【戦う理由《バトルズ・リーズン》】1
―――――十年前。
第五層。この地球という惑星の最下層であり、文字通り”ゴミの掃き溜め”。ゴミのような人間と人間のようなゴミの区別がつかないほど、汚く、暗く、昏い。人口密度などではとても表しきれない、無駄にいるような―――表現でいう所の『腐るほどいる』が体現されたような場所。
過重負荷など考えもしない積木のようなビルになった違法建築。ボロボロの機械は鉄くずをまき散らしながら小道を歩き、布きれだけ着た酔った中年は近くに寄ってきた無垢な子供を払うように殴る。道端の塊が人かそれ以外かなど実際に触って殴られれば確認は早い。街の至るところで喧嘩、暴動、絶叫、喘ぎ、殺人。常に仄かな明るさしかない街灯や部屋の明かりはあるかないかもわからないし、この際住人の雰囲気もあって意味がないない。それが"彼の"当たり前。物心つく前から、あるいは生物として形を成す前から、彼の生き方は決められていた。
鉄板を重ねただけの建てたとも言えないような、建築のケの字もない粗末なもの、それが彼の知る家というべき場所だった。そしていつものように繰り返される『日常』。
★
「オラッ!おお?どうした!?まだまだ終わってねーぞ!?ああ?しっかり言ったよな?隣町の家から酒くすねて来いってッ!?おお?全然足らねーんだよ酒がッ!!オラッ!」
勘弁してよ父さん。あそこまで行くの遠くて疲れるんだよ。そんな言葉は腹部を抉る蹴りの前に消える。血なのか、他の液体のかは暗すぎてわからないが、殴られるたびにそれらを壁にまき散らす。
もう慣れた光景。慣れた痛み。そして慣れた、親父の感情。
母が病死してから親父は壊れた。それ以前はこの層では珍しい”まともな判断のできる人間”だったらしい。それを知ったのが物心ついた後だったからこそ、ボクはこの世界から逃げようとはしなかった。いつかまともな父に戻ってくれる、またあの家族に戻れる。そんな夢は初めから抱いていなかった。それでも―――これでも父だから、ボクがいなくなり、暴力の矛先が他の人間に―――他の子どもに向けられれば、それこそ最悪の人間だ。少なくとも目の前の”大人”は家から出ない。ボクがいる限り。それだけが救いだった。
そして、こうしてある程度ボクが反応”しなくなれば”、この人間は飽きて眠りに付く。そうすれば、また自由なボクの時間だった。いつものように外に出て、またあの子に合おう。そうして一時でも忘れられるなら、それだけでボクの一日は終われる。
にしても、今日は長いなあ。
「オラッ!オラッ!…反応しねーな。つまんね」
お、諦めてくれたかな?
「なんか、今日はホントつまんねーや、外で騒いでる連中がいるからか?気分わりーぜ」
確かにいたなあ、外の広場でキャンプしてる人たち。若い人がいっぱいいたけど、なんかの組織なのかな?楽しそうだった…というか、気分悪いならいい加減止めてくれないかな…意識、飛びそう。
「お?丁度空のビンあるじゃん。へへっ」
あれ?なんでビンなんて持ってるの?普段はそんなことしないのに…。
「なんかよお、お前の目がよお、最近あいつに似てきてよおお!!つまんねえんだよ!!」
うるさい声…というかボク、死ぬのかな、多分あれ、殴るよね?
