【世界崩壊の記憶・ハカセ版《ワールドクラッシュ・アナザールート》】
破壊暴動事件。それはたった一夜にして文化も技術も思いも策略も計画もそして命も奪い、踏みにじった事件だ。すべての警備力、防衛力、軍事力をもってしても敵わず、叶わずにすべてを無へと帰した。奪われた命は主に『大人』と呼ばれる人間だ。残されたのは『子ども」という存在だ。
当時の彼らは目指すべき、習うべき存在を失った。生き方すらももう教わることは無くなった。そんな彼らは、先の見えない自身の行く末を案じ、いつ訪れるか分からない"死"を避ける術を身に付けなければいけない。
―――――――――――――失敗した。止められなかった。
「………」
当時16歳。それが僕の、世界が滅んだ当時の年齢(といっても、今と人相はあまり変わっていない)だった。相変わらずの整っていない茶髪だし、相変わらずの眼鏡だし。相変わらずの身長だったし。今思えば、僕の成長はあの時から止まったのかな、なんて考えてしまうね。それと、今になってもマモルンには言っていないけど、眼鏡、伊達メガネだからね?つまりレンズはあるんだけど、度はないんだよね。
ああ、マモルンっていうのは八年後の僕のたった三人の家族の名だ。僕―――すなわち、『博田高士』のね。詳しい僕の過去とかは、この際は関係ないから置いておくとして、とにかく、この8年前の僕は終始無言で、ただただ呆然と立ち尽くしていた。今は早朝。数時間前まで世界一の発展を誇る街『だったもの』を眺める僕の心にはひたすらに虚無感だけが漂っていた。そして、皮肉なくらい快晴に設定された空に顔を向けながら目を閉じ、事件前までの街を思い描く。
空を雲よりも飛んでいた空中都市。どんな目的があるのかは分からないがとにかく歩き、動き、飛び回る人、人、ロボット、人、人。我が物顔で闊歩していた機械化人間兵、警備ロボット。大型の仮想看板には新型商品の広告。国民投票で日照りが続けば雨にできる気象管制装置。空を飛ぶ車、動物を元にした飛行機体。日々行われる実験と爆発。新しい癒し系動物が作られたというニュース。地球へロケットで帰る人、出掛けていく人。喧騒、建創、狂騒、競走。そんなもので満たされ、満ち足りて、どこまでも快適な世界。世界情勢の安定、地球温暖化は止まり、戦争もなく、飢餓もなく、貧困もなく。最小限の事件があるものの、誰もが希望にあふれ前を向いていた、立ち止まることなど忘れたかのように。
目を開ける。そこにある現実は――――そんな栄華の欠片もなくなった景色だった。
そびえ立った栄華の証とも取れたビルたちは、今はそれが嘘であったかのように地面へと寝転がる。焦げたものは人型をこそしているがそれが元は人だったのか、あるいはロボットだったのかは近づいて、内臓を確認するしか判断のしようがない。倒壊した建物の下敷きになっているだろう人たちを救助するにも機材がない、人手がない、力がない―――――誰も彼もが無力である。現実である。そんなものを嫌と言って耳を塞ぎ、目を閉じ、うずくまっても、変わらない現実。だから今の僕は、ただただ呆然としていた。
といっても、何とかあの夢に戻ろうとする人はいる。彼らは、いつ崩れて来るのかも分からない瓦礫の間をくぐり救助をする人間たちであり、そして今の僕もその一人だった。それでも、この変わり果てた目の前の出来事には憤りすら感じない。絶望的な感覚すら感じない。
「…さん…ハカセさん?…」
「!」
と、そこで僕の意識は不意に戻る。背中越しに、聞き慣れた声が僕を呼んでいたからだ。振り返ると、やはり若々しい少年らしさが残る人物がこちらを不思議そうに見つめる。
「ああ…。河本君。さん付けは止めてくださいよ、あくまで先輩はあなたなんですから」
