40話 決別
リュヌとプルートがいなくなり、その場は静寂に包まれた。敵襲の可能性が限りなく0になったため、ジユージュの魔導士たちは警戒を少し緩める。そうすると、彼らの視線は必然的にソレイユに集まった。
ソレイユは、ただそこに立ち尽くしていた。
話しかけ辛い雰囲気であり、かける言葉も普通は見つからないはずだが、無神経な男は口を開いた。
「あの……こんなことを言うのは失礼かもしれませんが、妹さん?でしたっけ……頭おかしくないです?」
その瞬間、マスターはヒノマに力こそパワーをされていた。
「痛い、痛いです」
「正直俺もそう思ってはいるが、言っていいことと悪いことがあるだろう」
「忖度って難しいですね」
恐ろしく空気を読まないマスターに、トパスはため息をついた。
「とりあえず、まずはセーナさんを治療しよう。俺は詠唱魔法で痛みを取り除くよ」
「じゃあ、俺はハーブで傷を治す」
トパスとヒノマはテキパキとセーナに適切な処置をしていく。鮮やかな手つきに、新人魔導士たちは目を奪われた。トパスとヒノマの豊富な経験による手際の良さのおかげで、セーナの体に傷が残ることはないだろう。今はまだ起きないが、もうしばらくすればきっと目を覚ますはずだ。
「レイ、どこに行こうとしてるんだ」
セーナの方を見ているはずのヒノマは、自分の背後にある扉に向かうソレイユに牽制した。
「そんな事をするくらいなら、セーナさんを寝かせるための寝具を用意してくれないか」
「……」
ソレイユは、無言で筆とパレットを取り出した。いつもの倍の時間をかけて、いつもの半分ほどのクオリティのベッドが出来上がる。
「らしくないね」
ソレイユは、唇を噛んだ。
「ねぇ、レイ」
ソレイユの表情をうかがいながら、ホモがおずおずと話しかけた。
「大丈夫?」
「……大丈夫」
そう答えたソレイユに、リュウはハッキリと言った。
「とてもそんな風には見えないけどな」
「先輩、無理はやめましょう」
エディもリュウに同意し、ソレイユを引き止める。
「レイ、何があったのか教えてほしいな。本当のレイのこと、昔のこと、聞かせてよ」
ホモが言う。遠慮を知らない素直なホモの言葉は、心の壁に阻まれることなく真っ直ぐにソレイユに届いた。
「……内緒」
もしかしたら、笑おうとしたのかもしれない。ソレイユは、ぎこちなく口の端をつりあげた。
「少し、休憩する」
ギルドの仲間の言葉を受け止めて、ソレイユはその場に腰を下ろした。それからしばらくして、ソレイユは扉を空ける決心をした。
もしも、ジユージュの皆んなや、友達のモリゾーが消えてしまったら。
もしも、プルートが消えてしまったら。
ソレイユは扉を開ける前に、もう一度だけギルドの皆んなの方へと振り返る。
もしもあのとき、プルートに本当のことを打ち明けていたら。
もしもあのとき、リュヌと入れ替わるなんてしなければ。
今の未来は、変わっていただろうか。
そんな言葉が、徐々にソレイユの脳裏に焼き付いていく。
「ソレイユ」
ーーそう、プルートに呼ばれた気がした。
ソレイユは少し空を見上げ、また記憶の世界に浸る。
「見てプルート!」
「僕の絵?」
「うん!上手く描けてるでしょ〜?」
「でも僕、こんなにカッコよくないよ」
「カッコいいよ!」
「え、えぇっ?!」
「プルートはカッコいいよ!」
「あ…ありがとう…」
あのときは、なんて恥ずかしいことを口にしていたんだろう。
「転んだの?大丈夫?」
「痛くない、もん…」
「はいはい。本当は痛いんだよね」
