2章-4話 昏睡する少女
裕也は、つい先ほどまで、ルシファーに対する警戒心をすっかり薄めてしまっていた。自分の甘さを今更になって嚙み締める。仮にも相手はアストレア王国との戦争の渦中にいる身だ。
いくらフランクな話し合いを持ちかけてきたと言っても、それだけで警戒を解くなんてどうかしている。本来ならば、慎重になりすぎるぐらいに身構えて接してもいい相手である。
「・・リーアに何をした?」
ルシファーは、これまでの裕也への対応と何ら表情一つ変えることはなく、話を続ける。
「なに、死にはしないさ。君も先ほど味わっただろう?俺は周囲の人物の自由を、自分の意志一つで奪うことが出来る。さすがにジェシカやハルト君級の相手には効かないだろうが、君らをコントロールするぐらいなら容易い」
「リーアの身体機能の自由を奪ったってことか。だが何故だ。ついさっきまで、お前はそんな素振り見せなかったはず。演技とも思えん。なぜこんな真似をする?」
「言っただろう。俺は君が欲しくなった。これはただの脅しだ。君がわが軍に入らないのなら、リーアの命はないというね。昔からあるシンプルな方法だが、君のような人間には効果てきめんだろう」
こうしている間にも、リーアの顔色はみるみる青くなる。裕也はリーアを両手で救い上げるように、そっと拾い上げると、自分の胸に抱きかかえる。
「ルシファー、繰り返しになるが、俺は本当に実力者なんかじゃないんだ。おまえの軍に加わっても、役に立つことなんか何一つない。自分で言ってて悲しくなるが、それは事実だ。この場を逃れるための言い訳なんかじゃない」
「君は自分を過小評価してるよ。ジェシカやハルト君の、君への接し方を見ればわかる。ああ、グラスが空になってるじゃないか。もう一杯飲むといい」
ルシファーが裕也のグラスにエール酒を注ぐ。酒などどうでもいい。裕也はルシファーの手を振り払う。瞬間、電気ショックを受けたような衝撃が裕也に襲い掛かる。
あたり一面に雪が降り積もっている。神殿のような建物が、正六角形の形をした巨大な広場の各頂点にそれぞれひとつずつ、計六つ立てられている。そのうちの一つの建物にルシファーと、長い銀色の髪と青い瞳を持つ美しい女性が向かい合っていた。
「だめだ、姉さん。思いとどまってくれ。第一そんなことしたら、ルーシィはどうなる?」
「あなたにお願いするわ、ルシファー。もう決めたことなの。あなたは何も知らない普通の人生を送って。ルーシィはいい子よ。仲良くしてあげてね」
シルヴィアの体に氷の粒がまとわりつく。粒は次第にその体積を拡張させていき、やがてシルヴィアの体をすっぽり覆い隠す程の大きさとなった。ルシファーはシルヴィアの氷の棺の前にしゃがみ込んで、両手を地面につけて姉の名を叫び続ける。
「姉さん、待ってろ。必ず救い出して見せる。たとえ悪魔に魂をうってでも」
突然現れたビジョンはだんだんと薄れていき、裕也は自分の意識を取り戻した。今のは、ルシファーの記憶?映像の中でみた女性は、ルシファーの姉、そしてルーシィの実の母親。
裕也はルシファーを改めて観察する。見たところ、そんなに年を取ってるようにも見えない。名前を聞かなければ、ごく普通の酒場の客となんら変わりはない。この男がどんな思いを抱え、何を目指しているのか。正直、どうでもいい。
だが、ルーシィの母親、シルヴィアだけは助けてやりたいと思う。冷たい氷の檻から解き放ち、ルーシィをその手に抱かせてやりたい。ルーシィだって、まだまだ母親に甘えていい年ごろだ。そのために裕也が出来ることは・・
まったく、めんどくさがりのはずの自分が、こちらの世界に来てから、いちいち調子が狂う。裕也はリーアを胸に抱きかかえながら、ルシファーを真正面から見つめる。裕也の瞳に、もはや怯えや戸惑いの色はなくなっていた。
「ルシファー、協力してやってもいい。だが、そのまえにまずリーアを解放しろ」
「ほう、さっきまで、おどおどしていた者が、どんな心境の変化だ?酒が効いてきたのかな?」
「リーアを解放しろって言ってんだ。おまえ、俺の身の安全は保障するって言ってたよな?ジェシカにそう言われたからじゃないのか?」
