肉食獣な彼女
「どうしてくれるのよ!」
「…………」
物凄い形相で声を荒げ、剣幕も露わに詰め寄ってきた少女に。
ネクタイを引っ張られたままぱちぱちと目を瞬いてしまう。
なんでこんな事になってんだ?
ここはほら。そうアレだ。
涙ながらに感謝して、抱き付いてくる場面じゃないのか?
ガラの悪そうな三人組に路地裏に引き込まれそうになっていた、女の子を助けたんだから。
そんな事を片隅でちらと考えていたのがバレたのか、怒りの視線が冷やかなものへと変わり。
「感謝なんてする訳ないでしょ。馬鹿じゃないの。ーー末代まで祟り、恨み殺してやりたいくらいだわっ!」
「なんでだよっ!?」
あまりの言われようについ反論を返すと。
ギンッ! と睨み上げてきた色素の薄いその瞳にみるみる涙を溜め。
彼女は泣きながらこの世の終わりみたいな悲しげな声で、これでもかと叫んだ。
「半月ぶりの、マトモな『ご飯』だったのにいぃ〜〜っ!!」
「はああぁっ!?」
それに負けず劣らず俺は。
思わず叫び返したのだった。
この世界には……いやハザマと名のつく所には『ふいに隣り合う異世界』が存在する。
ふと踏み出した一歩。ドアを開いたその先。夕暮れのひと時。裏路地の闇間ーー
そこここの「間」に踏み入ったり開いた時。隣り合う異世界への道が開かれる。
ここ招環区狭間町もその一つだ。
ふと人がいなくなったり◯年後に当時の姿のまま現れたりなんて事、一部ではよくある話。
そう。誰も彼もが隣り合う異世界に触れられる訳じゃない。
極々一部の者のみが垣間見れるものらしい。
曖昧な言い方になるのは俺こと狭間透の周りには、そういう現象が当たり前な奴らばかりが傍にいるせいなのだが……
「ちょっと聞いてるの!?」
ふいに声をかけられハッと我に返る。
学校帰り、いきつけのチェーン店の一角。
隅の席に陣取って注文した品の載ったトレイを持ってやってきた彼女の、そのあり得ない量の多さにあんぐりと口を開けた所から記憶がなかった。
ぺいっとテーブルの上に捨てられた、スッカスカの俺の財布を内ポケットに仕舞いながら。
「悪かったと思ってるよ。だからこうして食いっぱぐれたメシを奢ってんだろ。それよりただでさえ目立ってんだからちょっとは自重してくれよ」
「? 目立ってる? 何が? あ。もしかしてこの量の事? ーー言っとくけど。これっぽっちじゃ全然足りないんだからね」
背を低くこそりと呟いた俺に、包みを開いたバーガーにかぶり付きながらの彼女がそう言う。
いや山積みになったバーガーの量も確かにそうだけどと俺は突っ込みかけたが、無頓着にも程があると逆に呆れその場に脱力した。
彼女、日渡遙は全くと言っていい程、自分の美貌に気が付いていなかった。
陽に透ける微かにオレンジの長髪。今は白梅だが、感情が昂ぶると緋色に輝く切れ長なその瞳。桃色の唇。華奢なようでいて凹凸のバランスは文句の付けようがない黄金比率で、制服の袖やスカートの裾から覗く四肢は白く、路地から伸びる夕影の中淡く輝いて見えた。
明らかに唯人ではない美貌にすれ違う人達が皆振り返る。
こんな美人、同じ学園にいるなら知らない訳はない。
特に俺の通う学園狭間高等学園は一学年に一クラス、四十人弱、教員生徒合わせて僅か百五十人足らずの少数学校なのだから。
それに加え思春期の男子高生の情報網は雷光より早い。飢えている狼がこんな逸材逃す筈ない。
だが俺は今日会うその時まで、彼女の存在を知らなかった。
それに異世界人を見分ける俺の目が、彼女がそうだと告げている。異世界人だと分かるその印が、うっすらと視えているのだから。
と、いう事は。
「アンタ……いや日渡サンは、最近この町に来た『異世界人』なんだよな?」
ダブルバーガーの美味しさに涙まで浮かべて感動しきっていたクセに、アンタ呼ばわりに思いっきり睨んできたので慌てて言い直した俺に三十強はあったバーガーを全てたいらげ、綺麗に手を合わせごちそうさまと呟いてから。
「『異世界人』だなんてセンスないわね。「渡り鳥」「トラベラー」相応わしい呼び方は、幾つかあると思うけど?」
「ほっといてくれ。この際呼び方はどうでもいいんだ。そうなのかそうじゃないのか。それが重要なんだ」
気の短い男はモテないわよ、と。肩まで竦めながら息を吐き。
彼女、日渡遙は白梅の中に緋色の輝きを帯びさせながら目を細めて囁いた。
「人を『食べる』なんて人間が唯人だなんて、本気で思っているの?」
妖しく微笑んで告げられたその言葉に。
俺は頰をこれでもかと引きつらせた。
「……マジなのか」
色んな意味で居たたまれなくなり、二人店を後にして。
帰宅の途につく道すがら、ついといった感じで呟いた俺に。
「異世界人だって事が? それとも人を食べるって事が?」
前を歩く彼女が振り返り、律儀に聞き返してくる。後者の方です……と、思っていたのが顔に出ていたんだろう。にんやりとした彼女が踵を返し俺にぐっと詰め寄った。
「っ!?」
いきなり至近に迫った美女のどアップに身を強張らせ、一歩後退した姿勢で静止した俺の。首筋に顔を寄せるとスンっと鼻を動かした後。
べろりと。
徐に、首筋を舐めた!
「ぎゃああぁ!?」
背筋に走った悪寒に素っ頓狂な声を上げ。その場に尻もちをつき煩い心臓の音を聞きながら、なんとか声を絞り出す。
「な、なっ……何するんだよっ!?」
舐められた首筋を押さえ彼女を見上げて言うと、愉しげに目を細め彼女は呟く。
「貴方が私の。半月ぶりの食事を台無しにしたんだもの。代わりに食べられたとしても、文句は言えないと思うけど?」
ゾッ、と背筋が凍りつく。
それは比喩でもなんでもないんだろう。
小さな口の中に収まるとは思えない、長くざらりとした舌を確かに先程見たのだから。
冗談じゃない!
