旅の始まり(カバジェロ)
今回は、カバジェロ改め、冒険者ジェロの話になります。
本当に俺は物を知らない。
ギルドの職員ミーリスの紹介に従って、生まれて初めて宿というものに泊まった。
金を払い、一晩の寝床と食事を出してもらえる所だとは知っていたが、これほど居心地の良い場所だとは知らなかった。
恥も外聞もなく、ミーリスの紹介で生まれて初めて宿に泊まると言ったのも良かったのかもしれない。
夕食と翌朝の食事付きの代金を先に払うと、女将は部屋に案内した後で一般的な宿に泊まる方法を説明してくれた。
大きなベッドに柔らかい布団、うちは安宿だと女将は言っていたが、良くて寝藁、土間にそのまま眠ることも珍しくない暮らしを続けてきた俺には豪華そのものに思える。
裏の井戸で水浴びも出来ると言われたが、ギルドで体を洗ってきたばかりだから今夜は必要無いだろう。
ただ、こんな部屋に泊まるのであれば、これまでのように埃まみれではいけないのだと俺でも理解出来た。
ギルドで食べたパンも美味かったが、宿の食事は更に美味かった。
大きな肉の塊が入ったシチューを口に含んだら、美味さのあまりにまた涙してしまった。
驚いた女将に、シチューが美味くて泣いていると話したら、いくらでもおかわりしろと言われたが、そんなに食ったら罰が当たりそうだから一度だけにしておいた。
温かい食事をして、温かい布団で眠る、そのまま死んでも構わないとさえ思った。
翌朝の食事は、炒り卵と分厚いハムのソテー、付け合わせの野菜、柔らかいパン、新鮮なミルク。
また涙が堪えられなかったが、女将が言うにはごく普通の食事らしい。
開拓村がどれほど貧しかったのか、改めて思い知らされた。
そして、なぜ同じ領地の中なのに、これほどまでに貧富の差があるのか疑問に思った。
どうしてカーヤ村の人達は、開拓村に手を差し伸べてくれなかったのかと女将に聞いてみた。
「そりゃ無理な話だよ。ここでは、これが当たり前の生活だし、遠く離れた開拓村がそんなに貧しいなんて知りもしなかったよ。知らないものは助けようが無いし、たとえ知ったとしても、わざわざ開拓村まで足を運んで助けるだけの余裕は無いよ。あたしらだって、今の生活を維持していくのに精一杯さ」
「そうか……それもそうか……」
俺達がカーヤ村の生活を知らなかったように、カーヤ村の人達も俺達の生活を知らないのは無理もない。
そもそも、カーヤ村の人が開拓村を助ける義理は無いのだ。
同じ領地に暮らす者すら開拓村の貧しさを知らないのに、それを隣りの領地の貴族が知り、助けてくれるのを期待するなんてミーリスが言う通り無理な話なのだろう。
「大きな声じゃ言えないけど、みんな馬鹿領主のせいさ。噂じゃ金ピカの御殿に住んでるって話だよ。そんな金があるなら、もっと税金を安くしてくれってんだ。それこそ開拓村が飢えることなんか無いはずだよ」
「何とかならないのか?」
「あたしら平民じゃ無理だよ。国王様か、神様に頼むしかないね」
「国王様にも、神様にも、俺らの声は届きそうもないな……」
「まったく、嫌な世の中さ……」
朝食を済ませた後、布団の誘惑を必死に振り払って宿を出た。
とりあえずは、隣りのエスカランテ侯爵領に向かう。
同じグロブラス伯爵領の中でさえ知らないことばかりだったのだから、隣りの領地ともなれば更に知らないことは増えるだろう。
無事に旅を続けられるのかも分からないが、あの片目の黒猫人がいるラガート子爵領までは行くつもりだ。
正直に言えば不安はあるが、こんな体だから野垂れ死にしたところで悔いはない。
それと、旅に出ると決めた時には、あの片目の黒猫人や貴族共に刺し違えてでも鉄槌を下すつもりでいたが、その憎悪は薄れてきている。
では、何のためにラガート子爵領まで足を運ぶのかと言えば、外の世界を見て自分の目で判断するためだ。
俺達を反貴族派に引き入れたダグトゥーレは善人だったのか、それとも悪人だったのか。
同じ領地の住民にすら知られていなかった開拓村の貧しさに手を差し伸べてくれたダグトゥーレは、俺らからみたら神様みたいな存在だった。
本当に有難いと思っていたが、俺らとは違って広い世界を見て来たはずのダグトゥーレが、なんで他の領地の貴族を襲えなんて言ったのか。
なんでエスカランテ侯爵やラガート子爵に、開拓村の貧しさの責任があるかのように言ったのか。
俺達を騙して利用したのか、それとも本当にそう思っていたのか、本人に聞かなければ分からないだろうが、それでも外の世界を見ればダグトゥーレが考えていた事が少しは分かるかもしれない。
カーヤ村を出て、街道を北へ向かう。
時折、穀物を積んだ馬車が追い越していった。
後ろから蹄の音が近づいて来たら、道から外れて馬車が通り過ぎていくの待つ。
体の小さい猫人が、杖にすがってヨタヨタ歩いていると、跳ね飛ばされる危険があると、ミーリスにも宿の女将からも注意されたからだ。
カーヤ村を目指していた時は、とにかくギルドに行くことだけを考えていたので気付かなかったが、言われてみると確かに危ない。
