いこと一人で暮らしてきた私がどれだけ救われたか。私は、あんたを本当の孫のように思っているよ」
「婆ちゃん……」
堪えきれずに涙をこぼしながら俯くと、カリサ婆ちゃんに頭をそっと抱きかかえられた。
薬草の香りが染みこんだ、カリサ婆ちゃんの匂いがする。
「婆ちゃん、俺、イブーロの冒険者パーティーに誘われたんだ……案内役として一緒に森に入って……みんな親切で信頼できる人で……イブーロでは有名なパーティーで……他の冒険者からも一目置かれててて……でも、でもやっぱり婆ちゃん心配だから……ゼオルさんに相談して……そんで……そんで……」
「行っといで……私の心配なんかしなくていい。なぁに、死ぬまで食っていけるぐらいの蓄えはしてあるさ。薬が無くて困るって言うなら、自分で薬草採って来いって言ってやるさ」
「婆ちゃん……俺、イブーロに行くよ」
「あぁ、何も心配せず、自分の進みたい道を真っ直ぐに歩いてお行き。でもね、でも……たまには顔を見せに帰っておいでよ、ニャンゴが居ないのは寂しいからねぇ……」
カリサ婆ちゃんは、俺を抱きしめてポロポロと涙をこぼした。
皺くちゃな右手で、俺の潰れて見えなくなった左目の辺りを愛おしそうに撫でながら、涙声で言葉を紡ぐ。
「無茶だけはするんじゃないよ。あんたは優しい子だから、誰かのために自分を犠牲にしすぎることがあるからね。怪我には気を付けて、立派な冒険者になるんだよ」
「うん……うん、うん……」
「あぁ、あんなに小さかったニャンゴが、こんなに大きくなったんだねぇ……」
「うん……うん……」
カリサ婆ちゃんの腕の中で、俺はなかなか涙を止めることができなかった。
アツーカ村を出るのは、これまでに調べておいたゴブリンの巣がどうなっているのか調べ、必要であれば討伐に協力し、薬草もある程度摘んで来てからだ。
今からこんな調子では、実際に村を出る時はどうなってしまうのだろうか。
せめて旅立つ日には、もう少し恰好付けて村を出たいものだ。
カリサ婆ちゃんには上手く言い出せなかったが、両親には普通に話せた。
たぶん死別するのは、まだまだ先だと思っているからだろう。
「お前、イブーロに行くって……モリネズミとか魚はどうなるんだ?」
カリサ婆ちゃんは俺の身を案じてくれたのに、うちの親父は自分の食い扶持の心配かよ。
「あー……それは、上手くやって」
「上手くやれって……畑仕事をやってるんだ、モリネズミなんて捕まえに行ってる暇なんかある訳ないだろう」
「とりあえず、ここ数日、出店で稼いだ分は置いて行くからさ、後は上手くやってよ」
「おい、ニャンゴ。お前、親に向かって、そんな口の利き方は……」
親父がいつまでもウニャウニャうるさいので、金をおふくろに押し付けて、出発までゼオルさんの所に居候すると言って家を出た。
巣立ちの儀を受けに行く前は、さっさと一人前になって家を出ろって言ってたクセに、ちょっと稼ぎが良くなったらアテにしやがって、マジで面倒臭い。
二人分のオカズを捕まえて来ると言ったら、ゼオルさんはあっさりと居候させてくれた。
ゴブリンの巣の件もあるし、詳しく報告をするにも丁度良いからだ。
「それならニャンゴ、薬草摘みをしながらゴブリンの巣を確かめ、帰り道に何か獲物を捕まえてくればいいだろう」
「うわぁ、簡単に言ってくれますけど、大変ですよ、それ……」
「がははは、イブーロで冒険者稼業をやるんだろう、この程度の仕事は簡単にこなしてみせろ」
「えぇぇ……冒険者って、もっと気ままな仕事じゃないんですか?」
「まぁ、そいつはやり方次第だな。実績を重ね、名前を売り、上客を掴まえて、割の良い仕事をこちらが選べるようにでもならなきゃ、気ままな生活なんざ送れやしねぇぞ」
「ですよねぇ……」
イブーロでは名前の売れたパーティーから誘われて、ちょっと舞い上がっていたけれど、冷静になって考えてみれば簡単じゃないことは分かる。
チャリオットの三人は人柄が良いし、自前の馬車を持っているくらいだから経済的にも豊かだとは思うが、その輪の中に加わって上手く馴染んでいけるかまでは分からない。
「だったら、パーティーで請け負う仕事が無い時には、イブーロで駆け出しの冒険者がやる仕事も経験してみろ。Bクラスの冒険者パーティーともなれば、大きな仕事の依頼も来るだろうし、連日仕事に追われている訳ではないはずだ。経験も積めるし、収入も上乗せ出来るぞ」
「なるほど、それは良いアイデアですね。俺はイブーロの街も、周辺の地理にも詳しくないから、地道な仕事をしながら土地勘を身に付けた方が良いですよね」
巣立ちの儀の日も、オラシオと遊び回って迷子になったし、その後はゼオルさんの後にくっついて歩いただけだから、まだどこに何があるのか把握しきれていない。
それに、せっかく街で暮らすのだから、美味い店の食べ歩きはしてみたい。
