東風の朝
「ニャンゴ、話が違うぞ……」
空を見上げながらジルが苦情を言ってきたが、風向きは俺がどうこう出来るものではない。
「すいません、天気が下り坂に向かっているみたいです。この感じだと、昼ぐらいには雨になると思います」
この時期、アツーカ村の辺りでは西風が吹く日が多いのだが、天候が崩れる時には東風が吹く。
前世の知識を使って考えるならば、西から低気圧が近付いてきて、そこに向って東風が吹いているのだろう。
西の山に潜伏している可能性の高いブロンズウルフを追って山に入るのだが、この風向きだと風上から接近することになる。
空には雲が掛かり始めているし、もしかすると雨の降り出しはもっと早くなるかもしれない。
天気の予測をジルに伝えると、ライオスと共に討伐に出掛けるか検討を始めた。
俺としては中止を進言したいところなのだが、3パーティー合同の作戦で、どこのパーティーにも属していない立場としては発言しづらい。
「ブロンズウルフは村の様子見をしていて、それが終われば襲ってくるかもしれないんすよね? だったら、村の安全も考えて一日でも早く討伐すべきじゃないっすか?」
レイジングのリーダー、テオドロは討伐の実行を強く訴えて来た。
テオドロの言う通り、ブロンズウルフには襲撃する村をグルっと回って様子を見る習性があるそうで、そろそろアツーカ村を一周しそうな状況にある。
村の周囲は騎士団が守りを固めているが、突進して来られれば食い止め切れるとも思えないし、村に入り込まれれば住民に被害が出る可能性が高い。
それに、もし騎士団がブロンズウルフを仕留めてしまえば、冒険者には僅かな謝礼が出る程度で、財産も名誉も受け取れなくなってしまう。
テオドロとしてみれば、自分達の手で仕留めるか、討伐に貢献した実績が欲しいのだろう。
「だが、相手はブロンズウルフだからな。条件が悪くなるのは避けたいところだが……」
「とりあえず山に入ってみて、状況が悪くなりそうだったら引き返せば良くないっすか? 住民に被害が出てからじゃ遅いっすよ」
討伐の実施に慎重なジルに対して、テオドロは住民の安全も考えているのか実施したいようだ。
ジルとテオドロの意見を受けて、ライオスは少し考えた後で結論を出した。
「行くだけ行ってみよう。ただし、状況が悪くなりそうなら早めに引き返す。それと、風向きを考えて、北側から回り込むように西へと向かう。それで良いか?」
全員が出発の準備を整えた頃、朝日が昇り始めたらしく、東の空が不気味な朝焼けに染まっていた。
出発前に、ライオス達と地図を見ながら打ち合わせたルートに沿って、北の山から西の山へと案内する。
まずは、沢に沿って登り、途中から少しずつ西へと方向を変えていく。
今日も枝を伝うようにして樹上から案内と偵察を行っているが、時折吹く強い風で枝が大きく揺らされる。
「ニャンゴ、無理するなよ。危ないと思ったら下りて来い」
「はい、まだ大丈夫ですが、葉っぱや埃が舞っていて見通しが悪いです」
強い東風で枝葉がざわめいているので、音で気配を探るのも難しい。
揺れる枝や、巻き上げられた落ち葉が、動く物の姿も隠してしまいそうだ。
時折顔にも風が吹き付けて来るので、土埃が目に入らないように、空属性魔法でゴーグルを作って装着した。
北の山から西側へと回り込み始めた頃には、パラパラと雨も降り出した。
沢沿いに登り始めた頃には明るくなり始めていた空も、また暗さを増しているように感じる。
さすがに風が強くなりすぎたので、木から降りてセルージョの横に並ぶ。
俺が地上に降りたのを確認し、空を見上げたライオスは討伐の中断を決めたようだった。
「ジル! テオドロ! 戻るぞ」
「ライオスさん、もう少し、もう少しだけやりましょう」
「テオドロ、この風じゃ火属性の魔法が使いづらい、空も暗くなってきているし、戻った方がいい」
「でも、このまま背中を向けて降りるのは、かえって危なくないっすか? 確か、西の山は見通しが良いんですよね? そこまで行ってから降りましょう」
テオドロの進言を聞いたライオスは、俺の方に視線を向けてきた。
「どうだ、ニャンゴ。西の山は、ここよりも見通しが利くのか?」
「そうですね。この先の尾根を回り込むと少し見通しが良くなりますが……物凄くというほどではないですよ」
「そうか……よし、あの尾根の先まで進んでから村に戻る。いいな、テオドロ」