道を外れていても、馬車が通り過ぎるときには風を感じた。
乗合い馬車の乗り方もミーリスは教えてくれたが、何となく利用する気になれなかった。
自分の足で歩いて行く、その間に目に映る物から世界を知る必要がある気がするのだ。
とは言え、片足で長い時間歩くのは疲れる。
丈夫さを優先して鉄の杖にしてしまったし、着替えなどが入った鞄も下げている。
木陰に入って休むと、立ち上がるのが嫌になってきた。
暑くもなく、寒くもない、初夏の心地良い陽気は昼寝するのに最高なのだが、眠っていたら先へは進まない。
ダグトゥーレの考えを知る……なんてもっともらしい事を考えながらまた歩きだしたが、すぐに疲れてくる足と減ってくる腹具合しか考えられなくなった。
そんな時、また後ろから蹄の音が近づいて来た。
ふり返ってみると、荷馬車ではなく箱馬車のようだった。
また道を外れて、馬車が通り過ぎるのを待つ。
大柄なサイ人の男が手綱を握り、馬車の側面には店の名前が描かれていた。
「グラーツなんとか……何の店だろう?」
速度を落として俺の前を通り過ぎて行く時に、御者のサイ人と目が合った気がした。
馬車はそのまま速度を落とし、少し進んだところで止まった。
「乗ってる奴が、用でも足したくなったか?」
なんで馬車が止まったのか分からないが、さっき休息したばかりだから、一緒に立ち止まっている理由も無いので歩き出す。
止まった馬車からはサイ人の御者が下りて、乗っている者に声を掛けていた。
馬車の横を通り抜けようとしたら、サイ人の御者が話し掛けてきた。
「どこまで行くんだ?」
「……ラガート領まで」
「はぁ? その足でか?」
「悪いのか」
「いや、悪くはないが大変だろう。エスカランテ領のキルマヤまで乗って行くか?」
咄嗟に何て答えれば良いのか分からなくなった。
サイ人の御者が俺を乗せる義理など無い。
騙して途中で持ち物を奪うつもりかと思ったが、俺が持ってる物など高が知れている。
それに、馬車はそれなりの商人の持ち物に見える。
「なんでだ、なんで乗っていけなんて言うんだ?」
「歩いて行くより楽だろう?」
「それはそうだが、乗せてもらう理由が……」
「街道では助け合う、旅する者の常識だ」
「いいのか、俺みたいな得体の知れない者を乗せて」
「構わんさ、ただし御者台の俺の隣だがな」
雇い主の乗っている車内は駄目だが、自分の隣なら怪しい動きをしても、どうとでも対処出来る自信があるのだろう。
俺もちょっとは魔法を使えるようにはなったが、手の届く範囲にいるサイ人に勝てる気はしない。
「遠慮するな。俺も一人じゃ退屈だから、話し相手をしてくれ」
「分かった、世話になる……」
乗合い馬車も使わず、自分の足で行く事に意義がある……なんて考えていたが、楽が出来るなら楽をしたい。
それに、俺よりも人生経験が豊富そうなサイ人と話すことにも意味があるような気がする。
乗せてもらうと言ったものの、情けないことに御者台に一人では上れなかった。
杖も荷物も、御者台の後ろに載せてもらった。
サイ人の男は、俺を御者台の右側に乗せると、雇い主に声を掛けた後で俺の隣に座り、馬車を動かし始めた。
「まだ名乗っていなかったな。俺はキルマヤにあるグラーツ商会で用心棒をやっているタールベルグだ」
「カ……いや、ジェロだ。Fランクの冒険者だ」
「ラガート領には、何をしに行くんだ?」
「何をしに……見て、確かめるため……かな」
「ほぅ、見て確かめるか……お前さん、どこの出身だ?」
「ロデナだ」
「ロデナ? 聞かないな、グロブラス領なのか?」
「そうだ、もう廃村となった開拓村だ」
エスカランテ領の人間が、廃村となったロデナを知らないのも当然だろうが、タールベルグは意外な事を口にした。
「そうか……若いのに苦労したんだな」
「開拓村を知っているのか?」
「少し噂に聞いただけだがな……開拓が目的の村が廃村になるんだ、生活が楽だとは思えん」
「その通りだ。貧しい生活だったが、どれほど自分たちの生活が貧しいのか、村の外に出るまでは分からなかった」
「だからラガート領まで行ってみるのか?」
「それもあるが、それだけではない。いずれにしても、俺は世間を知らなすぎる」
「それに気付けるだけでも大したものだ」
「いや、まだ俺は何も出来ていない。何も……」
村は廃村になり、身を投じた反貴族派の襲撃は失敗、捕らえられ、脱走して、残っていた仲間と合流したが、オークの心臓を食べて仲間は全滅。
何とかゴブリンやコボルトを倒して冒険者にはなったが、まだ実績はゼロだ。
「お前さん、何がやりたいんだ?」
「分からない。分からないが、こんな体で出来る事には限りがある」
「そいつを見つける旅でもあるのか?」
「そうかもしれない……」
話し相手をしろと言うだけあって、タールベルグは途切れることなく話を続けた。
反貴族派に絡むことは話せないので、時折言葉を濁したが、タールベルグは深く追及はしてこなかった。





