第三節
夜遅く。
シャドウは宿屋の一室で、目を閉じ椅子にもたれ掛かかっていた。
部屋にあるのはベッドと、木の机と椅子。そして全面木張りの安上がりのような一室だった。
その部屋の中で彼は数時間、椅子の上に座り唯々目を閉じていたのだ。
(……よし、十分に休みは取れたな)
銀霊シャドウ。
彼は常に、意識を沈めてまで眠ろうとはしない。
否。
それができないのだ。
彼にとって、その過去は余りにも壮絶なもの過ぎたのだ。その結果、彼は常に警戒を怠らずに数時間の肉体休憩のみを行い、活動する。熱湯を保温するかのように、彼は常時何かが起きても行動できるように、いわば仮眠状態になっているのだ。
だが、それは人間の人生における過程ではかなりの負荷が彼にはかかる。だが彼はまるでそれをさも当たり前のように続けてきたのだ。
誰にも、そのことに疑問を持つ者はいなかった。
いや、〝そのような疑問を持つであろう者〟と信頼を結ぶような人間でない彼からしてみれば、そういう五月蝿い勧告を聞き入れずに済むという利点がある、とも思っているのだろう。
それはつまり、彼は誰にも心配されない立ち位置であり、全ての生物においての優先順率のギリギリに存在している。結果として、彼は一人で生きることを可能としたのだ。
……いや、こう言うべきだろう。
彼は孤高の道を、あえて進んでいるのだ。
そしてその結果。
誰ひとり、彼に救いの手を伸ばそうとはしなかった。
(……この時間なら、人通りは少ないはずだ。さっさと見回っておくか)
椅子を立ち、外に出る。
宿主も店員もカウンターにはいない。その甲あって、この夜静まった街に彼は足を踏み込んだ。
夜の街は肌寒く、コートを着込んでいた彼でも肌に刺さる寒さを感じていた。
そんな寒さ蔓延る街中を歩き、彼は目的の草原に点在する遺跡に到着する。街にも人は見当たらず、店も当たり前に閉まっている。開いているといえば、怪しい光を放つバーのような場所だが、人の声は漏れてこない。
街中の人々は寝静まり、夜の時間は静寂と共に流れていく。
遺跡の目の前にたどり着いた彼は、月明かりだけを頼りに遺跡を見渡す。
月の距離も近い上に、常に快晴の空の性か夜だと言うのに明るいのだ。
だが、そんな明るさであっても、この遺跡から出る情報はかなり少なかった。
昼に読むだけ読み、その遺跡の法則性や持てる知識を使って調べたが、やはり目新しい情報は見当たらなかった。あらゆる文字を見てもその文字たちに法則性はない。そもそも、遺跡すべてを見回って思ったことは「どの文字も他の残骸と同じ文字は無いのではないか?」と疑問を抱いてしまうのだ。
「……ハァ」
寒さのせいか、口から掠れた息が漏れる。
その息とともに、白くなった吐息まで吐き捨てられた。標高が高いためか、日中こそ陽気な日々だが夜は下手をすれば直ぐにでも風邪を引いてしまいかねない。
(しかし、本当に穏やかな街だ)
本来であれば、街や国の自警団などが徘徊しているはずだ。だが、その姿は一人も見当たらず、更には魔物や獣の姿も見えない。まるで「この地が何かに守られている」。そんな錯覚を覚えたくなるような程、平穏で静かなのだ。
(人口の数もそこまで多くない、なにか特別な労働をしているわけでもない。畑や農村だってそこまで多くは無いのに、他の収入源があるようにも見えない。観光目的で訪れる人はいるのだろうが、そこまで目に見える程の大人数でもなかった)
それほどに平和が安定した街なのだろう。そうでなければ、昼間に見た少女が一人で気持ちよさそうに眠っているはずがない。
(……いや、彼女なら化物がいても生きられそうだよな。あの蹴りは……)
遺跡も殆どを見通し、その周囲も観察した。
だが、何一つ可能性に繋がる物はなかった。
何かしらの別の方法か、傍は見回しても見えない死角にあるのか。彼は夜空の下で頭を悩ませていた。
「……!」
突如、彼が何かを視界の端に確認すると、音を立てずに遺跡の影に素早く身を隠す。
影に身を潜め、その何かを見る。
(あれは……)
そこには、今朝見たはずの少女が、木の上で静かに立っていた。