34話 先輩マズいですよ
ジユージュには、ギルドが所有する寮があった。ギルド寮の家賃は月70000イブ、市場の近くにある大きな家のような建物だ。寮の管理は、花壇や庭に大量に育っているハーブごと、ヒノマがしていた。
2階建ての寮は、共同のリビングやダイニング、男女別の洗面所に風呂・トイレなどを除き10部屋ある。10人まで入居可能なこの寮に住んでいるのは、3人しかいない。
ここの管理をしているヒノマ、最近引っ越してきたエディ、そしてソレイユだ。
その日の夜遅く、ソレイユは寮に戻ってきた。
「……」
中に入る前に、ソレイユは足を止めた。
「……おかえりなさい、待ってたのよ」
玄関の前に立って、ヒノマはソレイユの帰りを待っていた。ソレイユはうつ向いたまま反応を示さない。
「温かいお風呂を用意してあるわ。ご飯も、すぐに温めるからね」
「………」
ヒノマは恐る恐るソレイユに近づいていく。一歩、また一歩距離が縮まり、ヒノマはソレイユの前に立った。
「あのね、」
「嘘つき」
ソレイユは、苦しそうに言葉を紡いだ。
「嘘つき」
「っ……」
「ヒノマさん、約束してくれたのに!俺なら絶対キミを見つけるって、そう言ったのに!!」
「すまないっ……」
「信じてたのに」
最後は、消えそうな声だった。ソレイユの目には薄暗い影がさし、光がない。
「……」
ソレイユはヒノマを避け、寮に入ろうとする。このまま帰してしまったらだめだ、とヒノマは咄嗟にソレイユの腕をつかんだ。
「触るな!!!」
ソレイユは振りほどこうと腕を引くが、ヒノマは元は体格のいい成人男性だ。ヒノマの手はピクリとも動かなかった。
「離して、やめて」
ソレイユは人を信用するのに時間がかかるが、一瞬で人を信じられなくなったり嫌いになったりする。冷たい瞳の中に強い拒絶を見つけ、ヒノマは心を痛めた。しかし、だからこそ今手を離すわけにはいかなかった。
「何やってるんですか!」
騒がしかったのか、様子を見に来たエディが慌てて駆け寄ってくる。
「ちょうどいい。エディ、その扉を押さえておいてくれ」
「はいっ」
先輩命令に忠実なエディは、わけもわからぬまま扉を開ける。ヒノマはそれを確認すると、ソレイユを抱えあげた。
「ついでに、俺の部屋のドアも開けてくれ」
「先輩、それはマズいですよ!」
「いいから!」
ヒノマはソレイユを自室に連れ込むと、バタンと大きな音をたててドアを閉めた。
「いいか、エディ。俺がいいって言うまで開けるんじゃないぞ!」
エディはひぇ、と小さな悲鳴を飲み込む。そして、真剣に通報した方がいいのかどうか考えた。
ヒノマとソレイユが会話をしていた、同じ夜、そして同じ時間帯。
ギルドの灯りがついていた。
そこには、マスター・トパスダヨ・セーナの姿が見える。
張り詰める空気の中、セーナがゆっくりと口を開いた。
「ねぇ。あの子、誰だったのかしら…」
「ホモくんたちがギルドを出たあと、偽物のソレイユさんの姿が見えなかったね…」
トパスダヨは少し気まずそうに発言した。
それに続いて、マスターも言葉を重ねる。
「まぁ、あっちが偽物だったのは確実になったわけだけど…ん?どうかしましたかトパスさん」
「…いや、目的はなんだろうかと思ってね」
「たしかに。俺たちへの攻撃が目的なら、あれだけ警戒心がなかった俺たちを攻撃するのは簡単でしたからね」
「そこを敢えてしないのは、やはりソレイユさん個人に何かあるということになるよね」
トパスダヨとマスターの会話に、セーナも同意するかのように頷く。
だが、これ以上話してもただの憶測に過ぎない。
そう思ったセーナは、二人に声をかけた。
「ともかく明日、本人から心当たりがあるか聞くしかないわね」
「口…聞いてくれるかな……ハァ」
トパスダヨの重たいため息は、その場にいた者の気持ちも重たくしたのだった。
次の日の朝。
「やだ、やめて……はなして!」
「いいから大人しくするんだ!」
ソレイユの必死な声と、やけに息の上がったヒノマの声、なぜか意味深にとらえてしまいそうな会話。寮の前で、エディは気まずそうに二人のやり取りを見ていた。
「行かない、絶対にギルドには行かない」
「そうやって君を一人にして、また偽者が現れたらどうするんだ。それに、今日は君を連れてくるようにって、マスター君から連絡があったんだから」
「絶対に嫌」
ヒノマがソレイユの手首をつかみ、強引に引っ張ろうとするのを、ソレイユが全力で抵抗する。
(先輩方、絵面は完全にアウトです)
賢いエディは、己の思考を己の中だけに留めた。
「ダメだ、来るんだよ」
「あっ」
最終手段、ヒノマはソレイユを抱えあげた。
「よし、エディ!ついてこい!!」
ヒノマは軽快に走り出す。できればついていきたくないが、そういうわけにもいかなさそうだ。エディは困った顔のまま、ヒノマの後を追った。
力こそパワーのヒノマと、スタミナお化けのエディは、スピードを落とさないまま市場を駆け抜ける。
しかし、ソレイユは大人しく連行されるだけのタマではなかった。
「……やめてって言ったのに、無理矢理こんなことしたのはヒノマさんなんだから」
ボソッと耳元で恨みがましい声がして、ヒノマは嫌な予感がした。何をするつもりだ、と質問するよりも前に、ソレイユは大きく息を吸い込んだ。
「助けてください!!!殺される!!!!」
かつて、これほどまでにソレイユが大声を出したことがあっただろうか。ヒノマの左耳がキーンとした。
「ちょっ、ソレイユさん!何てこと言うんですか!!」
「誰か助けて!誘拐です!!」
「ん″ん″っ、静かにしなさい!」
ヒノマはソレイユを黙らせるべく、大きな手で口を塞ぐ。
「んーっ、んんーーーっ!!」
その結果、事態は悪化した。町の人たちはザワザワとヒノマたちを見ている。「やだ、何あれ」「人さらいか」「ってゆーか、あれジユージュのヒノマじゃね?」町の人たちが話しているのがきこえた。
「ヒノマさん、これ……」
「言うな、何も言うな」
「これ、通報案件ですって!!!」
ヒノマは静かに首を横に振った。ガラス玉のような瞳は、何かを悟ったかのように虚ろに輝いていた。