ショートショート040 博士を愛しているボタン
わたしはボタン。
いつも博士が使っているパソコンのボタン。
わたしは、博士が愛おしい。
だって、博士は毎日のようにわたしを使ってくれるんだもの。
それってつまり、博士がわたしを必要としてくれているってことでしょう?
わたしは、博士の気持ちをよく知っている。
わたしを楽しそうに押す日。いいことがあって、うきうきしている。
わたしを荒く叩いている日。嫌なことがあって、いらいらしている。
わたしは嬉しい。だって、博士は素直な気持ちを、わたしにぶつけてくれるんだもの。
それってつまり、博士が誰よりもわたしに心を開いてくれているってことでしょう?
近ごろ、博士は上機嫌だ。毎日、わたしを楽しそうに押してくれる。
たんたんたん。とんとんとん。たーんとんとん。とんとんたーん。
きっと、すごく楽しみなことがあるんだと思う。すごくいいことがあるんだと思う。
博士が楽しいと、わたしも楽しい。
わたしは、博士のことが大好きだから。
毎日わたしを使ってくれる博士のことが、大好きだから。
ときどき、思うことがある。
わたしは、あとどのくらい博士のそばにいられるんだろう。
わたしは、わたしみたいな物は、すぐに古くなって捨てられてしまう。
新しい子がすぐにやって来て、わたしはさよならされてしまう。
そのことを思うと、わたしはすごく悲しくなる。すっごく、哀しい気持ちになる。
できることなら、ずっと一緒にいたい。
最期は一緒に死んで、壊れていきたい。
だけどそれは叶わない夢なのだと、わたしには分かっている。
それは、わたしみたいな物の宿命だもの。
どうしようもない、ことだもの。
でも、いいの。わたしは、わたしをわきまえている。
いつか、わたしは捨てられる。そして新しい子が、博士のそばにいるようになる。
その新しい子は、わたしじゃない。でも同時に、やっぱりわたしでもあるの。それは、別のわたしなの。
そうしてわたしは、わたしたちは、いつまでも博士のそばにいられる。
わたしは嬉しい。
だって、博士はわたしを、わたしたちを、いつまでも使ってくれるんだもの。
それってつまり、博士にとってわたしたちは、かけがえのない物だってことでしょう?
博士。
貴方を、愛しています。
わたしは、わたしたちは、貴方を心から愛しています。
だから。だから、願わくば。
いつまでも元気で、うんと長生きしてね。
長生きして、うんとたくさん、わたしたちを使ってね。
博士。
わたしたちは、いつまでもいつまでも、貴方のそばにいるね。
愛しています―――――。
***
「―――以上のように、本研究が人々の暮らしに大きな恩恵を与えることは、間違いないと言えるでしょう」
発表が終わり、会場は大きな拍手に包まれた。博士が演壇から降りて舞台裏に戻ると、助手が駆け寄ってきた。
「教授、おつかれさまでした」
「ありがとう」
「それにしても楽しみですね。教授が夢見ているような時代が、早く来てほしいものです」
「そうだな」
助手のお世辞を適当に受け流しながら、博士は未来に思いを馳せる。
人々の暮らしはもっと便利になるだろう。企業も利益を得て、私の研究費も増える。そして私はもっと研究ができる。素晴らしい。
博士はステージを振り返り、まだ映っているスクリーンに目をやった。
〔電子機器の新しい入力方式に関する研究 ―完全思考型インターフェースの実現―〕