河本辰馬。19歳。会話の通り、三つ上の先輩。同じ師を持つ兄弟子だった。
「いやー、そうはいっても」とばつの悪そうに口ごもると「それこそ三つも違う年で、同じ時期に医師免許に合格した。俺と違って立派な弟子だよ」と言葉を贈ってくれる。
この時代、ほとんどの免許は年齢制限がない。理由といえば、年齢が意味をなさなくなったからだ。意味がないというのも、教育の超効率化によって幼いながらに一昔前の大学院並みの学力を身に着けている人がざらにいたからだ。補助アームを遠隔操作し原因不明の腫瘍を摘出、研究によって解明、治療法を見つけるまでを僅か5歳、それもたった一人で行ったという話が有名な例だった。そのため、「まあ、できればいいんじゃね?」と言う世論が大多数を占め、国家試験ですら年齢制限はなくなったのだった。極端な話だが、全世界でそうなっているのだから仕方がない。
そして今の僕らは、そんな時代の恩恵を受けた二十歳前の医師免許取得者であり、暴動事件の救助要員の医療部として災害直後のこの場所に駆り出されたのだった。あくまで師匠が蹴りだす勢いで外にだされたのだが。
「それにしても、ほんとにひどい現場だよ。匂いもさておき、みんなの士気の問題が…。」
「ああ…そうだな」
僕と一緒に、河本先輩も辺りを見まわす。目の前の現状に始めは助けようと医療を尽くしていた僕らもつい、愚痴のような言葉を漏らす。
僕もそうして呆然としてたから人のことは言えないが、周りの大した怪我もなく動けるはずの人間もうずくまり膝を抱えている。といっても、そのどれもが子ども。医療や救助の知識がなく、成す術がない通常の人間はそれも仕方がない気がする。僕らはそれでも、近くにあった義勇団に加わることでこうして災害救助を行えているのだが、他の皆は目の前で両親が死んだ者や今も家族の生死が不明な者がほとんどだ。そりゃ士気も保てなくなる。
「それで、救助はどうなってるの?」
「見た通り、難航だよ。」
それもそうか。と少なからず納得する。今の、少なくともこの周辺の地域では機材もなく、薬や人手も足りない…足りなすぎる状態だ。救助を行う者と必要としている者が1対10000の割合でいるのだと速報を送っていたラジオでいっていた。
「さーて。俺も、ここらへんで誰かいないか探すよ。」
といって、河本先輩は歩き出した。いい加減、ただでさえ足りない人手を無駄話で裂くのは愚策だと思ったらしい、足取りは重いがそれを隠すように大股で歩いていった。その背中を見届け、それにしても…。と僕はここで思考を別のことへもっていく。
救助は力のあるものに任せ、その場で出来る医療行為のみを行う僕の仕事は、まず、被災者を見つけることが先決だった。
今考えているのは、一体、今回の事件は誰が何のためにやったのだろう、ということだった。どうやってこんな大規模計画を実行したのだろう、と。事件のあと、集まった義勇団のリーダーらしき人物が言っていた「世界各地で救難信号が送られたり、送ったりしているが、未だに情報が錯綜してるらしい。」と。つまりはこの暴動事件はこの地球全体、もしかしたら他の居住区惑星にまで進展しているかもしれない。そう思うと背筋が凍る、と同時に不思議にも思う。どうしてもこんな計画ができるとは思えないからだ。大企業は当然、監視の目が光っているため、そんな大それたことはできない。テロを画策するようなグループはいくらでもいるが、それでも一瞬で世界崩壊を行えるほどの技術力はないはずだ。
確かに、今の世界は『地下都市』と呼ばれる層が存在し、監視の目が薄いところがある。僕らがいるのが第一階層、それ以下の層が4層。計5層存在する今の地球。そんな中でも、地下からここまでの移動手段は容易ではないため、機密で行うことは不可能だ。
