第五話(二人一緒に)
アズミと出会ってから1ヶ月半も経っていたのに、ぼくはまだアズミのメアドを知らなかった。
『アズミ、メアド教えてくれる?』
翌日、ぼくは何気なさを装って、いつものようにチャットのログを打った。
『いいけどなんで?』とアズミが尋ねてくる。
『今度、一緒に病院に行かないかなと思って』
『そうだねー』
『どうせ待ち時間、退屈でしょ?』
『(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン』
『チャットだとすぐに連絡つかないしさー』
『うん。行こう行こうw』
アズミは、すぐに自分のメアドを書いてきた。ぼくはケータイをつかみ、速攻メールを送った。
『あ、いま来た』
『いった?』
『おっけ』
『これでいつでも話せるねw』
アズミのログもどことなく嬉しそうだった。
『診察日、ちょうど明日だよね。何時にする?』
『じゃ、10時に△△駅前とか?」
『らーじゃ。また変更あったらメールするね』
『おk』
ぼくは、こころのなかで「YES!」とこぶしを握っていた。これからずっと、病院のあの退屈な待ち時間を、アズミと過ごせるんだ――。
そのとき、手に持っていたケータイが鳴った。ぼくは、ピッと即座に反応した。
「リョウヘイさん、こんにちわ」
電話の相手は言った。それは、Rの売人をやっている例の女の子からだった。
「薬なら足りてるけど」
ほんとうはそうでもなかったが、ぼくは彼女とはあまり付き合いたくなかった。
「いえ、そうじゃないんです」
「じゃ、なに?」
「リョウヘイさん、スニッフって知ってます?」
「スニッフ?」
「薬を砕いて、鼻から吸うんです。その方が効き目が長持ちするんですよ〜」
天使のようなかわいい声で、女の子はくすくす笑った。
「ただし、鼻水出ますけどね」
「それで、それがどうしたの?」
「その道具、要らないかなあと思って」
「そんなもんまで売り始めたのか」
ぼくは少しあきれた。この子は、いったいどんな生活をしてるんだろう。
「いえ、あたしの使いかけなんですけど…。べつに汚くないので。あたし、新しいの買ったからもったいないなと思って」
「いいって。俺は要らない」
電話を切ったが、少し気になることがあった。
…薬の効き目が長持ちする。…
正直、たった2・3時間しか効かない薬を、一日何度も飲むのは気が引けたし、経済的にも辛かった。でもそれだけは、手を出すべきじゃない――…。
◇◇◇
アズミはその日、例のクリーム色のコートの下にワンピースにブーツ姿で登場した。
「お。かわいー」とほめたら、「どこがよ」と意外とアズミは反抗した。
ぼくらは、電車に乗って、二人が初めて出会った病院へ向かった。今日は、このまえと違ってとてもいい天気で、二人ともなんとなくワクワクしていた。
「ぼくさー。病院行くのがこんなに楽しいの、初めて」
「わたしも」
「やっぱ一人だとしんどいよね」
「うん。待ち時間がいちばん気がめいる」
「今日の待ち時間、どうする?」
「そうね〜」
アズミは少し考えてから言った。
「わたし、亮平のギターが聴きたい」
「おけ。じゃ、作業療法室だな」
ぼくらは、病院で診察券を出すと、すぐに作業療法室へ入っていった。そこには、まばらに人がいたが、治療時間外だからかまわないだろうと、ぼくは思った。
「なにがいい?」
部屋のすみにあったギターを取り出して、ぼくはアズミに尋ねた。
「このまえのやつ」
「えっ?また”禁じられた遊び”?いいけど、しぶい曲好みだねー」
「あれから、あの映画観てみたんだ」
「へえ」
「もうびっくり。すごーーく泣いた。ラストがかわいそすぎる」
「そっか。
じゃあ、ぼくのギターで、もひとつ、泣かせてあげましょう」
ぼくは、ギターを弾き始めた。アズミはぼくの隣にぴったりと座って、じっとぼくの手つきを見ていた。ぼくは彼女の視線を感じて、少し緊張してしまった。
窓から冬の陽が、やわらかく差し込む。ほこりがわずかに舞うなかで、ぼくらは、ゆっくりとした時間を過ごしていた。
「ぱちぱちぱち。ありがとー。亮平」
「なんだ、泣けよ」
「あはははは」
アズミが明るく笑ってくれたことで、ぼくも幸せな気分になった。
「そろそろ、様子見に行くか」
「うん」
アズミが立つ。ぼくも立ち上がって、彼女とぼくは、ちょうどいい背丈のシルエットをつくる。
ぼくがアズミの瞳をとらえようとすると、彼女はすでにぼくを見ていて、視線がぶつかった瞬間、彼女ははっとその美しい瞳をまぶたにふせてしまった。
そのとき、ぼくの中のなにかがぼくの背中を押して、ぼくはアズミの手をそっと握った。