「ゔぅっ…プルートのバカ!」
君は本当に優しい人だった。
「君って、太陽のように笑うよね」
「えー?どういうこと?」
「そ、そんな気が、す、すす、す…」
「す?」
「す、素敵だなって!!!」
「えへへっ、ありがとうっ」
あのときの言葉、凄く、凄く嬉しかった。
「この絵本、悲しい終わり方だね…」
「うん。好きな人のために、この女の人は死んじゃうけど、それって凄く悲しい」
「どっちも助かればいいのにね」
「もしも僕らがこうなって、どちらかしか救えないなら、僕はソレイユを守って死にたいな」
「いやだ!!私がプルートを守る!!」
そうだ。私がプルートを守るんだ。
あのときみたいに、逃げ出したらダメなんだ。
あ、の、と、き、み、た、い、に。
ーーその瞬間、ソレイユの記憶の世界が、あのときに戻された。
「バイバイ。リュヌ」
ここで、完全にソレイユは意識を手放した。
地面に倒れ込むソレイユ。
それを冷たい眼差しで見つめるリュヌ。
このまま放っておけば、幼い彼女はいずれ死んでしまうだろう。
だが、リュヌはソレイユを少しの間だけ見つめたあと、静かに村の方へと戻っていった。
暫くして、森の中に朝日が差し込んできた。
湖にも陽の光が差し込み、美しく輝いている。
小鳥も鳴き始めた頃、ソレイユの瞳が薄っすらと開いていった。
「ねぇ君、大丈夫?」
聞き覚えのある声にソレイユは顔をあげる。
「え…ソレイユ?」
「!!」
そこにいたのはプルートだった。
だが、自分の名前を呼んでもらえた嬉しさよりも、こんな姿を見られたという恥ずかしさが、彼女のなかでは大きかった。
心配したプルートが歩み寄ってくると、
「っ…」
ソレイユは咄嗟に逃げ出した。
プルートから貰った帽子を、自分の胸の前でしっかりと握り締めながら。
何度もプルートが名を呼んでいたが、ソレイユは決して歩みを止めはしなかった。
「…っ、…はっ…っ…ぐすっ…」
プルートだけには、私が私であることを信じてほしい。
さっき名前を呼んでくれたから、もうそれで充分なんだ。
昨日みたいなことがプルートと一緒にいるときにも起こったら、私はもう、どうしたらいいか分からない。
ソレイユは溢れる涙を拭うこともせず、必死に走り続けた。
「レイ!!!」
この大声を聞いたのは、今日で二度目だ。
どうやらホモの声は、なぜかソレイユの脳内にはよく響くらしい。
また記憶の世界から現実の世界へ戻ってきたソレイユは、もう惑わされないと言わんばかりに拳を握りしめた。
「ホモ…、ありがとう」
ソレイユの精一杯の感謝の気持ちを、ホモは聞き逃さなかった。
「行ってくる」
そう言い終えると、ソレイユは奥の扉に手を掛ける。
だが、それをヒノマの手が止めた。
よく見れば、ソレイユの周りにはヒノマだけではなく、ホモとリュウもいた。
「セーナさんは彼らに任せて、俺たちは前へ進もう」
「なんだか楽しみだな〜!ねっ、リュウ!」
「はいはい。…まぁ俺も、実はジッとできないタイプなんだよな」
それぞれが口々に呟くと、意見を聞かないまま、彼女の手の上にホモたちは手を重ねていき、みんなで扉を掴む。
ソレイユは最後の抵抗で、ヒノマに「待っててよ」というアイコンタクトを送った。
「ソレイユさん、君の我儘を聞いてあげれるのは1日1回までだ。今日の分はもう終わりだから、あとは俺の我儘を10回聞くんだぞ」
「…っ。横暴だよ、ヒノマさん」
何かの糸がプツリと切れたかのように、ソレイユは苦笑いをした。
そして、それが合図かのように皆んなで扉を押したのだった。