第二節
某月某日。
正午の時間帯に、一人の少年がある街中を歩いていた。
その街の名は『バプル』。街を囲むようにドーナツ状にある山々の山中に存在し、穏やかな気候に包まれた場所であった。街はレンガの建物が多く存在し、山中特有の大草原が広がっている。標高は高いが、風はなく日当たりが良い為に、年中通して日中は昼寝日和と言わしめるほどだった。
大草原には、地面から石碑のようなものが幾つかの場所に、突起して点在していた。この街の風物か、街の人々にとってはある意味での象徴となっていた(象徴というか、ベンチというか……)。
「……ここ、か」
ある一人の男が、その街のレンガ道の上に立ち、言葉を吐き捨てた。
背丈は高く、それだけで成人しているように醸し出すその少年(か青年?)は、黒いズボンに白いワイシャツを着用し、その上に黒いベストを着込んでおり、さらに黒コートと、いかにもな出で立ちであった。だが、それに相なってその髪の毛は女性のような白銀のロングストレートであり、容姿もそこまで厳格ということではなく、寧ろ多少の幼さを残しつつも表情筋が死んだような無表情さはその人物の年齢水準を狂わせる。
「それにしても、暖かいな……もう冬手前じゃなかったか?」
季節は秋と冬の境目。
だが、この街だけはそこまで肌寒くはない。
コートを着ていても、多少ムスッとするくらいだろう。確かに寝るには心地が良いが……。
小さくため息を吐き捨てた彼、銀霊シャドウは大きく街を見渡した。
今回彼がこの街に来た理由は、或る物を探すためであり、その為に訪れたのだ。
だが、肩に背負った旅行荷物が些か邪魔だった。早くにも宿屋を見つけて荷物を降ろしてしまいたく、彼は今まさにその場所を探している真っ最中だった。
(さて、探し物の前に宿屋に荷物を置いてこないとな)
キョロキョロと辺りを見渡せば、街角に三階建て程の宿屋が見える。彼は早速と意気込み宿屋の中へと足を進めていった。
「さて……早速探すか」
無気力に吐き出された声が、風の上に消える。シャドウは草原の上に居た。先ほどの宿には既に断りを入れ、荷物も宿屋に置いてきた後だ。
広く見通す限り、緑一色の大草原の上に、石灰色の遺跡たちが点々と転がり、突き刺さり、点在していた。
彼はその遺跡一つ一つを神妙な面持ちで覗き込む。
「……、」
パッと見ても、遺跡……というよりは石碑に近いか、その表面には謎の古代文字と彫り絵のようなものが刻まれている。彫り絵自体は、まるで絵の端を引き裂いてしまったような場所しか写っていなかった。……と、言うのも、遺跡の一部がここにあるのだから、推測でも「もともと一つだった大遺跡が、何かしらの理由で吹き飛んでここに来たのだろう」と彼は一応の予測をつける。
古代文字の方はというと、まず一言に解読不可能なものだった。
というのも、少々入り混じった理由があった。
まず第一に、銀霊シャドウは古代文字を解析できる人間ではあった。これまでの経験や、凡ゆる推測は探偵のような物と云うよりも、科学者や考古学者のような専門的な知識を知っている部類なのだ。といっても、彼はそういう博士号などは持っている訳もない。では何故かと言われたところで結論は、ただ純粋に学んだだけなのだ。
話変わって、この地の遺跡自体は、それなりの考古学者たちが一度調べているのだろうが、結果が乏しく、今ではこの遺跡にまつわる分析を放棄したのだろう。
だが、それは逆に言えば、唯一手を加えられず、元来の姿のまま残された遺跡なのだ。今まで分析されてきた遺跡たちは、研究所などに持ち帰られるのが常習的だが、結果の乏しい不良物件であれば切り捨てられる。彼らが考える遺跡としての優先順位は、希少価値ではなく結果が出るものだけが優先される。今や純粋に物事を追求する人間の方が今日の世界には少ないのだ。
この情報を前提にし、遺跡の解析をして、彼は結果を出した。
「……ふむ、全くわからないな」
気の抜けた声を吐き捨て、髪の毛をグシャッとかく。
(なんて言うんだろうか……この文字、統一性が全くない。一律してないというよりか……ある程度の過程を踏まえて考えても、そこから先が全く違う……)
「さて、どうしたものかなー」
彼は出足をくじかれたような気分で、次の瓦礫遺跡へと向かう。
そして、同じように解析を始める。
結果はまるで変わらず、まるで無意味でもあるかのようなこの作業は、絶え間なく続いた。
夕方。
日が落ち始めた頃。
シャドウは草原の中腹辺りで未だ遺跡の解析をしていた。
そして、数時間かけて出した結果は……。
「……ダメか」
ハハッ……と口から溢れる。その声に活力はなく、もはや何かを悟ったかのように疲れた声だった。結果的に目新しい成果は出ず、大きくため息を吐き捨てて空を見る。
夕焼けが、眩しく当たる。
草原の性なのか、夕陽の日射しを避ける手段はなく、直に体に光が射し込んでくる。
ここまでの作業を通しても成果はない、一度休んで出直す方が効率的。そう考え至った彼は「しかたがない……」と吐き捨て、振り返り街の方へと戻ろうとしていた。
その時だった。
振り返る直前、視界になにか丸い物体が映る。
何だ? と思いそちらにもう一度目線を移す。
そこには、黒い布地のような何かにくるまった、何かがあった。
正確には、黒くデカい真ん丸とした何かがそこに在った。
「……なんだ、これ?」
恐る恐る近づいてみる。
モゾモゾッ
「……ッ!?」
突然、その黒い塊のような何かは異様な動きをして見せる。
石でなければなにかの生物か? はたまた熊のような獣の類か? それとも異様な地球外生命体か?
