【家族《ファミリー》】3
マモル達の住む家は岩壁にあり、その下には廃棄場と化した土地。別名『鉄の川』が広がっている。川、と言っても実際に鉄片が流れているわけではない。鉄を好む微生物や動植物は存在しているが、その中の食物連鎖に関しては、人間はほとんど手を付けていない。例えば、あんな風に鉄の中からノコノコと這い出てきたネズミはほんの数秒後にはさらに強者によって捕食されていく―――――。また、岩壁自体にも様々な存在がいる。今のマモル家と同じように偶然できた洞穴が大小あり、小さい場所にはそこを根城にした鳥の巣があり、大きい場所はそれこそ家を建て、人が住んでいる。今の地球は面積が1000年ほど前の約2倍、人口はその時の100倍まで拡大―――していた。
していたという表現はもちろん破壊機械暴動事件によって3分の2の人口が消されたためだ。元々カガク時代では海は96%以上が地表面に沈み、代わりに鉄と土と森林に成り代わった。沈んだ海は人々の飲み水として全世界に配水されている。同じように、配電管も血管のように地球全てに行き渡っている。この二つを自分たちの家に送る技術があればだれでも家を建てられるのだ。
★
「……。」
「あれ?そのボロボロ感…デジャヴなんだけど?」
何で起こしに行かせただけなのにそんなボロボロなの?と結論が出てる答えをわざわざ聞いて来るハカセ。
「う、うるせ…。」
流石に苛立ちが募ったマモルは目を逸らしつつ強引に朝食を口に運ぶ。マモルの座った席の両側には双子が楽しげに食事をしている。その態度のギャップも含め、大体のことを察することができたハカセ、
「…まあいいか」とため息を吐くと、「二人とも、これからしばらくよろしくね」と言葉を結んだ。
「「うん!」」
笑顔の二人は黙々と食事を続けるので、マモルも一つため息をついて肩を落としたが、そのうち諦めて食事を再開した。
★
その後の五日間、マモル達は休日を楽しんでいた。技術に関してはもともと世界的に有名であるマモルとハカセ。そのため依頼は日々増え続け溜まりに溜まり、結果、山積みだ。しかしそれでも、仕事以上に最優先はある。それは、家族との日々、である。
とは言え、我がまま放題やることに慣れていないマモルの生活は基本どれも双子の楽しみに付き合っていた。
四日間は屋内屋外問わず活発に活動、岩壁のうえはいわゆる広大な更地でありやれることはたくさんあった。民間的な遊び、機械を使った専門的な遊びなどいろいろなことをした。最後の日には『ご近所さん』にも許可を取り、花火を上げた。バーチャルの花火も現実的な花火もどちらも行った。その時の興奮した二人の顔をマモルは目に焼き付けている。この瞬間のこの日常、一時一時を大事にしたかったのだ。
それは、破壊機械たちが世界を壊したことによって大多数の人間の間に生まれた感情。超簡略化社会とまでいわれた過去の英知たちは、同時に人々の絆というものを極限まで希釈した。それが家族を失い、周りと協力しなければ生きていけない世の中にまでなった事で、その感情は再び蘇ったのだ。
だからマモルは今の思い出を大切にする。ハカセ、及び双子や関わった人間は全て記憶する。ハカセが作った機械によって。
★
「…じゃあ、行こっか。」
ハカセはいつも通りのメガネ、ぼさぼさの短髪、白衣の下に今日はネクタイとTシャツ、下はジーパンで玄関扉に手をかける。そうして背後を確認すると、三人が気だるそうにうなずいた。
マモルは違和感のない普段着の上に灰色の、マントとも言えない布きれを頭から被っているが、しっかり首元には愛用の作業用改造ゴーグルを完備していた。
そして双子は、来た時同様の恰好で玄関に待機しているが、念のためコトネにはマモルの青と白のボーダーシャツを着せていた。首元が合っていないそれは、肩からずり落ちそうになっている。
「そう言えば、二人はどうやってきたの?僕らの作った『白の巨兵』を動かしてきたの?」
今さらの疑問を投げ掛ける。
「そんな訳ありません」
「副分団長に送ってもらったの!」
二人の回答の連携は健在であり、ハカセもそれで理解できた。
「ああ、そう言うことね。ほらマモルン!シャキッとして、これから双子ちゃんたちのお世話になってる人たちに挨拶に行くんだからね」
「わーってるよ。さっさと行こうぜ」
マモルもハカセに言われて気持ちを切り替えていく。
この五日間を満足に過ごせた双子は岩壁から下まで降りるまで、終始笑顔だった。
★
マモルたちが普段から降りている手段はこの壁に住む住人全員が利用している。一家に一台あるこの専用エレベーターはマモルとハカセが一から作り住人に配ったものだ。そしてもう一つ、人の住んでいないところにもそのエレベーターはあり、その場合は直接地上と岩壁の底までつないでいる。