「それじゃあ…宇宙からの飛来…でも、先日そんな異常事態の報告は…ない。じゃあ、やっぱり…もっと大きな組織の陰謀…でも、どこの組織だ?」
と、考えを膨らませようと顎に手を置いたまま歩いている。が、思考が止められるほど強烈な異臭に気が付く。
「?なんだこの匂い?」
★
体をひねり、辺りを見わたす。時々足を動かせば、下に敷かれた鉄の破片がザクザクと小気味良い音を立てるがそんなことに気をとられていられない。それくらい、鼻孔を指す鉄にどこか魚のような生臭さが混じったような、危険信号がちらつく匂いがした。
「これ…血?のにおい…」
視線を少し遠くに向ければ河本先輩が生存被害者を探すために大声で叫んでいる。
それを確認し次第、僕は嗅覚に集中して顔を左右に動かす。鼻をひくつかせていると、風に乗って僅かに匂いの方向が分かるので足を進めていく。
少し広間のようになっているその場所は所々コンクリートに亀裂が走っている。さらに視線の先には倒壊した…ビルだろうか?ガラスや鉄骨、鉄パイプの一部、灰色のコンクリートの破片が無残に積み重なり、数メートル規模の山になっている。元が何階建ての、何をしていたビルだったのか、判別がつかないほどだ。においのもとはそこだった。初めに異臭を感じた位置から40m強、風のほとんどない今日のような日には、近くを通るまで匂いには気が付かなかっただろう。
そして僕が驚かされたのは、倒壊したビルの、周りだった。そのビルの十メートル圏内にいるいる子供たちは、見た目は至る所に煤を被っているが、目立った傷跡はみらない子達ばかりだった。彼らは瓦礫にできたわずかな影に縋るように膝を抱えて座っていた。まるで日の下に出るのが恐ろしいのだといわんばかりだが、それにしたってビルから漂うこの異臭に気が付かないわけはない。おそらく元ビルのこの中で何人も亡くなっているのだろう。匂いの元は分かるが、それを確認するのが怖い、うずくまっている彼らの考えはおよそそんなところだろう。
「おーいッ!大丈夫かーーい!」
そんな彼らを尻目に僕は叫んだが、結果は目に見えていた。
少し視線を下にもっていけば、僅かではあるが瓦礫の下に血が流れ出ていた。数時間経ったように、黒いコンクリートに赤黒いシミがある。それはここまで来なければ、匂い以外は分からないほどだ。一体何人の死体がこの山のなかに埋まっているのだろう。考えるのも恐ろしかった。
ともあれ僕は白衣のポケットから生物の心音を感知する装置を取り出す。
長方形のタブレット端末には、緑の背景に同心円状メモリがふってあり、中心には赤い原点。その赤い点が僕であり、原点から波紋のように電波が飛んでいき、しばらくして、僕の見立て通り5メートルほど先に生体反応があった。熱源を感知できるそれは反応した生命をかろうじて緑色に示した。そして、その僅か数メートルの間隔で真っ白い人の形を成した物体反応があるが、熱源ではない彼らの命はないんだろう。
「! 河本くーーん!」とにかく、生存者の発見に僕が呼ぶと、河本君は迷わず近寄り、話しかけてくれる。「どうした!?」
その声は少し焦っているようで、息が整っていないところも含め、緊張がうかがえる。
「この先に誰かいるようなんだよ。」
僕が指さすと、河本君が驚いたように目を見開く。
「この…中か…。」
河本君の表情が徐々に曇っていくが、この状況を早く打開したい僕には気づかいのある言葉を贈ることはできない。「うん。心音を感知できるのは一つだから。他の人はもう…。」とそこまで言って、河本君も察したようで「ああ…」と言って目を伏せてしまう。タブレットに目を移し、白い点の多さに精神的な衝撃があったようだ。
「だから、この子は助けよう。ね」