そうは思えどここまで明確な命の危険に陥った事のない俺の身体は、指一本動く気配はない。
境遇ゆえ幼少期から異世界に迷い込んだり状況によって喧嘩慣れしてはいるものの、印を視る目や幼馴染等の助けもあり死に直面する、なんて事は今の今までなかった。
こつり。ローファーの底を鳴らし、彼女が一歩近づいてくる。
ギクリ、肩を震わせる。
そんな俺に笑んだまま、彼女がすぅとその手を伸ばす。
「!」
丁度その時。
夕日がビルの際にでも入ったのか、俺と彼女の間が明と暗にくっきりと分けられ。
色濃い影の中彼女の異形がずるりと蠢き、緋色の瞳を煌めかせ同色のその前脚が。
動けない俺の左胸に翳された途端。
「ぐっ!?」
激痛が走り意識がぐらりと遠のく。
オレンジ色のコンクリがスローモーションで近付く中、響く声。
『ただ貪るだけだなんてつまらないわ。だから「呪い」をかけてあげる』
『じわじわと身体を蝕む呪いを』
『明朝から日没まで期限は一週間。それまでに、そうね。私に一発でも攻撃を入れられたら貴方の勝ち。呪いを解いてあげるわ。でも逃げ切れたなら私の勝ち。その時はおとなしく食べられてね』
くすくすとした笑い声はまるで悪魔の宣告のようで。
ま、待ってくれ。そう思いながら動かない手を必死に彼女に伸ばすけど。
『精々私を楽しませる事ね』
そんな言葉を残して、彼女が夕闇にふわりと溶け消えていくと同時に。
俺の意識もブツリと切れた。
「!」
ハッと意識を取り戻し、飛び起きると。
「うわ、びっくりした!」
すぐ側で上がった声に心臓を跳ねさせそっと其方を見やると、そこに幼馴染みの姿があった。
「久遠……おどかすなよ」
「驚いたのはこっちだよ透! 道端で倒れるなんて」
「へ?」
「目を覚まさないんじゃ、ないかって……」
ぼろり。久遠の空色の瞳から大粒の涙が溢れ落ちる。
ヤバい。俺に全くその気はなかったが泣かすような事をしてしまった。慌てる。
「だ、大丈夫だって。俺はちゃんと、目を覚ましただろう?」
久遠は断じて男だが女の子みたいな可愛い顔に、ふわふわの蜂蜜金髪とこぼれそうな空色の瞳が、西洋人形みたいで可愛いと近所や学校の(主に女子)に人気な美少年だ。
体型が小柄で華奢なのもそれに拍車をかけている。
可愛い外見とは裏腹に頭脳明晰で物腰も穏やか。対応も紳士的な上料理も出来るとくれば、もう完璧だとしか言いようがない。
至導久遠。
俺が五歳の時にお隣に越してきた幼馴染で、異世界人の初めての友達で親友だ。
家族で越してきたのだが、双子の妹である永遠ちゃんはその時既に深傷を負っていて、ベットで息を引き取った。
彼女のお葬式の時、俺は『ハザマ共同支援組合』なるものがあり両親がそこの組合員で、この町が異世界人が稀に訪れる異界と繋がりやすい町なのだと知った。
そして自身に、異世界人を見分ける印が視えるのだという事も。
その後俺は知恵熱で、久遠は心労と妹がいなくなったショックで、三日三晩同じ部屋でうなされたのは今やいい笑い話。
だけど俺はその時、秘密を打ち明けてくれた久遠と約束したんだ。
絶対に、久遠の前で死んだりしないと。
子供の頃の約束だけど。
魂をかけた男と男の盟約だから。
身体が丈夫なのが取り柄だし、あの時以来俺は今日まで病気一つしていない。
無論、道端で倒れたりなんかもしてない。
だから忘れがちだけど、皆といる時は普通のフリをしているが、久遠はやっぱり永遠ちゃんが死んだ時の事を引きずってる。
でなければ俺の丈夫さを知っている久遠が、ここまで取り乱す事はない。
「俺が丈夫なの知ってるだろ。もうほんとに大丈夫だから」
「……嘘だ」
「マジだって。俺が嘘ヘタなのわかってるだろ」
バレて怒られてたのは何時も俺だろ、と。この件は終わりと笑って済まそうとした俺は。
「ーーそうだったね。じゃあ聞くけど。その胸の淀みは一体なんなの?」
にっこりと。
微笑みながら訊ねてくる幼馴染様に、たらりと冷や汗を流したのだった。
「馬鹿だバカだとは思ってたけど、透ってホント何処まで馬鹿なの!?」
「うるせーー! 成り行き上仕方なかったんだよ! あんまり馬鹿バカ言うなっ!」
「馬鹿だからバカって言ってるんだ!」
本鈴にはなんとか間に合うという時間帯。
学校への道を全速力で走りながら。
俺は久遠に、これでもかと怒られていた。
昨日の帰り女の子を助けた筈が飯を奢るハメになり、ついては呪いまでかけられて命をかけた勝負をする事になった等々包み隠さず話したのだが。
最初は透らしいと笑っていたのに彼女が食べたバーガーの量に呆気に取られ、呪いを受けた話辺りで俯いて肩を震わせたかと思えば先程の罵声である。
くそ、こんな事なら言わなきゃ良かった。
不貞腐れてそっぽを向き、たっと数歩先ん出る。それと共にぴたりと止む、久遠の足音。
なんとなく、気になって足踏みになる俺。
「透の足なら、逃げられただろ」
ぽつり、告げられたのはそんな言葉。
「僕ならともかく」
「久遠?」
その場足踏みを止め、表情の見えない久遠を振り返る。
「倒れてた透を見つけた時、僕がどんな気持ちだったかーー、透には、わかんないんだ!!」
タイミング良く上げられた久遠の目は、光る涙に濡れていた。
しまった。まだ完璧には立ち直れてなかったのか。
「もぅあんな、思いは……したくないんだ。わかってよ……っ!」
「…………」
鼻声混じりに、しかも女みたいな顔で泣きながらそんな事を言われたら。
事情を知っている俺は、折れるしかない。良心も痛いし。
気持ちを落ち着ける為、一つ長い息を吐く。
静かに久遠に近付いてそっとその華奢な体を抱きしめる。
