作戦開始
貧民街解体作戦の当日、空には雲はあるものの所々から日が差すまずまずの天気だった。
本日、チャリオットは役割ごとに分かれての活動となるので、朝食後に互いの無事を誓い合った。
「作戦が終わるのは明日か、下手をすれば明後日以降になるだろう。気を抜かず、揃って無事に作戦終了を迎えよう」
ライオスの言葉に全員が頷いて、拳を合わせてから拠点を出発する。
俺は突入部隊と合流するために官憲の事務所に向かい、みんなはギルドへと向かった。
事務所には、バジーリオら騎士十名、トレンメルら官憲十名、計二十名が集合を終えていた。
「お待たせしちゃいましたか?」
「いいえ、まだ時間前ですよエルメール卿」
余裕を持って拠点を出たので、トレンメルが指差す時計は予定時間の十五分前を示している。
「そう言えば、抜け穴の件はどうなりましたか?」
「はい、あれから探索を続けましたが、それらしいものは見つけられませんでした」
打ち合わせを行った日以後、抜け穴から新たな出口が作られていないか官憲で調査を続けたそうだが、学校側で埋められた部分まで辿っても新しい出口は見つからなかったそうだ。
「では、単純に掘り返しただけ……なんでしょうか?」
「そうでもないようです。どうやら、貧民街の中の出口付近は大きく掘り広げられているようです」
イブーロの学校は、元々は軍の砦だったそうで、抜け穴は脱出用に掘られたもので、大人一人がやっと通れる広さしかないようだ。
ところが、貧民街の中にある出口付近では、抜け穴は左右と上が広げられ、まるで奥に向かって部屋を広げているみたいな感じらしい。
「じゃ、抜け穴を利用して、幹部の集まる部屋を作っているみたいですね」
「どうやら、そのようです。まだ裏付けが出来ている話ではありませんが、このスペースは幹部連中が集まって過ごす場所になっているようです」
「では、我々が向かう先は、抜け穴の出口付近になりそうですね」
「はい、貧民街の中は入り組んでいるので、案内役と合流してから進む予定です」
貧民街の内部は、バラックの上にバラックを積み重ねるようにして出来上がっていて、内部は入り組んだ迷宮のような造りになっているそうだ。
通路の幅は狭く、幾筋にも分かれたかと思うと行き止まりだったりするらしく、何度も角を曲がっているうちに、方向が分からなくなるようだ。
「では、全員揃ったようなので、出発しましょう」
予定の時間よりも早く事務所を出たが、既に貧民街の包囲は完了していた。
倉庫街の建物の壁や、街の外周を囲む壁などを利用し、貧民街へと通じる道を封鎖すれば、実質的に包囲は完了する。
以前、パンを盗んだ兄貴が逃げ込んだ建物と建物の隙間も、見張りの人間を配置すると同時に板を張って塞いであるらしい。
イブーロの街並みから貧民街へと通じる広い道は三本あり、その一本には内部を制圧する騎士と官憲が準備を整えている。
残り二本のうちの一本は、訓練施設への住民の移送や、捕縛された裏社会の構成員を連行するための出口として使われる。
最後の一本は、取り壊したバラックなどの置き切れなくなった廃材を搬出するために使われるらしい。
そして、予定されていた正午ちょうどに作戦は開始された。
「着手! 始めろ!」
「全員進め! 外出している住民を屋内に戻せ!」
「よーし、お前ら全員家に戻れ!」
「一軒ずつ検査を行う! 無駄な抵抗はするな!」
外出禁止を告知して回る騎士達に続いて、ギルドの職員を伴った一団が移動を始めた。
この人達が、借金の証文をチェックして、住民達を解放していく役目を担う。
住民一人一人の借金の状況をチェックするので、かなり時間が掛かることが予想されるため、複数のチームが活動を開始している。
各チームには護衛のための冒険者が同行する、ライオスやガドも何処かにいるはずだ。
それらのチームが貧民街の外周から活動を始めると同時に、俺達突入部隊が貧民街の奥へと踏み込んでいく。
先頭はトレンメルが務め、俺はその直後をステップを使って目線を上げて進む。
騎士を取りまとめるバジーリオが殿を務めることになっている。
貧民街の外周から内部に向かう路地に入った途端、空気が一変した。
路地は大人がやっとすれ違える程度の幅しかなく、ビッシリと建てられたバラックが日の光を遮っている。
今は正午を過ぎたばかりだから太陽は一番高い位置にあるのだが、路地は緩い坂で窪地の底へと下りていくので歩みを進めるほどに圧迫感が増していく。
風が通らないからだろう、空気が澱んでいた。
