子爵の見解
「知らない天井……じゃない」
目が覚めたのは、ラガート家の屋敷の部屋だった。
自分が意図しない状況で意識を失うなんて、思い返してみるだけでも背筋が寒くなる。
もし、玄関ホールまで辿り着けていなかったら……。
もし、騎士団長が通り掛からなかったら……。
嫌味な山羊人の執事に抱えられて、第五王子の待つ部屋に逆戻りしていたかもしれない。
お茶に入れられていた眠り薬は、湯気の香りを楽しんだ以外は二口程しか飲んでいない。
その上、トイレで自己流ながら胃洗浄も行ったのに、あの状態だ。
猫人は身体が小さい分だけ、他の人種に較べれば薬への耐性が低いようだ。
ポーションなどは半分程度の量でも効果を発揮してくれそうだが、眠り薬や毒薬なども同様に効いてしまうのだから注意が必要だろう。
変な時間に眠り込んでしまったおかげで、暗いうちから目が覚めてしまった。
胃洗浄の時に昼食まで戻してしまったし、夕食抜きなのに空腹感も食欲も無いのは精神的なものなのかもしれない。
見張りの兵士に断りを入れ、庭に出て棒術の素振りを行った。
なんだかフラフラするような気がしたし、体が酷く重たく感じたが、素振りを繰り返しているうちに眩暈のような感じはなくなった。
体が重く感じているのは、寝すぎたためと薬の影響が残っているからだろう。
そうだ、きっとこれは薬の影響に違いない……違いない……。
朝食を済ませた後で、子爵に事情の説明を行ったのだが、抗議はしてもらえないようだ。
その代わりではないが、子爵からは二通の封筒を差し出された。
一通は子爵宛、もう一通は俺に宛てたもので、差出人は第五王子エデュアール殿下だった。
「拝見してもよろしいのですか?」
「構わんよ」
既に封が切られている子爵宛の手紙には、短い一文が書かれていただけだった。
『悪ふざけがすぎた、許せ』
念のために、俺宛の手紙も確認してみたが、同じ一文が書かれているのみだった。
「これで許さなきゃいけないんですか?」
「ニャンゴが腹を立てるのは当然だろうが、王族が文章で謝罪の意思を伝えてきた以上、それ以上の追及は難しい」
これが命に関わるほどの問題であれば、この程度の謝罪文では済まされないのだろうが、現実問題として俺は眠り込んだ以外は体面を潰された程度だ。
猫人の成り上がりの名誉騎士が、エデュアール殿下にからかわれた……で事を納めるしかないのだろう。
「現在、実質的に王位を争うであろうと思われている王子が三人いるのは知っているな?」
「はい、第三王子クリスティアン殿下、第四王子ディオニージ殿下、第五王子エデュアール殿下ですね」
「その三人のうち、アーネスト殿下が存命の頃から王位を目指すと公言してきたのはクリスティアン殿下だけだった。アーネスト殿下の死後、他の2人も王位を目指すと表明したのだが、エデュアール殿下がどこまで本気なのか計りかねている」
「えっ、本心では王位を目指してはいない……という事ですか?」
「簡単に言うと、エデュアール殿下はかなり捻くれた性格をしているのだ」
子爵の話によれば、どうやら母親である第五王妃は猜疑心が強いらしく、その子供であるエデュアール殿下やセレスティーヌ姫殿下も性格を受け継いでいるようだ。
心の奥底は家族にしか明かさず、他の王族との交流も限られているそうだ。
「本心を見透かされず行動するには、いわゆる王族らしい振る舞いというのが都合が良いらしく、あのような兄妹が出来上がったようだ」
「では、会談の席で話していた内容も、どこまで本心なのか分からないのでしょうか?」
俺を騎士として高く評価していたり、『巣立ちの儀』の襲撃の首謀者は第二王子バルドゥーイン殿下だと名指ししたのも、何かの企みがあっての事なのだろうか。
「ニャンゴの評価については恐らく本心であろう。だが、断わられるのは最初から織り込み済みだったのかもしれない」
「バルドゥーイン殿下の件は?」
「そちらは牽制であろうな。ニャンゴがフラフラの状態で戻れば、当然私が事情を聞き出すし、屋敷の者が帰宅した時の姿を見るだろう。そこから第二王子陰謀説を広めるつもりだったのかもしれん」
「そこまで計算していたのですか?」
「さぁな、私の考えすぎかもしれんし、もしかするとアンブリスが通り掛かるのも計算していたのかもしれん」
子爵の言葉を聞いて、背中の毛が逆立つような思いがした。
頭の悪い俺様キャラも意図的に見せているのだとしたら……エデュアール殿下に対する認識を改める必要がありそうだ。