ルシファーは歯嚙みする。裕也の言う通りだ。だが、それを知られたからってどうなる?むしろ、今までの話の流れからすると、推測できないほうが難しいことじゃないか。
「ああ、そうだ。だから、君には危害を加えてないだろう」
「その発想が、間違ってるんだっての。ルシファー、おまえは俺に危害を加えている。リーアはな、俺の、いわば体の一部みたいなもんだ。リーアを苦しめるってことは、俺を苦しめてるのと同じことなんだよ」
まったく体を動かせないはずのリーアの目から、一滴の涙が零れ落ちる。
「どうすんだ、ルシファーさんよ。あんたがその気になりゃ、俺たちなんて簡単に切り捨てられるだろ。好きにすりゃいいさ。だが断言するぜ。俺たちを殺せば、ジェシカは、確実にあんたに報復する。そして哀れなお前の姉は、永遠に冷凍庫暮らしだ」
ルシファーはため息をつくと、指を鳴らす。リーアの痙攣が収まり、顔色が元に戻っていく。
「解放したぞ。次は謝罪でも要求するかね?調子に乗って君の脅しがどこまで通用するか、試してみるといい」
「お前の姉貴を助けた後でな。だが今日はこれでお開きだ。俺もリーアもいろいろあって疲れた。ジェシカにはおまえから話しておけよ。明日の朝になったら、馬車でも寄こしてくれ」
裕也は、動けるようになったリーアを、それでも手から放そうとせず胸に抱きかかえたまま、自分の部屋に戻っていった。
「マスター、ボク・・」
「ばーか、何も言うな。俺だって照れくさいんだ。さっきのことは忘れろ、いいな。とっとと寝るぞ」
「お腹すいた」
「なに?」
「マスター、ボク、お腹すいたよー」
は?なに、今の展開って、そういう話の流れだっけ。いや、そりゃさすがに、いきなりラブコメ展開とか期待しても、無駄かもしんないけどさ。多少は、うるうるした瞳とか、甘い言葉とかあってもよくない?なんかおかしくないか?
「リーアにその手のこと期待した俺がバカだったよ。もう知らん。寝る」
裕也はふてくされて、ベッドに入る。リーアは、早くも寝息を立て始めた裕也の胸の上で胡坐をかき、裕也を見つめて、小さくそっと呟く。
「今回ばかりは、バカじゃないよ。マスター・・」
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翌朝、ハルト達が出発してから、しばらくして時間がたったのを見計らって、裕也はルシファーの用意した馬車に乗り込んだ。目指すは、アストレア軍の本拠地。
「なぁ、ルシファー。何度も言うが、俺に戦争で功績をあげることを期待しているなら、絶対無理だからな。敵がハルト達だからとか、そういうレベルの話じゃない。たとえ相手がただの雑兵でも、かすり傷ひとつ与えられずに負ける自信があるからな!」
裕也の弱気全開の発言に、リーアが腕を後ろに組んで欠伸しながら、ジト目を返す。
「あーあ、昨日の格好よかったマスターはどこに置いてきちゃったんだろ。ボク、こんなマスター持っちゃって、悲しいよ・・」
「なんだ、リーア。お前昨日は、涙流しまくりで感激してたじゃねぇかよ」
「流しまくった覚えはないんだけど・・。いっそ、ルシファーとマスター契約すればよかったかな。イケメンだし、姉さん思いだし」
「ああ、そうかよ。好きにしろ。俺もこんな小うるさい羽虫女、いなくなってくれて清々するよ」
「羽虫女って言った! 今、羽虫女って言ったぁ!どうやら、マスターにはボクのきつい教育が必要みたいだね・・」
リーアは腰に手を当てて、裕也の発言に猛反発する。リーアの掌の上で、火の玉が作り出された。玉は見る見るうちに大きくなっていく。
「バカよせ、リーア。馬車の中だぞ。そんなもん放ったら、みんなで仲良くあちらの異世界、略してあの世に永遠の旅立ちだ」
「大丈夫だよ、マスター。ボクだけすぐに逃げるから。やばいなんか楽しくなってきた。んふふふ。ボクを怒らせたこと、地獄の底で後悔するがいいわ。マスター、覚悟はいい?」
どこの悪役だ。それもラスボスとかじゃなく、適当なタイミングで主人公にやられる、典型的な子悪党のセリフだ。裕也はとりあえず、拳を軽く握って、リーアの頭に振り下ろす。リーアは両手で頭を抱えて、裕也を睨みつけてくる。そんなやりとりにルシファーが吹き出した。
