31話 祭の後
チリンという小さな風鈴の音が無数に重なり、複雑に絡まり反響する。新雪の上に建った稲荷神社の縁に、マスターは腰掛けていた。金木犀の香りが漂い、桜吹雪がマスターの頬を撫でる。
ここは、とある神の世界だ。
『祭のあとは哀しいな。ガランとして、物音一つない』
神域の主が本殿の中から出てきて、マスターの背に声をかけた。
「……そうですか?」
マスターは律儀に振り返ると、しばらく考えてからそう答えた。神域ではいつものふざけた顔をしたキツネの面はつけておらず、マスターの顔全体が露になっていた。
『ああ。全身が懐古に震え、腹の底で感傷に浸るようでな』
言葉とは裏腹に、神の顔を覆う伝統工芸品のような狐面は、虚無的な笑みの表情を崩さない。マスターは首を傾げた。
「そんなものですかね」
『だが、悪くない。私は祭りのあとの物悲しさや寂しさが嫌いではないぞ』
「そうですか」
『大魔導演武とやら、大儀であった』
「ありがとうございます」
それっきり、一人の人間と一人の神は何も話さなかった。マスターは神の方を向いていたが、目は伏せられている。互いにとって、この沈黙は嫌なものではなかった。
神は美しい所作でマスターの前に腰をおろす。白くて長い指をマスターの頤にかけ、顔を上に向かせた。至近距離で見つめあう体勢になったが、マスターは抵抗しなかった。
外した狐面で、自分とマスターの顔を隠すように影をつくる。恐らく、仮面の向こう側で二人の唇が重なった。
狐面を元に戻した神は、ため息混じりに囁いた。
『圭祥、悪い男に引っ掛かるでないぞ』
「今のところその予定はありませんね。むしろ、俺自身が悪い男だと言われたことがあります」
『ほぅ』
「結婚したら奥さんに2ヶ月で逃げられるタイプ、らしいですよ」
マスターの言葉をきいて、神はクスクスと笑った。
『なるほど、違いない。だが……』
神は手を伸ばし、マスターの肩をトンと押す。その力に従い、マスターの体は簡単に倒れた。マスターの体に跨がり、神はきっと虚無的に笑った。
『私は逃げもしないし、逃がすつもりもないぞ』
「そうみたいですね」
マスターの真っ黒な瞳が、スッと閉じた。