今四人は後者のエレベーターに向かっていた。乗れるのは大人で一人ずつ、双子のような身長と体格の子供は一度に二人乗ることができる。もちろん無理をして壊れる程マモルたちの作った装置は甘くない。専用の拡張器具を使えば20人以上乗ることも可能だ。
「じゃあ、二連結にしたから、一度に全員乗ろうか」
「「「はーい」」」
気持ちの良い返事が返ってきたところで、四人は気配を感じた。聴覚からは不気味なうなり声も感じた。
「「「「!」」」」
闇の向こう、すなわち鉄の川の直線上からだった。明らかに好意的な視線ではない。獲物を狙うような、そんな鋭い視線。
マモルはその視線が先日の殺気とは別物だと確信した。あの時のものはもっと舐めるような、そんな視線だったことを憶えていたからだ。
その答え合わせをするように、やがて闇のカーテンから顔を出す獣。
「血肉狼!?」
はじめに声を上げたのはハカセだった。
血肉狼、カガク時代に製作された改造生物。頭部は一目で見て分かるようにピピピと電子音の鳴っている機械部分があり、視覚機能は目にあたる部分に赤いラインが横に走りその中にカメラセンサーが内蔵され常に対象を観測している。また頭部だけではなく消化器官も機械化されている。具体的には消化液の強化とミキサーのように粉砕するための回転刃が何層も埋め込まれている。また、内臓の至る所で動物的ウイルスに対する対処も可能だ。そんな機能がある理由は明快、それが彼らの仕事だからだ、つまり、消化と隠滅。彼らの用途は戦争後の面倒な死体の処理だ。戦争は日本エリアにこそなかったが、世界では小規模な争いやテロは一部続いていた。その時人々の心を病ませる理由はいくつもあるが、死体の処理もその一因になりえた。そんな時に彼らは活躍する。普段は統率のとれた団体行動を行うこの生物は一匹の全長は3メートル。人間が相対して少し大きい程度の体格差だ。しかし、体毛や筋肉量、野生獣特有のケモノ臭や覇気からそれ以上の威圧や危機感を感じさせる。統率者という部隊のリーダー的存在ともなれば、全長は6メートルを優に超える。このように一匹でいることは珍しい。が、統率がとれていない以上人も平気で襲う。
「!」
マモルは双子を優先的に守ろうと背後に置いた。ハカセも子どもたちを守ろうと距離を詰めるが、狼と一番近い位置にいる人間はマモルだった。
(どうする…?逃げる手段は確保できる。でも、今後こいつらの集団がこの谷に住み着いているのなら、飢えた拍子に近くの人間を襲うかもしれない)
それはマモルが一番避けたいことだった。
周りの住人とも少なからず会話はしている。エレベータを取り付ける際には協力してもらったこともあった。無下にはできない。
かといって、ここで下手に突っ込んでいって狼に仲間を呼ばれるようなことになれば、この狭い谷の底で一網打尽にされるのはマモルたちの方だ。そして何より、“幸運なことに”この狼には知性がある。話を理解するだけの言語機能も備わっているのだ。現に、マモルの背後に目を向けている。人数のことや一番捕獲しやすいのがだれか考えているようである。
「…やめておけ、お前が向かっていって敵う相手じゃねーぞ。」
「? マモルン?」
ハカセはつい言葉にした。その言葉には嘘を感じさせない。しかし説得力こそあったが、それは自分たちのことを言ってる風ではなかった。
「いいから、黙って帰れ。今ならまだ―――
その時だった。
狼は地面を蹴り、マモルの頭へ飛び掛かるように高く飛んだ。
口を大きく広げ、敵意をむき出しで襲う。その攻撃とも言えない姿勢をマモルはしゃがむか横に移動すれば簡単に避けることができた。が、避けるという選択肢は、同時に背後の三人を危険にさらすことになる。目の前の獣は、それも織り込み済みだ。
「くそっ!」
「マモルン!義手っ!」
「お兄様」「兄ちゃん!」
三人の声を聴いた時、マモルはこれ以上行かせまいと戦うことに決めた。
右手の義手を外に振りかぶり意識を義手に送る「動け」と。途端に義手は展開を始める。人差し指と薬指の中手骨にあたる部分から左右に割れ、奥から鉄の刃が出現する。そして、出てきた刃を狼の機械部分である頭部めがけて斜めに降る。
キィン!という金属の触れる甲高い音と共に―――――刃は、折れた。
「―――は?」
「―――アレ?」
マモルは驚きハカセは焦った。
鉄の破片と化したそれは空中で10回転ほどして数メートル後方で鉄の川の一部になった。
狼は一応不意に当てられた衝撃で警戒心を増しながらも、もといた地面に着地。前足を伸ばし後ろ足を曲げていつでも再び飛び込める準備を整える。
マモルは義手の壊れた刃の断片を見つめながら―――焦りに焦っていた。
(どーーすんのコレ!?意外と硬かったじゃんあの機械部分!?)