嫌だなあ、もうあの子に会えないのか…。そんなとこを考えているときも、酒瓶は宙に掲げられ――――振られた。
☆ミ
「……。」
首に伝う、冷たい感触。厚さ数ミリで伝わるそれが刃物によるものだと言うことを理解するのに、そう時間はかからなかった。
マモルは高速でコウエンに近づいた。それも一番初めに見せた加速だ。疲労困憊のコウエンに避けるすべなどなく、また全てを出し切った彼に避ける必要性などなかった。そうしてマモルの振り上げた剣に切られ破壊戦争内の戦闘はお開き、という流れになるはずだった。
結果は、居合のような姿勢で近づいたそれはコウエンの首の皮膚コンマ数ミリに触れる程度の所で止まった。つまりコウエンは生きていた。
「なんで、止めた?ぶっちゃけ今ので俺様、戦闘終了つもりだったんだけど?」
「最初から言ってなかったか?俺は戦争をしているつもりはないって。」
言ってた気がした。初めから彼は「依頼をこなす」と言っていただけ。それに、最後の言葉。
「お前を守る、とも言ったよな?」
「…………ああ」
初めから、殺意を向けていたのはコウエンだけだった。いや、その殺意すら自分の為のものではない。それをわかっていたマモルは殺意を向ける必要はなかった。コウエンはマモルのその想いを理解するくらいには彼を知ったつもりだ。そして、理解したからこそ笑えてきた。
「結局、本気で殺しあってたのは俺様だけだったか。」
「いーや、お前もわかってるだろうがあの戦闘は俺も十分本気だった。もっと言えば、無傷で完勝するつもりだったんだがな。」
それが見ての通りこのざまだ
マモルはマモルは左半身を見るように促して見せ、そして同時に自身の姿を嘲笑った。
マモルには森でしたカブトとイクエとの約束があった。「圧倒的に勝つ。その上でコウエンに考えさせる」それはつまり、コウエンから一泡ふかされた時点で失敗しているようなものだ、マモルはそう考えていた。今回の戦闘はいわばマモルからすれば妥協点。こんな圧倒的な完勝ですら、ギリギリ納得できるだけのものだった。計画もなく、初見で相手の実力を見たうえでさらにその上を行かなければならない。マモルがしていた戦闘の任務達成条件はそれだった。
「なッ…!」
それを実行する難しさ。繊細さ、大胆さをコウエン自身、この八年で理解できるだけの経験を積んでいた。何なら今すぐ二人を呼び戻し「なんて無茶なお願いしてんだ」とひっぱたいてやりたいくらいだった。
「そっか、ま、これでお前の望みは少しでも叶うわけだし、これで終わるのも悪くはねーよなぁ」
「ああ、その事なんだけどな。」
「?」
小首を傾げるコウエンに対して、マモルはただ義手をさしのべ、
「さっさと、お前の望みを言えよ、紅炎。」
「…………。」
数秒の間のあと「は?」ようやくそんな間の抜けた声を上げた。
「お前、今なんて?」
コウエンの質問に対し、マモルは理解できない、否、一周回って不機嫌な顔をしている。
「何言ってんの?いいからお前が俺と戦ってやらせたかったことを言えって言ってんの!」
「な、なんで?」
お前の望みは?やりたかったことは!?これじゃあ最初から最後までなめられているようなもんじゃ…。
「俺様達は四色の土地じゃあ小さい方だけどよ、それなりに権力はあるんだぜ?お前の望みの一つや二つ叶えてやれるだけの財力とか軍備力とかあるんだぞ!?」
「だからなんだよ。俺の今やりたいことは”お前の望みを叶えること”だ、どう思われようがそれが今の俺の望みだ!」
真っすぐに、膝から崩れたコウエンを見る。微塵の偽善者ぶりも見せず、嘘もない。
「今の所俺は探してるものが二つある。破壊機械たちの痕跡と、俺の記憶を取り戻す手がかり」
「じゃあ――――」
それを俺たちにやらせてくれ、こちらから頼もうかとも思った。結果、マモルは遮るように言う。
「でも!それは俺の”やりたいこと”で”今やるべきこと”じゃない。もっと言えば、”俺がやる事”であって他の人間の時間を削ってやらせたいことじゃない!」
どちらも進めたいのは、俺の我儘だしな。そんなことをハカセに言えば、「もう!君はもう少し我儘になりなさい!」なんてむくれられたことだろう。しかしこれもマモルにとっては十分に我儘になり得た。