僕はせめていま生きている彼を救おうと瓦礫に近寄る。すると白衣の背後中心から引っ張られるような感覚になる。振り返ると、河本君が僕の白衣を握って止めている。シャツごと付かんでいるそれに首が絞まるような苦しい感覚になりながら、この状況で何をしているんだと河本君に怒鳴る。早くしないとこの子が死んじゃうよ、僕はレーダーを指さして河本君に急ぐように伝える。しかし、当の河本君の表情はふざける風でもなく、むしろ冷静に、冷酷に言った「諦めよう」と。
「……は?」
意味が解らなかった。理解したくなかった。それだけは頭の隅にありながら、しかし実行に移すのは最後だと思っていたから。
「なに…言ってるの?」
本当は分かっていたけど、聞き返さずにはいられなかった。声も震えている。河本君はあえて冷血ぶった態度で簡潔に説明する。「レーダーの反応はこんなに小さい、おそらく子供だろう。それにこの血の量だ、わかるだろう?」助ける前に、この子は死ぬ。河本君はそんなことを言った。
少なくとも、5メートル以上先のここまで届くほど血が広がっているようだった。少なくとも、瓦礫は近くの人を集めてもどかせるのに1時間かかる。昔の小規模な災害なら、近くから災害用ロボットやら救助ロボやらパワードスーツを着た人間やらがさも自分を英雄であるかのように堂々と助けていた。でも、今はそれら全てがあの破壊機械によって壊された。救える人も救う人も『限界』はある。それらを河本君はわかっていたからこそ、彼は引くと言うのだった。
僕も当然、わかっていないわけではない。でも、「現に今、生きてるんだよ?助けないの?」と悲痛に叫ぶ、懇願するように。それに対して河本君は、何も言わない。僕もトリアージは勉強した。災害医療もだ。だから救う順序や救える順序は分かっている。だから当然、彼にも言えることは、いくらでもあった。「救助している間に死ぬかもしれない人間より、あっちの平地にいる人間を救う方が確実だ」とか、安全面を考えるなら二次災害など論外だ。「この瓦礫もいつ崩れるかわからない、俺たちが巻き込まれるよりはましだ」とか、周りにいる子供たちを避難させることも重要な救助だろう。それくらいは僕も彼もわかっている。救助活動は初めてだが、それでも訓練や師匠から指導もされている。
なにより彼とは長い付き合いだったから。考えなど、言葉にしなくてもおおよそ伝わる。それでも、彼は言わずに察してほしそうだし。一方の僕は諦めきれない、だったら!
「…河本君。ここはいいよ。僕がやる。」
これでも医師免許取得者であるが、真剣に考え、答えたつもりだ。
「!一人でか!?無茶だ!」
声を張りあげる河本君の声は、瓦礫が反響し、何人かのうずくまった子供の肩が一瞬上がる。そして河本君が止める理由はもちろん分かってる。
少なくとも救助は三人ほどが瓦礫をどかし、一人が救助対象に声をかけ、一人は救助者たちが二次災害に巻き込まれないように見張る。これが多分即席の、安全な救助活動だろう。それをたった一人でやるのだから「無茶」といわれるのが当然だと思う。
「うん。だから、僕がすぐに引っ張り出せる状況になったら、すぐに来てくれないかい?」
正直、この時の僕は怒られると思った。馬鹿言ってないでいくぞ、と無理やり引っ張られると思った。少なくとも16年近くともに衣食住を過ごしてきた彼はそんな風に冷酷なときは冷酷、温厚なときは温厚という切り替えが上手な人間ではあった。今回にしても、その面が発揮されるんだろうと、僕は考えていた。
「……わかった」
結果は意外なほどあっさりと。そう一言言って、河本君は背を向けて歩いていった。