そうして頭の中を整理する余裕もなくただ茫然と立ち尽くしているが、態勢を整えるのを悠長に待ってくれる狼ではなかった。
「マモルン!前見て!」
「!」
すぐ言われたとおりにしたときにはもう遅かった。
狼は標的を『マモルを最優先に変え』襲ってきたところだった。今度は確実に胴体部分を狙って低い姿勢で迫っていた。
「くッ…。」
こんなことなら始めからゴーグルをかけてるんだった!何とか義足に力を込め、後方に移動しようとする。
が、僅かに間に合わない。回避より先に牙は迫って来る。こうなれば義手で受けるしかない、と右腕を前に出す。
ココネも近づこうと足に力を込める――ハカセは手を伸ばして近づく―――そして、そんな二人の間を後ろから通る一条の蒼い光。
「「!」」
二人がそれに気が付いた時には、すでに光はマモルの頭部をかすめていた。
★
「なっ!」
視界の端でかろうじて確認できた。
矢のような、針のような、長く先細りした蒼く光る何かがマモルの右頭部横10センチをかすめて行ったのだ。
そしてその光る何かは真っすぐに狼の機械部分に触れるところだった、丁度先ほどマモルが壊そうとした機械部分に。また同じように跳ね返る、そう四人は思った。しかし、結果は意外な――四人にとっては好都合なことにそれが弾かれることはなかった。
ぐちゃり、という鈍い音と共に狼にダーツのように深々と突き刺さった光の矢。その後、狼は血液だか脳汁だかわからない体液をまき散らし数回よろけた後、崩れ落ち―――絶命した。
「「「「……。」」」」
その様子を見ていた誰もが言葉を失った。
しかし、ただこれだけは理解した、「自分たちは助かった」「すくなくとも狼の命を犠牲にした」
そして、そんな事実にただ憤慨する人物が一人いた。
「…出て来いよ。そこに居るんだろ」
振り返ったマモルは、怒気を孕んだ口調でハカセと双子のさらに後方を見て行った。
その言葉を合図に狼とは反対の闇からその人物は出てきた。
★
出てきたのは、少女だった。マモルと同い年くらいの少女、背は平均より少しばかり高めの少女。長い黒髪は背後の闇と相まって少しばかり不気味な印象だ。服装は肩にフリルのような半透明の布素材を使っている袖なしの白を基調としたワンピースで下の部分でオレンジの太いボーダーが横に二本走っている。下には黒いひざ上まであるスパッツが風で見え隠れする。足が細いためか、それとも服装のせいかどこか弱々しく感じるが、正真正銘この少女がさっきの狼を一突きで葬った張本人だ。
なぜそう確信するかと言うと―――本人が言っていたからだ。
「ご機嫌よう。私は御家三花。先ほど狩りを終えたものです」
「狩り?」
マモルは警戒心を解かなかった。むしろ増加させてしかるべきだった。
今目の前にいる彼女は、先ほどの狼より恐ろしい人物かもしれないからだ。しかし、徐々に近づいてきた彼女が持っているものを見て、すぐにその警戒心がばかばかしく感じてしまうことになる。
ズズズっ…、と、何かを引きずって現れた少女の手に持ったものは四人に近づくことで認知されることになった。
「「「「!」」」」
「? なんです?そんなバケモノを見るよな目は?」
悪意もなく小首を傾げる三香と名乗った少女。後ろ手に持った『6匹の血肉狼の死体』をさもキャリーバックかのように引きずってこちらに来た。
その様子はまるで「こうするのが当たり前」と言わんばかりの平然とした顔だった。
「おい…それは…まさか…一人で?」
「え?当たり前ですよ。私が殺しました」
「! …なんでだ?」
敵意を持って聞いたマモル。簡単に命を奪うような人物の答え如何によっては敵とみなす必要もあった。
「…私が…殺してしまったんです」
意外なことに、少女はあっさり自身の後悔の気持ちを表に出した。まるで本意ではなく、仕方がなかったかのように。
