帰省
エスカランテ侯爵の屋敷を出る時には雨が降っていたけど、出発を延期するつもりは全く無かった。
昨晩、一昨晩と、もう二晩も足止めされてしまっていたからだ。
これ以上足止めされてしまったら、カリサ婆ちゃんと過ごす時間が無くなってしまうと思い、もう一日泊まっていけと引き留めるアルバロス様に挨拶を済ませて出発した。
退屈を持て余している御隠居さんにしてみれば、俺は格好のオモチャかもしれないけれど、俺にだって都合はあるのだ。
空は厚い雲に覆われていて、高度を上げると視界が利かなくなりそうだったので、街道の上空二十メートル程の高さにパイプ状のコースを作って、その中を滑って行くことにした。
空属性魔法のボードに腹ばいになり、風の魔道具を推進機にして進む。
あまり速度を上げるとコースの設営が間に合わなくなるので、速度はせいぜい時速四十キロ程度だろう。
天気が良ければビューンっと一っ飛びなのに、ちょっとじれったかった。
領地境の街ルガシマを通り過ぎ、ブーレ山の裾野を通る頃には、雨に雪が混じり始めた。
気温が更に下がり始めていたが、空属性魔法で作った改良版の防寒着を着込んでいるから寒くない。
これまでの、空気の層を着込む防寒着に、魔力回復の魔法陣と温熱の魔法陣を組み込んだ。
これで魔力を回復しつつ、ポカポカの空気を着込めるという訳だ。
一つだけ問題があるとするならば、めちゃくちゃ眠たくなってしまうことだろう。
ぬくぬく、ポカポカの空気に包まれている猫人に、眠たくなるなという方が無理な注文だと思う。
どうにかして、オートパイロット機能を付けられないかにゃ。
ワイバーンを討伐した領地境を越え、ラガート子爵領最初の街ナコートを通り過ぎるころには、雨は完全に雪に変わり、街道はみるみる白くなり始めた。
積もり始めた雪は、街道と草地の境を曖昧にしてしまい、道をロストしないためには速度を落とさざるを得なくなった。
高度を落とし、速度を落としていても、強くなった雪が視界を遮り、ともすれば方向感覚さえ失ってしまいそうだった。
「にゃんとか、方向だけでも分かると助かるのに……そうだ!」
鞄からアーティファクトのスマホを取り出して、電子コンパスを起動させた。
GPSと思われる機能は衛星からの信号を拾えないために使用できないが、地磁気を利用する電子コンパスが機能するのは確認済みだ。
ラガート子爵の居城があるトモロス湖からだと、イブーロの街やアツーカ村は北北西の方角になる。
電子コンパスをお守り代わりにして、目を凝らして街道の上を滑り続けていると、ようやくイブーロの街が見えてきた。
このまま街道に沿って滑り続けていると、イブーロの城壁を越えてしまうことになる。
門を守るラガート家の騎士に見つかると、面倒なことになりそうなので、グルっと街を迂回して、更に北を目指してすすんだ。
イブーロを通り過ぎた頃には雪は更に強くなり、街道からは馬車も人影も見えなくなっていた。
見渡す限りの雪景色で、遠くの山影すら見えにくくなった。
チューブ状のコースにも雪が付着してしまい、更に視界を悪くする。
「ま、前が見えにゃい……どうしよう」
風も強くなり、ホワイトアウト一歩手前という状態だった。
空を移動するのを諦めて、街道に積もった雪の上を空属性魔法で作った橇で移動することにした。
流線型の屋根を付けて前面には熱風の魔道具を設置し、付着した雪が視界を遮るのを防いだが、それでも時折吹き付ける雪混じりの突風が行く手を遮った。
船外機のように後方に設置した風の魔道具の向きを変えることで、ボートのように作った橇の方向を変えながら進む。
もう自転車でのんびり走る程度のスピードしか出せない。
オリビエの故郷キダイ村が見えた頃には、すでに昼になっていたが、辺りは真っ白で時間の感覚さえも失われそうだった。
雪の中に点在する家を見つけた時は、方向を間違えていなかったと心底ほっとした。
ただし、キダイ村からアツーカ村へ行くには、小さな峠を一つ越えなければならない。
ウネウネと曲がりくねった道は、注意しないと崖下へ転落する恐れがある。
真っ白い雪と黒い木の影、吹雪の山道を進むのは少し怖いけれど冒険しているようでワクワクする。
降りしきる雪の他には動く物も無く、聞こえてくるのは魔法陣が奏でる風の音だけ。
峠を登りきり、あとは下ればアツーカ村に着く。