それに最初から、マモルは言っていた。「依頼で来ている」と。それは森での二人の「頼み」もそうだが、マモルには最初に決闘話をもちかけられたとき、コウエンの捨て台詞のように言っていた「今回の戦い、お前が勝ったら何でも聞いてやる。その代わり俺が勝ったら、一つ依頼をうけろ」というのは、初めから救難信号にしか聞こえていなかった。見下しているわけではなく純粋に、この勝負の決着がどうであれマモルはコウエンの話を聞くつもりでいた。
「つーわけでほら、さっさと立て、こっから出てゲームは終わるぞ。」
義手を差し伸べる。コウエンからしたら『あの時と同じ』三度目の圧倒的敗北だったが、こんなに清々しい気持ちの敗北は他の二度にはなかった。技術だけでなく感情の全てを捧げても全く届かなかった、それでいてこんなに心は晴れやかだ。何年ぶりの気持ちだろうか?いや、届かなかったからこそなのだろう。
「守……ありがとな。」
笑うことのできる敗北があるのだと、そういう世界に連れて行ってくれる存在がいるのだと、齢16にして知ることができた。
「おう!!」
義手を取り立ち上げる。その手がそのまま友好の握手へと変わり、後は現実でボーガンたちがレバーを引いてくれれば一つの戦いは終わる――――――――――はずだった。
★
―――――――一瞬、コウエンの首の端から端を横に流れた一閃。
当然、マモルのものではない。なぜならその一閃はコウエンの背中越しに始まり、マモルの目の前で起こったことなのだ。
ズルズルと肉がずれあう音を立ててコウエンの首から上が流れていく。ボトリと落ちたそれは地に着くと同時に情報の結晶となり霧散、続いてコウエンの体も光となって消えた。なまじ微笑むような顔のまま落ちていったために、マモルは驚愕と苦渋が入り混じった表情を作るしかない。
そして、消えたコウエンと入れ替わるような形で目の前に現れたのは、真っ黒な機体と赤い瞳、そして蒸気を肘関節から噴き出して佇む一体のロボットだった。
「!」
見覚えのある、その機体。脳裏に焼き付き、記憶をなくした今も忘れはしない。そう、それこそが長年マモルの探していた――――――。
「破壊機かi―――――」
言い終わる前だ。反射的に剣を出し、攻撃に映ろうとした瞬間だ。すでに左頬には機体の拳がめり込み、視界を徐々にゆがめていた。機械の左手には、紫色に発光する粒子剣が備わっていたが機械は使おうとはしなかった。
マモルはといえば、ただ視界が歪み薄れゆく意識の中、ただ改めて決意を表すしかなかった。
(こいつだ…!俺が壊さなくちゃいけないのは!!俺は、こいつらをぶっ壊す!絶対に!!)
パン!という破裂音にも似た音が荒野に響き、マモルの命は絶えた。頭部と身体の別れる痛みというのは、こういうものなのかと、八年前に見るだけだった感覚を理解した。
★
「――――――ハッ!―――――イッツ~!!」
目を見開いた後も差すような左頬の痛みにマモルは反射的に義手で抑える。しばらくそうしてたし、そうして居たかった。
(反応…できなかった。)
一瞬だった。思考加速も使ったし、疲労も溜まっていた、そして何より不意打ちだった。出遅れた理由などいくらでも浮かんだ。しかし、脳裏によぎるのはコウエンの命が亡くなった姿。一瞬無くった首、噴き出す血液。現実ならそれに加え体勢を崩しマモルの方に寄り、徐々に失われる体温を感じることだろう。目の前にいた人間を失う恐怖、それを『思い出させられた』、マモルにとっても忘れていたことだったのに。
『どういうことだい!?破壊戦争は、対戦者である両者以外は干渉不可能な構造だったんじゃないの!?他ならぬ君が説明してくれたんだよ!?』
未だ機械から出ようとしなかったマモルは、外から聞こえるハカセのそんな叫び声を聞いた。
(珍しいな。ハカセが声を荒げるとは…。)
なんて言ってる場合じゃないか。そろそろ起きようと決めた。
頭部に付いたヘルメットを外す、髪が静電気で上がるのをなんとなく抑える。と、完全に外れたのを確認してか青いガラスは自動で開かれ、マモルは顔を上げた。
「何を叫んでんだ、ハカセ?」
頭を掻き分けたマモル、顔を上げるとハカセが涙目でこちらを見ていた。
「ま、マモル~~~ん!!」
抱き着いた。そこには一切の無駄な動きはない。
「イデデデデデッ!おい、左半身をもっと丁重に扱ってくれ!ひりついてイタイ!」
