年の瀬(ジェロ)
ゴーン……ゴーン……
厳かに鳴り響く教会の鐘の音で起こされたが、まだ部屋の中は真っ暗だ。
夏ならば日が昇っている時間だが、新年まであと四日のこの時期、太陽はまだ顔を出していない。
「んー……もう朝?」
耳元で眠たそうにルアーナが囁く。
「あぁ、鐘が鳴ったぞ」
「うーっ、布団から出たくない」
「今日一日頑張れば、明日から六日間の休みだろ。ほら、放してくれ」
布団の中でルアーナは、俺を背中から包み込むように抱え込んでいる。
「やだ、ジェロも放したくないし、布団からも出たくないぃぃ……」
「まったく、このところ毎日だな」
「だって、ジェロがフカフカで暖かいんだもん……」
季節が巡り冬毛に生え変わっても俺の毛色は灰色のままだったが、栄養状態が良くなったからかフワフワ度合いが大幅に増している。
ルアーナが放したがらないのも無理はないとは思うが、このままではタールベルクとの朝の訓練に遅れてしまう。
「ほら、訓練に遅れるから放してくれ。俺はもっと強くなってルアーナを守りたいんだ」
「むぅ、しょうがないなぁ……でも、私だってジェロを守りたいんだからね」
ルアーナは腕の中で俺の体の向きを変えると、唇を重ねて長いキスをした。
「おはよう、ジェロ」
「おはよう、ルアーナ」
「さぁ、急ぐわよ! 遅れたらジェロのせいだからね」
「おいっ!」
ベッドから抜け出したルアーナは、生まれたままの姿から大急ぎで服を着こんでいく。
今朝もキルマヤは、空気がピーンと冷え込んでいる。
俺も生まれたままの姿でベッドから出たが、自前の毛皮があるからルアーナのように慌ただしく服を着なくても大丈夫だ。
「ジェロ、もたもたしてると置いていくよ」
「お前なぁ、俺は着替えにも時間が掛かるんだからな」
片腕しかない俺は、服を着こむのにも時間が掛かる。
それでも精一杯急いでいると、ルアーナが手を貸してくれた。
「まったく、ジェロは世話が焼けるんだから……」
「じゃあ、今夜から別々に寝るか?」
「嘘です、ごめんなさい、反省してます」
「はぁぁ……行こう、タールベルクにどやされる」
「うん、急ごう!」
義足を着けて杖を持つと、ルアーナは俺を抱え上げた。
俺としては自分の足で移動したいんだが、まぁ仕方ない……。
ラガート子爵に温情判決を言い渡された後、俺は事の経緯をグラーツ商会の皆さんに説明した。
開拓村の貧しい生活、反貴族派の幹部ダグトゥーレの甘い言葉、ラガート子爵の車列への襲撃、何も知らなかった愚かな自分。
全てを語った後で解雇してもらうつもりでいたが、会長のオイゲンさんはクビを宣告するどころか、俺を正式に雇用すると言ってくれた。
キルマヤの街で普通に生まれ育った者では考えられないようなドン底を味わった経験をグラーツ商会に役立ててほしいと言われた。
オイゲンさんがそうした申し出をしてくれたのは、職業訓練を受ける猫人達の姿を見たからでもあるのだろう。
貧しい人達が仕事に就けるように訓練し、訓練を受けることで労働力や生産性が上がり、地域全体が豊かになる。
ラガート子爵が掲げる理想への道筋に、オイゲンさんは大いに感銘を受けたそうだ。
結局、俺はラガート子爵とエルメール卿に救われたのだ。
俺と一緒に、ルアーナもグラーツ商会に雇われることになった。
オイゲンさんの家族の護衛、特に女性しか出入りが出来ないような場所での活躍が期待されている。
そして俺とルアーナは、グラーツ商会の使用人宿舎の一部屋に同居している。
空き部屋が一つしかなかったこともあるが、俺は猫人だし、ルアーナも小柄なので二人で一部屋でも狭く感じない。
それに、少しでもルアーナと一緒に過ごしたいと思っているから何の不満も無い。
グラーツ商会に正式に雇われてから、タールベルクから本格的に訓練を付けてもらっている。
片腕、片足の体だが、武術の基礎を教えてもらうと同時に、身体強化魔法の手ほどきも受けている。
オークの生の心臓を食べたことで、俺の魔力は猫人以外の人種の平均よりも多くなっているようだ。
その魔力を運動能力に変換出来れば、片腕、片足のハンディキャップを軽減できるはずだ。
ルアーナも、俺と一緒にタールベルクから手ほどきを受けている。
元々、ルアーナは武術の経験があるので、俺よりも実戦的な訓練がメインだ。
単純な立ち合いだけでなく、誰かを守りながら戦うという想定で手合せを繰り返している。
朝の訓練が終わった後は、オイゲンさんが外出する予定の無い日にはギルドに行き、射撃場で魔法の訓練を重ねている。
俺にとって攻撃魔法は生命線であり、存在意義と言っても過言ではない。
自分の魔力に加えて、空気中の魔素も利用する火属性の魔法の威力と速さを磨いている。
溜めが大きくても威力のある魔法、逆に溜めは小さく威力はそこそこでも連発の利く魔法など、魔法の使い勝手の幅を広げるように意識している。
ルアーナは、侍女としての訓練も受けている。
オイゲンさんの奥方の外出に同行する際、ルアーナも侍女としての仕事が出来れば、働く場所に幅が出来る。
それはグラーツ商会にとっても利益になるし、ルアーナにとっても能力アップになる。
まぁ、口で言うだけならば簡単なのだが、俺もルアーナもラガート子爵領から戻ってからは無我夢中の毎日だった。
仕事納めの今日は、朝から大掃除に奔走した。