「悪かった。次は出来るだけ、逃げられるよう努力する。お前との約束、忘れた訳じゃないんだ。だから頼む、泣き止んでくれ」
「だったら優しくするなぁ、バカーー!」
ふわふわの髪を撫で背中をさする。落ち着ける為にやってるのに。飛んできたのはやっぱり怒鳴り声。
だったらって。これ以上どうすりゃいいんだよ……
久遠に胸を貸しながら途方にくれ、天を見上げた俺の心を。
「きゃあ♡」
「BLよ、BL!」
「やっぱり、狭間君と久遠様って……」
「やだ、新刊描き直さなきゃ!」
好き勝手妄想する女子達の黄色い声が、綺麗サッパリ洗い流し。
またいらぬ異名を手にしてしまった。
曰く「狭間君は女の子より、幼馴染君がお好き」だと。
二年に転校してきた日渡サンは始業前から頗る人気で、学年問わず群がる野次馬共のおかげでその姿を目にする事は叶わなかった。
バーゲン並みな人入りに俺は一限の休みだけで諦め、昼休みを待つ事にした。
あんな状態の所に挑んだ所で、勝てはしないのは目に見えている。
仕掛けるなら昼休みーー。そう思っていたのだが。
バーゲンセール中なのは、相変わらずだった。
飯を食う間も惜しんで来たというのに、腹一杯で動けないといった感じ。事実、後参組など近付けもしない状態だった。
「マズい、これは非常にマズいんじゃないか」
すこずこと退散してきた俺は、久遠お手製の弁当をかき込みながら呟いた。
「あの盛況ぶりじゃ、暫くは無理なんじゃないかなぁ」
そんなに慌てると喉詰まるよ、とスープジャーの蓋を開け苦笑しながら久遠が言う。
それじゃ困るんだけど、と思いながらも同意する。
「ま、あんな美人じゃなぁ」
「それもあるけど、なんていうかな彼女……ああそう。ギャップ萌え、なんだって」
「はあ?」
久遠の口から出た思わぬ言葉に、あんぐり口を開けていると。考えながら久遠が続ける。
「一見お嬢様っぽいから近付きにくそうだけど、話してみると意外に親しみやすいとか」
「難易度問題をスパッと答えたかと思えば、筆箱の開け方がわからないなんて妙に抜けてる所とか」
「もうそんな噂が立ってんのかよ……」
「みたい。でも僕としては本当に、最近この世界に来たって事の方が気になるな」
後半小声になった久遠に、俺もこっそり訊ねる。
異世界人の事は、規約でその他には(少ないが一般人もいる為)話せない事になっているのだ。
「っていうと?」
「この世界の常識が抜けてる。にも関わらず学園へ通える許可が下りてる。それがちょっと引っかかる。普通なら、この世界の常識を教え込まされて異世界人だとバレないようになってから、共に生活出来るようになる筈なんだ」
「組合を通さないと異世界人の戸籍は発行されねぇもんなぁ」
「透が言ったみたいに日のある内だけ、なんて特殊なんだから尚更だと思うのに。短期間だから? それとも、戸籍だけは最初からあった?」
「親類縁者がいるなら、登録は容易にはなるけど」
「いそうにない、よね」
「いそうにないな」
失礼だとは思いつつも、二人声をハモらせる。
結局この件は分からずじまいだったが。
俺達は知らなかった。
「この世界の組合員」と「先住の異世界人」の監視下に置かれる場合は、その限りではないという事を。つまり。
俺と久遠だ。
機会に恵まれる事なく、放課後のベルが悲しく鳴った。
部活がある久遠を待つ間再三アタックしてみたものの、やはりというかなんというか。
日渡サンがモテモテ状態なのは相変わらずで順番待ちの札まで配られていて、札を持っていない俺は歯牙にも掛けてもらえなかった。
やばい。このまま取りつく島もなく一週間が過ぎればーー
何も出来ないまま、俺は死ぬ。
「っ!?」
初めてそれを感じた、その感覚が甦る。
鼓動がはやり息が乱れる。
汗が噴き出てその場から動けなくなる。
手を翳された胸が痛い。
嫌だ。このまま死にたくなんか、ない!
「ーーっ!」
床に縫い付けられたような足を叱咤し、ずるりとでも這い動く。
なんとか、辿り着いた先の扉をこじ開けて。
「久遠っ」
「透? 帰るまで待ちきれなかったーーって、表情じゃないね」
扉を開けた所で力尽きた俺に部活で作ったケーキのラッピングを中断して、久遠が心配そうに駆け寄ってくる。
「部室に僕しかいなくて良かった。息吸って。吐いて。そうゆっくり」
「……頼む。お前にっしか……出来な、いんだっ」
「わかってるから。「意識」しなければ定着しきってない異世界人に、即効性のある術を仕掛けたりなんて出来ないんだから。ペナルティだってあるし。透だってわかってるでしょ」
「……しくった。せめて、確実に会える条件を、取り付けないとマズいんだ……。だから、早くっ、時間が」
俺を支えながら呆れたように告げる久遠に、口早に言い募る。
『透が思う者の先へ。至る導きのその扉を』
久遠の口からこの世界の言葉じゃない韻律が紡がれ、眼前の空間が突如開く。
虹色のトンネルのようなそれは、久遠が使える一つの能力。
「行ってらっしゃい」
なんとか息を整えた俺は、まだ心配そうではあるが苦笑を浮かべて手を振る久遠に見送られ。
「そこ」と「ここ」の「ハザマを通って」その先に。彼女がいるだろうそこに足を踏み入れた。
渡り行った先は校内にある庭園だった。
日も落ちかけて人気のないそこに彼女は一人、佇んでいた。
風が木の葉を揺らし、振り返った彼女の長い髪をふわりと乱す。
最後の日の一筋が、彼女を照らして。
幻想的で美しいその光景に息を飲む。
「誰もいないと思っていたんだけれど。ご苦労な事ね」
訳知り顔でくすくすと笑う彼女は普段通りだ。
何か、言わなければ。
その為にペナルティがあるのを知っていながら、久遠に扉を開いてもらったのだから。
言え、言うんだ俺!