「くくっ。君たちこれから戦場に行くんだぜ。自覚症状はちゃんとあるんだろうな?」
・・なんてことだ。俺らの中でルシファーが一番まともだ。いや、違う。そもそもルシファーが軍に加われとか、わけのわからないことを言い出さなければ、俺は今頃、アストレア観光を楽しんでいられたはず。
マルクの一件を解決したの、実は俺なんです、とか言えば、きゃー、裕也さん、素敵、抱いて!とか、大勢のアストレア女子たちが詰め寄ってきたに違いない。まあ、マルクの件を解決したのは、ハルト達や、彼の演奏を楽しみにしてた街の皆であって、俺はほんの少し手助けしただけなんだが。
それにしたって、何が悲しくて、物騒な戦場なんかに、向かってるんだ、俺は。くそっ、ルシファーの記憶の片鱗なんか見て、柄にもなく格好つけてしまった昨日の自分を殴り飛ばしてやりたい。
「そういえば、ルシファー。ジェシカとはちゃんと話できたのかよ?」
「ああ、おかげさまでな。もっとも、君がわが軍に加わったと言ったら、どんな脅迫したんだとか、裕也に何かあったら俺の命はないとか、散々だったよ。六大魔女にそこまで言わせるなんて、君は一体何をしたんだ?」
「・・ちょっと、教会で墓参りと結婚式をな」
裕也の発言に、首をかしげるルシファー。対して、平静を装う裕也だったが、内心はジェシカが自分のことを思う発言をしてくれてたことに、その場で踊りだしたい気分だった。
最近の自分はなかなか女運がいい。クレアといい、ジェシカといい、見た目は全く申し分のない、とびっきりの美女だ。すぐそばにも羽の生えた小さな女がいるが、昨日の一件から、リーアにその手の感情を抱くのはやめようと心に誓っていた。そういったところが、裕也が鈍感たる由縁であり、恋愛で損をしている一因なのだが・・
裕也たちを乗せた馬車は、二日ほどかけて、ルシファー軍の本拠地へとたどり着いた。アストレアにいたときは、未開の部族との戦争と聞いていたため、野原にテントでもはっているのかと想像していたが、とんでもない。
アストレア城下町にはさすがに劣るものの、それでも十分に立派な街並みが出来上がっていた。ところどころ、まだ建設途中の箇所があるが、街の住人達も活気があり、通りに並ぶ店からは、威勢の良い掛け声が飛び交っている。
「なんか、聞いてた話と随分違うぞ。この世界にはネットとか、TVとかないしな。ニュース、というか報せはあっても、自分の目で見るまでは、正確な情報は分からないか」
「マスター、ネットとかTVって何?」
「ああ、いや、こっちのこと。気にしないでくれ。それよか、せっかく新しい街に来たんだ。ちょっと、散歩していこうぜ」
「いいね。ボク、大賛成。ねぇ、あっちの店から、鳥串焼きの匂いがするよ」
そのまま駆け出そうとする裕也の腕をすかさずルシファーが掴む。
「まずは我が軍の本部に来てもらおう。あとで暇を設けてやる。街の散策はそのときにするがいい」
残念がる裕也とリーアだったが、ルシファーに連れられ、街の奥にあるルシファー軍の本部へと向かう。さすがに城とまではいかないが、片田舎の領主の館ぐらいはある、質素だがしっかりした造りの建物が裕也たちを迎え入れてくれた。
これなら、ご馳走だって期待してもいいんじゃないかと、吞気に構えていた裕也だったが、遠くから息を切らして駆け寄ってくる足音によって、突然状況は一変した。血相を変えた一人の兵士が青ざめた顔で告げる。
「ルシファー様、大変でございます。ニース様が突然、お倒れに・・」
ルシファーは裕也たちを兵に紹介する間もなく、すぐにニースの部屋に向かう。裕也たちも慌てて後に続く。
「ニース、大丈夫か?」
ベッドには、長く美しい青い髪を持った少女が寝かされていた。意識はないようだが、かなりの汗をかいており、苦しそうな表情を浮かべている。
「何があった?いつから、ニースはこんな状態になったんだ?」
ルシファーはすぐ側に控えていた、兵士にこれまでの冷静さを忘れたかのように、焦り問いかける。だが、解決を期待するような返事はなかなかかえってこない。
「それが、突然お倒れになりまして。最初はただの風邪かとも思ったのですが、意識がなかなか戻らず、どうしたらよいものか、手をこまねいておりました」
