予定外の一泊
旧王都からアツーカ村までも、空をビューンと飛んで行けばあっと言う間……とまではいかない。
空は飛べても、自分の目で方向を見定める必要があるからだ。
GPSや航空レーダーなんて無いから、有視界飛行するしかない。
季節柄、遅い日の出を待って旧王都の拠点を出発したのだが、どうにも天候が良くない。
時折、厚い雲が流れてきて、視界を遮ってしまう。
それでも街道に沿って飛行して、お昼前には新王都に到着、ルートを北に向けた。
「うにゃぁ、雨まで降ってきた……」
王家の直轄領を抜け、レトバーネス公爵領に入った頃には、時折バラバラと雨が落ちてきた。
視界は更に悪くなり、移動速度も落さざるを得なくなった。
晴天の時ならば、重量軽減の魔法陣を使って一気に上空まで上がり、重力落下と風の魔法陣を使って滑り降りる形で速度を上げてられるが、今日は高度を上げられない。
仕方が無いから、ボードを作って腹ばいになり、チューブ状のコースを作って風の魔法陣を推進機として空を滑っている。
これでも、馬車の数倍早く進めているが、今日中にアツーカ村まで戻るのは難しそうだ。
レトバーネス公爵領を抜け、色々と因縁のあるグロブラス伯爵領を通り抜ける頃には日が傾いてきたし、時折強い雨が打ち付けるようになっていた。
「しょうがにゃい、今夜は途中で一泊していこう」
アツーカ村にいた頃には、ふらりと立ち寄った街で一泊するなんて物語の中の人物みたいだと憧れる行動だった。
それを躊躇なく出来るようになったのは、一人の冒険者であり、一人の大人になった証のような気がする。
今夜は、エスカランテ侯爵領のキルマヤで一泊することにした。
キルマヤには、シューレと家具工房の工房主を護衛した事があるし、その後も何度か立ち寄っている。
とは言っても、土地勘がある訳ではないので、冒険者ギルドで宿を紹介してもらう事にした。
キルマヤの街の中心部まで飛んで行き、目立たないように路地裏へと滑り降りた。
今日は騎士服も着ていないし、どこにでもいるリュックを背負った黒猫人だから目立たないだろう。
ステップも必要最小限にしているから、宙を歩いているようにも見えないだろう。
キルマヤの冒険者ギルドは、イブーロのギルドよりも少し大きく、年末とあって多くの人でごった返していた。
まだ夕方の混雑する時間には少し間があるはずだが、カウンター前にも列が出来始めていた。
名誉騎士専用のAランクカードを使えば優先的に対応してくれるかもしれないけど、権力を笠に着るのは嫌なので大人しく列に並ぶ。
リュックを背負って列に並んでいると、イブーロのギルドで初めて買い取りを頼んだ時の事を思い出した。
イキった馬人の冒険者に鞄を掴まれて投げ飛ばされ、助けてくれたのがライオスだった。
今日も世間知らずの若造が絡んで来ないか、ちょっとワクワクしながら並んでいると、別の騒動に遭遇することになった。
「こちらで代金を支払ってもらえと、ニャンゴ・エルメール卿から言われたんだ」
不意に聞こえてきた言葉に驚いて目を向けると、隣りの列の男性がカウンターの受付嬢に紙を手渡して説明をしていた。
「申し訳ございませんが、この書き付けだけではお支払いは出来ません」
「えぇぇ! そんな馬鹿な! 確かにエルメール卿が言ったんだぞ」
「そう言われましても、冒険者ギルドでは、このようなお支払いの代行は行っておりません」
「馬鹿言わないでくれ、里帰りのお土産だと言って、ネックレスなどの宝飾品を何点も購入していったんだぞ。全部で大金貨三枚に金貨四枚だ。どうしてくれるんだ!」
宝飾店の主らしい少し太り気味のイヌ人の男性が声を張り上げたせいで、周囲にいた人達の視線がカウンターに向けられた。
「どうするんだと言われましても、エルメール卿に支払っていただくように、ご自身で頼んでいただくしかありませんね」
「じゃあ、エルメール卿はどこにいるんだ?」
「さぁ、こちらでは把握しておりません」
「そんな、私に探せと言うのか?」
「そうしていただくしか……」
近くで聞いていても、全く身に覚えの無い話なので、俺の名前を騙っている奴がいるとしか思えません。
これは素通りする訳にはいきませんよね。
「あのぉ、ちょっといいですか?」
「なんだお前は、今取り込んでるんだ」
「エルメール卿に直接お会いになったんですか?」
「そうだ、私が対応して、金色のギルドカードも見せてもらった」
「それって、王家の紋章は入っていましたか?」
「王家の紋章だと?」
「はい、名誉騎士のギルドカードには、翼の生えた獅子の紋章が入ってるんですけど」
「いや……金のAランクカードだったが紋章は入ってなかった」
「それは偽物ですね。というか、俺が本物のニャンゴ・エルメールですからね」