そう意を決して言葉を紡ぐ。
「お前、俺の彼女になれ」
暫しの沈黙の後。
頭が言動を理解する。
なに口走ってんだよ! 俺はっ!?
慌てて言い訳する。
「いやその。あまりにも、俺に不利な状況じゃないかって。……だからその……一緒にいる時間が少しでも増えれば、と」
「いいわよ、別に」
「勿論友達からでーー……は?」
さらり、なんて事ないよう彼女は告げ。
理解できず呆ける俺に歩み寄り、小首を傾げて訊ねてきた。
「それで彼女って、一体なにをすればいいの?」
水曜。
約束通り弁当を作ってきてくれた日渡サンに導かれ、人気のなさそうな庭園の隅に陣取る。
「はい、これ」
「お、おう。さんきゅ」
意外にも普通に渡されて拍子抜けしてしまう。
可愛らしいピンクの包み。解いて現れたのは楕円型で黄緑と白の二段弁当箱。付属の箸も同色で桜っぽいイメージだ。
ドキドキしながら蓋を開ける。
レタスの緑トマトの赤。少々焦げているが卵焼きの黄色。カニ型魚肉ソーセージ。コロッケと唐揚げ、ハンバーグ。
彩り良いし、育ち盛りの男子高生には嬉しいボリューム。
なんか、いや、かなり感動した。
弁当がキラキラして見える……
「さっさと食べたら?」
「あ、そ、そうだよなっ!」
じぃっと弁当を見つめ続けていた俺に同じ包みを開けながら、呆れたように彼女が言う。それに素直に箸をとって、いただきますをしてから。
まずは卵焼き、と箸を伸ばして口に入れる。
じょり。
口いっぱいに広がる砂を噛むような食感と、歯溶けそうな程の甘み。
「あっまぁっ!?」
慌てて水筒の栓を開け、お茶で流し込む。
ちらり横目でみた彼女は、平然と中身を平らげている。
マジか。もしかして、たまたま固まりが混じってただけなのか……?
ごくり。なんとなく唾を飲み込み。
無難そうな、コロッケに箸を伸ばす。
がちん!
口に入れた瞬間、鉄を噛んだ。
「固っ、いってえぇ!?」
半端吐き出すように外したソレには、歯型すらついていなかった。
「なんなのよさっきから。ご飯の時くらい静かに出来ないの?」
ため息を吐きながら告げてくる日渡サンの弁当箱を盗み見れば、既に空。
なんでだ? まさか俺がおかしいのか?
それともあれか。これは新手の嫌がらせか?
等々思考が巡るがそもそも。
「こんなモン、弁当として認められるかぁーーっ!」
「きゃっ!?」
俺は中身をひっくり返し。
折角作ったのに何するのよ! と喚く日渡サンの手をむんずと掴み。
「来い!」
「ちょ、やだ、何処にーー」
そのまま振り返りもせず歩みを進めーー
「久遠!」
「あれ? どうしたの透」
天気の良い日は学園の屋上にいる久遠の元を訪ね。真剣な表情で告げた。
「弁当をくれ」
「昨夜、彼女に作って貰うからいらないって言ったよね? お弁当作ってもらえなかったの?」
「そ、じゃないけど。お前の事だ、作って来てるんだろ?」
まぁね、と。苦笑しながらそう言って、俺の弁当箱を差し出してきた久遠に礼を言ってから。
「食え」
「え?」
「いいから食え」
連れて来ていた日渡サンを振り返り、久遠お手製の弁当を押し付ける。
「なんなのよ、もう」
俺の顔が尋常じゃない覇気を発していたからか。それ以上は何も言わず、蓋を開けてぱくり。手前にあったつやつや卵焼きを口にした日渡サンは。目を輝かせ。
がつがつばくばくむしゃむしゃ。
猛烈な勢いで弁当を平らげ始めた。それに慌てる俺。
「全部食うなっ俺の昼メシーーっ!」
「あによぅ、ひっしょくくらいぬいたって、ひにはひないわよっ」
「口いっぱいに頬張りながら言うセリフかーーっ!!」
頬張る姿はリスっぽくて可愛いな、なんて思ったが昼飯抜きは午後の授業に差し支える。なんとしても奪取せねばと目論む俺に、天の声が届く。
「もう一つあるから安心して」
「久遠様ーー!」
有り難く拝み、頭を垂れ恭しく頂戴する。
持つべきものは料理上手な親友だよな、と思いながら。わくわくと蓋を開けた瞬間。
横から中身を掻っ攫われた!
「ちょ、ええ!? って、どんだけ食うんだお前ーーっ!」
「いつもこんな美味なモノ食べれるなんて、不公平だわっ!」
「関係あるか畜生っ! 返せぇ!」
人に空箱を押し付けて、二個目に箸を伸ばす日渡サン。奪取しようとする俺。
攻防を繰り広げる俺達の隣で「そう言われると自信つくなぁ」なんて呟きながら、久遠はのほほんとお茶を飲んだ。
「くそぅ……」
腹が減ってヘロヘロの俺が、充填満タンすぎる日渡サンに敵う訳もなく。
結局弁当を食べれずペバっていると、ごちそうさまと箸を置いてから。
「昨日食べたダブルバーガーと……いえそれ以上だわっ!」
呟いて座したまま、久遠にしっかりと向き直り。真剣な表情で彼女は言った。
「師匠と呼ばせてください」
ぱちくり。その空色の目を瞬いて。
俺にお恵み(おやつのクッキー)を渡しつつ、苦笑しながら久遠は呟いた。
「師匠なんて程じゃないけど、そうだなぁ。先輩さえ良ければ今度の土曜、家に料理習いに来ます?」
「是非お願いします、師匠」
久遠の言葉に即答した日渡サンをまじまじと見やり。
マジ神だ、と俺は久遠にこれでもかと感謝した。
木曜。
今日は一年と二年の合同体育の日。
クラスが一クラスしかない為合同授業は他学年となのが常。二年と三年、一年と三年の時もある。
運は、俺に向いているんじゃないかと思う。
勝負を仕掛けるなら、競技に紛れてさり気なくやるのがいいだろう。これだけ人数がいるなら誰かに気付かれる事もないだろうし。
折角の機会を逃す手はない。
こっちは命がかかってるんだ。
気合いを入れ、チームの相手を探すフリをしてさり気なく彼女に近付こうとするが。
「日渡サーー」
「おおっと。手が滑ったぁ!」
「ぅわっ」
「邪魔だ、退け」
「ちょっ」
「全く。今年の一年は躾がなってねーなぁ」
「ねぇ日渡さん♡」
「そうみたいね。不躾に近付いてくるなんて」
屈強な男共に囲まれながら、彼女がくすくすと呟いた。
「って、おいこらぁ! なんなんだよ、その状況はっっ!!」
まるで女王様な彼女を指差し、ついツッコミを入れる俺。
「あら。私は何もしてないわよ?」
「嘘つけぇ! こんなに男共侍らせといて!」
「本当なのに。貴方が何か恨みを買う様な事をしているからでしょう」
それが何かはわからないけれど。と呟く彼女に考えるまでもなく。
二年のマドンナに馴れ馴れしーんだよ
たった一日で彼氏だと? ざけてんじゃねー
弁当まで作ってきてもらいやがって
しかもそれを台無しにしたとか
なにぃ!?
