【シロの国《ヒズ・ワールド》】4
マモルたちが立ち去ってから数十分が経過したビャクヤの部屋。そこには先ほどの面子とは違う三人の男が会話を続けていた。一人は少年のような小さい出で立ち、残りの二人は成人の男でうちの一人は白髪でニッコリと微笑む。笑顔の男に対して、少年はどこか下を向いている。震える握り拳はうっすらと赤く滲んでおり、「…っ!…っ!」と小さく歯の隙間から空気が漏れている。それだけ奥歯を噛みしめる少年。フードの奥では苦痛を表すように歪ませている顔がある。漏れだす不満をこらえるのは難しいようだった。やがて「いい加減にしろやこらああああああーーーーーっ!!」と怒気を全身にまんべんなく纏せながら叫び、殴る姿勢で走り出す。
ビャクヤの座る席へ届く直前、少年は急に止まった。いや、正確には大男のボーガンに後ろの襟をつかまれ、止められているのだ。少年は見た目を裏切ることなく、体重も軽い。よって、ボーガンの太い腕一本で完全に足止めが可能だった。宙に浮いた少年は手足をばたつかせ未だに執念深く攻撃をしようとする。バタバタと効果音が聞こえるほど四肢を動かすが、少年の稚拙な攻撃はビャクヤの目の前をかすめるだけだった。
「落ち着いてよ。これでも、悪いとは思っているんだよ?」
ビャクヤは目の前を通り過ぎる手足から逃げるように体をのけ反らせ、嫌々ながら言う。
ここまで数十分の時間が経過したがその間にあったのは一方的な拒絶だった。そのため、少年の怒りも頂点に達していた。
「なら、了承しろや!」
「それは無理!!」
ハッキリとそう断言したビャクヤ。そのあまりのサッパリした姿勢に、なおのこと怒りが込み上げる。手足のばたつきは一層早くなり、襟の掴まれていることによる抵抗も怒りに上乗せされていく。
「このっ!…このっ!…おいコラ。ボーガンッ!手を離せ!」
「いいえ、それは…聞けませんっ!」
言って、ボーガンは一度少年を引き寄せ、上空に放る。身長同様身軽な彼は、ボーガンによる片手の放り投げに抗う術はない。
「へっ…!?のわ~~~っ!」
一瞬状況の理解が遅くなる少年だったが、すぐに宙に浮いていることを理解した彼はされるがままに落下していく。やがて、少年の目の前には上に突き立てたボーガンの拳が近づいていく――――
「てめっ――ゴフっ!?………」
ボーガンの拳が少年のみぞおちに直撃意識を失う。ボーガンの方はと言えば、高々と拳を掲げたまま、目線は真っすぐにビャクヤを見つめる。なんだこれ…シュールだなあ、などと思いながらビャクヤもとりあえず目線を合わせておく。その後少年がピクリとも動かなくなったのを確認し次第、ボーガンは少年を肩に担ぐようにして再びビャクヤに向き直る。
「申し訳ありません。我が主がこんなで」
丁寧にあいさつをするボーガン。拳が食い込んだまま身体の降下とともに四肢もダラダラと動く少年。
笑い出しそうになるのを、内頬を噛んでこらえるビャクヤ。その様子が自分と同じ地位にいる人物たちをはとても思えなかった。震える声で謝罪に答える。
「い、いいや…。問題ないよ。それよりごめんね。君たちは良き隣人だから協力したいのはやまやまなんだけどね」
さすがに、これは…と机の上におかれた写真、及びカルテを突き返すように二人に送る。
「かまいません。では、これで」
少年ほどさしたる執着もなしに再びお辞儀をすると、脇に少年を抱え直し振り返る。
「うん。…君も大変だね」
そう言いつつ、二人の背中を送るビャクヤ。
無言でタッチパネルを押し、ドアが開いたのを確認すると、再び丁寧にお辞儀。カツカツと音を立てて真っ白い廊下を歩いていった。
★
「……はああ~。やっと終わったあ~」
ビャクヤは扉が閉じたのを確認し次第脱力。机に両手を放り、目はいつもより閉じているように見える。
