疑惑の領主
昼食に期待しろ、夜は無理だとナバックが言っていた理由はすぐに分かった。
子爵一家を下ろした後、魔導車は屋敷の来客用車庫へと入れられたが、俺やナバックが宿泊する建物は別の場所にあった。
車庫から狭い地下通路を通り、抜け出た先は城壁の外だった。
俺達だけでなく、騎士達も同じ城壁の外にある建物への宿泊となる。
そのため子爵の身辺警護のために4人の騎士が屋敷内へと同行し、時間を区切って交代するらしい。
「猫人の俺はともかく、騎士の皆さんまで城壁の外って……」
「まぁ、色々あるんだよ。今夜は退屈だろうし、ゆっくりと話してやるよ」
城壁の外にある宿舎は、掃除も行き届いていないし、布団は湿っぽいダニの巣のようだった。
相部屋になったナバックがダニ除けの粉を使おうとしたので、待ったを掛けて部屋の掃除から始めた。
窓を開け放ち、風の魔道具を使った掃除機で埃を外へ追い出す。
布団も入念に埃を叩いた後で、布団乾燥機ダニ退治モードで万全に仕上げる。
テーブルなどを雑巾掛けすれば、なんとか人間が住めるレベルになった。
「おぉ、凄ぇなニャンゴ。なんつー手際の良さだよ。てか、布団がフッカフカだぜ、フッカフカ!」
「一定の温度以上まで上げると、ダニはみんな死にますから、これで安眠できますよ」
ちなみに、風呂場もドロドロの酷い状態だったので、温度調節の魔道具と水の魔道具を組み合わせた熱湯高圧洗浄で洗い流した。
コケなのかカビなのかも分からない物で、床がズルズルの風呂場なんて入りたくないからね。
そして夕食は、硬いパンと目玉焼きのみで、お茶すら出されなかった。
宿舎の食堂に来た料理人は人数分の目玉焼きを作って皿に盛ると、申し訳ない……と何度も頭を下げて帰っていった。
「硬っ……噛み切れにゃい……」
「なぁ、ニャンゴ、蜂蜜なんか影も形も無いだろう……」
「何の嫌がらせにゃんですか……この、硬い、パン……」
「嫌がらせだと思うだろう? ここの騎士連中も同じものを食わされてるらしいぞ」
「えぇぇぇ……伯爵家の騎士なんですよね? それが、こんな食事なんですか?」
「まぁ、給料は並みの者よりは良いそうだが、食い物は自分で整えろ……ぐらいの待遇らしいぞ」
ナバックの話は殆どが聞きかじりだから本当なのか疑わしいが、目の前のメニューは何度見ても、何度噛みしめても変わりそうもない。
「まさか、子爵達もこんな料理を食わされているんじゃないでしょうね?」
「あぁ、塀の向こうとこっちでは、それこそ天国と地獄ほども待遇が違うそうだ」
グロブラス伯爵家の人々や客人には、毎食贅を凝らしたメニューが提供されるらしい。
ただし、やはりラガート子爵は歓迎されてはいないようだ。
「グロブラス伯爵家には後ろ暗い噂がある……」
あまりの硬さに半分ほどでパンを放り出したナバックは、周囲をキョロキョロと見回してから声を潜めて囁いた。
勿論、監視されてる訳ではないので、話を盛り上げるためのポーズだろう。
「噂……ですか?」
「あぁ、あくまでも噂だが、国の定め以上の年貢を取り立てているらしい……」
「えっ、それってやったら駄目なんじゃ?」
「噂だ、噂……あくまでも噂だ」
シュレンドル王国では、国が決定した税率を超える税の取り立てを禁じている。
いくら領地の経営は貴族に任されているとしても、法外な税金が課せられれば民の生活が窮し、結果として国が傾いてしまうからだ。
貴族には、王国が決めた限度内で税金を決定し、領地を経営するように言い渡されている。
その税率を超える年貢を取り立てているとしたら、それは王国への反逆と取られても仕方のない行為だ。
「途中、昼食に立ち寄ったカーヤ村があっただろう」
「はい、穀物の集積地ですよね」
「ラガート領のイブーロや、エスカランテ領のキルマヤと較べてどう思った?」
「どうって……何となく地味というか、村の規模から見ると寂れているというか……」
「その通りだ。ここ数年は穀物は豊作が続いている、取り引きも活発に行われている。物も金も動いているが……庶民の懐には残らないんだよ」
「そんな……本当なんですか?」
「噂だ、噂……あくまでも噂だが、事実じゃないとしたら、なんでカーヤはあんなに地味なんだろうな……」
周りの席でナバックの話を聞いていたラガート家の騎士も無言で頷いている。
本当なのかと目で問うてみたけど、曖昧な笑みを浮かべられただけだった。
御者のナバックならばまだしも、ラガート家の騎士としては他家の胡乱な噂を口にする訳にはいかないらしい。