「あ、そうだったね」
破壊戦争は超現実的な戦闘ゲーム、コウエンの説明にはなかったことだが銃弾の消費を補充しなくてはいけないように、傷の痛みにも治療が必要だ。ほとんどままごとのような作業で済むのだが、義手の故障や機械の破損は現実の体にも残されており、しっかりと修理が必要だった。一週間前に双子が家を訪れたのもそのせいである。
「あ、あともう一つ、重要な特性があるんだよ。」
ハカセも試合が始まった途中でボーガンから聞いたことだったが、破壊戦争には戦闘中に別の勢力が加入するという、いわゆる第三勢力の存在はない。事前に団と団との間で戦闘条件を設け、その規定内でしか戦闘は行えない。例えば・100人対100人の再接続なし・武器弾薬使用自由・大将指定制・三日戦闘、というのが団体構成員数200人以上をまとめる大団体の基本の模擬戦闘条件だった。そして、事前に3団体で戦闘行うなどの指定がない場合、他の団が干渉は不可能、例え優秀なプログラマーが変更を試みても、構造解析すらままならないという結果だった。
不可侵のゲームの不可能な侵入、それをやってのけた破壊機械は、一体誰が創り出したのだろうか。そんな風に考えたマモルだった。
「うわああん、心配だったよおお!!」
「分かったから、離れろ!」
マモルは叫びつつハカセを引き剥がす。涙やら鼻水やらをマモルの服に擦り付けているため、不快感があった。
そんなマモルの姿に呆れながらも「……イツツ…」と首抑えながら、コウエンが近づいて来る。切られた感覚が残っている彼は、少し顔を歪めている。
「最近は、白でも他の団体でも同じような襲撃があるらしい、近々四色が集まって対策会議を開く、お前が気になれば、開催日とかを連絡しやるよ」
「え?いいのか!?」
双子も所属しているため、また実際に彼女たちが被害に遭っているため、気にならないはずが無かった。
「おう」
「サンキュウな」
「………。」
「………。」
沈黙した二人だった。このまましばらく闘いの余韻に浸るのもよかった二人だが、パン!とハカセが手を叩いてことによって我に返った。
「それじゃあ、二人の会話は大体聞いたし、仕事の話をしようか!!」
「「おう!!」」
★
ガラス瓶の破片が、隙間のような窓から注いだわずかな光に照らされ、皮肉にもきれいに輝く。飛び散った血痕は生々しく壁に叩き映されている。
注ぎ口周辺しか僅かに残っていないガラス瓶本体には、表面を伝って血が滴っていた。
頭部に流れるのは生ぬるい真っ赤な流血。
それらを遠のく意識の中で確認し、僅かに開いた視界で見つめる。
(この血、全部、ボクの?やばい、ボク…死んじゃう…?)
思考能力がなくなっていく。もとより手や足は打撲や火傷で少し感覚がない。その上出血により体温が下がっているが呆然として状況の整理ができない。多分、あと数分もしないうちにこの子供は息絶えるのは明らかだった。
「おお?なんだ?死ぬのか?もう自分で買うしか、酒は飲めねーのか?」
ここまでしておいて、まだ酒のことを考えるなんて。大人って、地下にいると皆こうなっちゃうのかな…。
自分ももしかしらあと数年でそうなってたかもしれない、そう考えると今死ぬのは悪い事じゃないかもしれない。6歳ながらにそう考えた。
だから、直後に響いた壁を足で蹴破る音と「おっ邪魔しまーす!」という人間の声なんて、どうでもよかった。
「! 悪かった。お前の友達っていうやつがここにいるのを教えてくれて、急いで来たんだけどよ…。」
目の前の状況を見て、扉を蹴破った少年とも成人とも取れそうな声はこちらにも哀しみが伝わるような声を出している。
「おい!おっさん!!あんたそれでも、人間かよ!!?」
次に近くにいた父親と呼ぶべき存在に対し、怒鳴りつける。
精一杯の力で、目を開けた。とはいえ、無くなっていく意識の中でいくら力を込めても、数ミリしか開かない。そんな視界の中で光を背負い、真っ赤な特攻服を身に付けた彼は、高らかにこう言う。
「まってろよ、餓鬼。俺・間宮勢の名において、ぜってーお前を救うから!!」
彼が、俺様の世界を変えてくれた大恩人。そして、俺様の大切な大切な家族の一人。そして俺様が、たとえ命を賭してでも救いたかった人間だった。




