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破壊機械~白銀の四肢と世界の記憶~  作者: 祭 竜之介
火炎篇
20/48

【拒絶の森《レジェクト・フォレスト》】2

――――――全く、慣れとは恐ろしいものだ。


 八年前まで都会だった地域から少し離れた瓦屋根の多い集落。山と人口の川に囲まれ時々浮遊機械に乗った若い住人が道路を走っている。

 そこからさらに少し離れた人気のない上流。森に差し掛かる道路の手前に家が一件、ポツンと立っている。

 その家には現在、二人の若い男女のこんな声が聞こえて来る。

「いーよいしょ。姉さん。これはどこに置く?」

振り返り、手に持った木箱の終着点を聞く少年。

「おう!それはそっちだな。」

応えるように、腰に手を当てて堂々たる姿勢で壁棚のすぐ下を指さす少女。どこか大胆なイメージを与える言動だ。

 指の直線を追うように木箱を持った少年がテトテトと音を立てて移動する。

背は高いが、まだ幼さが残る顔立ちの少年。そんな彼に「姉さん。」と呼ばれることに少し前までは違和感を覚えていた少女だが、半年が経過した今ではすっかりその言葉を受け入れていた。その事を誇らしく思いつつ、少年に聞こえないようにそっと鼻を鳴らす少女。

「よいしょ――と。よし、姉さん、次はこれ、どこに置く?」

「おう。それはこっちだな。」

先ほどとは反対を指さした。

 すぐに少女の足元にあったもう一つの木箱を持ち、再び移動する。

「ど、っこいしょ。うん。これで掃除は大体終わったよ!」

汗をぬぐい。棚と備え付けのショーケースを一瞥する。そこにはいくつもの光る金属製の刃物が並べられている。

「お疲れさん。悪いな、こうしてあんただけに年に二度ある掃除を任せてちまってよ。」

「いいって、いいって。姉さんは今その状態だから重いもの持てないでしょ、その分、居候である自分がやるべきなんさ!」

誇らしげに語る少年。拳を突き上げ、気合いを示す。

 少女は少年のその様子を誇らしく思い、「そうかそうか」と嬉しそうに頷く。

「じゃ、掃除も終わったことだし、営業を再開する、が。もう日が沈みそうだな。これから客来んのかな?」

「さあ、でも、今日来るはずの依頼人は全員来たよね?」

「ああ。」

「じゃ、ひょっこり来るお客さんを、待つしかないんじゃない?」

それもそうだなと納得する。既に製作すべき依頼品は完成し、受けとるはずの依頼主もすべて顔を出していた。カガク者ほど日々入って来る依頼の数は多くないため、午前中でやるべき仕事は終えていた。そのため午後は中途半端な時間ではあるが、片づけをしていたのだった。

「それもそうか、んじゃ、扉を開けるぞ!」

移動し、自動扉ではない横開きの扉を全開にする。丁度、日差しの落ちた涼しい風が夏の気温をかき分けて肌を撫でる時間だった。

「うーーん。良い風だな。……?」

視線を道路へと運ぶ。集落の方から一台車が走ってきている。土煙を上げながら、何やら騒がしくなりそうな予感だった。

「ケンマ。お前って、目が良かったよな。」

背後にいる少年に訊く。

「え、ああ。うん、それがなに?」

「ちょっと、客かもしれないから集落の方を見てみてくれ」

「うん。わかった。」

少年は目を閉じ、ゆっくりと開ける。少女の示す客というのは二種類いた。面倒を起こす客か、歓迎すべき客かだ。

 そして少女に言われたのを合図に少年は右上端にあった仮想倍率(スコープ)が右目中央へと移動する。×20、×30と倍率は上がっていき、車の搭乗者の表情も鮮明になっていく。