「既に国の密偵が探りを入れている……なんて噂もあるらしいぞ。そして、このラガート家の一行の中にも密偵が潜んでいるのではないかと疑われているらしいぞ」
すべては噂であり、らしい……というレベルの話だが、そう言われてみるとグロブラス家の対応にも納得がいく。
「グロブラス伯爵領も、先代当主の時代には暮らしやすい土地として有名だったそうだ」
ナバック曰く、先代の頃までは領内各地で盛んに開墾事業が行われ、他の領地で食えなくなった農民などを積極的に受け入れて、土地の改良を続けていたらしい。
年貢が安い、土地を切り開けば自分の土地として所有できる、裸一貫から稼げるようになる……そうした噂が噂を呼んで、人が増え、農地が増え、グロブラス領は栄えたそうだ。
「転換点になったのは、領内の殆どの土地を切り開いてしまってからだ」
新しく切り開く場所が無くなれば、人が流れて来ても土地は手に入らない。
他領から流れてくるのは貧しい者ばかりなので、土地を買う金など無い。
そうした者達は、小作人として地主から土地を借り、年貢の他に土地代を支払って細々と暮らしていく事になる。
なんか、アツーカの実家の話をされているようで、身につまされてしまった。
「更に追い打ちをかけたのが、15年ほどの前の飢饉だ」
夏に長雨の続いた天候不良の年があり、農業に頼っていたグロブラス領では多くの餓死者を出したそうだ。
アツーカ村でも芋が全滅して、冬場に餓死者が出たと聞いている。
「その時に、死んだ者の土地を手に入れて、大地主に成り上がった者達がいたそうだ。こいつも噂だが、その当時、大きな農地を持つ者が何人も死んだそうだが、中には餓死したのではなく土地を手に入れるために殺された者もいたらしい……」
一部の豪農が土地を独占するような歪みが生じ、社会不安が増大したそうだが、その歪みを正したのは意外にも現当主のアンドレアスだったそうだ。
「じゃあ、良い領主じゃないですか」
「とんでもねぇ! こいつも噂、あくまで噂だがな……アンドレアスは豪農共を罠に嵌めて、次々に取り潰しにしていった……らしい」
「えっ、じゃあ、その土地はどうなったんですか?」
「全部……領主の直轄地だ」
つまり、現当主のアンドレアス・グラブロスは、開拓民が切り開き、豪農が金を使って手に入れた農地を難癖を付けるだけで手に入れたようだ。
「そんな強引な事をしたら、民衆が暴動を起こすのでは?」
「いいや、これまで法外な土地代を請求してきた豪農共が失脚し、跡を引き継いだ領主が土地代を引き下げてくれたら……どうなる?」
「そうか……むしろ民衆は味方だったんだ」
「そうだ、強欲な豪農共を叩き潰してくれるんだから、民衆は喜んでアンドレアスに協力したそうだぜ」
「なるほど……あれっ? グロブラス家は規定以上の税金を取り立てているって話でしたよね?」
ここまでの話を聞いた限りでは、豪農から疚しい手段で土地を取り上げたけれど、それは民衆にとっては良い話にしか思えない。
「そうだぜ、その当時までは良い領主様だったんだ。アンドレアスが狡猾なのは、開墾地の殆どを自分の手に入れた後、真綿で首を絞めるようにジワジワと土地代や年貢の額を上げていった事さ」
それも、単純に値上げをするのではなく、水路を整備するから……境界線を分かりやすく引き直すから……道幅を広げるから……など、直接の土地の広さに言及するのではなく、いかにも土地に関わる普請や整備を理由に税額を徐々に上げていったらしい」
本来の年貢の額に加えて、道や橋や堤防などの整備を理由にすれば、単年での総額が規定をオーバーしても国から咎められずに済む。
なんとも狡猾で、なんともセコいやり方に思えてしまう。
「今の話って、どこまでが本当なんですか?」
「さぁな、噂だよ、噂……」
ナバックの話がどこまで真実なのか、判断を下そうと思っても、そのための判断材料や基準が俺には不足している。
大きな街もイブーロやキルマヤぐらいしか知らない。
ただ、ラガート子爵領やエスカランテ侯爵領にあるカーヤ村よりも小さな村でも、洒落たレストランや服屋などが村の中心部にはいくつもあった。
少なくとも、グロブラス伯爵領の人々の生活が豊かでないのは確かなようだ。
領主が一人儲けて、領民の生活は貧しい。
前世日本ならば歪んだ社会に思えるが、貴族社会のこの国では正しい……はずがないか。
やはりラガート子爵のリクエストを受けて、王都に向かうのは正解だった。
何が正しいのか分からないが、少なくとも色んな領主がいて、色んな領地があるのは実感できた。