「……は?」
予想をしていたとこなどないが、その顔は予想外だった。彼女は今にも泣きそうな、悲しそうな顔をした。
「この生物がリーダーを筆頭に統率のとれた行動をするのは知ってますか?」
「…ああ。」
「そのリーダーを私の同業が殺してしまったんです」
「同業?…殺戮を行うってことは、君は『暗部』?」
「知ってるんですねメガネさんは。ええ、まあそんなところです。その後、統率も何もなくなった狼は散り散りになりましたが、ここに新たに集まってるとの情報が入ったので、それで」
彼女は言い終わると、下を向いたが、すぐにマモルをまっすぐ見て言った。
「でも、ありがとうございます。そこの狼を説得しようとしてくれて。あ、でも危ないからやめてくださいね」
「……ああ」
そうだ。マモルは家族を守る際、あの狼が怯えているのが見て取れた。だからこその言葉だった「…やめておけ、お前が向かっていって敵う相手じゃねーぞ」と「いいから、黙って帰れ」と。
「ふふふ。優しい人ですね。あなたは、今度ここで何を探してるのか教えてくださいね。」
そう言って笑ったサンカ。その言葉でマモルは五日前の朝の殺気は彼女だと確信した。
「あ、ああ。…なあ、こいつら、どうすんだ?」
「…食べます」
「そうか、……は?」
再び沈黙。
「「「「食べるの!?」」」」
四人同時にそういった。言わずにはいられなかった。
「? え?だってこれ、とってもおいしんですよ?レバーとカルビの良いとこ取りしたよな食感でして…食べてみます?」
首をひねるサンカという少女としては、この食す行為は最後の供養のつもりだった。自分の狩った生き物に対して、最大限の敬意のつもりだった。
「「「「お断りします!」」」」
しかし四人同時にそういった。言わずにはいられなかった。
「ふふふ。そうですか。わかりました。それでは!」
あっさりと納得してそう言うと、マモルの横を通り過ぎようとするサンカ。
少なくとも、生き物の命を粗末にしようとする人物ではないらしいことは伝わったマモル―――しかし、彼は見てしまった。彼女の細い腕に包帯がグルグルとまかれているのを。
「大丈夫なのか?それ」
「え?…ああ、これは、はい。大丈夫です」
「そっか、ああ、あと一つ」
マモルの呼び止めに、サンカは応じるように振り返る。
「? なんですか?」
身体もこちらを向いているのを確認して、マモルは頷く。
そして、右手をゆっくり上げたかと思えば、自分の白髪の部分――すなわち頭部右側をガキン!と音が響くように叩く。
その様子に一度驚き、目を見開くサンカ。対照に、周りの家族たちはどこか安心したような、「まったく…」と呆れたような、そんな中間の表情を作っている。当のマモルはといえば、頭部の機械部分が駆動を始めていた。圧縮された空気は蒸気となって音と共に放出、同時に銀色の小さな筒が頭部に対して垂直にせりあがる。筒は頭部から10cmほど伸びると、扉のように左右に展開、中から一回りほど小さい長方形の物体を取り出す。その形状にサンカは見覚えがあった、丁度旧時代のパソコンに取り付けるようなそれは―――
「…メモリー…? その白髪は趣味ではないんだろうなと思っていましたが、まさか機械化されているとは」
「ああ、そんなとこだ」
「でもなんで?」
なんでそんなものを取り出したのかと思っているサンカのその質問は、マモルたちにとって初めてのことではなかった。人間、意味の分からないものにはそのように回答を求めるし仕方がないことだと理解してる。が、それでもほとほと退屈な質問であり、それに対して同じ様に退屈な回答しか返せないのも事実だ。
「べつに、八年前にこの白髪の部分を事故で無くしてな。なんの目的か、失う前にこの部分を機械化する設計を俺自身で作ってたんだよ」