「あ、あれうちのお客さんだ。」

確信した口調。比較的早くにそんな可能性を出した少年に少女は問う。

「なぜ、そう思う?裏山に行くことはないはずだが、うちに向かうとは限らんだろ?」

「ううん。だって」

すこし間をおいて、

「こっちに手を振ってるもの、白黒の髪の人が」

「!」

その言葉に、少女も確信した。客目的どうこうではなく、その向かってきている人物の正体についての確信だが。それは、彼女が会いたい人物でもあったから。

「自分、お茶入れて来るっすね。姉さん。」

「うん。いって…おいで」

先ほどの大胆そうなイメージと口調とはかけ離れた弱々しい声が聞こえた。が、それもなれた様子の少年。振り替えると笑顔を一つ少女におくり、階段を登っていった。

          ★

 看板には『石創機械剣製造場』の文字がある。二階建ての一階が鍛冶場と作った武具の展示場になっている家、それが四人の訪れた場所だった。

「よ!久しぶりだな。早苗!」

どういう経緯があってか、軍用の迷彩車にキャノン砲を搭載した車から出てきたマモルは、軽い挨拶の言葉を述べる。さも当然というような自然な降車に、早苗と呼ばれた少女も『普段通り』堂々と答える。

「おう。待ってたぞ、マモ君!お前、全く連絡くれないんだからさ!」

「悪かったって、仕事と急な諸々があってバタバタしたんだよ」

「はははっ!なんだそれ、全く伝わってこないぞ!」

具体的な事柄一切ねーぞ。とサナエも緊張を解いて軽快に応える。

 サナエは、眉間にしわを寄せ鋭い目つきの少女として姿を現していた。髪型は刈りあげている両サイドをさらに上の髪が覆っている。それが真正面の姿であり、後ろ髪は優に腰まで届く長い一束にまとめられていた。

 そんなサナエとマモルの会話中にも田舎にはふさわしくない厳つい軍用機から、次々に人が出て来る。

 白衣姿のぼさぼさ髪の青年をサナエは見慣れていたが、ネコミミの付いたフードのパーカーを深々と被った少年やTシャツとすぐに下着が見えそうな丈のピンクと白のスカートを身に着けた少女は初顔だった。

 そして、ハカセも含め残りの三人の視線は、マモルと会話するサナエの下半身に集まっていた。

 二人が扉の前で話している最中、マモルの背後でハカセにサンカが耳打ちする。

「あれが、マモルさんの幼馴染?」

「うん、そう」

その解答を聞き、カイトが声を漏らす。

「なんと…まあ…」

 引き続き視線はサナエの下半身にある三人。それに気が付かないマモルではない。

「ま、細かい説明は後でするよ。……とにかく今は―――」

マモルは渋々疑問を聞こうと試みる。

「?」

当の本人は首を傾げた。これは気が付いていない証拠だ。

「まあ…なんだ。お前が『仕事モード』のときはその口調なのは、俺たちは理解してるがさ。その…」頬をかく「サナエ…その格好で出てきて大丈夫か?」さらに間を置き「あとで暴走しないか?」マモルの目線は背後の三人同様、下半身に行った。

「え?」

マモルの言葉に驚きの声を漏らすサナエだが、すぐに視線はマモルを追って下にいった。

 サナエ自身は今、薄着だった。勘違いしてはいけないのが、下着ではなかったということだ。

 胸には(さらし)を3,4回巻いただけ。その上に羽織るように着た身体全体を覆う法被(はっぴ)(背中には筆文字で開かれた『鍛冶士』の文字)は腰辺りにもとめるための帯は無く豪快に胴は露わとなり。さらに視線を下げていくと、今時存在しているのが不思議でしかない白いふんどしが腰と局部を申し訳程度に隠してるだけだった。つまるところ全裸も同然、背中以外の正面は僅かにしか隠れていない。

「!」

 それは鍛冶師としては不思議な服装ではない。今になっても誇りをもってそれを制服としている家が多くある。が、それを仕事着として割り切るのと、急に来訪した親しき友人(それも異性)に会う服装として認めるのとはまた違ってくる。まして、彼女の『性格』を考えれば、赤面からの集落に伝わるような絶叫は必然だった。

