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血の匂いには慣れているけれど、花の香りには戸惑った。命は奪うものだと思っていたけれど、育むものだとは知らなかった。それらは本来、少女の世界に不要なものだった。
けれども少女はひとつの関わりを持ったことで、それらに価値があることを知ってしまった。だからもう戻れない。
少女は自身の抱えた業に背くことが許されず、それ故に願うことを諦めていた。
少女に許されていたのは、祈ることだけ。苦しまずに済むこと、余計な犠牲が出ないこと。そして、これ以上、傷つく人が出ないこと。
その祈りは少女が業を背負った十年間のうち、何かに届いたことが一度もない。届ける先が存在していないからだ。それでも少女は健気に祈り続ける。
今、寝静まった夜の街に咆哮が響き渡る。
人々は皆、夢の中にいるからそれには気づかない。それが少女にとっての救いだった。
だって、これから少女が行おうとしていることは、人にとってはあまりにも衝撃的なことなのだから。
赤い月が路上にふたつの影を映し出す。ひとつは四つ足の獣のようなもの、ひとつは静かに佇む人のもの。
互いを伺うように対峙していたふたつの影は、獣のような姿をした方から動き出す。
その影の主を少女は見据える。それは、少女と同じ学校の制服を着た、男子生徒だった。彼は首元に白いサザンカの花がある。それは飾りではなく、彼の皮膚から咲いているものだ。
男子生徒は目を血走らせ、だらしなく開いた口から唾液を垂らしている。その呼吸は荒く、その様子は飢えた野犬のようだった。もはや彼に、人の言葉は届かない。
彼は少女を獲物と定め、飛び掛かる。少女はそれを丁寧に避ける。
少女は本来、こんなに丁寧にこういったものを相手取る必要などない。少女の役目は目の前にいるこういったものを速やかに排除することなのだから、見つけた瞬間に背後からその首を落とすか、心臓を貫けばいいだけなのだ。
それでもこうして律義に向き合うのは、少女の性格からだった。
「あなたを、愛します」
その言葉に、目の前の獣はいっそう大きな声で吠える。それはまるで、少女の向けた愛情を拒絶しているようだった。
それでも少女は続ける。言葉も想いも、届かなくてもいいと少女は思っている。これはただの自己満足なのだと、少女は自分を納得させる。そして、通常よりも刃先の長い刀を鞘から抜いた。
「だから、せめて。安らかに」
少女は今宵も、胸中の祈りを何かに向かって捧げた。