【彼らの夜明け《グット・モーニング》】1
「――――――!」
目を開けた。朝日が差し込むぬくもりのある部屋。頭のだけ動かし確認した机の上の電子時計は5時46分を表示している。
前の職場での習慣が残っているのか、サンカは毎朝この時間前後で目が覚めてしまう。時刻を確認すると、視界を見渡しここがどこなのかを確認する。
(――――――マモルさんのお家、ですね)
おはようござます。
体を起こす。周りにはいくつもの荷物が入った箱が積まれ、度々そこからは布がはみ出している。
(そろそろここ、片づけないとですね)
しかし…。俯き気味に下を向くと、たちまち顔が真っ赤になる。それには一杯一杯の羞恥心が見える。
(あの夢…久しぶりに見ました…。)
8年も前の出来事。それを未だに忘れない自身の感情。忘れられない、と言った方がいい。あの少年には、初めてのものを貰いすぎた。
初めての人を思う心、触れ合うことの楽しさ、そして人のために能力を使うこと。
大切な思い出故に、“彼”の前で変に慌てないように押しとどめてきた。しかし、改めてあの日の夢を見てしまうというのは、「……それもこれも、全部ハカセさんのせいです」誰ともなくそうつぶやき、昨日の夜のことを思い出してみる。
★
今日で、赤の領地“火炎団”の団長・赤囲紅炎との戦闘から一週間ほどが経過した。正確には6日経っていた。そして、帰ってきたマモル宅の内部でも少し動きがあった。
「じゃ僕は行くから、留守の間にマモルンのことよろしくね」
「はい!行ってらっしゃいませ」
両手を身体の真ん中で重ね、腰を曲げる。
昨日の夜。ハカセはいつもの白衣姿にアタッシュケースを提げて玄関で靴を履いていた。彼は朝には、全世界からの博士号取得者たちによる発表会、《博士会》に参加することになっている。
「にしてもマモルン、出てこないねぇ~」
階段に目線を送るハカセ。寂しいという感情は一切なく、ま、彼ならそうだよね、と納得している節が強い。
戦闘からその日で5日目、その間マモルは一度として部屋から出てこなかった。理由は本来の仕事である設計の仕事をするためだ。怒涛の勢いで設計を完成させるが、なにせこの2週間で全世界からの仕事が溜まっている、さしものマモルも集中しなくてはやっていけない依頼の数だ。
「ま、彼は帰ってきてからすぐにやってたから、きっと終わったら死んだように寝るんだろうね。」
「え?一度そんなことになったんです?」
「まあ、ね…。」
遠い記憶を見るように天井を見ている。詳しく聞かないサンカだが…一悶着あったのだろう。
疲れて眠っているだけだったのを知らなかった数年前、死んでいると思い、パニックにパニックを起こしていた。という経験があった二人だ。
「と、とにかく。僕ももう行くね。」
アタッシュケースを一度上げ、出掛ける意を示す。
はい、では、改めて。両手を下腹部の上で重ね、腰を曲げる。
「行ってらっしゃいませ。」
「…………。」
見送りをするサンカ。しかしハカセは、玄関の扉を開けた後なぜか顔だけを家に残して、こちらをじっと見ていた。
「?な、何でしょうか?」
もう夜も更けてますし出掛ける用事もないので気にしませんが、私の顔に何か付いてます?
「……。」
しかし、無言の博士が再び口を開いたのは、サンカが動揺するに足る言葉を発するためだった。
「既成事実作っても、いいからね!」
グッという勢いで親指は立った。
「……~~~~~!!ッ!!~~~~ッ!」
数秒の間の後、火が噴き出すような勢いで赤面。叫ぶ。
「な、なにいってるんですかああ!!」
「しー!ご近所さんに迷惑でしょ?」
じゃあ叫ばせないで下さいよ!?事としだいによっては、セクハラですからね!!