ありがとう、そう心の中でつぶやいた僕はタブレットを首筋にある電脳接続アダプターにつなぐ。これで、僕は一時このタブレットと同化したに等しくなる。視界に直接レーダーが映し出され、機能を構造解析用電波が出るように切り替える。感覚をそちらに注いでいるため、周りの声が小さくなるが、「!お。おい!お前それはやめとけ。まさかとは思うが―――― と、聴覚では僅かに河本君の声がする。振り向いてくれたことで僕がやろうとしてることが分かったらしい。
「そうだよ。僕がやるのは、『直接救助する人』はもちろん『二次災害にならないよう見張る人』もやってやるつもりさ」
自信はある。まあ、ただそのためにはレーダーに映るあの子の位置とその周りの瓦礫の位置、さらにはどこをどのように崩していけばあの子と僕に被害がなく救助できるかを考えることができればいい。ただそれだけだった。
「だけって…!そこまで考えるだけで30分くらいかかるんじゃ…いくらお前の計算能力が高くても、いいとこ10分が限度、そこから救助しても…」
正解、たとえどれだけ頭が良くても、ただでさえいつ壊れるかわからない現場だ、その瓦礫を一種のオブジェクトとしても全体像をつかむのですら至難だろう。ましてやその構造を把握し、救助するなど。いわば瓶の中に既に入っている完成したボトルシップを解体していくようなものだった。
「うん。だから、ちょっと無茶するよ。」
その言葉だけで河本君は僕の考えが分かったようだ。流石は長い付き合いだと感心すると共に、今日何度目になるのかわからない大声を上げる。
「!『思考加速機能』!?」
「…」
脳の演算機能の役割を果たす細胞に直接電撃をぶつけ、無理やり思考を加速させる。一歩間違えば脳を多少焦がす機能。麻薬と同等あるいはそれ以上と言われるほど危険性の高い機能だ。
「でも、助けたいから。」
腹のなかで、とうに覚悟は決まっている僕は一度振り返りニッコリと頬の筋肉を上げる。河本君のあの焦った顔は、一生忘れられないかな。悔しそうに奥歯を噛みながら振り返った河本君の気づかいに感謝しつつ、僕はブースターのアプリを起動させた。
★
「……」
20分後、“担架で運ばれてきた”のは四肢の無い、なくなった少年だった。担架で運ばれるその少年の頭には彼の頭部の5倍ほど長い鉄パイプが痛々しく伸びている。
「あのがれきから見えた血は、あの子の引きちぎれた腕から伸びてきた血だったみたいだ」
俺は知ったこっちゃねーが、と河本君が呆れ半分、怒り半分でこちらに説明してくれた。
僕が助ける経路を確立するまで瓦礫に近寄ろうともしないように見えた河本君だが、僕が瓦礫をどかし切り、少年の姿を確認した時「どけ」と言って僕を後ろに下がらせ背後に控えた“他の救助要員たちと”彼は少年を助けた。なんだかんだ言って、いつも僕と師匠のしりぬぐいをしてくれた河本君だ。信じていたって言えば、信じていた。
「もっとも、それを言ったらまた殴られる…だろうなぁ……。」
わかってやったってか!この確信犯め!とか言ってね。僕は既にある腹部の鈍痛を慰めるように抑えて、途方に暮れた。その独り言が聞こえたのか、先ほどから口調の悪い、いわゆる兄弟子モードの河本君は
「んだぁ?お前の頭はさっき電撃浴びてブヨブヨだろうから、気を使って腹に一発で済ませたんだぞ?」
文句あっか?と握り拳を作りながら威圧する。「ナンデモナイデス。」と目を逸らすしかない僕だった。
「でも、すまん」
僕が謝罪しようと口を開けたとき、河本君が先にそう言った。
「え!?ナンデ?」
驚く僕。毎度の無茶に怒られこそすれ、謝られることなど一つもなかった。事実今回は確証があったとはいえ、もし倒壊したら救えなかったのは彼の命だけではない。正真正銘、僕の命も亡くなるところだった。謝られた理由の全く分からない僕に対して、河本君は両腕を上げた。
