一時撤収
慣れというのは恐ろしいもので、以前はドキリとさせられていたアースドラゴンの咆哮も、またか……程度に感じるようになった。
ダンジョンの構造物を破壊されると、さすがに肝を冷やすことになるが、それも近頃は殆ど無い。
アースドラゴンが餌を探してダンジョンの天井や柱を壊さないように、ギルド主導で討伐した魔物を最下層に放り込んでいるそうで、その効果が出ているのだろう。
餌を与えているのは構造物を守るためと、討伐の下準備を円滑に進めるためだ。
討伐を行う予定の最下層の東側では、足止めのための土を盛る作業が進められている。
そこからアースドラゴンを遠ざけるために、餌は最下層の西側に放置しているらしい。
そして、風属性の探知魔法が使える冒険者がアースドラゴンの位置を把握し、作業を進める土属性の冒険者の安全を確保しているそうだ。
討伐の下準備には、チャリオットからもガドが作業に参加している。
兄貴も参加を希望したのだが、アースドラゴンが急に接近してきた場合には退避する必要があるので、今回はガドに止められた。
どうしても大人数が一度に動く状況では、猫人の体格では踏まれたり蹴られたりする心配がある。
土属性の冒険者はパーティーでは盾役を務めることが多く、体格の良い人が多い。
体の小さい兄貴では、踏まれただけでも足の骨が折れる恐れがあるのだ。
ガドに説得されて参加を見送ったものの、兄貴はちょっと不満げな様子だ。
前回、エレベーターシャフトを埋める作業を行った時には、他の冒険者たちに混じって作業をして自信を付けていたようなので、余計に残念なのだろう。
「兄貴、そう落ち込むなよ」
「落ち込んでる訳じゃなくて、悔しいんだ。俺も人並の身長があれば、もっと活躍できるのに……」
「そうだな、兄貴頑張ってるもんな」
「なぁ、ニャンゴ、どうして猫人は大きくなれないのかな?」
「さぁ? 猫人だから……としか答えようがないよ」
「だよなぁ……もっと体の大きな人種に生まれたかったな」
「まぁね……」
俺も猫人だから兄貴の気持ちは少しは分かる。
空属性というレアな属性に恵まれたから、冒険者として活躍できているけど、一般的な属性だったら兄貴同様に苦労していただろう。
「グォォォォォ……」
またアースドラゴンの咆哮が聞こえてきたが、学術調査隊のメンバーですら気に留めなくなっている。
今回も、アースドラゴンも何度か咆哮を上げた後は静かになった。
「ニャンゴ、討伐は四日後だったよな?」
「うん、予定に変更が無ければね」
「討伐に参加しない者は、前日に地上に戻るんだよな?」
「うん、兄貴とミリアムは調査隊のみんなと地上に戻って」
「ここに残っていたら駄目なのか?」
「うーん……一応、ギルドからの通達だから従うしかないと思うよ」
「そうか……悔しいな」
兄貴が自分の両手を見詰めながら、ボソっと感情を吐き出した時、突然爆発音が響いてきた。
「ふみゃぁぁぁ……何事だ?」
「粉砕の魔道具? 使用禁止じゃなかったのか」
響いてきた爆発音は、これまで何度も耳にした粉砕の魔道具を発動させた音のように聞こえた。
直後に、またアースドラゴンの咆哮が響いて来た。
「グァァァァァ!」
これまで耳にしていたのと違って、攻撃的な咆哮に感じる。
「ニャンゴ、何が起きてるんだ?」
「分からないけど、誰かがアースドラゴンに攻撃を仕掛けたのかも」
「討伐は四日後だって言ったばかりじゃないか」
「手柄を独り占めしようなんて考えた連中が、先走って攻撃したんじゃないかな」
アースドラゴンの咆哮を聞き慣れているチャリオットのメンバーや学術調査隊のメンバーも、何が起こっているのかと聞き耳を立てていた。
ズーン……ズーン……と、断続的に音と振動が響いてきて、新区画のベースキャンプでもパラパラと天井から埃が降り始めた。
「ニャンゴ、ガドは大丈夫なのか?」
「分からない、アースドラゴンから離れた場所にいれば大丈夫だと思うけど……」
兄貴と一緒にガドの安否を気遣った時だった、ズズーン……っと一際大きな揺れが襲ってきた。
揺れに耐えきれなくなった天井板や照明器具が降り注ぎ、陳列棚などが倒れる音が響いてくる。
「レイラ、危ない! シールド!」
レイラの頭上にシールドを展開して、落ちて来たランプを跳ね飛ばした。
身体強化魔法を使って兄貴を抱え、レイラのところへ駆け寄った。
「ありがとう、ニャンゴ」
「これ、旧区画が崩れてるんじゃないのかな?」
「この揺れじゃ動けないわね」
床に座り込んだ状態で、頭の上にドーム状のシールドを展開する。
まるで王都の巣立ちの儀が襲撃された時のようだ。