「えっ……えぇぇぇぇ!」
俺が本物のギルドカードを見せると、男性は驚いて座り込んでしまった。
「すみません、こちらの方と話がしたいので、応接室を貸してもらえますか? それと、官憲に知らせていただけると有難いのですが……」
「はい、少々お待ち下さい」
ヒツジ人の受付嬢は、驚きつつも手配を進めてくれた。
程なくして、銀髪のキツネ人の男性が現れて、俺と宝飾店の男性を応接室へ案内してくれた。
「副ギルド長のムニティスと申します。今、若い者を官憲の事務所に走らせましたので、すぐ担当者を連れて戻ってくると思います」
「ありがとうございます。忙しい時期にお手数をお掛けして申し訳ありません」
「とんでもございません。カードの偽造、身分の詐称はギルドの信用に関わる問題ですので、放置する訳にはいきません」
ギルドカードは血と魔力パターンを登録する魔道具でもあり、偽造は重罪となる。
とは言え、ギルドカードを示して代金を立て替えるような行為は行っていないので、宝飾店の男性は行動が軽率だとムニティスから釘を刺された。
「いや、申し訳ありません。騎士様のような服装で、同じく立派な服装をした配下を三人も連れていらしたので、てっきり本物だと思い込んでしまいました」
宝飾店の店主クエルゴの話によると、その一行が店を訪れたのは今日の午後だったらしい。
最初に目付きの鋭い狼人の男が現れて、自分はエルメール卿の配下だと名乗り、宝飾品を見せるように命じたそうだ。
クエルゴと交渉を行ったのは狼人の男で、エルメール卿だという黒猫人は黙ったまま鷹揚に頷いているだけだったそうだ。
「失礼ながら、あのように着飾った猫人を見たのは初めてでして、すっかり騙されてしまいました」
クエルゴから話を聞いていると、ドスドスと重たい足音が近づいて来て、応接室のドアがノックされた。
ムニティスが許可を出すと、大柄な灰色熊人の男と若い鹿人の女性が入ってきた。
「お初にお目に掛かります、エルメール卿。私は捜査官のモーゼスと申します。こっちは部下のドローテです」
「ドローテです……」
「ニャンゴ・エルメールです。忙しいところ、ありがとうございます」
クエルゴが改めて事件の経緯を話すと、モーゼスは官憲事務所に戻って手配書を作るようドローテに命じた。
ここから先は官憲の仕事だし、任せてしまった方が良いのだろう。
ドローテがクエルゴを連れて官憲事務所に向かったところで、俺の本来の目的である宿の紹介をムニティスに頼んだ。
「かしこまりました。何軒か良い宿を紹介いたしましょう。ただ、この時期ですので空き室があるかどうかまでは分かりません」
「それは仕方ないですね。そうだ、出来たら美味しいお店も紹介していただけませんか?」
「そちらは、私が紹介いたしましょう」
捜査官のモーゼスが食事処の紹介を買って出てくれた。
「出来ましたら、食事をしながら対応策などをご相談したいのですが……」
「構いませんよ。行きましょう」
ムニティスから宿の場所を記した紙を受け取り、モーゼスと連れだってギルドを出た。
歩きながら話すのに都合が良いよう、ステップで足場を作って視線を合わせて歩くと、初めて空属性魔法を目にしたモーゼスは目を丸くしていた。
「それが空属性魔法ですか?」
「えぇ、これはその一端ですけどね」
簡単に空属性魔法について説明すると、モーゼスは何度も頷いていた。
モーゼスの知り合いに、空属性魔法を授かった人がいるそうだが、どうやっても強度が上がらず、魔法を使うことを断念したらしい。
空属性魔法で作った品物の強度を上げるには、空気を圧縮して固める必要がある。
圧縮することで、空気中に含まれている魔素の濃度があがり、その結果として強度が上がっている気がする。
「エルメール卿、その先の店です。離れの席がありますので、そちらなら突っ込んだ話をしても大丈夫ですよ」
「お高いんじゃないですか?」
「ご心配なく、支払いはうちで持ちますから」
タダで美味しい物が食べられるのは有難いが、その結果として厄介事を押し付けられないか心配になってくる。
まぁ、面倒ならば断るだけだし、まずはうみゃうみゃさせてもらおう。
「ここですよ、エルメール卿……おっと、失礼!」
モーゼスが先に立って店に入ろうとしたら、丁度店から出て来た大きなサイ人の男性とぶつかりそうになった。
「タールベルクさん!」
「おぅ、モーゼスか。そちらは……」
「どうも、お久しぶりです」
「エルメール卿!」
店から出て来たのは、以前家具工房の護衛をしたときに訪れた、グラーツ商会の用心棒タールベルクだった。
タールベルクは、ステップを使って宙に浮いたままペコリと頭を下げた俺を見た直後、グリっと音がしそうな勢いで店の中を振り返った。





