麦畑
口の中を切ったな、と思った。耳鳴りがしていた。アスファルトの温度がまだ頬に新しく、滑走路のような麦畑からはネズミのささやきさえ聞こえるほどの静寂が立ち上っていた。
どこまでも続く金色が、濁った銀色の空の下でうずくまっていた。踏み込めば踏み込むほどに深い罪が粘膜に染み込む。折れる茎の感触が靴の底から伝わってくる。どこからとも知れぬ陽だまりが作業ズボンの中に滑り込む。
鼻腔に立て込む鉄の匂い。
ポケットで潰れた煙草のブリキ缶から、最後の燐寸を取り出して。
僕にはそれしかできない、と耳元で誰かが咽び泣いた。
最後の煙草に火をつけて、赤と生成りのスケアクロウを抱き締めた。
どれも落とさないようにと思ったが、それらは松脂で繋がっていた。
脛をくすぐる麦の穂が、道連れを予感して主張する。
流れ者の狂想曲が聞こえた。
火花が見えた。
粟立つ肌を必死に無視した。
般若から蛇になった女は、鐘に隠れた想い人を焼いたという。
油まみれの作業着が焦げる匂いをかぎながら、そんな話を思い出していた。
雨上がりのアスファルトにたゆたう虹を思い出していた。
木の爆ぜる音に、見も知らぬ暖炉を描いていた。
痺れた唇は、最後まで誰も諭せなかった。
萎えた指先は、その時まで何も操れなかった。
蜂の色をした縞模様が、瞼の裏で踊り続ける。悲しみに気道を塞がれた時、両の手で顔を覆うとそれはいつも現れた。
咥えた煙草はさすがに私でも救えまいと笑って炎に包まれていった。
黒雲の下で金色はいよいよ冴え渡るだろうと思うと、口元は嫌でも緩む。
それを来るべきスコールが煙に変えてしまうとしたら。
そこに何も残らないとしたら。