一年の、至導との噂だってあるんだろ?
二股か? 二股なのか!?
ーー許せんっ!!
ギラギラした男共の視線に、何を言いたいのかわかってしまった。
全くもって理不尽極まりないのだが、規約で理由を言えないのだから仕方がない。
そこに一つ、試合開始の笛が鳴る。
今日の種目はドッジボール。
「「「はぁ〜〜ざぁ〜〜まぁ〜〜!!」」」
「はは……」
彼女に一発入れる所か俺がその他大勢に十発以上、入れられるハメになった。
運は俺に向いてたんじゃないのか、くそっ。
金曜。
ボッコボコにされはしなかったが、集中砲火を全て防げる訳もなく。
「学校来ただけで死んだ……」
「大丈夫?」
机の上にぐったりと突っ伏す俺に心配そうに久遠が声をかけてくるが、手を振るだけに留め。
あちこち痛い上身体も重く、マジでヤバい気がしてそのまま黙り、フテ寝る事にした。
体力回復しないと本気でマズい。
そんな事を考えている間にも目蓋が落ちて……
「ーーって、マジかよっ!?」
目が覚めた俺は愕然と窓の外を見つめた。
日はとうに傾き藍色の空の中、アホーアホーと烏の鳴く声が聞こえる。
しくじった! まさかこんな時間まで寝こけるなんて! もう今日は間に合わーー
「やっとお目覚め?」
「っ!?」
背後からの声にハッと振り返ると。
すぐ後ろの机上に腰掛ける日渡サンの姿があった。
「まさか何をしても起きないだなんて。その鈍さは、獲物としてはどうなのかしらね。ーー本気なら軽く百回は死んでるわよ?」
目を細めて微笑む(わらう)様にゾッと背筋を粟立たせるが、その恐怖を勇気に変えて俺はニヤリと言い返した。
「だったら、その間にヤっとくんだったな!」
振り向いた勢いのまま腰を掬い身を寄せながら、頬を殴るつもりで逆手を振り上げる。
女の子を殴る趣味はないから勿論寸止めだけど。
ようは、それが出来る状況だと理解させればいいんだろう。だけどーー
「ざぁんねん。もう少し起きるのが早かったら。貴方にも勝機はあったかもしれないのに、ね」
「っ!」
しっかりと。
俺の喉笛を捉えた彼女の異形が筋をくすぐり、走った悪寒に強制的に動きを止めている間に。
俺の腕の中。
闇に溶ける様に、彼女の姿がふわりと消えた。
土曜。
今日は久遠の家に来ている。
あまりの弁当ーーもとい、個性的すぎる制作物を食べられるよう進化させる為、日渡サンが料理を習いに来ているからだ。
俺は毒味役として呼ばれたワケだが、これはチャンスだ。
料理に隙を取られている間に、なんとか一発入れるしかない。
期限はもう、あまりない。
広がる模様が身体を蝕んでいるのがわかる。
何時も気怠く、重い身体。傷もないのに所々が痛みを訴える。
今日起きた時点で服で覆える所以外全て、模様で埋め尽くされていた。
明日は外に出られる状態じゃないかもしれない。
だから今日が、最後かも知れないんだ。
ぐっと拳に力を入れ、何やら盛り上がっているらしい久遠と日渡サンにそっと近付く。
「そう、そうやってゆっくり入れて」
「全体に広げて。暫く待ってから、手前に折り返すように畳む」
「でも師匠。じっと待ってたら焦げちゃうわ」
「大丈夫だよ。それに固まる時間を設けないと、巻きにくいだけだからね」
初レッスンは卵焼きらしい。卵が焼けるいい匂いと一緒に、出汁と甘い香りが広がる。
だし巻き卵。久遠の得意料理だ。
どうやら甘めの味付けらしい。見かけによらず甘党なんだろうか。
女の子っぽくて可愛いけれど、出来れば甘み少なめでお願いしたい。
じっとフライパンを見つめる表情は、真剣そのもの。
返す時を今か今かと待ち構える右手の菜箸は、握りすぎで僅かに震えていた。
どうやら料理に夢中でこっちの動きには気付いていない。
ニヤリと俺は口角を上げる。
悪いがこの勝負、俺の勝ちだ!
長い髪の隙間からちらりと覗く細く白い首筋に、峰打ちを叩き込むべく手刀を繰り出した俺は。
ダンッ!