ここまで二組の相手をして一時間以上が経っている。この対談だけではない。二色が合同で行った戦闘に乱入してきた謎の一団の件。世界第二位である技術士と設計士の素性捜査、その他にも自身の指揮する団員の精神看護。諸々の予定が溜まりに溜まり、焦燥感も極限のビャクヤだった。できることならベッドに横になりたい、そんなことを考えていた。ここ最近の彼の平均睡眠時間は3時間、日頃からシュートスリーパーの彼も重責務の連続で深い眠りを求めていた。
「お疲れ様です。団長兄」
そんなビャクヤの右から聞こた声。視線を移してみれば、白い部屋に生えるような腰まで伸びた真っ黒い髪をポニーテイルでまとめた眼鏡の少女がカツカツと黒いハイヒールをならし寄ってきていた。彼女の両耳は一般人のそれではなく、三角形であり、鋭いような釣り目も相まって物語で出て来るエルフのような見た目だった。ほのかに黒い肌はさながらダークエルフのそれだった。
「ああ、我が義妹よ。なかなか骨が折れるね。ホントに疲れたよ。真夜」
「普段が暇すぎなんですよ」
バッサリとそんな風に言う、マヤと呼ばれた少女。手首に巻いたバンダナ状の機械に触れると、その箇所から四角い画面が宙に現れ、今までビャクヤが接した人物との経緯を同じく空中に現れたキーボードで記録していく。服装、そしてその様子からも分かるようにマヤの仕事はいわゆる団長の補佐兼書記だった。
「あははは…。いやー全くその通りで…。」
言葉が出ないように頭をかいて答えるビャクヤ。確かに、最近はあまり多くない事務業が主で全く戦場へと出てはいない。その戦場も普段では部下である分団長以下に任せている。マヤの発言をもっともだと思う。
「しかし、今回は俺も焦ったよ。なんせ、一日に二度も危ない目に合ったからね」
そんな風にいかにも軽い調子で言うビャクヤ。そんな彼に注意するように言うのは別の方向から来た別の声だった。
「全くだぜ、兄貴はもうちょっと警戒心を持ってほしいものだ、観てるこっちがヒヤヒヤする」
左から現れるもう一人の人物。性別は男。物腰柔らかそうなビャクヤに対してこっちはいかにも脳筋のような見た目、筋肉が張りつめている。タンクトップでジーパンといういかにも欧米風な服装に黒の鋭利な髪型。戦闘向きな彼の仕事はやはり見た目通り、特攻隊を勤める。
そんな彼に対し、ビャクヤは机に突っ伏し顔だけ向くと、呆れる調子を孕んで言う。
「君も、ノックをしてから入ってこようね……。あれ?今の話だと、最初からいたの?当夜?」
「いや、さっきの大男とガキのことはへリポートの所で追ってきて、一緒にここに入って来たんだ」
当夜と呼ばれた男は腕を組んで淡々と答えた。それに違和感を持たないのは、二人が彼の特性を知っているからだ。
そっか。いやー、しかし、ホントに疲れてんだけど…」
そんな風にうなだれるビャクヤ。その威厳の無い義兄の様子に高笑いをするトウヤと呆れてため息をつくマヤ。
「最も、マヤの案内がなければ、もっと永遠彷徨ってたろうけどな、あいつら!」
その発言に再びため息をつきつつマヤが注意する。
「普段から"あの能力"はあまり使いたく無いんです。あくまでその本位は防衛なのですから。そんなお遊びの気分でいないでください。あなたがさっさと案内していればもっとスムーズにと予定を進められていたでしょうに…」
「わりぃわりぃ、俺も二人についていくの面白くてよ。」
これが、日本エリア最大の自治統治団体『白城団』の団長と、その両腕である副団長の二人。最小最終団体・第一分団と呼ばれる三人だけの分団も兼任しており、団長の白城白夜を筆頭に、副団長の白城当夜と白城真夜が他の分団長に指令を送ることでこの一団は成り立っている。最大の団と言われる由縁はどこの団体でも分団長が指揮するまでに人数がいないこと、そしてそう言われるまでの土地があることから来ている。ちなみに、三人はマモルとハカセの関係とは違い、八年前以前からも食事を共に過ごしている仲でもある。
「…でも、良かったの?挨拶しなくて」
上半身を机に突っ伏したまま、首だけマヤの方に動かしてそう聞いて来るビャクヤ。それは団長としてではなく、義兄弟の妹を想っての発言だった。そんな白夜に対し「? なんのことです?」と全く見当のついていない様子で小首を傾げるマヤ。それまで大人びたビャクヤの態度が、たちまち悪戯をする少年のようなそれに変わる。