一旦集合しかけていたボードメンのメンバー達は、再び間隔を広げて探索を始めた。
木から降りてしまうと潅木が邪魔をして、背の低い俺では見通しが利かなくなってしまう。
念のために空属性のフルアーマーを装備しているが、いつブロンズウルフが襲ってくるか分からない状況に身体が強ばってくる。
やはり、ステップを使ってでも上から状況を眺めた方が良いかも……と思った時だった。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
向かって右手、ボードメンがいる方向から悲鳴が聞こえてきた。
「いくぞ、ニャンゴ!」
射線が確保出来る場所を目指すセルージョを追って俺も走り出すが、灌木が邪魔をして全く状況が見えない。
「こっちだ!」
回り込むように走っていたセルージョが足を止めたので、背後の木に駆け上って状況を眺めると、ボードメンの人数が減っているように見えた。
「ニャンゴ、隙を見つけて仕掛けろ!」
「はいっ!」
昨晩、作戦会議の後で家に帰る途中、いくつかの作戦を練ってきた。
ブロンズウルフが盾役目掛けて前脚を振り下ろそうとしたので、最初の作戦を実行する。
「エアバッグ!」
分厚い柔軟性のある素材で、空気が抜ける穴をいくつかつけた大きな袋をブロンズウルフと盾役の間に設置する。
ブシューっと空気の抜ける音がして、ブロンズウルフの一撃は威力を失った。
「ラバーリング!」
ゴム状の素材で太い輪っかを作り、ブロンズウルフの首と胴体を固定した。
首の回りに違和感を感じたブロンズウルフが暴れるが、ゴムの弾力で元の場所へと引き戻されている。
「どうなってるんだ? ニャンゴ、お前がやってるのか?」
「説明は後でします。やっちゃって下さい」
「任せろ! ホーミングアロー!」
セルージョが矢を放った方向は全く見当違いだが、途中から大きく孤を描いてブロンズウルフの背後から背中へ突き刺さった。
「ガウゥゥゥ!」
ブロンズウルフがビクンと身体を跳ね上げるが、ラバーリングの力で元の場所へと引き戻される。
逃走防止の作戦は上手くいっているようだ。
このまま攻撃に厚みを加えていけば……と思ったのだが、レイジングの連中が元の場所から動いていなかった。
それどころか、動こうとするメンバーをテオドロが止めているように見える。
「セルージョさん、レイジングの連中が……」
「奴らには構うな。討伐に集中しろ!」
「はいっ!」
レイジングの様子を伝えたが、セルージョはチラリと一瞥しただけで視線を戻した。
あるいは、こうした事態は予測に織り込まれていたのかもしれない。
ブロンズウルフの近くでは、ライオスやジルが側面に回り込んで攻撃を仕掛けているが、振り回される太い脚のせいでなかなか近づけていない。
「ランス……バーナー!」
「グォォォォォ……」
右の脇腹近くに斜め後ろからランスを設置して、セルージョの矢で潰れた左目の辺りをバーナーで炙ってやると、熱さに驚いたブロンズウルフは自ら突っ込んでいった。
ボタボタを脇腹から血を流して、ブロンズウルフが苦しげな声を上げる。
「効いてるぞ!」
「チャンスだ、攻め込め!」
今度は逆の脇腹にランスを設置し、右の顔面を炙ってやったが、ブロンズウルフは頭を振っただけで大きく動かなかった。
思った以上に、学習能力が高いようだ。
叩きつけるように雨が降りだし、攻め手側の火属性魔法の威力は削がれてしまうが、こうなっては討伐の中断はできない。
それでもライオスやジルの攻撃が通り、ブロンズウルフはあちこちから血を流し始めた。
「もう一息だ!」
「一気に押しきるぞ!」
こちら側が優勢となったと見て、レイジングの連中が近づいて来る。
自分達の被害は最小限に抑えて、止めを刺す美味しい所だけ持っていこうという魂胆なのだろう。
テオドロなんかに手柄を渡したくないと思い、取って置きの攻撃を仕掛けようと考えていると、不意にブロンズウルフが地に伏せた。
いよいよ力尽きたのかと思い、攻め手が歓声を上げた瞬間、ブロンズウルフが思いっきり跳躍した。
ラバーリングが強度の限界を超えて引き千切られ、ブロンズウルフはガド達盾役の頭上を飛び越える。
「ガァァァァァ!」
ブロンズウルフは、着地地点で鉢合わせになったレイジングのメンバーに向かって牙を剥いた。