ルシファーはニースの肩を揺り動かすが、ニースが目覚める気配はない。ただ辛そうに何かにうなされていた。あまりに大量の汗をかいていたため、裕也は思わず持っていたハンカチでニースの額の汗を拭いた。瞬間、またもや電気ショックを受けたような衝撃が裕也に襲い掛かる。
どこまでも続くかに見える長い螺旋階段。階段の途中で、ニースと長い銀色の髪の女性が向かい合っている。銀色の髪の女性には見覚えがあった。ルシファーの記憶を読み取った時に見た、ルシファーの姉シルヴィアだ。ルーシィの母親でもある。
「お願い、思いとどまって、シルヴィア。あなたがそこまでする必要はない。あなたがいなくなるなんて耐えられない・・」
「ありがとう、ニース。あなたにそんな風に思ってもらえるなんて嬉しい。でも、これは私がやらなきゃならないことなの。ルシファーにはまだ言わないであげて。あの子はとても優しい子。きっと、反対するに決まってるから」
「当たり前でしょ!私だって、大反対よ。絶対おかしいよ。なんでシルヴィア一人が、そんな辛い思いしなくちゃならないの?」
「いいの。私の身一つで、みんなが救われるなら、お得な買い物じゃない。悪魔のお嫁さんになるなんて、普通じゃ、絶対に味わえない経験も出来るんだし。そうだ、ニース、これをあなたにあげる」
シルヴィアは、螺旋階段を上っていく。ニースは追いかけようとするが、突如ニースの目の前の階段が崩れ落ちていき、それ以上前に進むことが出来ない。ニースはシルヴィアから渡されたものを見る。赤い宝石をつけたペンダント。ニースはそれを手に抱きかかえる。
だんだんと映像が薄れていく。裕也はゆっくりと目を開ける。リーアが心配そうに裕也の顔をのぞき込む。
「マスター、どうしたの?顔色悪いよ、大丈夫?」
「あ、ああ・・。悪い、心配かけた。もう大丈夫だ」
「やれやれ、君も体調不良か。一体どうなってるんだ、流行り病でもあるってのか・・」
ルシファーまでもが、裕也を心配してくれていたらしい。黒猫亭での出来事が嘘のようだ。裕也は頬をぼりぼりかきながら、ルシファーにそれとなく訪ねてみる。
「なあ、ルシファー。おまえさ、こんな形のペンダント、どこかで見覚えないか?」
ニースのベッドわきに置かれていた紙に、映像で見たものを書き表す。だが、ルシファーには心当たりはないようで、首を横に振るだけだった。
「なんなんだ、それは?気になるなら、兵たちにも聞いてみようか?」
「ああ、そうしてくれ」
裕也はルシファーの質問に後半部分だけ答えると、腕組みして考える。先ほど見た映像ではシルヴィアは悪魔の嫁になると言っていた。シルヴィアは今、悪魔の子の母親と呼ばれ、街の人々から悪い意味で有名になっている。そして、シルヴィアの娘であるルーシィは悪魔の子と蔑まれている。
悪魔を文字通り、悪魔ととらえるのか、それとも何かの比喩のようなものなのか。・・だめだ、考えてわかるようなことじゃない。
「とりあえず、俺たちは他にそこの少女、ニースだったか?助ける方法をあたってみる」
「マスター、助ける方法ってなに?ただの風邪とかじゃないの?」
「おそらく違う。といっても、じゃあ何なのかと聞かれても答えられないんだけどな。とりあえず情報収集が先だ。ルシファー、俺たちは戦争に直接参加するより、この手の問題にあたるほうが力になれると思う。街で聞き込みしてきていいか?」
「おまえはよくわからん奴だな。いや、頼りになりそうなときと、全くあてにできんときのギャップが激しいと言うべきか。いいだろう、好きにやってみればいい。だが、悪いが監視役をつけさせてもらう。こちらの情報をハルト君たちに伝えられるのは面白くないんでな」
「マスターはそんなことしないよ。なにさ、自分で誘って、ボクたちをこんなとこに連れてきたくせにさ」
リーアの言うとおりだ。裕也は心の中で毒づくが、なんだかんだ言って、ここまできてしまったものは仕方ない。しぶしぶ了承することにした。もっとも裕也やリーアが断ったところで、ルシファーに抵抗する力などないのだが。
「話は聞いたな。アクアとエリスを呼べ」