空には低く雲が垂れこめていたが、幸い雨は小降りですんだ。
建物内部に積もった一年の埃を掃き出すので、少し雨が降っていた方が埃が舞わずに済んで助かる。
俺も俺に出来る仕事を見つけて動き続けた。
グラーツ商会に来たばかりの頃は、周囲の人達に遠慮して声も掛けられなかったが、正式に雇われた以上は少しでも力になりたい。
そこで、何をしたら良いか分からない、何が出来るか分からない時には、俺に出来る仕事はないか訊ねるようにした。
おかげで商会で働く人たちから名前を呼ばれる機会が増えて、少しだけ認めてもらえたような気がしている。
仕事納めの後、商会から年末の特別手当が支給された。
商会の収益が良かった年の暮れに配られるそうで、今年一年グラーツ商会の商売は順調だったようだ。
俺とルアーナも、他の人達から比べれば少しではあるが特別手当をもらえた。
特別手当を当てにしていた訳ではないが、今夜は少し高級な店に夕食を食べに行く予定だ。
俺とルアーナが楽しむためではなくて、日頃から世話になっているタールベルクを持て成すつもりだ。
店選びはルアーナにやってもらった。
開拓村で貧しい生活をしていた俺は、そもそも外食を楽しんだことすら無い。
キルマヤで暮らし始めて一年にもならないし、どこの店が良いとか全く分からないのだ。
だが、ルアーナと一緒にキルマヤに根を下ろして暮らしていくならば、こうした事も少しずつ覚えた方が良さそうだ。
「ほぅ、随分と奮発したみたいだが良いのか?」
「あぁ、俺とルアーナからの感謝の気持ちだ」
さすがに高ランク冒険者として活躍していたタールベルクは、俺たちが招待した店にも何度か足を運んだことがあるそうだ。
料理も酒も良い店だから楽しみだと言ってくれて、少し肩の荷が下りた気がした。
年末のこの時期は、仕事先の人や家族、友人などと外食を楽しむ人が多いそうで、店の中はほぼ満席に見えた。
ルアーナが席も料理も予約しておいてくれたので、俺たちはスムーズに座る事が出来た。
「この時期は、どこの店も混雑するから予約しておいて正解だな」
「はい、タールベルクさんから備えが大事だと教わっていますから」
タールベルクから予約の手際を褒められて、ルアーナは少し誇らしげだ。
それに対して俺はといえば、高級そうな店の造りに落ち着かない。
ちゃんと綺麗な服を着てきたし、ルアーナが猫人も一緒だと伝えてくれていたから、座面の高い椅子も用意してもらっている。
それでも、自分が場違いな感じがして仕方がないのだ。
キョロキョロと落ち着きなく周りを見回していたら、ふっと目があってタールベルクに笑われてしまった。
ただ、嘲るような笑いではなく、しょうがない奴め……みたいな、子供に向けるような微笑みだから悪い気はしない。
タールベルクも護衛の最中ではないので、寛いだ様子をみせていたのだが、ふっと眉をしかめてみせた。
「奥に何かあるのか?」
言われてみて気付いたが、客の多くが店の奥の方を気にする素振りをしていた。
前菜を運んで来た店員にタールベルクが訪ねると、理由を明かしてくれた。
「奥の離れにエルメール卿がいらしてるんです」
「ほぅ、不落の魔砲使いか」
「はい、最近はダンジョンの英知と呼ばれていらっしゃるそうですよ」
店員の言葉を聞いて、俺の心臓がドキンと跳ねた。
あのニャンゴ・エルメール卿が同じ店にいる。
店員がテーブルを離れたところで、タールベルクが訊ねてきた。
「会いたいか? エルメール卿は、以前イブーロの家具工房の主を護衛してグラーツ商会に来たことがある。俺が会いたいと言えば、店の者が話を通してくれるだろうし、時間を取ってもらえるかもしれないぞ」
タールベルクにも、俺とエルメール卿の因縁は話してある。
エルメール卿がいなかったら、俺は自爆して死んでいただろうし、ルアーナと共に生きることも無かっただろう。
ラガート子爵には謝罪して許しを得て感謝の気持ちを伝えたが、出来るならばエルメール卿にも謝罪と感謝を伝えたい。
「会いたい。会って、いかに自分が愚かだったか、救ってもらって感謝しているか伝えたい」
「そうか、ならば頼んでやろう」
タールベルクが、店員にエルメール卿への伝言を頼んでくれた。
返事が来るのを待つ間、心臓がドキドキして倒れそうだった。
エルメール卿は、俺のことを覚えているだろうか。
覚えていたとしても、好意的ではないだろう。
タールベルクが同行してくれるけど、反貴族派とみなされて騒ぎになったりしないだろうか。
期待、不安、恐れ……色んな感情が入り混じって震えていると、そっとルアーナに抱きしめられた。
「私も一緒に行く。生まれ変わったジェロは、私の大切な人なんだって伝える」
ルアーナの温もりを感じて震えがとまった。
そこへ伝言を頼んだ店員が、申し訳なさそうな顔で戻ってきた。
「エルメール卿は、取り込んだ話をなさっているそうで、今夜はお会いできないそうです」
「そうか、すまなかったな」
会えないと聞いて、体からふーっと力が抜けた。
気付かないうちに、ガチガチに緊張していたようだ。
「まぁ、あれだけ有名になると色々な付き合いがあるのだろう。さぁ、俺達もいただくとしよう」
エルメール卿に会えなかったのは残念だったが、タールベルクは料理と酒を楽しんでくれた。
三人で楽しんだ一時は、一年前の俺では想像もできない夢のような時間だった。