          ★

 四人は耳を塞ぎ、目を閉じてしゃがみこんでいた。

 それくらい―――――音波兵器かと思うくらいにはサナエの叫びは凄まじいものだった。

 目を開けると、扉の前にはサナエはいなかった。代わりに開け放たれた扉の向こうから唸るようなか細い声が聞こえて来る。

 しばらく二人が毎度のことだと呆れ、二人がなんのことだと状況を整理できず呆然としていると、顔を半分ほど出してサナエが言う。

「み、皆さん。お、お見苦し…ぃ…姿…を、ぉ見せしました。ゎたし、は石創早苗(いしづくりさなえ)です。…ぉ…ぉとう…とが、お茶…をご用意して…ます。……ど、どうぞ、中……へ……」

顔は半分だけだが目には涙を溜めているし鼻声。さらに、先ほどマモルを迎えたような堂々とした声は微塵もなく、弱々しい内気な印象の声が僅かに聞き取れる。先ほどの大胆な姿のまま、眉間のしわがとれ、性格と声だけが大きく変わっただけだかそれで印象が大分変っている。それに戸惑うサンカとカイト。これが同一人物であることが不思議でしかないといいたげだ。

「おう。じゃ、お邪魔するわ。早苗の弟ってのも見てみたいしな。」

「そうだね。これからに三日ほどお邪魔するかもだけど、料理は作るからね。」

「わ、わあ…ハカセさん…の、ぉ料理…久しぶりか、な。楽しみ…」

 二人は新しく関わる少女の急な変化に戸惑いを隠せずにいるが、ハカセとマモルは慣れたように店の門をくぐっていく。

 その後、入って行った二人が事情を知っていることを思い出しサンカとカイトはようやく置いていかれているのに気が付き「ちょぉっと待った!」と店に足を踏み入れた。

          ★

 その後、展示場を抜け会計の裏の階段を上ると、もう絶滅したと思われた畳が備わった和室へと通された一行。和室の中央の畳が反転、丸テーブルが出現し五人が狭そうに座る。

 そこで、サンカとカイトはサナエの事情を聞いた。

「じゃ、じゃあ。今までのはお仕事モード!?あの状態が!?」

「おう」

当たり前だろ、と言いたげに驚くカイトに対してマモルが言う。

「ほら、ネットだと絵文字とか派手なスタンプとか使うけど、普段は内気って人、いない?」

「ああ…わかるっす。シキ兄貴はあんな見た目でしたけど、送るときの文章はそれはそれは丁寧で『候』とか使ってました」

「そう言うことだ。サナエ…本名・石創早苗(いしづくりさなえ)は鍛冶の仕事をしてる時はあんな風に派手な性格してるが、それは職業に自分の意識を乗せるためでな。普段はハムスターみたいな可愛い奴だ」

「うぅ~…初対面の人、に…その紹介は…やめてよぉ~ぉ…」

 丸テーブルに正座で座るサナエが小さくなって赤面する。今彼女は、先ほどの露出の多い服とは打って変わって上下の区別がないクマをモチーフにした服だった。顔以外が見えない。

「マモ君。ちょっと…イジワルだ、よ?」

「ははは。悪いな、お前はなんていうか、嗜虐心煽られるんだよな」

「うぅ~」

「悪かった悪かった。そだ、紹介するよ。こっちの黒髪の綺麗なのが御家三香で、こっちのパーカが似合ってる将来有望そうなのが黄海快人だ」

「……。」「……。」

無言だった。どうやらマモルは、人の紹介をするとき一度褒め刺す(褒め殺しみたいな)ことをする、を学んだ二人だった。記憶のノートにメモを取りつつ、今後は自分たちで挨拶をしようと決めた。

「…二人とも、がんばって…ね?」

「なぜそこで労い!?」

 二人はサナエの手を固く握った。マモルのおかげで二人のサナエに対する親近感は上がった。

          ★

「はははははははっ!」という高笑いの後、「いやーお二人が噂のマモ君とハカセさんでしたか。どぞ」自分を合わせた6人分、机に湯呑を置いた少年は笑顔を絶やさず慣れた所作で丸テーブルを囲む一同に混ざる。