チャリオットのみんなや学術調査隊のメンバーは、机の下などに潜って揺れが収まるのを待っている。
揺れは、体感的には五分ぐらい続いていたように感じたが、実際にはもう少し短かったのかもしれない。
揺れが収まったところで、ライオスが調査隊に声を掛けた。
「怪我人がいないか、全員の居場所を確認してくれ。それと、いつでも地上に戻れるように準備を始めてくれ」
ライオスの指示を受けて、調査隊のメンバーが動き始めた。
続けて、ライオスは俺達にも指示を出した。
「俺達も撤収の準備を始めよう。セルージョ、連絡通路の向こうの様子を見てきてくれ」
「分かった……けど、これはどこかが大きく崩れたのは間違いないぞ」
「そうだな、アースドラゴンの咆哮も止んでいるから、もしかすると生き埋めになったのかもな」
ライオスに言われて気付いたが、確かにあれほど攻撃的だったアースドラゴンの咆哮が止んでいる。
誰かに攻撃されて激昂したアースドラゴンが、暴れ回って柱や天井を壊したためにダンジョンが崩壊したような気がする。
俺が推測を伝えると、ライオスは大きく頷いた。
「打ち合わせに参加していなかった連中が、粉砕の魔道具を使って攻撃したんだろう。そんな連中がどうなろうと構わんが、ガドが心配だな」
「というか、俺達も生き埋めになる危険性があるよね?」
「その通りだ。ガドが戻ってきたら、一度地上に戻ろう」
俺達が地上に戻る準備をしている間にも断続的に振動が起こり、崩落が続いているように感じる。
荷物をまとめ、兄貴とミリアムに空属性魔法でヘルメットを作って被せていると、埃まみれになったセルージョがガドと一緒に戻ってきた。
「ライオス、南側が大きく崩れたらしい。ギルドから退避命令が出たが、向こうは土埃で先が見えない状態だ」
アースドラゴンが天井を突き破った程度ではなく、大規模な崩落が起きて階層中に土埃が充満しているらしい。
セルージョは風属性の探知魔法で、ガドは土属性の魔法で地形を把握して戻ってきたそうだ。
「ガド、怪我は無いか?」
「一時的に耳が聞こえにくくなったが、今は大丈夫だ。音の方向からして南側で粉砕の魔道具を使った奴がいたようだが、何人で仕掛けて、どうなったのかは全く分からん」
討伐の下準備を行っていた冒険者の中には、誰かがアースドラゴンに挑んだと知って現場に向かった者もいたらしい。
そのすぐ後に崩落が始まって、辺りが土埃に覆われてしまったので、自分の位置を把握するので精一杯だったそうだ。
「ライオス、どうするんだ?」
「脱出するのは決定だが、問題はいつ動くかだな」
ライオスはセルージョの問いに答えながら、連絡通路へと続く扉に目を向けた。
安全を考えるならば、なるべく早く地上に向かった方が良いのだろうが、各階層に充満した土埃が晴れないと学術調査員たちを連れて動くのは危険だ。
「ニャンゴ、調査隊全員をシールドで守れるか?」
「人数が多すぎて、全員は無理だと思う」
旧王都の学院だけでなく、新王都の学院からも調査隊が来ている。
それぞれ護衛を連れて来ているが、こんな状況は想定していないだろう。
脱出手順を考えているライオスに、レイラが話し掛けた。
「土埃が晴れるか、ちょっと試してみたいんだけど」
「水属性の魔法を使うのか?」
「ええ、霧状にして撒けば、いくらかでも視界を確保できるんじゃないかな」
「とりあえず、連絡通路で試してみてくれ」
「いいわよ。ニャンゴ、魔力の回復を補助してくれる」
「いいよ。俺も霧吹きを試してみるよ」
土埃の充満した連絡通路で、レイラが魔法を発動して水を霧状にして散布すると、急速に視界が回復しはじめた。
俺も水の魔法陣と風の魔法陣を組み合わせて、噴霧器の魔道具を作ってみた。
ノズルの大きさを変えて、霧の粒子の大きさを変えてみて、一番効果の高そうな噴霧器を作り上げた。
レイラと一緒にベースキャンプに戻って状況を伝えた。
「ライオス、行けそうだよ」
「よし、レイラとニャンゴに視界の確保を任せて出発しよう。セルージョ、シューレ、ミリアムは索敵、ガドとフォークスは建物の入り口を封鎖してくれ」
俺たちの他に、学術調査隊の護衛を担当している冒険者たちにも協力してもらう。
戻って来るまでの間に建物の入口を土で塞いで硬化させる。
それでも壊そうと思えば壊せない訳ではないが、魔物が入り込むのは防げるだろう。
連絡通路まで出ると、残っている冒険者はパッと数えられる程度で、その人達も撤収の準備を始めていた。
調査隊のメンバーは、はぐれないようにロープを掴んで列になって移動する。
断続的に揺れが続いているので、昇降機は使えなくなっていた。
地上まで七十階分の階段を歩いて昇るしかなさそうだ。