「いや、マモル君さ。マヤって、話したいことがあったんじゃないの?」
そんな風にあくまで淡々とした口調で聞く。
「確か…君のそのエルフミミ。それってマモル君が作ってくれた物だよね。その時はハカセ君がいなくて彼が一から設計、製作をしてくれたとか。結構気に入ってるみたいじゃないか。たまに鏡でうっとりと見てるし!」
すると、その会話に興味を持ったトウヤも話に便乗する。
「おいおい。なんだそれ?『白鉄の戦姫』として有名なうちの副隊長が恋愛沙汰かよ!?」
こりゃケッサクだ。と高らかに笑うトウヤの反応を確認したマヤはすぐにビャクヤを睨む。睨まれたビャクヤは「バレたか」と声には出さないが顔には現れ、目線を逸らした。
こうした敵の弱いポイントを容赦なく攻めて来るのがトウヤの戦略であることはビャクヤもマヤも承知の上だ。ビャクヤが面白がっているのが手に取るようにわかるマヤ。反撃の機会を問いに答えながら窺う。
「別に、わたくしは彼を尊敬こそすれ、お近づきになろうとは思っていません。それに、話したいことがあったとしてもそれが恋愛につながるものとは限りませんよ。トウヤ」
我ながら、しっかりと反論できたものだ。と内心自分の冷静沈着ぶりを自慢に思うマヤ。しかし、視線を二人に向けると何やらつけ入るスキがあるようにニヤついている。本人は動揺が悟られないようあくまで自然にふるまっていたつもりでいる。よって、二人の表情には疑問が湧く。「? なんです?」と渋々訊いてみると、二人は待ってましたと言うように軽快に答えた。
「文面だけだといかにも”無表情・無関心”を貫けてる風なのが、なおのこと残念なんだよね~」
「ああ、顔はほころんでるし、身体もモジモジとしてた。もっとも、無自覚 だろうがな」
しばらくの沈黙。「! …なっ…な…!」と声にならない声が上がったのはその数秒後だった。そして今度はマヤ自身にも自覚があった。顔が熱いために赤くなっている自覚が。
「これは、双子ちゃんが知ったら戦闘沙汰だね」
「ああ、それも俺らと巨兵巻き込みむほどな…コエー…」
はあ…。と、あからさまに呆れたような表情で肩を落とす二人の男。
呆れられたマヤは肩から手にかけてプルプルと震わせて怒りの感情が現れる。怒りの矛先は呑気な義兄達に降り注ぐのかとも思われたが、すぐに話しに出てきた義耳から着信が入る。この義耳には、白の城塞の全ての異常を感知する管理システムが搭載され、さらに城塞内の様々な防御システムを遠隔操作できる仕様になっている。城塞と密接な機能であるため、逆に言えばどんな些細な異常でも、彼女はそこにいる限り感知できてしまう。そのため、いま訪れた『反撃のチャンス』につい頬がほころぶ。
「ふふふ。しかし、そんな風に気を緩めてもいられませんよ。お客様です」
「…えっ!?」
目を閉じているような顔のまま、口だけは脱力するように開けマヤの方を見るビャクヤ。
してやったりと思い口角が引きつりつつ、メガネを一度上げるマヤ。そのキラリと光る目線に悪意を感じ取ったビャクヤは身震いを一つするが、すぐに集中。マヤが空中に画面として現した半透明の監視カメラ映像を見せる。
その様子にマヤは「さすが我が兄」と感心する。もちろん心の中で。そして、映し出されたカメラに映っていったのは、三人のいる部屋の前の扉だった。
扉には一人の少女が立っている。丁度マヤと同じような黒髪だがおしゃれの苦手なマヤと違い、彼女は後ろ髪の一部を三つ編みにして赤いヒモで結んでいる。白を基調としたワンピースには、どこかで何かをしてきたのか、それともそういう柄なのか、赤い斑点と鉤爪のような線が所々散りばめられている。うつむきがちに下を向いたその少女はやがて決意したように顔を上げる。
「ほう…」
少女の上げたその顔の様子に、それまでとは明らかに違う興味を持ったよなに声を漏らすビャクヤ。
画面越しの少女の目が鮮血を思わせるような赤く鮮やかに発光して見えたのだった。