上げられた彼の左右の手には、布のようなもので覆われているものがあった。その起伏とはみ出した肌色から中身は推察できる。おそらく、さっきの少年の四肢だ。河本君の左手に両腕、右手に両足。
「う…。それ、持ってきたの?」
「ああ、だが、あの子は本当に即死してもおかしくなかった」
そう言って、担架を運ぶ救助要員たちを見つめる河本君。僕の選択の結果を見る彼には申し訳ないという感情が現れていた。多分彼の罪悪感は、かなりの時間のこり続けるだろう。あるいは一生。四肢から目を離し、僕も同じ方を見つめ、言う。
「四肢が瓦礫にあったって話。それは引きちぎられたものだし、脳を貫通したあのパイプも含め、10歳くらいの少年に耐えきれるはずが無いよね」
「ああ、そこに丸パイプの中にあった脳漿と頭蓋骨の欠片があるが見て来るか?」
「!やめてよ!?あの子には悪いけど気分が悪くなってくる…。」
本当に申し訳ないし、情けない話だが…。僕は脳を酷使した影響とさっきの少年の姿を見て、足に力が入りずらくなっていた。今は彼を助けられたときのあの安心したような表情を原動力にして、何とか立てている状態だった。
★
「! え?縫合の必要がない!?」
救助テントの仮設医療施設(といっても、昔の布地ではなく硬い物質で覆われた頑丈なもの)にて、僕はさっきの四肢の無い少年の容体を聞いた河本君から話を聞き、声を張る。大声を出したそこは幸いにも外であり、眠っているその子以外は出払っているテントであるため、ありったけ声を出しても咎める人は居ない。
「ああ、お前がのびてる間にあの子を診て来たんだけどな。損傷箇所である四肢のちぎれた方は荒い断面があっていかにも『引きちぎれました風』なのに対して、当の少年の傷口はふさがってる。」
「引きちぎられました風って…。」
そんな世紀末感を感じさせる言い回しに呆れつつ、僕はその不可思議な現象を疑問に思い、顎に手を乗せる。
あの後、救助を再開しようとした僕はその場で倒れ、河本君に運ばれて、近くの瓦礫をベンチ代わりにして文字通り伸びていた。未だ兄弟子モードの彼は僕の完全に無防備だった腹に一発肘鉄を食らわせる形で文字通り叩き起こすと、少年の様態について説明してくれたのだった。
「ったく、あれくらいでへばりやがって、まだまだ俺がいないとダメみたいだね。博田後輩!」
「…気を失ったのは、腹部からの鈍痛もあったからだと思うんだけど、河本先輩。」
今も痛いし、などと大げさにいたがりながら腹部を抑える僕、「…もう一発ご所望か?」と言って、河本君は握りこぶしを作る。
それを半ば無視するよう(自覚ありまくり)に、僕は再び考えを整理する。ニ、三質問も交えて。
「さっきの少年、頭の傷口もふさがってるんだよね?」
「ん?ああ、そう」
「それの詳しい状況、教えて」
「ああ。脳の傷もパイプを締め付けるように傷が塞がってて、寧ろ無理に引き抜けば再び出血するレベルだ。」
…うーん。考えられるのは…。と一番ありそうな仮説を言葉に出してみる。「彼が異種眼の『赤』の可能性だけど…。」
人類の新たな可能性、カガク時代の正とも不ともなり得る遺産の一つ。それが最初に僕が考えた少年の傷に対する仮説だが「それはないな」と即否定された。「もしそうなら、腕ごと直ってるはずだからな」それには僕も納得する。「だよね。止血だけってことは…それでも『赤』の下方効果みたいだよね。」
「だな。」
二度目の質問の時間。しかし一旦、僕はこの不自然な回復の影響を探ることにした。
「脳の動きはどうなってる?未だ再生が行われてるとかは?」
「ないな。脳も四肢も傷の治りは完全に止まってるし、それによって、IPS超再生液に浸すこともできない。」
「! そっかあ…」
ここで気が付き、僕は落胆する。
