第五節
「―――」
時刻は、少し戻る。
彼女は、少年に名を「ルナ」と語った。
本来の彼女の名は『ルナ・シュヴェルツェ』。それが、記憶の無い彼女が持つ名であった。
記憶が消失したのか、生まれ持った病気なのか、自身の自我がそうさせたのか。それは、誰にも解らず、誰も知らない。ただ、それがそうで在るように、そこに確かに名があった。嘘偽りのない、彼女だけの名が。
「あら、お嬢ちゃんまだ食べてるの?」
「?」
まだ二〇後半位の女性だろうか。格好から察するにバーの店主だろう。彼女は、手元にグラスをチラつかせながら席に座ってアイスを頬張っているルナの反対側に腰掛ける。
テーブルを間どって彼女はルナを見つめる。ルナに至っては視線など関せずといった感覚で、パフェを平らげ完食した。
「あら、美味しかった?」
彼女は、小さく頷く。
「それは良かった。私の手作り、美味しいってこういう風に言ってもらえたのはいつくらいかしらね」
クスクスと、店主は笑う。
ルナも直感で、その笑顔に嘘偽りのない自然のものであると感じていた。
「そういえば、さっきのお兄さんはどこに行ったの?」
「……どっか、行った」
「あら、女性を置いて行くなんて薄情ね」
女性はプクりと、まるで少女のように頬を膨らませて吐き捨てる。
「別に、他人だから」
「あら、そうだったのね。変に詮索してごめんなさいね」
「聞かれて困るような話でもない」
「そう? ならいいけどね」
フフッと不敵な笑いを見せて、彼女は席を立ち上がる。カウンターの中へ戻ろうとしながら、足を止めて彼女のほうに振り向いた。
「これはお姉さんの助言だけど」
「?」
「もらった恩は、ちゃんと返した方がいいわよ? そうしないと、延滞料がどんどん付いちゃうからね♪」
ウィンクとともに、彼女はカウンターの中に戻る。
一人、空になった食器群を載せたテーブル席に佇むルナ。
この皿たちは彼の情報料とした支払いだ。
そして、その現金もそこに置いてある。
なのに。
(……借り?)
彼女の言葉が、終ぞのどに詰まる。
美味しく食べきった食べ物たちがスッキリと喉を通って行った後だというのに、どうにも心地悪い。
どうにも、ハズレな食べ物でも引いたかのように。
どうしようもなく、
―――気持ち悪い。