「紹介…する…ね。この子、の名前、は『石創研磨(いしづくりけんま)』私…の弟、だよ」

「初めまして、14歳です。お二人のことは聞いてます。姉さんがお世話になったみたいで、それからこの家も御二人が改築したとか。」

「まあ、な。たしか…ホントは近くの集落のケガ人の状況調査のためだったか?」

「うん。その帰りにここに寄ったんだよ。そこからの縁だね。」

「ほえ~興味深いです!」

「というか、さらっと姉さんとか言ってたけど、お前とサナエこそどうやって会ったん?」

「気に…な、る?」

今は膝を抱えたまま首だけ傾げているサナエ。彼女からしたら、マモルが少しでも自分のことに興味を持ってくれるのが嬉しい、そんな顔をしている。

「まあ、な。幼馴染の家族なわけだし。」

「実はね、拾ったの。というか、半年前に、家の前で倒れた……の」

「…。」

「それ…って…」

「さらに、この子も記憶ないんだって、マモ君と一緒だね。」

「はい!姉さんと会う前のこと、さっぱりです。未だに」

「「まじ…かあ」」

それ以上、言葉にならなかった。とにかくこの幼馴染には今後、しっかりと危機管理能力を鍛えて貰う必要がありそうだった。

          ★

 その後も、マモルとサナエは会えていなかった間の情報を共有した。

 最近になってサンカとカイトを住まわせることにしたこと。双子が分団長に上がりうれしかったこと、不安だったこと。カイトの義兄であるシキが目の前で亡くなったこと。ケンマが増えたことで仕事が楽になったこと。剣製造に使う材料に困っていること。

 そうして、二人の会話が進んでいるうちに、カイトはハカセに耳打ちする。視線は、サンカに向けたまま。

「良かったですね。」

「ん?何が?」

「サンカの姉貴ですよ。家を出るときには、随分と殺気を出していたようですから。」

「ああ…」

納得。出かける前に、ハカセとカイトはしっかりと見た。

『その人って…女の子、でしたよね?』

『ああ、いい子だぜ。お前もきっと気に入る!』

満面の笑みでマモルは語る。それは確信に満ちた清々しいものだった。

 鼻歌交じりに倉庫へと進んでいくマモルに対し、その背後でサンカが殺気を放っていた――――彼は、気が付いていなかった。

「……。」

心配だ。「いつか刺されそうだよ…マモルン」修羅場とかにすぐなる気がする。

「そう、っすね。」

今現在、サンカはゆったりとお茶を飲んでいた。二人の会話に聞き耳を立てているようだが、直接介入したりはしていない。

「…にしても、守兄貴って…」少しためらって「三花姉貴と早苗姉貴で態度が違いますよね。」

「!」素直に驚く。

 まだ彼らには数回しか接していないであろうカイトだが、流石は三位というべきか人を見る目は一流らしい。この歳でそこまで人の感情を読み取れる技術になるのに、どのような経験を積んでいたのだろうかと、不安にもなるハカセだった。が、それでも関心が大きい。

「そうだね。サナエちゃんには『危なっかしい妹分』と接するみたいだけど、サンカちゃんの場合は『危険なことをしそうな同級生』と接するみたいだよね。…危険っていうのは、彼女の生い立ちにあるような気がするけど」

