第三話(アズミの身の上)
「眠れないの?お兄さん。いい薬があるよ」
とアズミがふざけて言った。
「いらないよ。もう今日は眠れねえって決めたんだ」
「へんな日本語」
そう言いながらも、彼女は「これ効くから」と薬を何種類か出してきた。
ぼくはそれを受け取った。なかにはRもあった。
いたずらっぽくアズミは目で笑ってみせる。
「じつは、薬のシートを捨てに来たの。家のゴミ箱から見つかると大変だから。いつもコンビニで捨ててる」
ぼくは、彼女も闇ルートを持っていそうな気がした。
「ところで、その顔どうしちゃったの?」
ぼくはアズミの頬を指さして尋ねた。そこには出来たばかりの紫色のあざがあった。
「わたしね、さっき父親に殴られてきた」
「えっ?!」
「うちの家って、最悪なんだよ…」
「よくあるの?こういうこと」
アズミは、下を向いてうなずいた。
「お父さん、女つくっちゃってさ」
「……」
「夫婦でケンカばっかりしてるくせに、わたしには、就職しろとかなんとかうるさく言ってくんの。あれでもお父さん、警察官なんだよ。信じられない」
アズミは長いため息をついた。
「さっきもわたし、ケンカを止めようとしただけなのに…」
アズミは棚のファッション雑誌を横目で見ながら、ため息をついた。
「イギリスに留学してた頃はよかったなぁ…。たった1年間だけど。帰ってきてから、家のなか、ますます冷え切っちゃっててさー」
「イギリスに留学してたんだ?」
「お父さんから逃げるためにね。だからわたし、英語は話せるよ」
「へぇ、かっこいい」
「どうでもいいよ、そんなこと」
アズミはさらに続けて言った。
「とにかく、お父さんの教育は、殴ったり何時間も正座させたり、わけわかんないの。わたし、もう我慢できなくってさ」
それで、薬に頼るようになったのか、とぼくはこころの中で思った。
「なぁ、アズミ」
「なに?」
「ぼくんち、来ない?」
「えーー!!なに言ってんの??」
アズミは笑った。
「そんな簡単についていかないよ」
「あはは、冗談だよ」
ぼくは、アズミを元気づけようと思った。
「部屋は部屋でもチャット部屋。ぼく、ahoo!チャットの《ギター大好き!!の集まり》によくいるんだ。遊びに来てよ」
「うん。ありがと」
アズミは嬉しそうだった。
「下手なギターを聴かせてやるから。仲間もいるしな」
「うん」
ぼくは、アズミのメアドを聞きたくてたまらなかったのだが、アズミが、「そろそろ帰らなきゃ」と言い出したので、チャンスを逃してしまった。
まあ、いい。彼女が、チャットルームに来れば、いつだってそれは聞けるんだから。
「じゃ、送っていこうか?」
「いい、いい。すぐ近くだから」
「アズミ、気をつけてな」
「亮平もね。おやすみ」
「おやすみ」
こうして、ぼくらはコンビニの前で手を振って別れた。
アズミのそのときの柔らかな手つきを、ぼくは決して忘れない。