あの少年にはこれから元通りにではないにしろ、今後の生活をするうえで二つの再生方法があった。一つは化学技術の『超速再生医療』。河本君が言った液体に生身で浸けることで今までと同じ腕を再生、復元できる。これが一番カガク時代らしい再生方法だろう。しかし、それをできない理由が少年の体質以外にもあった。
「まあ、そっちは破壊機械たちがご丁寧に、それはもうご丁寧に壊していったせいで、医療設備は絶望だ。もっとも、あの…大きい病院、白いでっかい所。あそこならあるかもしれないが」
「ああ、白城社総合医療病院ね。でも、ここからだと遠いね」
確かにその場所ならIPS超再生液浴槽がある可能性もあった。大きい割に強度もしっかりしている世界でも最大級で最強クラスの病院だったからだ。しかし交通網も破壊された今、それはできないらしい。ということは二つ目の治療法方、になる。
「彼の四肢と脳を機械化しよう」
それしかないといっても良い。工学分野の発展も過去に比べれば当然めざましい、“作れさえすれば”今までと生活を変わらない、装着する機械によっては、それ以上の快適な生活も可能だった。その場合生身の腕には決してならないが、そこには目をつむってもらう以外残念ながらなかった。
「本気かよ。そりゃあ、俺達は製作技術も身に着けてるが、今すぐには無理だ。設計がないし…。」
「う…ん」
問題はそこだった。設計図がない。即興で作れもするが少年のことを考えると半端なものは可愛そうだと思う僕ら。今でこそ、少年は麻酔で眠っているが、それも永遠ではなかった。いつか目を覚まし、この状況を――この地獄を味わう。これは予想ではなく、確定した未来。それに加え、あの少年には『四肢と頭部がない』という不利な条件を加えさせられる。そんな運命も決定している。
それは、あまりに悲劇だと、少なくともこのときの僕はそう思ってたし、今でもそうだ。
そして、僕も一応医者の端くれ、あの脳に突き刺さったパイプで、奇跡的に身体機能や記憶機能が無傷なわけがないのは分かる。間違いなく、今後を左右する重大な何かが『残る』。あるいは『失う』。分かっている結果から言えば、8年後、彼は自身の昔のことをすっかり忘れるのだけれど。
「…よし!設計図を今すぐ検索して、早速機械化に移ろう!」
僕としてはもう、義肢と頭部に機械化を進める方向性で決まってしまったいた。だから河本君が「それはいいが」と言い出した時は、反対されても押し通すつもりでいた。
「それだとあの子の面倒をこれから俺たちが面倒みることに――――」
言葉を最後までは言わずに「おっと」と河本君はこめかみに手を当てた。おそらく通知が来たんだと僕は察した。カガク時代にもはやそうしていない人間はいなくなった、うなじにネット回線を接続する技術。“一部電脳化”といわれるその技術は主に個人ネットの中の出来事でこちらが干渉することはできないから、?マークを浮かべ小首を傾げる河本君の反応はこちらも疑問だった。
「どうしたの?」
僕が訊くと、河本君の思考が僕を置いていっていたことに気が付いた。「あ、ああ、このメッセを今から俺たちの共有ネットに送るわ。」
そう言って、すぐに空中で手首をスナップさせ、僕の方に指先を向けると僕の視界の右上に手紙のマークが入り、すぐに開いた。
「! これ…は…!?」
言葉を失った。何ともご都合主義すぎたからだ。まるで台本があるかのような運びだった。
「な?タイミング、やべーだろ?」
そう言う河本君の言葉にもどこか興奮が見え隠れする。通知には添付アドレスが入っており、それを開くと、中から出てきたのは設計図だった。それも、丁寧で見やすい、材料も手軽でカガク時代の今ならその辺を子どもが歩いて拾いそうな部品ばかり。崩壊した今でも入手は簡単。既製品を材料にした繋ぎ合わせというのが適切なのだろうが、その結果生まれる産物は僕らが求めた性能に限りなく近かった。