「まぁ、アツーカにいる時よりは、確実に風当たりは強くなる。気は引き締めておけよ」
「えっ、風当たり……ですか?」
「そりゃそうだろう。まだ巣立ちの儀を受けてから二年にもならない小僧が、ブロンズウルフに止めを刺してBランクパーティーからスカウトされたんだぞ。間違いなくイブーロの冒険者の間では話題に上がるようになる」
「それって、いつぞやの馬獣人の冒険者みたいに、意味もなく突っ掛かって来たりするってことですか?」
「意味もなくじゃねぇ。冒険者ってのは、名前を売ってなんぼの稼業だ。さっき気ままな暮らしが出来るようになる条件を話しただろう? 名前が売れていないってのは、あの逆の状態だ。つまりは稼ぎの少ない仕事をあくせく続けなければ、毎日の飯にも苦労する状態だ。駆け出しの頃ならば楽しくやっていけるだろうが、それが二年三年と続いていけば抜け出したい、楽したいって思うようになるのが人情ってもんだ」
俺もアツーカ村の実家に住んでいるから、薬草摘みしかやっていない頃でも生活していけたが、街で部屋を借りて家賃を払うような状況では食っていくのは厳しいだろう。
「でも、俺を痛めつけた程度じゃ、売れるのは悪名だけじゃないんですか?」
「さぁな……実際にイブーロで、どんな噂が流れるのかまでは分からねぇからな。まぁ、刻印魔法の件を聞いたのはベテラン二人だけだから噂として流れる可能性は低いだろうが、ブロンズウルフに止めを差した場面は、討伐に参加した若い連中も見ているんだろう? そいつらは間違いなく、イブーロに戻ってから知り合い達に話して回るはずだ。何しろブロンズウルフを倒した現場に参加していたんだ。それだけでも十分に自慢出来るからな」
「それじゃあ、討伐の話に尾ひれが付いて大きくなると、俺の話も大きくなるんですかね?」
「そういう事だ。まぁ、覚悟はしておけ。それが冒険者稼業ってもんだ」
「はぁ……分かりました」
どうやら、イキりたい若造に絡まれるのは、ほぼほぼ確定のようだ。
こりゃあ、街を歩く時にもフルアーマーを装備しておいた方が良さそうだ。
イブーロには、ミゲルが学校に戻る時に、ゼオルさんの助手として馬車に同乗して向かうことになった。
出発までは、三日ほどしか残されていなかったが、幸いチェックしていたゴブリンの巣はブロンズウルフによって壊滅させられていた。
山の奥にしか生えていない薬草を摘み、鹿とイノシシを仕留め、バタバタと慌ただしく過ごしているうちに出発の日は来てしまった。
出発当日、村長の家には多くの村人が見送りに来てくれた。
俺の家族に、幼馴染のイネス、モリネズミを買い取ってくれていたビクトール、一緒にゴブリンやオークの討伐に行った人々、元ミゲルの取り巻き達、勿論カリサ婆ちゃんの姿もある。
俺は、村の人とは積極的に関わらず、それこそ気ままに生きて来たつもりだったけど、気付かないうちにこんなに多くの繋がりが出来ていた。
いじめられっ子として惨めに事故死した前世では、葬式にだってこれほどの人は集まらなかっただろう。
もっと人との繋がりを大切にしていたら、前世も少しはマシだったのだろうか。
ミゲルは、自分がイブーロの学校へ入学する時よりも、遥かに多くの村人が集まったのでヘソを曲げていた。
もうすぐ可愛い、可愛いオリビエに会えるんだから、もっとにこやかにしていろよ。
「ニャンゴ、身体に気を付けるんだよ。馬車に乗れば一日で帰って来られるんだ、たまには顔を見せに戻っておいで」
「分かった。婆ちゃんも元気でいろよな」
俺もカリサ婆ちゃんも目をウルウルさせていたけど、今日は泣かずに済みそうだ。
カリサ婆ちゃんからは、熱さましと腹痛の薬を餞別として受け取り、馬車の御者台に上がった。
「よし、じゃあ出発するぞ」
「はい、行きましょう」
ゼオルさんがブレーキを緩めて手綱で合図を送ると、馬車はゆっくりと動きだした。
御者台から後ろを振り返って、見送りの人達に大きく手を振ると、一番前にいたカリサ婆ちゃんが一歩、二歩と歩を進め、堪えきれないといった様子でよろめくように馬車を追いかけ始めた。
馬車が速度を上げても、カリサ婆ちゃんは歩みを止めず、手を振りながら追いかけて来る。
「ニャンゴ……ニャンゴ……ニャンゴ……」
一言も聞き逃すまいと身体強化で聴力を強化したが、カリサ婆ちゃんは俺の名前を呼ぶだけで、決して『行くな』とは口にしなかった。
林の向こうに姿が見えなくなるまで、カリサ婆ちゃんは俺の名前を呼びながら、手を振り続けていた。
「新しい場所で生活の基盤を築くのは楽じゃねぇが、落ち着いたら一度顔を出せ。薬草摘みの手伝いは出来ても、俺にはお前の代わりは出来ないからな」
「はい……はい……」
目も鼻も涙でグジュグジュで、見張りの役目は果たせていなかったけど、ゼオルさんは何も言わずに馬車を走らせ続けていた。