「ということは、あなたは設計士?では、そちらの御三方の誰かが相棒の技術士さん?」
「うん、僕だよ」
ハカセは手を上げて主張する。マモルがメモリーを取り出したことで完全に警戒心は無くなっている。マモルのその行動はそれだけ説得力のある行為であったようで、サンカが視線を動かすと、そばにいた二人の少女も同じような精神状態だと分かった。
「?」
自身で言うのもなんだが、命を簡単にとる人物に対して、警戒心がなさすぎる気がするのでは?サンカは当然の疑問符を浮かべた。
マモルはそんな彼女に向かい、言う。
「わりーが、もう一度名前を言ってくれないか?フルネームで」
そうして話を進めるように言ったマモルにサンカは疑問を感じたが、特に反発はせずに答えを返えそうと、口を開く――のを見計らって、マモルはメモリーのボタンの一つを押した。
「御家三香、ですけど…?」
――パシャリ、と岩壁の底に響いたシャッター音。
「?」
サンカも小首を傾げずにはいられない。しかし、その理由の説明はハカセがしてくれた。
「ああ!急にはダメだってマモルン!ごめんね。彼って機械化してるから、通常はこの大容量メモリーで記憶してるんだけど。もう一度会いたい人や忘れたくない人のことは今みたいな『アルバム機能』に保存するんだよ」
その簡潔な説明はサンカでも理解できた。そして、マモルがメモリーを取り出したことで他の三人の表情が緩くなった理由も。要は、「自分はこの少年に認められた」ことの表れなのだった。
「そういうことなんですね。ありがとうごさいます」
「べつに感謝はいいよ…っと、よし!これで登録は完了、もう忘れねーぞ」
と言って、マモルは満面の笑顔を作る。その安心させるような、誓うような、和やかな笑顔。サンカは瞬間、ある人物との時間が脳裏をよぎった。そして、目の前の少年と影が重なる。
「! …やっぱり似てる…」
最後につぶやいた言葉はうつむいたことで口の動きすら見えず、マモルも一瞬疑問が浮かび聞き返そうとしたが、それより早くサンカが顔を上げ、聞いてきた。
「私も…一つ確認があります!」
「ん?なんだ?」
先ほどとは明らかに雰囲気の違う口調。マモルは不思議に思ったが、素直に話を進める。
「あちらの建物。あそこに皆さん住んでるんです?」
指さしたのは、マモルたちの暮らしている建物だった。朝の作業を一度見られているため、マモルは大して疑問に思わず答える。隠したりごまかしたりしても意味がなさそうだったからだ
「そうだぞ」
「でも、普段暮らしてるのは僕とマモルンだけだよ」
「私たちは半年に一度ほど帰省のために来ます」
マモル、ハカセ、ココネの順で説明し、コトネもコクコクと頷いている。
「…なるほど」
そう言って建物を見つめたまま、呆然と立つ。が、すぐに考えがまとまり「わかりました」と一言言って、丁寧にお辞儀をした。
「もう行くのか?」
「はい。またすぐ会えます。近所に住んでいるので。あ!私の知る限り、逃げてここへ来た狼はこれで全部です。引き続き探してもみますが、一先ずはご安心を。」
では、また。と言ってくるりと体を反転。足元の先ほど倒したばかりの血肉狼を手で抱え上げると肩に担ぎ、残りの6匹を両手に3匹ずつ持ち、来た時同様、闇のカーテンの向こうに消えていった。
★
再び四人になった一行。
しばらく沈黙が走るがすぐにコトネが口を開いた。誰に対しても好意的なコトネも、目の前で簡単に命を奪う存在には委縮してしまったようだった。一緒に居てここまで声を聞かなかったことは無かった程だ。
「メモリーはアルバム…ね」
「? どうしたコトネ?その不審人物を見る目は?」
少なくとも、義兄に向かってする顔じゃなかった。
「べーつにィ、わたしは兄ちゃんが女の子につばつける?ためにそう言ってるんだと思ってるだけだよー」
「なっ…!」