これを作ったカガクシャはいろいろなことを知ろうとし、色々なことを知識として詰め込んだのだろう。おそらく未知のものを作り出すことが大好きなのだろう。そういった感情を読み解くこともできるような作る側すら楽しませるような、そんな未知の期待感を感じさせる設計だった。
しかも使い手の多い義手義足の設計はもちろん、どこに需要があったのか脳の機械化と記憶保存メモリーの設計までセットで送られてきた。便りが頼りあり過ぎた。
「まあ、今回の場合はとお~っても助かるんだけど、こんな設計を書くような知り合いがいるの?河本君」
「はあ!?まさか、いるわけねーじゃん。」
だよね。いや、友達が少ないとか馬鹿にしてるわけじゃなく。
「でも、じゃあ一体だれが…」
いくら最高の設計でも、出自がわからないものは不安だ。なによりこれを付けるのは僕らじゃない、送られてきたこれを使えるようになるには、信用が何か必要だった。僕のつぶやくような疑問に答えるように河本君が言う。
「! それは、後ろを見れば分けるぜ。」
人さし指と親指だけを伸ばしてひねり、ひっくり返すように促す河本君に従い、僕も同じ動作をする。
設計図には本来あるはずの製作日や製作者の名前はなく、本来ないはずの顔写真が貼られていた。写真に写るのは完全にさっきの少年の顔だ。幼い顔立ち、輪郭、特徴と呼べる特徴はなく平凡そうな顔だが、それでも、同じ日本エリアに住む人間という種族である以上、見分けはつく。
「あ、…これ、あの少年が書いたってこと?」
「ああ、そう…みたいだな。」
正直、信じられなかった。あんな幼い少年が、大人でも難しいような、思いつかないような完璧な製図技術を持っていることに。でも、なんとなくだがこれは信用できる気がしてきた。
「よし、これを使おう!」
「まて、まてまて、お前のことだからそういうと思ったがいいのか?設計図、送り主がわからないんだぞ?」
現状、製作者も分かった今、不安要素はそこだった。いや、そもそもそれを疑い出したら、裏面の顔写真の添付すら嘘かも知れない、はっきり言ってきりがない。今この状況を打開するためには停滞だけは避けたかったから僕は頷き、答える。
「うん。でも、現状どこを探しても、これ以上の設計は見当たらないでしょ」
そう説得する。河本君も急ぎたいのだろう。一瞬同意の意を示したのを良い事に、「じゃあ!――――」と声を張ろうとするが、「あと一つ!」と防がれる。はやる気持ちを抑えるのに互いに必至だが、ここで数年早く生まれた兄弟子は風格を見せる。
僕が決定をしようとしたところで、河本君は僕の前で人さし指を立てた。
「な、なに?」
「お前は、あの子の主治医として、あの子を見守り続ける覚悟あるのか?リハビリとか、食事とかも要求されるぞ、あの事件後だからな。それを賄える自信があるのか?」
「うん!」
僕は、即答だった。家族を全てではないにしろ失ったであろう少年を支える覚悟は、救助すると決めたときから決めていたから。
☆彡
今から思えば、あの質問は河本君のくれたマモルンと――いや、あの時はそんな風に僕は名付けてなかった彼と関係を断つ最後の機会だったと思う。
でも、僕はその即答の返しを今の一度も後悔してないし、むしろ誇りに思う。僕だってカガクシャの一人だ。あんな素晴らしい製図ができる彼に出会えたんだからね。
「ハカセ、何ニヤケてんだ?」
まだ暗い大地の中、ヘッドライトを付けて歩く二人の後ろを歩く僕は、つい、昔のことを思い出して笑ていたらしい。マモルンに怪訝そうな目を向けられる。
「な~んでもないよ。さ、行こうか、サンカちゃん、マモルン!!」
僕は半ば無理やりマモルンに前を向かせ、背中を押すように歩く速度を早めた。