その口の前に手を置いた笑い方は何です?明らかにからかってるでしょう!全く質が悪いことだが、これがハカセという人物のコミュニケーションだった。悪戯が好きというか、子どもがそのまま大人になったような好感が持てるといえば好感が持てる人物だ。常に大人びている雰囲気のマモルと相性を見れば、足して二で割った感じで、丁度良いだろう。
「まあ、それはヤってくれてもどっちでもいいとしてね、やっぱり、疑問は晴らした方がいいかな、と」
「疑問?」
なんのことでしょう。いや、既成事実の件をどっちでもいいじゃ済ませちゃいけない気もしますが。二人の、ひいては今この家に住む人間の将来にもつながることだった。
「8年前から気になってたことがあるんだよ。マモルンも記憶を失ってて、考えてもどうしようもないことだったから、言わなかったけどね。」
(!八年前…。)
心当たりがありすぎる。恐らく、事件前後のこと。記憶を失った彼に、何があったのかと言うこと。
「うん。実は彼、マモルンってね、あの四肢になった経緯はかなり不自然だったんだ。」
「彼は事件の翌朝に僕が見つけた、記憶と四肢が失われた状態でね。でも、考えてみてよ、当時8歳のただの少年が、あんな時間四肢や頭部からの出血に耐えきれると思う?」
専門ではないにしろ、人体に対してある程度詳しいサンカが口を挟む。
「…多分、数分もすれば…」
死ぬ。人間の体はある程度頑丈だが、どうしようもないことはある。例えば失血死、成人男性でも血液の総量の2分の1の出血、約1.5リットルで絶命するといわれる。それが子ども身体―――まして四肢と頭部を失いその上出血まで止めれないとしたら、数秒で亡くなってもおかしくない。
「…でも、マモルンは耐えきれた。というか、傷口が塞がってたんだよ」
「!!!」
ハカセのその言葉に目を見開く。ただの少年の傷が塞がるといえば、それは“赤”が一時的に処置をした場合に似ている。ハカセはその顔を確認しつつ、話を続けた。
「正確には見つけた当時、頭部にはまだ鉄柱は刺さってたし、手足がない状態で塞がったから改めて生身の腕を繋げられなかった。だから彼の損傷は機械化で治療する形になったんだよ。」
「あ」
それは、傷の再生がなかったらマモルには手足を培養するという手段があったのではないか、などと責められているような気持ちになる。そう俯いたのを確認したうえでハカセは仮説を続ける。
「僕はこう考えている。マモルンは―――僕がマモルンと名付けた彼は、破壊機械暴動事件に合う直前、誰かから再生能力:異種眼の赤眼を貰ったんじゃないかな?ってね。」
「でも、それですと」
「うん、本来イレギュラーアイは他人に移せたり、他者からそうでない誰かに引き継がせることはできない」
本来なら、ね。
「でも、こう考えるのが、妥当な気がするんだよ」
無理やりなその仮説を確信している風の博士。そして、ハカセがサンカという人物にあったことでいよいよ確信に変わった。ハカセはサナエの家でサンカに対しある質問をしたが、その内容はこうだ。『誰かに眼の力を与えたことがある?』サンカはそれに対し、終始戸惑ったようで、『……え?あ、…え?な、なんのことですか?』と半ば混乱していたが、少し考え最後にははっきりと、『はい。あります』と応えていた。それもハカセの判断材料になった。その時は、フムフムなどとはぐらかしたが、今この時話すのは正解な気がした。
「私は、先日ナエちゃん宅でお話ししたように、暗い場所に居て、そこでマモルさん似の少年に会いました。そこで私は生きがいとなる約束をした。…おかしいですよね、赤眼はいわば不死能力ともいえるのに」
生きがいなど。不死者が生きるための約束など。でも…。
「その少年と会えてよかった。“彼に血を吸わせたのも”今となっては後悔していない、つもりでした」
しかし、それで影響が出るなどとは考えてもいなかった。あの時血を与えた少年が、まさか間をおかずに四肢がちぎれるようになるなど、予想の範疇をこえていた。
「ハカセんさんの言いたいことは分かります。もし8年前にマモルさんになったであろう少年さんに血を渡したのが私なら、それはマモルさんから生身の手足を奪ったのは、私ですよね」