「うん。あの人は、危ない。いつ、どんな時に消えてもおかしくないです。」

「……。(そんなことまで分かるのか、この子)」

改めて、思う。カイトはただ者じゃないと。

「でも、マモルンがいるから。」

「はい。マモルさんがその不安を防いでくれているような気がします。」

それは、ハカセも感じていた確信だった。こうしている今も、彼女は穏やかそうにお茶をすすっていた。

          ★

「それじゃあ、マモ君…は…今日、来たのは、赤の領地で…団長?…と、戦うために…剣が必要なんだね。」

「おう。…これだ。」

丸テーブルに一つの鉄片を置く。

 根元数センチから粗く折れている。先細りした葉のような刃。鉄でできたそれはお世辞にも完璧とは言えない。

「これは…ひどい…。」

鍛冶師の子として、サナエが表情に出て落胆していた。

「あはは…ボクは初めて作ったからね。どうも簡単にはいかなかったよ、特に硬度が、ね」

気まずそうにハカセも言い訳のような言葉を発する。

「まさか、最初の一匹でポッキリしちゃうなんて、ねえ」

「…。」サナエは無言だ。

「ハカセの作るものは毎回丁寧なんだが、それでもトーキドキドジるんだよな」

「…。」サナエは無言だ。

「「そうなんですね…」」

「…。」サナエは無言を貫いたままだ。しかし―――――

「ダメだよーーー!!」

部屋 に――いや、家じゅうに響き渡る大声とともにサナエは激昂した。

 普段から内気であり、ほとんど声を張ることがない彼女。しかし、仕事モードと『ある条件』で彼女は声を荒げることができるのだ。―――――つまり、不細工な剣を目にした時だ。

「あ、ヤベ。やっぱ早苗がキレた」

「そりゃキレますともっ!だって、だってぇ!あまりにも剣が可愛そうだよ!」

ついでに言えば、彼女が怒るときは普段の「…」は格段に少なくなり、見ての通り「!」が多くなる。

「面白い人っすねぇ~」とカイトは呑気だ。

「姉さんのそういう顔、初めて見ました。」ケンマが微笑んでいる。新たに知った家族の一面に、嬉しそうだ。

「やっぱり、私が頑張るしかないよね!ハカセさんには悪いけど、こんなショボい剣を作るために鉄を使わるわけにはいきません!私、がんばりますよ!」

「しょ、ショボい…。」

ハカセ。生涯で初めて言われたその言葉に、目に見えて肩を落とした。

「しょうがいないよ、お前は鍛冶仕事初めてだったわけだし。相応の設備も無かったしな。」

ポンと肩に手を置いてハカセをフォローするマモル。

「う、うん…」

振り返ったハカセの目には涙が溜まっていた。

          ★

 賑わいも最高潮に達し、部屋全体が温まった頃。

 突然、サンカが席を立った。そのあまりに自然な動作に誰も疑問に思わなかった。

「あ、お手洗い…なら、出てすぐ左、に…あります。」

会話の中で徐々にいつもの内気な少女に戻ったサナエが小声で言う。

「ありがとうございます。下の様子は、どうなっていますか?」

背中越しにサンカがいつものような、穏やか口調で聞いて来る。そこに違和感はないが、笑顔に少し無理を感じる。

「?ああ、外の…お手洗い……は、入って来た大きな扉を開けたら…反対に回り込まないと…だよ。」

「……ありがとうございます。」

「…。」

ただ、"彼"だけはこちらを見ようとせずにふすまを閉める彼女の背中を見つめていた。

―――――暗闇。――――鎖の音。―――――赤い、瞳。

全てが脳裏に浮かんだのは一瞬。しかし、それらのイメージが脳の奥から浮かび上がったことで、彼は動かずにはいられなかった。「俺も、席はずすわ」

 サンカが出てから数秒後、マモルもみんなのいる居間から出て行った。

          ★

「……。」

もう、限界だった。あの場にいることがではない。彼が他の女性と話をして笑っているのは、自分のことのように嬉しかった――――嬉しいと思えるのだと、初めて知った。意外と嫉妬というのはしないんだなと、初めてわかった。しかし、彼女の生き方が、生きてきた経験と記憶が、彼女に限界を伝えていた。あの空間にいることを、幸せな空気に包まれることを。

(あね)さん、今は我慢した方がいい。人の気配が多い。どこで見られるか…』

過去にそう語った人間の声でも、未だ消えぬ言葉でも決してない。今この時、幻聴のように脳内で響いているその声は、若いのか歳を経ているのかも読めないような中途半端に貫禄を感じさせる声だ。