思いもよらぬ所から、返討ちにあった。
カウンターキッチンの入口。収納棚を兼ねた壁を背にした俺の首筋付近に、ステンレス製の菜箸がざっくりと突き立つ。
だし巻き卵と格闘している、日渡サンではない。
冷や汗を垂らしながら見やった先に、照明による逆光にも関わらず、にっこりと笑う久遠のその顔があった。
「く……久遠?」
「刃物じゃなくてよかったね透。キッチンで妙な事しようとしないでくれる? 指切るだけじゃ済まないかもよ?」
「……ご……ゴメンナサイ」
有無を言わせぬ声と表情に頰を引きつらせながら、謝るしかなかった。
「…………」
機を逸した俺は、仕方なくリビングのソファに座って頬杖をつく。
まさか久遠に邪魔されるとは。まぁ、アレが菜箸じゃなく包丁だった時の事を考えたら……
ぶるりと身を震わせ浅はかだった自分を呪い、今後キッチンで妙な事はしないと誓う。
「出来たっ!」
そんな事を考えていたら突如日渡サンの歓声があがり、はじゃぎながらパタパタと此方に駆け寄って来る足音が聞こえた。
「仕方ないから、一番に試食させてあげるわ」
ことり。テーブルの上に置かれた小皿には、一口大に切り揃えられたつやつやのだし巻き卵。
見た目も香りも、久遠が作るそれと近い。
しかし初見のソレを知っている俺は、一番にという危うさにそろりと久遠を仰ぎ見る。
キッチンで洗い物をしている久遠は柔らかに笑んでいる。それに大丈夫そうだとこっそり息を吐き。いただきますと手を合わせ。箸を伸ばして一口頬張る。
「! ーーおいしい」
そっと解ける卵焼きから溢れる出汁の旨み。砂糖を入れた事により、コクと深みが増している。
「本当?」
「マジだって。まさか、こんな劇的に上達するとは」
訝しむように訊ねてくる日渡サンに、驚きに満たされたまま俺が告げる。
「良かったぁ」
ふわり、花が綻ぶような笑顔を見せた日渡サンに、ドクンと心臓が跳ね。もう一切れ、と口に放り込んだだし巻き卵を、喉に詰まらせてむせ込んだ。
「げほっ」
「ちょっと、何してるのよ」
慌ててキッチンに向かおうとした日渡サンを留めるかのように、すっと横から水の入ったコップが差し出される。久遠だ。
目線だけで礼を言い、水を飲み干して息を吐く。
「し、死ぬかと思った……」
「馬鹿ねぇ。慌てて食べ過ぎなのよ、もう」
ふぅと息を吐きながら告げる俺に呆れたように彼女が続ける。
まさか、自分がどんな表情をしてたか、わかってないのか?
彼女の態度に目を瞬いていると。
「覚えも早いし要領もいい。これならすぐ上手くなれるよ。ある程度なら今からでも覚えられそうだし。あ、そうだ。折角だし成果の披露も兼ねて、明日デートでもして来たら?」
カレカノなんでしょ、と。
さらり呟いた久遠に。
「は?」
「え?」
二人きょとんとした後。
「「ええええぇーー!?」」
俺と彼女は互いを指差し、素っ頓狂な声を上げたのだった。
最終日の日曜。
「…………」
久遠の計らいにより人生初の、デートなんぞをする機会に恵まれたワケだが。
で……ででデートって。一体なにすればいーんだ!?
待ち合わせ場所は中間地点だからと指定した学園の校門前。
かなり早く着いてしまい、そわそわしながら彼女を待つ。
なんかもう、これだけで本当、デートみたいだ。
久遠を待つのにこんなこっ恥ずかしいような、どこかくすぐったいような浮き足立つ感じはないし。
自分で言ってはたと気付く。
彼女。そう彼女なんだよな。
うわぁ。もうちょっとシャレたトコ待ち合わせ場所にするんだった。失敗した。
理由があるとはいえ、センス無さすぎだろ……
なんてヘコみかけた所に。
「なに、塀とお友達になっているの?」
ごーりごりやっていた丁度そこに、日渡サンが現れた。
「ぅお!?」
驚いて背後を振り返った俺は。
「…………」
声すら出せずに固まる。
言葉が出ない、ってこう言う事かと片隅で理解しながら。
ぼーっと日渡サンに見惚れる。
何時もは下ろしている髪は頭上で一つに纏められ、片側に流されていて。
黄色いレースのプルオーバー。桜色のフード付きロングカーディガン。ショートパンツは薄茶色で、ブーツは黒。
濃いめのニーハイの隙間とスケ感あるカーデとのバランスが半端なかった。
「かわいい……」
言ってしまってから慌てて口元を押さえるが、彼女が気を止めたのは別の事だった。
「その手……」
「ん? ああ」
指摘され苦笑しながらヒラリとする。
朝起きたら斑とはいえ、顔以外全て模様に覆われていた。
一応隠す為に久遠に巻いてもらったんだよな。
何か言いたげだったけど、何も言わずに見送ってくれたから。
「気にされるよりはいいかなって」
その思いを無駄にしない為にも、今日を楽しまないといけない。
「行こうぜ、日渡サン」
なんでもない様に告げ、彼女が持っていたランチボックスを奪って歩き出した俺に。
「ストップ」
待ったをかける彼女。
「?」
不思議そうに肩越しに振り返れば、微かに頰を染めたその顔が目に入り、開いては閉じるを数回繰り返した後、消え入りそうな声で彼女が言った。
「わ、私達……こっ恋人同士、なんでしょう? だったら名字で呼ぶのは、変よ。な、名前で呼び合い、ましょう」
「…………」
何処で仕入れてくるんだろう、その情報。
呆気に取られはしたものの彼女の可愛い望みくらい、叶えてやりたいと思えて二つ返事で了承し、名を呼んでみる。
「えっと……は、遙?」
「何? と、透……」
かああぁっ。
見つめ合う互いの顔が、見る間に朱に染まっていく。
うわぁ顔熱い。
思った以上に恥ずかしいぞ、これっ!?
二人同時に横を向いて熱を逃す。
心臓が煩い。なんだか妙に落ち着かない。くすぐったい。
でも。嬉しさに笑みが溢れる。
彼女も同じ(そう)だといいなと、思いながら。
「行こう」
手を取って。今度こそ俺は歩き出した。
体調の事があって遠くには行けなかったけど。
まだこの町をよく知らない彼女を案内がてら歩く。
近くの商店街でウィンドウショッピングしたり。店頭販売の試食、買い食いは当たり前。冷やかしなんかもされたけど。
ランチは側の公園で。彼女手製の劇的に進化した弁当に感動したりして。移動販売で来ていたクレープを食べながら、一時間ごとに変わる噴水の流れを眺めたり。
鳩と戯れる彼女に笑みを向ける。
遊園地で遊び倒す、なんてプランもあったけど。
こんな、ゆっくり過ごすデートも、案外いいモンだ。
暖かな陽射し。子供達のはしゃぐ声。人の行き交い。木々を揺らす風の音。
心地よい音に満たされ、目を閉じた。
重い身体を少しでも永らえるかのように。
苦しさを逃すように息を吐く。
せめて、今日を乗り切るまではと願う。
俺の命は、あとどれくらいあるのだろう?
