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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第3章 偽りの日々
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8

 深夜に帰宅して、テレビをつけたままソファで眠りこけていたブライアンは、唐突に流れ出した放送に浅い眠りを破られた。朦朧もうろうとする意識の中でリモコンを探り当て、テレビの電源を落とすと、直ぐさま首を支える力を無くした。ブライアンがその放送の重大さに知ったのは、起きてコーヒーを啜っていたときだった。

 有給を取ったのを良いことに、十時まで眠り倒したブライアンはテレビに流れる放送を観て、啜ったコーヒーを噴き出しそうになった。

 初めは新しいハリウッドの映画の宣伝かと思ったが、ループされてこればかり流れているところを見るとどうやら違うらしい。携帯電話は何故か圏外表示で使い物にならなかったため、家の固定電話で警察に問い合わせてみたが、回線がパンクしていて話にならない。

 家の目の前の通りでは、車がひっきりなしに行き交っていたため、テレビの海賊放送は事実なのだと認識する。

 取り敢えずマグに入っているコーヒーを飲み干したブライアンは、二年ほど前に知り合いに貰ってから一度も服用した試しのない精神安定剤を口にねじ込んだ。噛んだ方が早く効くと言われたのを思い出して、ゆっくりと噛み砕き、飲み込む。二十分ほどじっとして、安定剤が効き出すのを待った。目を開けたブライアンは、ふとニーナに会いたいという衝動に駆られた。何の意味も、根拠さえもなくただ会いたいと思ったのだ。いてもたっても居られずに、ブライアンは外出の用意を始めた。

 状況から想定して、暴動が起きても恐らく警察は動かない。いや交通網、通信網のパンクによって動けないと言ったほうが正確か。そんなことを考えながら、クローゼットにある小物入れの奥に入れてあった自動拳銃を取り出す。メンテナンスは怠っていないから十分に使えるはずだ。

 ひとつしかない弾倉を装填した自動拳銃の重みを感じながら、ブライアンは馴染みの歓楽街を目指して、マウンテンバイクのペダルを漕いだ。

 いつものロードバイクで向かっても自宅から四、五十分の距離がある歓楽街へは、ロードと比べたらそのスピードは亀の歩みにも等しいマウンテンでは、そこそこ遠い道のりだ。最近パンクしたロードを多忙を理由に修理もせず放置して、タクシーで通勤していたことが悔やまれる。

 クラクションが鳴り響く車道とは裏腹に、歩道に人の姿はなくスムーズに走ることができる。時折爆発音が聞こえたり、風に乗ってどこからか何かが燃える臭いが漂ってきている。反射的に全身の筋肉が張り詰める。まさかB級映画のようなことが本当に起こるとは。

 汗が滲んできた手のひらを皺ばかりのシャツに擦り付けていると、一発の鋭い銃声が轟いた。慌ててハンドルを握りなおしたブライアンは、指先が白くなるほどに強くブレーキを引いた。見ると、五人ほどの男が幼い少女と母親らしき女性を囲んでいる。男たちの輪の外には、地面に倒れてピクリとも動かずに、どんどんと広がる血だまりに顔を浸している一人の男ーー恐らくは少女の父親であろう人物の姿があった。

 二人を囲んでいる男の一人が持っている拳銃から、硝煙が微かにたなびいているの見たブライアンは、さっきの銃声は奴らが撃ったものと即座に理解する。男の内、二人がしゃがみこみ、少女と目線の高さを同じにしているが、その表情は総じて歪んでいて目には光がない。目の前で起きた事態に頭が付いて行っていないのだろう。それは少女とその母親にも言えたことだった。