そういう話になるとサンカは理解した。血を与えなければ、マモルは培養液に浸けられ、元通りの腕を得ることができるはずだった。
あの少年に会ったのが事件の約一日前、都合で言えば100%に近い確率で、二人の想像している人物はマモルだ。そして、手足が塞がっていなればマモルには違った―――人間の手足があったはずだ。
しかし、ハカセの言いたのは全くの逆。
「え?奪う?むしろ僕は感謝したいと思ったくらいだよ?」
寧ろそんな風に考えるのは心外だ、といいだけに首を傾げて頬をひきつらせるハカセ。
サンカもこれには動揺する。その様子に、ハカセは彼女がある誤解をしているのだと理解できた。
「ああ、僕の良い方が悪かったね。確かに、再生されていなれば彼は生の手足があった。でもそれは、彼が亡くなってからの話になってたよ」
「え…。」整理「あ。」理解。
「当時のあの状況ではとても再生液に浸らせる装置はなかった。マモルンと同じ様に災害で損傷した人のほとんどが、彼と同じ処置をしたよ」
「え?え?」
「この場合、僕は“生かされた奇跡”の疑問を晴らしたいんであってね、全く責めるつもりはない。むしろ嬉しい!本当に君がマモルンを救ってくれたなら、心から、感謝したい!」
言うと、ハカセはお辞儀をした。90度に曲げた、はっきりとしたお辞儀だ。救ったのがサンカだと分かっているかのようだ。
「え?ええ?」
「じゃ、僕は行くね。いい加減、君も寝ないとだろうから」
「え、ええ…」
先ほどから、同じ単語しか言っていないサンカ。気持ちの整理が追いつかないまま、ハカセは背中越しに手を振り、玄関のドアを閉めた。
★
「…っふぅ。全く、あの人はかなり自分勝手に話を進めるんですよね」
既に階段を降りたサンカ。調理場に向かい、文句を言いながらもエプロンをかける。
つまりあの時、ハカセは感謝するためにサンカにあんな話をしたのだろうと、そう捉えていいだろう。
「さて、お料理しますか!」
気合を込める。例えマモルが降りてこなくても、とりあえず準備はしておく。
(にしても、大切なもの、ですよね)
大切な思い出だ。あの少年に会うまで、絶対に死ねないと思うほどに。そうして八年間を生きて来た。
我ながら馬鹿馬鹿しくなるサンカ。彼のために8年かけて口調も直し、振る舞いも丁寧なものに仕上げた、当時の彼が“記憶の劣化で”忘れていたとしても寄り添おうとする気概はあった。が、現実は複雑だ。
「…はあ、まさか、記憶そのものを忘れているとは…。」
“本業”を辞めて、個人的に昔より平和な生活になった8年の中で、懸命に探してみても、ままならないことがあるものだ。仮想新聞やら人聞きなどで情報を集めつつ、彼を見つけたときは心が躍った。
「……………本業、ですか。」
呟いて、立ちまち心に霞がかかる。
「そう言えば、ようやく面と向かって話せたと思ったら、“あの人”は相変わらず事務的でしたね。」
★
―――――約6日前。
赤の領地本拠地前、玄関にて。
「じゃ、俺たちはこれで行くな」
対面する二人の戦友。おかしな話だが、二人はつい5時間前まで互いの命を懸けた戦闘をしていた。武器を行使し、傷付け合った。そんな二人だが、今では互いの過去を話し合った友人にまでなっていた。
もっともマモルから言わせれば、記憶メモリーに登録した時点で信頼はしていた。コウエンはマモルたちと戦って勝ったところで人権を侵害するような酷使はしない、と。登録した時点でもう分かっているようだった。
マモルの背には装甲車が止められ、中にはハカセとカイトが熟睡をしていた。
「…にしても、サンカおせーな。」
「確か、お手洗いを貸してください、とか言ってたな。ボーガンが案内してるよ。」
コウエンから見て、人付き合いが苦手なボーガンとしては珍しく積極的な印象、だった。
「まあ、ボーガンには全てが片付いてから、いろいろ聞きたいことがあるからな。」
「?聞きたいこと?」
「あ、いや、それはあくまでこっちの話だ」
というか。
「ほんとに目覚めるのか?勢さんは?」
「まだんなこと言ってるのか、いいよ。もしあと二日以内に目覚めなければ、全軍でかかって来い。“最低限の抵抗”で相手してやる!」
これはハンデのつもりだ。対軍相手になってもそんな余裕を見せるマモル。コウエンもついカチンという音が聞こえるほど表情を歪める。