陽も傾き人もまばらになった頃。
温もりを分けるように寄り添ってくれていた彼女に、ありがとうと礼を述べ。
口を開きかけたのを制して呟く。
「最後に見せたいものがあるんだ」
「……見せたいもの?」
「うん」
「……何処?」
首を傾げる彼女に。俺は笑って。
「学校の屋上」
「うわぁ、綺麗!」
ひらけた視界に映る景色に彼女が弾んだ声をあげる。
いい時間に来れたらしい。
町全体をオレンジに染め上げる、屋上からの景色が一番好きだ。
建物と建物の間から伸びる光の筋は、無数にある路のようで。
『…………』
声もなく暫し二人、広がる景色に酔いしれる。
藍色の世界の中。
最後ででもあるかのように、燃える陽色が美しい。
ーーあ。
「透っ!」
傾ぐ身体。
彼女の表情と悲痛な声に。
刻が来たんだとわかってしまった。
「は、は……なんて表情、してるんだよ……」
俺を抱き留めた彼女の白梅の目に、光を弾いて煌く涙。
「っ! だ、ってこんな……、透貴方、私に……、一発入れるんでしょう……?」
そのつもりだったけど。
文字通り最後の力ってヤツを使っても、届くかどうか。
自分の身体の事は自分が一番よくわかってる。
解いた包帯の手を翳す。
朝は斑だったそれに隙間もない程侵された手。
唯一無事だった顔ももう、覆い尽くされているだろう。
「俺の事、食べていいよ」
身体は動かず鼓動は静かになっていく中。
俺はこのまま死ぬんだな、と。
少し寂しいと思いながらも、そう理解したら。
すんなり言葉が出てしまった。
久遠には悪いと思うけど。
腕の中で彼女が消えるーーあんな思いはもう、ごめんだった。
お前の目の前じゃないから、許してくれよなと願いながら目を閉じる。
そうしたら。
今迄の事が、早送りで浮かんでは消え。
中でも今日の(デート)事が繰り返し流れ、ほっこりと胸を満たす。
ああ、楽しかった。
人生最初で最後のデートがこれなら、うん。悪くないんじゃないか。
でもーー
これが本当に、最期だというなら。
せめて……くらい、したかったな。
そう、少し未練に思った時。
ーーぱたり。
頰に、雫が落ちた。
誰かがーー遙が、泣いてくれている。
俺が死ぬのを悼んでくれているーー
そう思っただけで。
冷たい身体に温かな涙が、染みるように伝わっていく。
捕食者が死ぬのを悲しむなんて、捕獲者としては失格じゃないか。
本当は人を食べた事なんか、ないんじゃないだろうか。
ありえそうで、それがなんだかおかしくて笑ってしまう。
泣かなくていい。
もう泣かなくていいから。
これが最後ならどうか。
笑顔を見せて。
そう思った時には、自然と手が伸びていた。
おとずれたのは柔らかく甘い感触。
きょとんとしたその表情は笑顔ではなかったけれど。
素の表情が可愛くて、悪戯に笑って目を閉じる。
もう感覚がない。
意識も薄れて何も聞こえなくなっていく。
このまま、消えてしまうのだろう。
不思議と恐怖は感じなかった。
なんとも穏やかな気持ちでその時を待つ…………が。
がぶり。
手に激痛が走った瞬間。
「うええぇぇっ。お、おいしくないぃ〜〜っ!」
ーーって。
「なんじゃそりゃあーーっ!」
人の手咥えてなに抜かす! と、勢い良く起き上がった俺は。
ゴッ! がつん!
これでもかって音を立てて彼女の顎とぶつかった。
『〜〜〜〜っっっ!!』
暫し二人ぶつけた箇所(俺は頭、彼女は顎)を押さえ悶絶する。
「……あ、なたねぇっ、もうひょっと、考えてから動ひなしゃいよっ!」
「うるせぇっ、殺人的な顎の堅さしてるヤツに言われたくねぇよ!」
「貴方こそ、そーとーな石頭なクセにっ!」
「それは悪ぅございましたーー」
「うっわ、ムカつく! 砕ききってやれば良かったわねっ」
「なにおぅ!?」
「なによっ!?」
ぜぇはぁ。ぜぇはぁ。
互いを罵る事暫し。
牽制し合うように睨み合う俺と彼女。
ふと目に入った景色の暗さに、怒気が別の方に導かれる。
「なんでお前、消えてないんだ?」
「え?」
「それに俺も……死んでない、よな?」
呟いた俺にきょとんとする彼女を促しながら、俺は自身の身体を見下ろす。
今日で期限の一週間。
呪いが回りきり、俺は死ぬーー
そのはずだった。
それなのに。
貫き抉るような全身の痛みもなく、息苦しくもない。
「ーーまさか!」
思わず自身の身ぐるみを剥ぐ。
途端、きゃあああぁっ!? なんて叫び声が聞こえるがこの際気にしている余裕はない。
心臓から全身に。
黒々とした不可思議な模様が、身体を蝕んでいた筈なのだが。
健康そのものの胸板が、今そこに晒されていた。
その事に驚きに目を見開きながら、俺はぽつりと呟いた。
「なくなってる……。呪いが」
「なんですって!?」
声に反応し秒速で後ろを向いた彼女が、此方を振り返りずいっと詰め寄ってくる。
……そんなにまじまじ見られると、流石に恥ずかしいんですけど……
とは言い出せなかったので、じっと苦行に堪える。
堪えろ、堪えるんだ、俺!
