第一節
銀霊シャドウは、シャツの下にしまい込んでいた首掛けの御守りを手に取る。
その行為に何かしらの意味があるのか、ただ手のひらに乗せジッと御守りを見つめていた。
「……、」
小さな時間が過ぎ行くと、彼は脱ぎ捨てていたコートを着込み街に出る。
三度目の街は至って普通の朝で、深夜の静寂がまるで嘘かのように思えるほど賑わいを見せていた。早朝の風景なのか、行き交う人々は仲の良さそうな友や家族と他愛もない話をしながら街を歩いている。
シャドウに至っては、その穏やかな雰囲気に包まれてか、むず痒そうに息を吐き捨てて歩きだしていた。
彼は元々戦ってきた人間なためか、こういう平和な雰囲気にはどうしてもなれなかったのだ。街の人々は当たり前に生活し、当たり前に共に生き、当たり前にともに笑う。
その光景を見ていた性か、この場所は彼にとってある理解を混乱させるような場所でもあった。
(うーん……こういう空気はやっぱり苦手だ。なんと言うか、自分が怠けてしまいそうで怖いな)
それほどまでに深刻には考えてもいないが、場所が違うだけでこうも動揺してしまうのかと彼は小さく首をかしげた。
「……あ」
言葉が溢れる。
その言葉とともに、自分のお腹辺りに手を伸ばした。
(そういえば、昨日から何も食べてなかったな……いや、そもそも何日食べてなかっただろうか?)
この町に来るまでの山中で食料の一切を取らずに登ってきた。そのツケか、妙にお腹が減ってしょうがない。彼は、とりあえずと近場の大衆食堂に向かった。
店に入り適当なものを頼み席に座す。出されたものを完食し最後に水を飲み込む。当たり前のように見え、ただ当たり前にひとりで食べる、別に今更なんとも思わないが、こういう場所にいると、どうにも何かを思い返してしまう……そうシャドウは心の中で呟いていた。
会計を済ませ、目的の遺跡残骸跡地へと足を運ぶ。
その場所は昨日と変わらず陽気な日光が草原を照らし、微風に揺られた草木が輝いている。思わず背伸びをしてゴロンと寝転びたくなる陽気だが、シャドウとて調査の名目で来ているのだ。休む訳にもいかない。
「かと言って、出るものも出なかったからなー……」
草原を一人歩きながら、ポツリとつぶやく。
正直、ここまで来ると何もない事にウンザリして帰りたくはなるが、何かしら物的証拠でもないかと躍起になってしまっていた。
(今回の調査。成功すれば俺自身の知識を高めることが出来る。だが、失敗すれば無意味なことだ。……シャキッとしなければなー)
パチンッ!! と両手で両頬に喝を入れる。
「……加減は、しないとな」
勢い余ってしまったのか、頬の辺が少し紅葉の様に赤かった。
日はまた傾き始めていた。
随分と長く遺跡調査を進めてきたが、はっきりした情報はない。それどころか、昨日よりもはるかに収穫がない。
ただ、解ることと云えば、この遺跡の残骸に記された石碑文字は、一律性を持たないフェイクの可能性が高いということだ。
「殆ど収穫なし、このままじゃ、何もないままで終わってしまう……ん?」
シャドウは草原の中腹で、どこかで見たような人物を見つけた。
正確には、どうしようもなく冤罪だが、どうしようもなく言い逃れができないような状況化で、ある意味蹴り一発で済んだのは奇跡かもしれないと思った、まさに被害者がそこにいたのだ。
だが、相手が被害者とてシャドウは明らかな冤罪である。
黒基調の服のいかにもな男である以上言い逃れが難しいが、それでも彼は何もしていない。
……していない。
(さて、どうしたもんか。声をかけないっていうのも手だが、昨日の誤解が後先続けば俺の今後に関わる。別段重要証拠はないし、画策して隠蔽するような奴なら処分する。だが、平和的ではない。かと言って声をかければ昨日の蹴りが来る……というか、蹴りで済むのか? まあ、ここで誤解を解くのはかなりの得策だろう。彼女もここに長い間居座っているような子じゃないことは明らかだし、最悪遺跡について聞いてみるのも手かもな)
打開策と、冤罪払拭のために、彼女に近づく。
相変わらずの白い髪に、垂れ耳のような跳ねっ毛が特徴的な彼女は、今日もこの場所でぐっすりと眠っていた。
(居心地がいいのはわかるけど、無用心すぎないか?)
大きく息を吐き捨て、髪の毛をガサガサとかき乱しながら少年は少女に近づく。
「おーい、おじょーさーん。朝……でもないが、日が暮れますよー」
「……、」
返事はない。
そこまで大きな声は出してないとはいえ、一度目の声に反応しないとなると中々に気恥ずかしいものがあった。少し顰めっ面に成りながらも、二度目の声をかける。
「もしもーし。起きてたら返事をしてくれー……」
いや、これじゃないな、
「えーっと……寝てたら起きてくれー……」
いや、違う……と言うか、何かが根本的に違うな、
「起きろー」
……ヤケになってきたな。
「……ハァ」
掠れた息を吐き捨てながら、「しょうがない」と意気込み彼女に近寄る。肩を揺らせばさすがに起きるだろうという典型的な案に出たのだが、いつかの蹴りを恐れてその行動に移ろうとはしていなかった。
つまり、これは賭けなのだ。
(……そこまで意気込む必要があったか?)
自分の行動に疑問を持ちつつも、彼女の肩に手を当て揺する。肌と肌の間に布一枚挟んでいたおかげで、冤罪になる可能性が消えたと勝手に考え勝手に彼女を揺すっていた。既にここまでの行動自体に何らかの疑問を抱かない彼ではないが、後には引けるはずもない。
「おーい、起きてくれー」
「……んみゅっ」
微かに声が漏れた気がした。
(起きるか?)
「……、」
が、起きない。
「あー!! 起きてくださーい!! 夕方ですよーー!!」
ヤケになった。
理由もなくヤケになった。
居心地よさそうに眠っている彼女を、無理矢理にでも現実世界に引っ張り抜いてやろうと躍起になっていた。
そして。
「……!!」
「あ、起き……ガボゴッ!!」
寝起きの一発目は、清々しい右ストレートの腹部一直線であった。