安っぽい香水やタバコの匂いの他に、饐えたような嫌な臭いや嫌悪感を覚える薬草のような臭いも混じっている。
開いているドアや窓からバラックの中へ目を向けると、苦々しげな表情を浮かべた厚化粧な女や、死んだ魚のような目をした年老いた男が土間に座って壁を眺めていたりする。
貧民街まで来る間に歩いてきた、イブーロの街並みとは別世界だ。
「隊長、こっちです」
路地を進んで最初のT字路に、三十歳ぐらいのキツネ人の男が待っていた。
官憲の制服は着ていないが、この人が潜入していた捜査官なのだろう。
キツネ人の案内に従って右へ左へと路地を進んで行くと、通路の上にも梁が渡され、バラックが空を遮り始めた。
建物の間に入っていくだけなのだが、まるで何かの生き物に飲み込まれるように感じる。
空までは六階、地上までは五階ぐらいの所まで下りてくると、差し込む光が極端に減り通りは夕暮れのような暗さになった。
「幹部はどこだ?」
「よ、横穴にいる」
キツネ人の男が声を掛けると、窓から覗いていた男は通路の先を指差した。
横穴というのは、学校から続いている抜け穴のことだろう。
キツネ人の男とトレンメルは頷き合って先へと進んでいく。
また二つ、三つと角を曲がった先で、居合せた中年の女にキツネ人の男が問い掛けた。
「おい、幹部連中はどこにいる」
「横穴よ、横穴にいるわ」
キツネ人の男が顎をしゃくると、ヒツジ人の女は慌てた様子でバラックへと入ってドアを閉めた。
「隊長、もう少し行けば横穴までは一本道になります」
「よし、急ごう」
一本道になれば取り逃がす心配は要らないのかと思いかけたが、建物の中がどうなっているかまでは分からない。
場合によっては、建物の中を通りぬければ、別の道に出られるのではなかろうか。
なによりも、自分が今どこにいるのかすら分からなくなっている。
空は、もう殆ど見えなくなっていて、背中に嫌な汗が滲んできた。
またキツネ人の男が住民に声を掛けた。
「おい、幹部は何処に行った」
「えっ、あっ……よ、横穴だ」
気の弱そうなウサギ人の若い男は、震える手で通路の先を指差している。
キツネ人の男とトレンメルは、更に足を速めて先へと進んでいく。
右、右、左と角を曲がって進むと、またT字路に突き当たった。
キツネ人の男は、足を止めて左側の道を指差した。
「隊長、ここから先は一本道です。道なりに進んで下さい。俺は幹部連中に顔が割れているので、ここで……」
「よし、分かった。エルメール卿、行きましょう」
「はい……」
トレンメルの背中を追って路地の先へと進むのだが、何かが引っ掛かっている気がしてヒゲがピリピリしてくる。
チラっと振り向いた先で、キツネ人の男が笑っていたような気がした。
一本道になり、トレンメルは更に足を速めて小走りになった。
右、左と角を曲がる度にヒゲのピリピリが増してる気がする。
「止まって!」
殆ど駆け足になったトレンメルの背中に向かって叫んで足を止めた。
同時に路地の両脇の建物内部に探知ビットを広げたが、人の気配が感じられない。
「どうされました、エルメール卿」
「罠だ」
「えぇぇ!」
「そうか……さっきの会話だ」
「会話? 何の話です?」
「幹部は何処にいる?」
「横穴だって……」
「なんで住民が幹部の居場所を知ってるんです?」
「あっ……」
「知っていたとして、制服姿の人間がいるのに教えますか?」
「それは……教えないでしょうね」
キツネ人の男が声を掛けていた連中は、どう見ても搾取される側の人間だった。
裏社会の構成員達ならば幹部の居場所を知っていても不思議ではないが、ただの住民にまで幹部が居場所を周知するはずがない。
「どうしました?」
先頭の俺達が止まったので、一番後ろにいたバジーリオが様子を確かめに来た。
状況を説明すると、罠という予想には賛成のようだ。
「罠なのは間違いないでしょうが、どう対処します?」
バジーリオの問いに、トレンメルは一瞬目を伏せた後で、俺に視線を向けて来た。
「戻りましょう、わざわざ罠に嵌りに行く必要はありませんよ。包囲を破られなければ逃げられませんし」
抜け穴からの新たな出口は見つかっていないし、罠が張られている場所に幹部連中がいるとも思えない。
捕縛が遅れても、包囲を続けていれば、いずれ捕らえられるはずだ。
「よし、戻るぞ。先程の案内人の所まで後退。エルメール卿、殿は私が務めます」
「お願いします」
一旦後退を決めて、動き出そうとした時だった。
ズドーン! ドーン! ズガァァァン!
立て続けに大きな爆発音が響き、貧民街の建物がガラガラと大きな音を立てて崩壊を始めた。





