栽培予定地のその後
大きめのサイコロ状に切ったヴェルデクーレブラの肉に、たっぷりの胡椒をまぶしてから焼き目を付ける。
煮崩れないように、旨味を閉じ込めるように周りを焼き固めておくのだ。
「ニャンゴ、ニャンゴ、もう食べようよ、ねぇ、食べようよ……」
「イネス、お焼きを食べたばっかりだろう」
「だって、だって、すんごい良い匂いしてるんだもん……」
まったくイネスの食いしん坊にも困ったものだが、確かに良い匂いなのは間違いない。
作っている俺自身、口の中が唾で一杯になってくる。
焼き上がった肉と裏ごしを終えたベースを合わせて、あとはコトコトと煮込むだけだ。
「イネス、ちゃんと薬師の修業はやってるの?」
「やってるよぉ、失礼だなぁ、薬草も摘みに行ってるし、煎じる手伝いもしてるんだからね」
「そうなんだ、ゴメンゴメン」
「……キンブルがね」
「えっ、何か言った?」
「ううん、別に……」
イネスが何かゴニョゴニョ言ったような気がしたけど、良く聞き取れなかった。
「そう言えば、プローネ茸の栽培地はどうなってる?」
「あぁ、あれはキンブルが担当してるんだ」
「そうなの? うーん、なんだか不安だなぁ……ちょっと見に行ってみるか。イネスも一緒に行こう」
「えっ? なんであたしが一緒に行くのよ」
「だって婆ちゃんの弟子だろう」
「そ、それは薬師に関してであって……」
「そんなんじゃ姉弟子としての威厳が保てなくなるぞ」
「分ってるわよ……てか、もう保ててないし……」
「なに? 何か言った?」
「なんでもない!」
どうも今日のイネスは、ゴニョゴニョと煮え切らない話し方をする。
煮込みを続けている鍋をカリサ婆ちゃんに見てもらって、行きたくないとゴネるイネスを引っ張って店を出る。
「あっ、そうか、ニャンゴが一緒ならば雨に濡れる心配は要らないんだ」
「そうだよ、それに足元も固めてるの分ってる?」
「うわっ、ホントだ。浮いてるみたい……」
「みたいじゃなく、実際浮いてるからね」
ゴネるイネスのためにドーム状の傘と、大きめのステップで足元も固めてある。
「ちょっと実験してみたいから、イネスはそのまま立っていて」
「えっ、立ってるだけでいいの?」
「そうそう、でも、ちゃんと立っていてよ」
「分った……」
「では、出発!」
「わっ、なにこれ、動いてるよ」
「うん、動かしてるからね」
シールドや魔法陣など、空属性魔法で作った物は固定して使うことが多いが、良く考えれば動かしても使える。
台車と路盤という形ではなく、サミングで使う時のように空気の塊は動かせるのだ。
もしかしたら、重みも支えられるかもと試してみたら、自分が乗った状態でも動かせると分った。
これならば、俺よりも重たそうなイネスが乗っても大丈夫ではないかと試してみたのだ。
「すごいよニャンゴ、これ楽ちん」
「イネスは楽だろうけど、俺は魔力を消費してるからね」
「そうか、そうだよね、魔法を使ってるんだもんね」
空飛ぶ絨毯みたいな感じだけれど、現状ではオフロードバイクや飛行船ほどの速度が出せないのと、魔力の消費量が大きいのが問題だ。
たぶん、路盤、台車、風の魔法陣による動力で走った方が魔力の消費は少ないと思うが、工夫次第ではもう少し省エネ化できそうな気もする。
最初に向かったのは、村長の家の裏手に作った栽培予定地だ。
大きなブナの木の近くには、真新しい土壁が築かれていた。
高さは三メートルほど、長さは二十メートルぐらい、厚さは三十センチ以上ある。
「あれっ、この壁は?」
「キンブルが、ニャンゴのお兄さんに頼んで作ってもらったんだよ」
「えっ、そうなの?」
「芯になる部分を作ってもらって、そこにキンブルが土を積んで厚みを増やして、またニャンゴのお兄さんに硬化させてもらったんだよ」
「へぇ……そうなんだ」
壁はシッカリとした作りで、連日の雨にも崩れるような様子を見せていない。
指先で触ってみても、硬い感触があるだけで、ぬめるような感じは全くない。
兄貴の土属性魔法も上達しているが、これだけの規模を作るとなると結構な労力だろう。
キンブルのやる気も、意外に本当なのかもしれない。
てか、なんでイネスが自慢気なんだ。
壁の設営のどこにもイネスは関わっていない気がするけど。
壁を回り込んでみると、壁を境にして土の状況が全く違っていた。
壁のこちら側には水溜まりが出来ていたが、壁を回り込んだ先には水が浮いていない。
どうやら、鍬を入れて土を起こしてあるようだ。
「ここを耕したのもキンブル?」
「そうだよ、あたしもちょっと手伝ったけどね」
「そっか……」
「なによ、もっと褒めてもいいのよ」
「はいはい、良く頑張りました」
てか、イネスの場合は、ちょっとと言うと本当にちょっとなんだよな。
たぶん、殆どキンブルが耕したのだろう。
熊人のキンブルは俺よりも一つ年下だけど、俺よりも頭二つ以上も背が高いし、体付きもガッシリとしている。
こうした農作業には最適な体力の持ち主だが、それでも大変なのは間違いない。
土の状態が大きく変わったのはわかったが、今は雨が降っているから土が湿っているが、雨季が終わった後にどの程度乾燥するかが問題だ。