「なんて事、なの……」
程なくして小さく呟き、掴んでいた俺のシャツからするりと手を放し。茫然とした顔でぺたん、とその場に座り込む彼女。
夜の闇の中、その珍しい色合いの髪が存在を誇示するかのように、微かに光を振りまく。
そう夜。陽も沈んだ、もう夜なのだ。
日渡、その名の通り日のある内しか此方の世界に渡ってこれない存在。
それが日渡遙という少女だ。
だからこそ日の出から日没までという条件の勝負だったのだから。
だというのに彼女日渡遙はまだ、この世界に存在し続けていた。
「…………」
俯いたまま肩を震わせ押し黙る彼女。
流石に心配になり声をかけようと伸ばした俺の手は。
「大丈夫か……?」
「! 触らないで!!」
過敏に反応した彼女の手に勢い良く振り払われてしまった。
怒りに緋色に輝く目端にこれでもかと涙の雫を溜め込んだ、そんな顔を向けられながら。
「……えっと……?」
手を振り払われたのはまぁいい。驚かせたのは俺だし。
でも、なんでそんな表情を向けられなければならないのか。
わからない。
俺の全くの気のせいかもしれないが心なしかほんのり、その頰が朱に染まっているようにも見える。
「その、はる……いや、日渡サン?」
つい名前で呼びそうになったのを、慌てて言い直すと。
身を震わせた彼女の顔が暗がりでもわかる程、見る間に赤に染め上がり。
俺も恥ずかしくなって、目を逸らそうとしたその時。
「……ない……」
微かな囁きが聞こえつられて顔を上げたのと、彼女が声を発したのは同時だった。
「ーー認めないわ! さっきのキ……が、なんてっ!」
「なんだって?」
「それにそれにっ! 貴方が私の……っ、『連なる者』だなんてーーっ!」
「…………」
ぱちくり。
一瞬耳を疑う。
それと共に脳裏に過ったのは、にこにこしている久遠の顔と言葉。
「友情、信頼、愛情ーー、そのどれか一つでも。『連なる者』を見つける事が出来れば僕みたいな異世界人でも、この世界にちゃんと定着される」
僕が透を見つけられたみたいにね。
子供の頃、約束をした時の言葉。
要するに此方の世界に異界の者達が至れる、確固たる居場所が出来ればいいんだと思っていたんだが。愛情系のそれが、まさか。
まさかこんな、はっきりしたモノだったとは!
「…………」
理解したら、こっ恥ずかしくなってきた。
落ち着け、落ち着け俺!
とりあえず状況を整理しよう。
あのキスがまったくの不意打ちで彼女が指定した一発に、数えられたから呪いが消えた。
うん、これはまぁよしとしよう。
おかげで俺は助かったし。
そして異世界人である彼女が、夜に染まりつつある現在にまだ存在出来ている理由。
連なる者。
彼女が言ったようにそれが本当なのだとしたら。
いや本当だからこそ、彼女はこの世界に定着され、この世界に居続けているのだ。
異世界人である者のその印が、くっきり色濃く目に映る。
それは理解できる。理解できるけど……
それには『互いが同じ気持ち』でなければ成立しないワケで。
白状しよう。
俺は遙が好きだ。
たぶん、出会ったその時から。
命をかけた勝負をしているというのに彼女と共にいられるのは、楽しかった。
恥ずかしそうなその顔が、花が綻ぶみたいな笑顔がたまらなく好きだ。
死の間際見せた泣き顔も。きょとんとした素の表情も。強気なくせに照れ屋な所とか。
挙げだしたらきりがないくらい。好きでしょうがない。
そんな風に、彼女も俺と同じ気持ちでいるというのだろうか。
そっと、叫んだきり黙っている彼女を見つめる。
頰を覆ったまま俯く彼女は微動だにせず、そこに座り込んでいる。
どう思っているのか。聞きたくなってしまった。
「遙」
「っ! な、まえ、呼ばないでっ」
「なんで。呼ばなきゃ振り向いてもらえないし。それに」
「やっ……!」
逃げ腰になっている彼女の手を掴んで、ハッと此方を向いた真っ赤なその顔に顔を近付けながら。
「俺は遙が好きなんだけど。遙もそうなんだって思っててもいいん、だよな?」
「……!」
結局答えは聞けなかったけど。
確かめるように重ねた唇はしっとりとしていて、蜂蜜みたいに甘かった。
お互いギクシャクとしながらそっと裏門から外に出る。
辺りに人気はない事にほっと息を吐き、指で先を示して呟く。
「えっとその……俺こっちだから」
「……ええ」
門を出て左。その方が自分の家に近い。彼女は逆で反対の左。
ここでお別れなのは名残惜しいがこのまま一緒にいたら、恥ずかしくて死にそうだ。
「それじゃあその、また明日」
「ええ」
頰を掻き上の空な彼女が気にはなるが、そそくさとその場を後にしようとした俺の耳に。
「ーー透!」
意を決した彼女の声が届いたと共にがちんと、歯と歯同士があたる感触。
唇が切れて痛いが名を呼ばれた事と、まさか彼女の方からしてくるとは思っていなかった驚きで、混乱しながら突っ立つ俺を。
上目遣いで見ながらペロリと血を舐め取って。
何時もの勝気なその表情で、緋色の光を煌めかせ、彼女はニヤリと呟いた。
「さっきと違ってちゃんと美味しい……というか美味だわ。どうやら「呪い」も完全に解けたみたいだし、非常食として置いておくのも悪くないかしらね」
「は?」
「なに変な顔してるのよ。当然でしょう?」
「ちょっと待て。勝負は俺の勝ちじゃないのか!?」
驚く俺に小首を傾げながら。
「あら。食の恨みは怖いのよ? 覚えておく事ね」
結局私はごはんを食べれてないんだもの、と続け。
夜の闇の中陽だまりみたいに微笑む彼女に。
敵わないなと苦笑した。
ー終ー
最後までお読みくださりありがとうございます
ちゃんと書いたのは久しぶりすぎ?なような気がしますが……(汗)
たぶんラブコメ、だと思います(私的に
何処か一つでも面白い所があって、何処か一つでもキュンとくる所があったなら、幸いです
この話執筆中、なんでかわかりませんが恥ずかしかったです、私
なんでだろ……
今回男の子視点でしたが、反対だったらまた別の話になっていたかも
そして二万字、多いようで意外と少ない!?事が発覚!!(びっくり
良い経験が出来ました!
文字数、期限制限って……大事ですね
余裕よゆーとノリノリで書いていた時はそうでもなかったのに、全く書けなくてちまちましか進んでない筈なのに字数だけ埋まって後でガクブルしながら削る…って、そうそうなかったので
ああ、この感じ
本当、楽しかった…っ
最後になりましたが、素敵企画を開催してくださった鳴田るな様に最大級の感謝を
重ねてになりますが
本当にありがとうございました!
小藍