第一話(出会い)
※ケータイ小説用に書いた物語を転載しています。
難解な文章や表現を削るのに苦労した作品です。
1月の初め、しんと静まる寒い日に、ぼくはギターを弾いていた。空はくもっていて、雪が降りそうだった。ここ作業療法室には、誰もいない。ぼくは、この精神病院で、いま診察待ちをしているところだった。
――ガシャーーンと、ガラス細工のように壊れてしまったぼくのこころ――
ぼくは少し涙を浮かべていたかも知れない。…ふとぼくは、外に人の気配を感じた。
「それ、なんの曲?」
顔を上げると、窓の横に高校生くらいの女の子が立っていた。
優しいクリーム色のコートに、バーバリーのマフラー。彼女は整った美しい顔だちに、どこか品のよさをたたえていた。
「”禁じられた遊び”」
「それってなに?」
「ふるーい外国の映画」
「ふうん。どんな?」
彼女は、セミロングの髪をゆらした。
「子どもが、二人でいけないことする話」
――なんていいかげんな答えなんだ。
「なにそれ…」
「最後は、女の子と男の子は、離ればなれになるんだよ」
「えぇ?」
と彼女は予想外のびっくりを見せた。
「悪いことしたんだから、しょうがないよね」
ぼくは、あまり考えずにそう言った。
「そっかぁ…、」
「え?」
「それで、わたしも……」
彼女は、クリーム色のコートをひるがえして、ドアの外へ出て行った。
いったい、なんだっていうんだ?
「さぶっ!」
外に出ると、いまにも降り出してきそうなグレーの空だった。
ぼくの病気は、原因不明だ。
2年前突然、胸に激しい痛みを覚えて、あちこちの病院へたらい回しされ、結局、精神科に落ち着いた。つまり、ぼくの病気はこころの問題だというのだ。精神科医も困った様子で、とりあえずぼくに鬱病の薬を出したが、ぼくの胸の痛みは、いつだってズキズキとおさまることはなかった。
「まあいいや。向精神薬Rさえあれば」
ぼくは目をつぶって、薬局で順番をじっと待った。《ピンポン!》と薬局の電光掲示板の音が鳴る。番号札を出し、ぼくは薬の確認をする。すると、ふいに後ろから肩をとんとんされた。
「あのそれ、わたしの薬なんですけど」
え?っと振り返ると、そこに、さっきの美少女が立っていた。
「ほら、番号。85番はわたしのよ」
「えっ?!」
ぼくはあわてて、薬袋と番号札を確認した。薬袋には、確かに《篠田アズミ様》と書かれてある。
えぇえ?!ぼくみたいに、馬なみに薬を飲むやつが、ほかにいるのか。
ぼくは驚きながらも、彼女に「ごめんっ」と謝った。
篠田アズミは、にこっと笑って、それから言った。
「ふぅん…兄さんも患者さんだったんだ」
「…え?」
「てっきり、作業療法士さんかと思った。ギター上手かったし」
そのとき、隣の窓口でピンポンが鳴って、ぼくのほんとうの番号札――86番が示された。あたふたと、ぼくは薬を受け取る。その間に、アズミはコートを着込んで、カサ置き場で自分のカサを捜していた。それで、カサを持たないぼくと彼女は、ちょうど同じタイミングで外に出ることになった。
外は粉雪が舞っていた。――…
ぼくは時折、空を見上げながら歩いていた。すると突然、アズミが振り返って言った。
「ちょっと、ついてこないでくれる?」
「へ?」
「だからー、わたしの後をついてこないでって」
「ぼくも、そっちの方向なんだよ」
「えぇえーー?!」とアズミは叫んだ。
「あんなさびれたバスに乗ってる人、わたしのほかにもいるの?初めて聞いた」
「ぼくは、そのバス路線のK停留所に用があるの」
「えぇえええーーー!!!」とまたアズミが驚いた。
「うそ?!じゃ、わたしと同じじゃない!!」
ぼくも彼女も、同時にびっくりした。
ビシュッとその横を、車が通り過ぎていく。
狭いガードレールの内側を、黙って歩いているわけにもいかないので、ぼくは後ろからアズミに話しかけた。
「あのとき、なんですぐ出て行っちゃったの?さっきぼくがギターを弾いてたとき」
「だってわたし、自分のことを言われたみたいで」
「え?」
「悪いことしたんだから、離ればなれになっても仕方ないよねって」
「それ、映画の話でしょ」
「でも、タイミングよすぎ。つい最近、別れたんだよね。中学生のときからつき合ってた彼と」
「そっか…」
「彼もギターが好きだったなぁ…」
「アズミ、それで眠れなくなっちゃったの?」
「ううん、それが原因じゃない」
彼女はきっぱりと言い切った。
「眠れなくなったのは、別の理由」
「…あまり詮索しないでおくよ」
「うん。ありがと」
ぼくらはK停留所に着いたのちも、同じ方角を歩き、結局、一緒にとある精神病院に着いてしまった。それだけで、ぼくらは、自分たちの置かれている状況が理解し合えた。
「なぁんだ、二人とも病院ハシゴしてたのか」
ぼくはつとめて明るく言ったが、アズミは呆然としていた。
「…兄さんも……中毒患者だったんだ」
つまりぼくらは、一つの病院で出してくれる薬の量では、とても足りないくらいの苦しみを抱えているということだった。
「アズミ…、ぼくら、いけないことしてるよね」
「うん…、薬物依存っていうの?わたし、親に隠すのが大変でさ」
「アズミ、歳いくつ?」
「19歳」
「ぼくは28歳。行徳亮平。《亮平》でいいよ」
「亮平」
とアズミはつぶやいた。
思えばそのときから、ぼくらはささやかな共犯者になっていたのだ――。
診察後、大量の薬を受け取ると、ぼくらは待ち合わせたようにバス停へと向かった。
あたりはすでにほの暗い冬の街並みだった。
ぼくとアズミとは少しばかり歳は離れているけれど、背丈はなんだかしっくりくるな、なんてぼくは不謹慎なことを考えていた。
アズミはアズミでまた、なにか別のことを考えているようだった。
やがてアズミは、下を向きながらポツリと言った。
「ねぇ。わたしたち二人ともいけないことしてるわけだからさあ」
「うん」
「もし、わたしたちが友だちになっても、いつか離ればなれになるってことなのかな?」
「え?」
思いもしないことを突然言われて、ぼくは返事が出来なかった。
アズミは、ぼくの胸元を見ていた。
「ねぇ、亮平。わたし、いままで誰にも言わなかったんだけどさ」
「うん」
「それでもわたし、眠れなくてほんとうに辛いの。――わかってくれる?」
「ぼくもだよ。よくわかるよ」
アズミの瞳が、そのとき初めて真正面からぼくをとらえた。彼女の空白の透き通った瞳に、ぼくはどきりとした。
バス停の黄色いライトが、雪明かりににじむ二人の姿をぼんやりと照らし出していた。