「もう限界です…かれこれ1週間は我慢しているので、寧ろ今まで我慢できたことを褒めてもらいたいくらいです。」

『それは…そうだが。それでもあんたは彼といることを選んだんだろ?』

「…。」

それを言われると痛かった。これからすることを『彼』が見れば、恐らく怒りでは済まない。ここまで数時間しか関わりはないが、多分、彼が一番許せないことをこれからサンカはするのだ。

「…。」

その裏切るような感覚を噛みしめながら、それでも彼女は自分の心に言い訳を言う。

「きっと―――――これは呪いなんですよ。」

言って、彼女はスカートの内側に手を伸ばし、太腿に巻き付けていたシザーケースからハサミを取り出す。脳内では鎖のようなイメージとそれに付随してカラカラと乾いた金属音が響く。

 そして―――――肉を絶つ音が彼女の耳元で響き、青く発光するそのハサミは闇夜に煌めいた。

          ★

 自傷癖。それが彼女の病であり―――呪い。

「………んッ、んん。」最初は喘ぐような小さな吐息が「…く、ふふ。」やがてそれは憫笑へと変わ「あははッ。」と最後には声に出して嘲笑した。精神的なストレスでも、過去のトラウマでもない、原因の不明な衝動。自分だけに許された、特別な自慰にも等しい快楽空間。

 肩の少し下。パックリと開かれた肉の割れ目から骨が、決して太くはないその腕は切れ味のいいそれで撫でることで数センチ切られる。動脈ではないので血飛沫とは言わないが、それでも滝のように血は滴る――――――のが、普通の人間だろう。しかし、彼女は再生能力者だ。一瞬の――ほんの一瞬の痛みの後、傷はすぐに塞がっていく。みるみるうちに、巻き戻すように。やがて傷そのものの痕跡を探すのが困難になった時、二撃目だ。今度は縦にハサミを突き刺し、真っすぐ下へ。

 痛みは、ほぼ無い。ただ肉をさく感触と血のぬくもりを感じるために、彼女は切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る、切る。

 抑えているはずの笑いも大きくなり、頬も蒸気する。体も訳が分からないほど火照り、脳が焼き消えそうなほど覚醒している。その症状たち全てが、性行為にも似た快感を内から熾した。すでに常人なら腕がひき肉になっているであろう回数引き裂いても、彼女は毛ほども気にしていなかった。

 これが、彼女の病み、であり闇。

 ハカセとカイトが疑問に思い、マモルが気にしていたことだった。

 これを始めたのはいつからだろうか。もう記憶もおぼろげだ。なにせ傷が残らないのだから、いつからやっていたかの目印などない。踊るようにくるくると身をよじり、快楽にすべてを委ねる――――――――