ルシファーは近くにいた近衛兵にそう命じると、ニースの顔色を心配そうにのぞき込む。ほどなくして、二人の少女が部屋に入ってきた。髪の色こそ、水色と黄色でわかれているが、ショートカットの髪型から顔の造りまでまったく同じ。一卵性双生児かと思われる。
二人ともルシファー軍で正規の兵に与えられているプレートメールの鎧を身に着けている。アクアは青い球を先端にはめたロッドを左手に持ち、エリスは棘のついた鞭を腰に装備していた。
「ルシファー様、このアクアをお呼びでしょうか」
「ルシファー様、エリスをお呼びいただき、ありがとうございます」
双子の姉妹は、動きをそろえてルシファーに敬礼する。まるで訓練されたような、二人の統一された動きに、裕也は思わず感心した。
「ご苦労。早速だが、二人には、私の客の護衛を頼みたい。裕也とその使い魔リーアだ。裕也、紹介しよう、水色の髪がアクア、黄色の髪がエリス。二人とも私の信頼する従者たちだ。仲良くやってくれたまえ」
アクアは裕也を一目見ると欠伸をしながら気だるそうに空返事を返す。一方、エリスは裕也をじっくりと値踏みした。正直、あまり頼りなさそうな顔つき。本当に自分たちが監視と護衛をする価値のある人物なのだろうか。
突然、エリスは腰に着いた鞭を裕也めがけて一閃する。裕也は、いきなり仕掛けられたエリスの攻撃に反応することすらできず、衝撃で弾き飛ばされる。
「なにこいつ、全然弱いじゃん。ルシファー様、なんでこんなやつの護衛を私たちに?」
エリスは今の一撃で、裕也に対する興味をなくした。くだらない人物なら、護衛や監視の任務などする必要はない。アストレア軍の脅威は日に日に大きくなっている。他に優先してやるべきことは、いくらでもあるはずだ。
エリスは一息つくと、鞭を腰元のホルダーに片付けようとし、違和感に気づく。腰に身に着けている、鞭をしまっておくホルダーが無くなっていた。
「はい、マスターにあげる。どうするこれ、燃やしちゃう?」
「いや、さすがに可哀そうだろう。意地悪しないで、返してやれよ、リーア」
腰に身に着けていたはずの鞭用のストックホルダーはリーアが持っていた。裕也はゆっくりと起き上がると、リーアからホルダーを受け取り、エリスに返す。
「ほら、大事なもんなんだろう?今度はしっかり、腰に結び付けときな」
エリスは顔を真っ赤にして、ホルダーを取り返し腰元に結び付ける。
「あーあー、エリスってば格好わるーい。裕也さん、リーアさん、ごめんなさいね。不出来な妹が粗相しました」
アクアが茶化すと、エリスはますます顔を赤くし、アクアや裕也から目を背ける。
「くくっ。エリス、もういいだろう。しっかり頼むぞ。アクアもな。俺はそろそろ会議の時間だ」
ルシファーは部屋を後にし、裕也とリーアもそのまま街へと向かう。アクアとエリスは慌ててそのあとを追いかけていく。
それから、裕也たちは半日ほどかけて、街の人々に奇怪な病や、人が突然倒れるといった事例、あるいは類似の呪いなど、思い当たることを聞いて回った。しかし、なかなか思うような収穫は得られない。酒場、道具屋、薬屋、魔法ショップ、教会など、様々な場所に行ってみたものの、めぼしい情報は見つからなかった。
「どうしますか、裕也さん。まだ聞き込み続けます? エリスはどう思う?」
「ふん、どうせ最初から考えなしに行動してたんだろう。とんだ時間の無駄遣いだ。帰ろうよ、アクア姉さん」
アクアとエリスから、これからの行動を問われるが、裕也も途方に暮れていた。ニースの記憶を読み取った時には、ニースがただの病気なんかじゃなく、もっと別の何かによって、倒れたという確信が何故かあった。
だが今思い返すと、それは只の直感に過ぎない。本当はただの風邪なんじゃないかという思いが、今更になってこみ上げてくる。
「マスター、どうする?」
リーアも心配そうに、尋ねてくる。これ以上、みんなの時間を無駄にするわけにもいかない。
「俺の見込み違いだったかもしれない。ニースの部屋に戻ろう」
意気消沈する裕也をみて、エリスは鼻をならす。リーアは上手くいかないこともあるよと慰めてくれるが、気が重い。下を向きながら帰り道を歩いていると、一人の老婆が裕也に近づいてきた。
