第十話(同棲生活・1)
ぼくは結果的に、弱った草食動物を力づけるライオンになった。
アズミは翌日、大荷物を持って、ぼくの部屋にやってきた。
「わたし、家、出てきちゃった」
「まじかよ?!」
ぼくはそのとき、食べかけていたバタートーストを落としそうになった。
「親は?なんて言ってるの?」
「ケンカばかりしてる親に反対なんて出来ないよ。この場所は言ってない」
アズミは平然として言った。信じていいものか?
だけど、アズミだってもう20歳だ。自分の行動には責任を持っているだろう。
――結局、彼女はぼくの部屋に住むことになった。
「そうだ。《ギター大好き!!の集まり》に報告しよう」
「なにを?」
「ぼくとアズミが、一緒に住み始めたことさ」
「えーー、なんか恥ずかしいなぁ」
ぼくはパソコンを立ち上げ、チャットルームに入って、《ギター大好き!!の集まり》のやつらに声をかけた。
『久しぶり>亮平』
ケンタが挨拶してきた。
『サヤがいなくなって、寂しくなったな』
『そうだね。あれから、コージもミルクも来なくなったし。早くも別れたって噂だけど』
『もう別れたのか、あいつら』
ぼくは、後ろの台所で不器用に包丁を扱いながら、豆腐を切っているアズミに叫んだ。
「コージ、別れたんだって。ミルクと」
「へぇ…」
「誰も連絡先は知らないって」
「そうなんだ」
そして彼女はしばらくの沈黙のあと、
「コージさん…、ほんとはサヤさんのことが忘れられなかったのかなぁ。サヤさんの優しさに甘えてたのかも…」
とつぶやいた。
ぼくは、パソコンに戻って書き込んだ。
『ところで、ぼく、言わなきゃいけないことがあるのよ』
『なんですか、改まってw』
『ぼく、アズミと暮らすことになった』
『えーーーー』
『工工エエェェェェェェェ(゜Д゜)ェェェェェエエエ工工』
『まじっすか!!!>亮平』
何人かのやつらが反応してきた。
『ヽ(〃'▽'〃)ノ☆゜'・:*☆オメデトォ♪』
『おめでとう、亮平』
『やっぱそういうことだったのかー』
『亮平、一曲弾いていけよ』とケンタが書き込んできた。
ぼくは、ギターを取り出してマイクで言った。
「じゃ、サヤのために”天国への階段”」
アズミがぼくのそばに寄ってくる。
ぼくは、彼女ににっこり笑いかけて、それから弾き語りをした。
『888888888』とたくさんの拍手をもらったあとで、ぼくは早々にチャットルームを出た。
「なぁんだ、歌詞、覚えてるわけじゃないんだ?」
とアズミがぼくの机の前のクリップボードに貼ってある、大量のコピー紙を見て笑う。
「覚えられるわけないよ、英語なんだから」
「あはは。全然知らなかったー」
「そ。ぼくはいつも、これ必死で読んで、きみにも聴かせてたの」
アズミは、クリップボードを埋め尽くしている、たくさんの歌詞をじっと眺めていた。
そして、くるりとぼくを振り向いて言った。
「ねぇ、亮平。今度、わたしのためになにか弾いてくれる?」
「いいよ。いま練習している”Tears in Heaven”を、あなたに捧げましょう」
アズミは、にっこりと、ぼくをどきっとさせる笑顔をみせた。
ぼくは思わず、アズミの髪をそっとなでた。アズミが心地よさげに、ぼくに向かって目をつぶる。
ぼくらは、長いキスをした。
窓の外からは、満開の桜が見えた。
春の訪れが、ぼくらを祝福してくれているようだった。
ねえ、亮平。サヤさん、きっと天国へ行ってるよね。…
アズミは、ぼくに寄り添って、「いまがいちばん幸せ」と言った。