「俺は、どうすれば良いのでしょう?」
「なぁに、近衛就任の要請は全ての陣営に対して断わったのだ、あくまで中立という姿勢でいれば良い。明日はアイーダの入学式、明後日には王都を離れる予定だ、心配は要らん」
「分かりました、明日の入学式は同行した方がよろしいでしょうか?」
「そうだな……王家でも警備を整えるとは聞いているが、先日のような襲撃が無いとも限らんから同行してもらえるか?」
「はい、ご一緒いたします」
『巣立ちの儀』時とは違い、仰々しい警備は不要なので、名誉騎士の騎士服で同行する事になった。
王都にいる間に着ておかないと、イブーロに戻ったら着る機会はあまり無いだろう。
それに、まだまだ俺は育ち盛り……なはずだから、来年にはスラリと成長して着られなくなってしまうかもしれない。
「あの、子爵様、騎士服が着られなくなってしまった場合は、どうすれば宜しいのでしょうか?」
「王家からの呼び出し以外では、今の騎士服に準ずる物に紋章だけを移し変えて出向けば良い。もし、王家からの呼び出しがあった場合には、先に騎士団に出向くか、私が上奏して新しい騎士服を用意してもらうことになるだろう」
王家から下賜された騎士服はメチャメチャ着心地が良くて、簡単に準ずる物なんて手に入りそうもない。
まぁ、伏魔殿のような王城には近付きたくないので、暫くはイブーロで大人しくしていよう。
王都での生活も実質明日までで、帰りは少し急ぐらしいので、土産を買い込むならば今日のうちに済ませておくように言われ、王都の街に買い物に出掛けた。
レイラさん達やチャリオットのみんなへのお土産は買ったが、肝心な物を忘れている。
屋敷の食堂の人に聞き込みをして、向かった先は米屋だ。
安く仕入れるならば第三街区の店の方が良いが、第二街区の店ならば防虫効果のある木箱に詰めてもらえるらしい。
王都から道程やイブーロに戻った後の保管を考え、今回は第二街区の店にした。
米は王都で普通に食べられているが、それでも主食としてはパンやパスタの割合の方が大きい。
必然的に小麦粉を扱う店の方が多いし、店の構えも大きいが、米の問屋もなかなか立派な佇まいだった。
米問屋というと、どうしても前世のイメージで瓦屋根に木の看板、藍染の暖簾と店頭幕なんて考えてしまうが、普通の店構えでちょっと残念に感じてしまった。
「こんにちは、お米を買いたいのですが……」
店先にいた水牛人の店員に声を掛けたのだが、なんだか迷惑そうな顔をされてしまった。
俺の姿を耳の先から尻尾の先まで眺めた後で、溜息まじりに返事をよこした。
「悪いな、うちは一般の人とは取り引きしていないんだ」
一般の人とは……と言いつつ、得体の知れない猫人なんかには売れないといった感じが透けて見える。
「あのぉ……ラガート子爵家の方に伺って来たんですけど、駄目ですかねぇ?」
「子爵様のお屋敷? し、仕方ないな、基本的に一般の人とは取り引きしないんだが……その代わり現金での支払いしか受けないぞ」
「はい、構いません」
まぁ、ギルドカードを見せれば良いのでしょうけど、なんか偉そうで嫌なんだよねぇ。
というか、王都ではもうちょっと小綺麗な服装した方が良いのだろう。
対応は良いとは言い難いが、米の品揃えはさすが第二街区で店を構えるだけのことはあり、色々な品種を扱っていた。
短粒種から長粒種、産地や用途で分けているようだ。
勿論、俺が仕入れたのは日本の米に近い種類で、ちょっとお高い品種だ。
20キロぐらい入りそうな大きな木箱に詰めてもらう。
「代金は大銀貨2枚、それと配送料として銀貨2枚だ」
「では、これで……ラガート子爵のお屋敷のニャンゴ・エルメール宛てで、明日までに届けて下さい」
「はっ……?」
俺の名前を出した途端、店員の顔色が変わった。
「し、失礼ですが、エルメール卿ご本人様でいらっしゃいますか?」
「ふふーん……配達、よろしくお願いしますね」
「か、かしこまりました!」
代金を渡して店を出ると、水牛人の店員は店の外まで見送りに出て来て、俺の姿が見えなくなるまで見送っていた。
この後、第三街区をフラフラと見て歩き、夕方ラガート家の屋敷に戻ると米が届いていた。
米には手紙が添えられていて、店員の無礼な態度を詫びると共に、大銀貨2枚と銀貨2枚が同封されていた。
うむ、また王都に来た時には贔屓にしてやろう……当分来る予定は無いけど。