「サン…カ…」

そんな声が彼女の耳に入って来た。語調から信じられないと言った様子がうかがえる。

 声から、それが誰かわかっていた。わかりたくもないことだが、見られた事実は変わらない。

 下半身から伝う粘着質の液体を悟られないように内股にしつつ、目線は下に下がるサンカ。

「どこまで、見ていたんですか?」

目を合わせず、そう問う。

 問う資格がないことを理解してのことだ。聞きたいのは一方的にマモルの方。サンカは言い訳こそすれ、問いかけることなどもっての外だった。

「それをやり始めて数分後、かな。つまり途中からだ」

淡々と、普段の会話のように答えた。それが、サンカに対して今までと変わらずに接していることの証拠だった。

「……。」

「心配した、んだ。」

「…え?」

「お前が黙って出て行くからさ」

「なぜ…」

なぜ、それだけのために?そう言いたかった。

「さあな。?何でだ?」

小首を傾げる。

 こっちが聞きたいわ!などと言いたげな顔をするサンカだが、マモルは心の隅にあったことを言葉にしてみる。

「確か…頭の中に浮かんだんだよイメージが。」

「イメー…ジ?」

「そう。薄暗い牢屋?拷問部屋?みたいなところに黒髪の子がいてさ。鎖みたいなので繋がれてて…あれは、何なのかな?」

独り言のようにつぶやく。

「俺が担当した患者か?でも…あんな子に俺(´)は会ったことないしな………。」

結論。

「ま、俺が忘れてるのはいつものことだからな。気にしなくていいと思うけど。とにかくその子とお前が重なってさ。すぐについていきたくなったんだよ」

「は、はあ」

サンカは呆れたというよりも驚いたような表情だ。

 やがてそれは、どこかたまらないと言いたげな表情へと変わっていく。目にもいつの間にか涙が溜まる。頬を伝ったそれにようやくマモルが気付く。

「え!おいおいおい!ごめんごめん!ついてきたのは謝るし、見たこと全部忘れる…っていうか覚えてられないと思うから、だから泣くなよ。」

「すすす、すみません。そうじゃないんです。うれし―――じゃ、なくて。ええ…っと。ごめん、なさい。気にしないで。そ、そうだ。」

話題を変えなければ、このままでは自信の過去のこと、懺悔、全てを吐き出しそうになる。

「マモルさんは私の自傷癖についてどう思います?」

涙を拭きつつ、急に問いかけることにさした。

「……。」無言だ。マモルとしては素直に言ってもいいのだが、少しためらいが生まれる。

「マモルさん?」

「ああ、俺はそれについてはどうでもいいかなって思ってる」

「ど、どうでも?」

「いや、言い方が悪かったな。それについては全く否定はしないよ。お前はそれで平静を保っているし、俺たちに直接的な害はないしな、だから、お前は無理に俺たちに隠したりしなくていいし。そのままでいい」

「……。」

無言だ。言葉にならない、と言った方が正しい。

「否定しない…ですか。」

その言葉を心の内に反芻し、そうして心の内に染み渡らせる。

「今後も、私が『そういう人間である』と知りながら、今までのように接してくれますか?」

高望みだと、わかっている。でも、肯定して欲しかった。

「おう。当然だろ?」

あっけないほどに、即答だった。痛いくらいに、平和だった。自信がそうでありながらも肯定も否定もされず、ただ寄り添うだけ。そんな安心があるのだとサンカは知った。

          ★

 マモルが自傷癖の少女に対して、特に怒りも覚えなかったのは慣れているからだ。

 真っ当な人間―――というか、ほとんどの人間はこういうだろう。『自分の体を傷つけるなど、産んでくれた親御さんに申し訳ないと思わないのか。』と。偽善であれ真剣であれ、彼らはこういうだろう。そしてそれをしている人間を『まともでない。』『狂っている。』などと思うだろう。

(そんなもの、自己満足だ)

マモルは確信してそう言える。

 彼らはそう言うことで自身とは違う彼女達を否定し、そう言える自分たちがまともだと思いたいのかもしれない。本当に心配していようが、彼らは彼女たちの気持ちを汲むことはできても、その気持ちが何を求めているかは分からない。

(肯定して。同情されたいわけじゃない、よな?)

同情することで、同じ目線で話しているアピールなど、知ったことではなかった。

(それは間違っていると、正論をぶつけられたいわけじゃない、よな?)

そんなこと、端から分かっているはずだ。それでもやらなくては、やっていけないことくらい存在するから。アルコール依存や、ヘビースモーカーと一緒だ。ただ少しだけ、命と直結するだけで。

「だから、俺のできるのは、『否定しない』ことだけだ。やりたければやってもいい。例えお前が再生能力なんてなくて、傷が影響するようになったら、俺がいくらでも治してやる。お前のその再生能力にも負けないくらい、完璧に治してやる。」

誓える。心に――――自らの意思に。

 サンカに自傷癖をやめさせようなどと微塵も思っていない、ただ自身に自信を持って、行きたいように生きてほしかった。それだけであり、マモルが思う"サンカに寄り添う"とはそういうことだと彼女に示した。

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