「これ、お前さんたち。占いはいかがかね?見たところお困りの様子。これも何かの縁。普段の二割引きで、占ってやるぞえ」
占いか・・当てにしたことなど一度もないが、どうせ何の方針も持ててないんだ。占いが外れたとしても、今より状況が悪くなるわけでもない。裕也はほとんど投げやりに、老婆の誘いにのってみることにした。
「ふむ。ニースという娘、病にかかっておるようじゃ」
やっぱり只の体調不良じゃないか。エリスは得意げになって、裕也を見下す。だが、そんなエリスの言葉を否定するように、老婆は首を横に振った。
「只の病ではない。魔竜グスターの瘴気を受けておる。どうやら病はすぐには発症せず、潜伏期間があったようじゃ。この娘は、最近までどこかに捕らわれの身となっていたらしい。そのときに浴びたグスターの吐息が、今頃になって娘の体を蝕んでおる」
占い師から言われた内容に、真っ先に反応したのはリーアだった。裕也も最初にリーアに出会った頃を思い出す。リーアは当初、グスターに不本意な生贄にされるのを恐れて、逃げ出したと言っていた。
「魔竜グスターって言った?ボクがもしかしたら、生贄に捧げられてたかもしれない、魔竜・・こんな場所で、その名前を聞くなんて・・」
「心配するなよ。リーアを生贄になんて、絶対させないさ。それより、婆さん。ニースの病を治す手立てはあるのか?」
「ここから馬車で東に二日ほど行った先に、エレンの洞窟と呼ばれる迷宮がある。その迷宮の奥に咲く、デキアの花の実をすりつぶして飲ませれば、グスターの瘴気は娘の体内から消えるはずじゃ」
ほう、要はダンジョン探索ってことだよな。異世界に来て初めて冒険らしい仕事になりそうじゃないか。っていうか、今まで、なんだかんだで色んな問題事に向かい合ってきたけど、そもそも俺の肩書というか、役割ってなんかあったっけ?
いや、別に魔王討伐~とか、世界を救う~みたいなメンドクサそうなことは、一切やる気ないけどさ。それでも、やっぱり迷宮に挑戦ってやってみたかったんだよな。
このまま、ニースのもとに帰ったって、危ない戦争に参加させられるだけだし、下手したらハルト達と戦う羽目になるかもしれない。
だいたい俺が助けたいのは、ルシファーの姉シルヴィアであって、シルヴィアを、ルーシィに会わせてあげるためにここに来たんだ。ルシファーの戦争なんて、正直どうでもいい。というか、戦争なんか巻き込まれたくない。面倒くさいうえに危険なだけだ。
それにそもそも、双方の国の内情や政治事はしらないが、個人的な友好関係で言えば、俺はハルト達の味方だし。うん、同じ危険な目に遭うなら、絶対ダンジョンだよな。
老婆の言葉に思わず胸躍らせる裕也に、水を差すように、アクアとエリスが突っ込みをいれてくる。
「本当に、占いなんてあてになるのかしら?」
「このまま、真っ直ぐに帰りましょう」
裕也は、そのまま立ち去ろうとするアクアとエリスの腕を掴み、真剣なまなざしで二人を見つめる。
「いや、エレンの洞窟に向かう。いいか、たとえ可能性が低くても、目の前で苦しんでいる少女を助ける一縷の望みがあるのなら。どんな事情があろうとも、俺には放っておくことなんて出来ない。二人が帰りたいというなら、勝手に帰ればいい。俺はたった一人でも、今も苦しんでいる少女を救うための行動を優先する」
都合のいい発言を、真剣な表情で話す裕也だったが、リーアはすぐに同調してくれた。
「マスター・・そこまで、ニースさんのことを・・。マスターを一人になんて出来るわけない!当然、ボクも一緒に行くよ」
流石はリーア。こういう時は頼りになる。裕也はそれはもう大袈裟な演出でリーアを抱きしめる。
リーアは、裕也の本心など当然見抜いている。見抜いてはいるが、リーア自身もまた、戦争なんて七面倒くさいだけだし、ダンジョン探索の方がよっぽど面白そうという、裕也と全く同じ考えを持っていた。今、裕也とリーアの心は、完全に一つとなっている。
「なんか、すごくわざとらしいんだけど、気のせいかしら、エリス」
「きっと、気のせいじゃないわ、アクア姉さん」
その後、裕也とリーアは時間をかけて、時に熱い涙で訴え、時に過剰なまでに褒め殺し、訝しがる双子の姉妹をなんとか説得し、念願のダンジョン探索へと旅立った。