言葉を失うマモル。意外なところで意外な人物に意外な言葉を聞かされ不意を突かれた、と言った方が正しい。
「どこでそんな言葉憶えたんだよ!?」
「ふふふ。覚えたての言葉を早速使うコトネ、可愛いです」
「お前かココネ!?変な言葉をコトネにまで波及させんじゃねーよ!」
「あはは…まあ、今まで記録した人物のほぼ全員が…女の子だしね」
「うるせーよハカセ、それは全くの偶然だよッ!男もちゃんと登録してるぞ!」
そんな雰囲気に明るさが戻ってきたところで、マモルは「…ってか」と話を切り替える。あくまで言いたいことがあるからで、話を逸らしたいわけではなかった。
「は・か・せぇ!?」
怒気のような一言一言を区切るマモル。
「?何かな…マモルn――――あ。…」
目の合ったハカセは冷や汗を流す。マモルの手には、いつの間にか拾っていた先ほどの鉄くず―――と化した鉄の刃が握られていた。それは先ほどの狼との戦闘で割りばしのように簡単に折れたものだった。
「これ、チョー脆かったんですけど」
「あははは、残り物で作った…ので…」
「コレ、たしか誕生日のものだって言ってくれてたよな?」
「は、い。ああでも、それはあくまで右義手の機能開放が主でして…」
「付ける武器がなくちゃ意味ないだろ!?」
「はィいいい~~~~。」
頭を抱え、ハカセは底に響くほどの声で情けない声を上げた。
☆
数分後、先ほどの四人と別れた後のサンカは、自分の今の自宅にしている洞穴に来ていた。岩壁の中間にあるわけではなく、鉄の川が玄関だというように並行している。
そこは、この八年で何人もの人間が仮住まいにしていたのだろう。鉄の川の材料を目当てに盗掘が行われる場合も少なくなく、住んでいるサンカが来た当時も今と変わらないほど生活感があった。
電球は一つだがそれで洞穴全部を包めるほど明るいが設置した当時から時間が経ってしまい橙色に変わり、サンカの影を妖しく揺らめかせている。
「ハア…」
ため息をこぼすが、しかし表情はどこか嬉しそう。
「良い人たち、でしたね」
誰ともなく、言う。
洞窟には光のほかに、やたら年季の入った木製タンス、本が二冊しかない本棚、衣類などを掛けるフック、さらに洞窟の奥に行けば温泉も常時沸いている。生活用品は先代の住居人が置いていったもので、温泉は蒸気を常に放出するため周辺で鍾乳石に水滴が伝い、音を奏でる。
そんな生活するには困らない洞窟の中、何もない壁際で膝を抱えるワンピースの少女は、目の前の獣の死体の山をじっと見つめていた。
「こんなに一杯…燻製にしても食べきれないくらいですね。大量です…。」
どこか寂しく感じるのは先ほどの人と話す時間が楽しかったからだろうと考えるサンカ。
久しぶりに人と話したのもそうだが目の前で獣とはいえ生き物を殺して、それでも気さくに接してくれた。通常そんな相手と会話をするにしても経験上、彼女から逃げるための時間稼ぎか、気を反らす策を巡らせているものだ。少なくともこれまであった一般人からの表情にはそんな様子が伺えた。あの少年の平等精神のような、屈託のない笑顔に彼女は以前接したことがあったが、それもたった一度だけ、今と変わらないような―――いやそれ以上に暗い部屋の中で一瞬だけ見えた、光のような存在だった。
「……。」
そして、本棚の方へと目線を移す。二冊しかない本の上の段に飾られた彼女の唯一の持ち物。光の向こうで、半身になった少年がこちらに向けて笑顔を作っている、ただそれだけの写真。芸術的価値はない。ただ彼女の日常の中でほんの一瞬だけ見えた光だ。
やがて、彼女は立ち上がる。写真の少年と、今の自分との生活の壁を突き付けられたような気がしたからだ。
「あ~あ、何やってるんでしょうね、私は」
そして、青白く光る鋏を手に、死体の山の頭の一つに狙いを定め――――――――振りおろす。
洞穴の壁に、血飛沫は舞った。