「上等だ!その時は俺様達の得意な戦術で、てめーを討つからな!」
「おう!全力で来い!負けないけどなッ!!」
などと言う売り言葉に買い言葉が賑やかな街とまっさらな青い空に響いていた。
そんな時だ。陰る路地裏、マモルたちの待っている場所とは建物を挟んで反対の場所、そこに二人の人物が対面していた。一人はサンカ。壁に背をつけ、腕を組んでいる。もう一人はボーガン。狭い通路に仁王立ちの構えで佇み、サンカをじっと見ている。
「…私たちは耳が良いですが、良いんですか?貴方の主人多分、貴方の能力に気が付いてますよ。」
サンカが試すように見る。その視線には少し心配の念も混じっていた。
「もとより、勢には知られています。事件の最中に教えたことですが、ね。お気遣いはどうも。」
「まあ、いいです。こうしてお話しできる機会、そうないでしょう。」
あ、それと。ここで今まで言えていなかったであろう、言葉を伝える。その言葉は、二人の交友関係を示していた。
「私の口調と接待の指南、ありがとうございました。」
そうして挨拶をするサンカは、指南の成果が存分に発揮されているようだった。
「わたしも、突然メールで『気になるヤツが出来たから、敬語とか丁寧口調を教えろ』などと敬語とは無縁と思っていた人から来たときは目を疑いましたよ?」
「う、煩いですね。」
「もっとも、今こうして身に付いてるのですから、わたしもメール越しとはいえ、教えた甲斐があったというものです。」
しかし、二人で話すと違和感しかないですね。とボーガンが苦笑交じりに言う。
「なにせ、私たちがこうして面と向かって話をするのは―――10年ぶりくらいですね。」
「ああ…もうそんなに経ちますか。」
確かに、そのくらい前に目の前の彼、ボーガン・S・ブランクマンはサンカの所属していた組織から身を引いた。しかし、その組織の特徴は健在だ。
「…これから、どうするのですか?双腕重機?」
「何も?わたしはわたしのやりたいことをやる。今は、この団を第一に考えていますよ。裁鋏あなたはどうなのですか?わたし達二人は同じ赤眼でありながら自由を求めた同士です。良ければ今後とも、仲良くしていただきたいものですね。」
「ええ、構いませんよ。…しかし、当時使われていたアイコンタクトで『二人きりになりたい』などと、凝ったことをするのです。ただの友好の証の証明ではないでしょう?」
再び睨みを利かせる。鋭い眼光は嘘は通じないことを示していた。ボーガンはその視線を見、どこか安心したようにうつむく。そして少しの沈黙の後こう告げた。
「…………………《王》が動く」
その一言。たったその一言で、サンカが目を見開くには十分だった。
「な!なぜ!?」
「その連絡が来たのが今から2週間ほど前。あなたたち一向に会う前ですね、“ウェポン”から連絡がありました。だいぶ先になるのかもうすぐそこまで迫っているのかは分かりませんが、《王》が直接組織を束ね、派手に動くそうですよ。」
「……そんな。」
「その時どうするのか、手を引いたわたしたちにも聞いて回っているそうなので、多分組織の存亡がどうとかではなく、我々赤眼の種全体が関わるのでしょうね。」
それで?と、次に睨んだのはボーガンの方。これからする質問に関する回答を楽しみにしているようだ。
「あなたは、どうしますか?“サンカ”?」
「…私は…。」
決まってる。本来やりたかったことをやり通す。
「“彼”に会って、護り切ります!」
真っすぐに、ボーガンを見つめた。
「…やはり、君もそちらを選びますか。」
わたしと同じですね。では、と右手をサンカへと差し出す。
一つ笑顔で受け入れ、サンカもボーガンの手をとる。
「お互いの自由を尊重します。」
★
調理場では、トントンという小気味良い音が響いてる。
「…うん。びっくりするほど、後悔してないですね!」
もしかしたら―――いや確実に、《王》の意志に逆らえば、大なり小なり戦闘になる。他の赤眼との戦闘に。でも、
「私は、貴方を護りますよ。マモルさん!」
さて、そろそろ彼を起こしますかね。多分寝てるってハカセサンも言ってましたし。
意気揚々と、サンカは鍋の火を止め振り返った。