真実を確かめる為にと、もう少し……もう少し……と距離を縮めていく。その全容がしっかり見えるあたりで、その何かはまた大きく動いてみせた。
「……ん」
ソレから、声が漏れた。
(……人、か?)
どうやら、それは彼と同じような丈長のコートに身を包んでいたらしい。正確にはパーカーコートなのだろうが、その異物の正体は一人の少女であったのだ。
垂れ耳のような跳ねっ毛がある純白ロングヘアーに、紺色のショートパンツ。上に黒のキャミソールらしきものに白いシャツを重ね着し、パーカーコートを着込んでいる。パーカーコートは袖無しのタンクトップ式のものであり、肘の上あたりに付け袖が存在している。太ももから足先に向けて黒ニーソにブーツを履いていた。
そして、頭に被っていただろう帽子は、コロリッと草原の上に転がっている。
「昼寝か……?」
シャドウは、ガサガサと自分の髪の毛をかき乱す。
(放ってはおきたいが、ここで起こさなきゃ風邪ひくだろうしな~……)
「しかたない、か」
帽子を手に取ると、帽子に付いた草を片手でパパッと払いのける。
そして、そのまま彼女を揺すり起こそうと、もう片方の手を彼女の肩まで伸ばした……その時だった。
「……んにゅ………………っ」
少女が声をくぐもらせると、薄らと目を見開く。
まだ眠気が残っているせいか、半開きの眼はキョロキョロと辺りを見渡す。
そして気が付く。
こちらに伸びてきている手。
自分の帽子が前の人物に持たれている事。
夕日が後光となっているからか、その者が真っ黒に黒ずんで影しか見えない。
以上の点から踏まえて、とった行動はあまりにも淡々としたものであり、殺伐としたものだった。
意識を急に覚醒させ、目の前の謎の人物に向かって思い切り、捻りの良い蹴りの一撃を喰らわせる。
ドゴォッッ!!
「……がッッッ!?」
突然の蹴りにシャドウの体は大きく仰け反る。その反動により、拾い上げた帽子も落としてしまった。腹部を押さえながら彼女の方を見ようとするが、彼女は颯爽とその場から立ち去ってしまった後だった。落とした帽子もない。きっと彼女が彼を蹴った直後に回収したのだろう。
「ッつっ……。すごい蹴りだ……いや……まぁ、興奮状態の、ノアに、比べれ、ば、まだ……良い方か……」
額に汗を浮かべて安堵の声をつく。
少なからずシャドウが不審人物にでも見えたのだろうが、彼の性格上それを回避する選択肢はなかった。
その優しすぎる正確か災いしてかなのか、彼は今の一瞬、何かを放っておけなかった。
例えそれが、一人の少女の風邪の心配でも。
例えそれが、誰かの人生が辛いものであった時も。
例えそれが、人類に危機が訪れよう時でも。
彼は手を差し伸べずにはいられなかった。
……その手が、赤黒く染まっていても。
「……、」
小さく息を吐き捨てると、片手で抑えていた腹の痛みが引いたのか、ゆっくり立ち上がる。
「……はぁ……。さて、取り敢えず一旦戻るか」
彼はその足取りを街の方へと向けた。
首元に手を当てて、小さく鳴らしながら彼は歩き出していた。