プローネ茸が生える穴場は、切り立った岩場に囲まれた吹き溜まりみたいな場所で、そこと比べると大きく開けて風の通りも良すぎる気がする。
まだ場所作り、土作りの段階で、栽培を始める目途も立っていないが、栽培の実験をする時には壁を増やして、風の通りを悪くした場所を設けて比較した方が良いかもしれない。
まぁ、今の時点では順調という感じだろう。
「よし、分った。じゃあ次に行こうか?」
「えぇぇ……まだ行くの?」
「てか、イネスは立って運ばれただけじゃん」
「そうだけど、立ってるだけも疲れるんだからね」
「しょうがないなぁ……イネスの後ろに椅子を作ってみたから座ってみて」
「うん……えぇぇぇ! なにこれ、フカフカだよ」
イネスは腰を下ろしたソファーの感触を確かめるように、弾んでみせた。
「暴れると壊れるかもしれないからね」
「嘘っ、ちょっと先に言いなさいよね」
「はいはい、大人しく座っていて下さい、イネスお嬢様」
「お嬢様? 仕方ないなぁ……苦しゅうないぞ、ニャンゴよ」
それは、お嬢様じゃなくてお殿様じゃないのか……と内心で突っ込みを入れつつ、ソファーに座ったイネスと共に次の予定地を目指す。
二か所目は、川に近い雑木林の中で、土の感じはプローネ茸の穴場に似ている。
ただし、周りに生えている木がブナなどの広葉樹ではなく針葉樹なのは気になる。
もし、同じ条件だとしたら、ここにもプローネ茸が自生していてもおかしくないだろう。
「よし、次に行くか……って、イネス寝てるし……」
ソファーの座り心地を良くし過ぎたのは失敗だったようで、イネスは背もたれに体を預けて寝息を立てていた。
何だか、薬師としての修業も今いち身が入っていないみたいだし、ちょっと心配になってくる。
俺がアツーカ村にいた頃は、イネスは人気があったと思ったが、今はどうなのだろう。
あんまり怠け者だという印象を持たれると、嫁の貰い手が無くなりそうだ。
「はぁぁ……やっぱり置いてきた方が正解だったかな。魔法の練習用の重しにしかなってないよ……」
空属性魔法で作ったソファーで眠り込んでいるイネスを運びながら、三ヶ所目の栽培予定地へ向かった。
ここは、川に架かった街道の橋の下なのだが、キンブルが膝まで水に浸かって杭を打とうとしていた。
「何やってるんだ、キンブル!」
「ニャンゴさん、水かさが増えて土が流されちゃうので……」
「馬鹿、お前まで流されちまうぞ、早く上がれ!」
「は、はい、上がります……あっ、あぁぁぁ……」
水中の穴にでも足を取られてたのか、バランスを崩したキンブルは川に倒れ込んで流され始めた。
「キンブル! ラバーリング!」
「ニャンゴさん!」
「今、岸の方へ寄せるから暴れるな!」
「はい、すみません」
「痛い! 冷たい! ここ何処!」
キンブルが流されるのを防ぐために、丈夫なラバーリングを発動させた。
その分の魔力を確保するために、イネスが座っていたソファーは解除させてもらったのだ。
わざとではないのだが、解除した場所が水溜まりの上だったので、イネスは泥水にはまった格好になってしまった。
キンブルを固定したラバーリングを操作して、川岸へと近付けた。
「ニャンゴさん、もう大丈夫です、立てます」
「よし、気を付けて上がって来い」
「はい!」
キンブルの無事を確認して振り返ると、イネスが物凄い仏頂面をしていた。
「ゴメンって、わざとじゃないんだ。キンブルが流されそうだったから咄嗟に……」
「分ってる、分ってるけど酷いよ、パンツまでグチョグチョだよ……」
「悪かったって、家まで送るから着替えて、婆ちゃんの家までシチューを食べに行こう」
「そうだ、シチュー! あたしには、お肉余分に入れてくれなきゃ許さないんだからね」
「はいはい、分かりましたよ」
イネスの機嫌は、ヴェルデクーレブラのシチューで何とか取り戻せた。
問題は、キンブルだ……。
「何やってんだ、危ないじゃないか!」
「すみませんでした……土が流されちゃうと思って」
キンブルは、大きな体を小さく縮こまらせて頭を下げた。
「あんなに水を被ってしまったら、もう手遅れだろう」
「でも、ニャンゴさんが村のためにと始めたことですから……」
「馬鹿だなぁ、それでキンブルが流されて死んじゃったら、元も子もないじゃないか」
「すみません……」
肩を落としたキンブルは、三割ぐらい小さくなったように見える。
「ここは諦めて、他の二ヶ所と、もっと別に良い場所が無いか探してみよう」
「はい……すみませんでした」
「いいよ、キンブルが一生懸命やってくれているのは分ったからさ。家に戻って風呂に入って着替えたら、カリサ婆ちゃんの家においで。ヴェルデクーレブラのシチューを御馳走するよ」
「えっ、俺も行って良いんですか?」
「ちょっと、ニャンゴ、あたしの分が……」
「大丈夫だよ、あれだけ沢山作ったんだ、ちゃんとあるから心配すんな。てか、早く着替えないと風邪引くから行くぞ。キンブルも、早く帰って着替えろよ」
イネスをステップの上に立たせて、また移動の魔法を試しながら家まで送って行く。
うん、今夜の夕食は賑やかになりそうな気がする。