「娘だけは……どうか……」


 震える声で母親は男らに懇願する。それに対して男らは、唇の端をぎこちなく吊り上げた。


「そうか、じゃあ」


 男らの内、一際目立つスキンヘッドの男がナイフを取り出し、母親の喉元に近づける。


「いっぺん、母娘同時にってやつはやってみたかったんだ」

「どうせ明日には壊れちまうかもしれねえような世界だ。逃げるよりやりたいことやった方が良いに決まってる」

「ほんと、逃げ惑ってる連中と比べておれたちは利口だよ」


 スキンヘッドの男が言うと、男たちの間で笑いが起こった。下品で聞いていると胸糞悪くなる笑い方だった。

 先ほどから車は腐るほど駆け抜けているが、この光景が目に入っているのかいないのか、どの車も通り過ぎていくばかり。もし目に入ったとしても通り過ぎていっているのだとしたらーー。怯えた目の少女に、ニーナのイメージが重なる。ブライアンは突然、何とも言い表し難い激情に駆られた。怒り、憎しみ、悲しみがブライアンを理性をタールさながらに塗り固めていく。

 殺す。思考が停止し、ブライアンは偏った感情に身を任せた。

 取り出した自動拳銃の安全装置を解除して、遊底を目一杯引く。初弾が薬室に送り込まれたのを音で確認したブライアンは、射撃訓練場で習った通り腕を伸ばして、引き鉄を引く右手を左手で包むようにする。

 男たちはまだこちらに気づいていない。好都合だ。初めによく目立つスキンヘッドの男に狙いを定めたブライアンは、静かに引き鉄を引いた。射出された九mmパラベラム弾は、スキンヘッドの側頭に突き刺さり、小さな穴を穿った。

 崩れ落ちるスキンヘッドの男は見ずに、ブライアンは事態に気づいて顔を上げた短髪の男に銃を向け、撃った。左肩に当たり、短髪が呻き声を上げる。外したか。思わず漏れそうになった舌打ちを、口内に滲んだアドレナリンと共に飲み込み、ブライアンが再度引き鉄を引くと、発射された銃弾は今度は短髪の喉を正確に掻き切った。

 戦場で冷静な人間は、他の人間と比べて無類の強さを発揮するという。恐らく大多数の人間が戦場ではハイなった末に猟奇的になるか、殺される事より殺す事を怖れて逃げ隠れるからだ。この場合、ブライアンは理性を喪ってはいたが冷静さは喪っていなかった。むしろ普段よりも冷静で、広い視野を維持できていた。

 残り四人。視線と同化した銃口を手前に落とす。すると一人が意味不明な絶叫と共に、バタフライナイフを片手にブライアンに突っ込んで来ていた。画だけを見れば相当滑稽な場面だが、生憎笑えるだけの理性が今のブライアンには無かった。近距離で銃とナイフで相対する場合、有効なのはナイフだ。なぜなら銃は目標を定める、構える、撃つのスリーアクションなのに対し、ナイフでは目標を定める、切るのツーアクションで済む。ワンアクションあるかないかの差が、実戦では運命の分かれ道となる。

 しかし、それは相手と自分のレベルが同等であれば、の話だ。この時は少しばかり武術をかじり、冷静なブライアンの方に確実に分があった。男の突きをするりと躱したブライアンは、瞬時に男を組み伏せるとその眉間に接射をお見舞いした。

 これで3人。不意に横合いから湧いた殺気の塊が襲ってくる。詰めていた息を少し吐いていたブライアンはそれへの反応が遅れた。銃口を振り向けるが、やはり遅い。殺気の源である男二人が、これまた訳のわからない事を叫びながら、ブライアンに向けてどこに隠していたか、サタデーナイトスペシャルを振り上げ、撃った。撃ち慣れていない。一瞬見た構えで分かったが二発の内一発は外れ、もう一発はブライアンの脇腹を貫通した。灼けた火箸で突き刺されたかのような衝撃だった。

 粗悪な作りの小型拳銃でも発射された弾が弾であることに変わりはない。顔を苦悶に歪めたのも束の間、ブライアンは引き鉄を半ばデタラメに引いた。銃声が数発分轟くと同時に、紅い奇形の華が二人の胸に乱れ咲いた。倒れた二人の向こうで、怯える母娘の姿が見えた。大丈夫か、と尋ねようとして声を出すことはおろか、立つことすらおぼつかない我が身に思い至った。

 まずは彼女らの安否確認。それから自分の止血。そして−−。やる事はまだあるのに、身体はそれを許さず、ブライアンは地面が急速にせり上がってくるのを見たのを最後に意識が途絶えた。

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