逸る気持ちを抑えて、慎重に……おっかなびっくり峠を下った。
「見えた!」
故郷アツーカ村は、深い雪に埋もれていた。
山間の小さな村だけど、こんなに深く雪が積もるのは珍しい。
山から流れてくる川に架かった橋を渡ったら、雪に埋もれた畑を突っ切って、まっしぐらにカリサ婆ちゃんの家を目指した。
婆ちゃんの家の煙突からは、薄っすらと煙が上がっている。
橇に置いていた鞄を背負い、アルバロス様からいただいたお土産を抱えて裏口へ駆け寄った。
「婆ちゃん、ただいま!」
裏口から呼び掛けてみたけれど返事が無い。
「婆ちゃん、開けて! いないの……?」
もう一度声を張って呼び掛けてみたけれど、やっぱり反応が無い。
こんな雪の日に出掛けているとは思えないし、煙突からは煙も出ていた。
まさか、婆ちゃん倒れているんじゃないかと不安に襲われた。
「婆ちゃん、ただいま! 婆ちゃん、いないの?」
裏口を叩きながら呼び掛けていると、家の中で誰かが動く気配がした。
「ニャンゴなのかい?」
懐かしい婆ちゃんの声がした。
「婆ちゃん! ただいま!」
「ニャンゴ!」
裏口の戸を開けたカリサ婆ちゃんは、俺が帰ってきたのが信じられないようだった。
俺も、あんなに酷い雪になるとは思ってなかったけど、薄暗い家に一人きりでいた婆ちゃんを見たら、無理してでも帰ってきて良かったと思った。
実家より先に来たと言ったら呆れられてしまったけど、それでもギューっと抱き締めてくれたカリサ婆ちゃんからは、いつもと変わらない薬草の匂いがした。
イネスが住み込みで弟子入りしたと聞いていたけど、新年は家族と一緒に迎えるために実家に帰っているらしい。
それならば、アルバロス様からいただいた黒ミノタウロスのお肉は、俺と婆ちゃんで食べてしまおう。
「婆ちゃん、野菜はある?」
「あぁ、葱と白菜ならばあるよ。それと茸があるよ」
「じゃあ、すき焼きにしよう」
「スキヤキ……ってのは何だい?」
「えっと……旧王都の方で食べた料理だよ」
「ほぅ、珍しい料理なんだね。楽しみだねぇ……」
醤油が無いからラーシを溶いて、葡萄酒とハチミツ、水で割り下モドキを作って、スキ焼きを作る。
肉は少し厚みを持たせて切り、野菜も食べやすい大きさに切っておく。
魔物の肉なのに、サシが入っていて和牛のロースみたいに見える。
これは絶対に美味しいやつだ。
空属性魔法で卓上コンロを作って、その上に鉄なべを乗せた。
「これなら、鍋を作りながら食べられるでしょ」
「まったく器用な子だねぇ」
熱した鉄なべにミノタウロスの脂を入れて溶かし、斜め切りにした葱を焼き、香りが出たところで肉を投入。
「んー……ヤバい、この匂いだけで涎が垂れちゃいそう」
「こんなに高そうな肉……悪いねぇ」
「いいの、いいの、エスカランテ侯爵様からお土産にって貰ったものだから大丈夫だよ」
「家に持って行かなくていいのかい?」
「いいの、いいの、明日晴れたら鴨か山鳥でも獲るから大丈夫だよ」
肉に半分程度火が通ったところで、割り下モドキを加えて、白菜、茸を加える。
焼き豆腐とかシラタキが無いのは少し寂しいけれど、間違いなく美味しいはずだ。
「婆ちゃん、このお酒も侯爵様からいただいたんだ、ちょっと飲もう」
「いいのかい? あぁ、ニャンゴと一緒にお酒が飲めるようになったんだねぇ」
「はい、婆ちゃん」
「ありがとうよ。さぁ、ニャンゴにも注いでやろう」
「うん、おっとととと……じゃあ、乾杯!」
「はい、乾杯。あぁ、今年も良い一年だったよ」
「さぁ、婆ちゃん食べて、食べて!」
婆ちゃんの器に鍋の具材を取り分けた。
肉は取り分けただけでもプルプルして柔らかそうだ。
婆ちゃんの分を取り分けたら、自分の器にもミノタウロスの肉をよそった。
「うんみゃ! 黒ミノタウロス、うんみゃ! 脂、甘っ! 肉の旨味が濃厚で、にゃぁぁぁ……溶けた」
「ほぇぇ、こんな肉は初めて食べたよ。柔らかいねぇ……」
「葱うみゃ、白菜うみゃ、肉の旨味を吸って、すんごいうみゃ!」
「あぁ、これが旧王都の味なんだねぇ……」
「さぁさぁ、婆ちゃん、まだまだお肉あるから食べて、食べて」
「はいよ、ありがたいねぇ……」
色々足りない物もあって、日本のすき焼きを完全再現は出来なかったけど、美味しいお肉のおかげで大満足な夕食になった。
アルバロス様には、何か良いアーティファクトを贈ることにしよう。





