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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第2章 安息の先に
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6

「ただいま」


 冷えきった家の中に自分の声のみが響き渡る。暗さとも合間って、なかなか不気味な雰囲気を醸し出している。      

 加代は身震いを一つすると、壁に手を這わせて照明のスイッチを入れる。両親の帰宅時間は揃って深夜二時ごろ、そして朝の五時半にはまた出勤。思えば幼稚園の頃からそれが当たり前のことだったからか、周りより待つことには慣れているし、1人で食事をしていても寂しいとは思わない。

 ただ、ドラマや小説でよくある家族皆が揃って食卓を囲むシーン。そのシーンがある度に胃の辺りがキリキリと痛む。加代の退院祝いのパーティーで出された、料理の匂いが染み付いた服を脱ぐと冷気が肌を舐める。身体が冷えてしまう前に、素早く淡い栗色のとっくりを頭から被り、下はスカートを下ろすと動きやすい、ストレッチジーンズを履いた。

 今晩こそはちゃんとした料理を作ろう。今しがた脱いだばかりの服を、洗濯機に突っ込みながら頭の片隅で考える。しかしいざ台所に立つと身体は、自然と冷蔵庫に向かった。冷凍庫の中に入っている作り置きしていたカチコチのおにぎりを2、3個取り出して、電子レンジに突っ込んだ。

 自分のした行動に気づいたのは、おにぎりを解凍し始めてから10秒後のことだった。当の加代は「またやっちゃったなぁ」と呟くも、反省の色も見せないままそそくさとお湯を沸かし、お茶を淹れる用意を整えた。

 畳の上に胡座をかき、ほかほかのおにぎりを頬張りながらテレビをつける。一通りチャンネルを回してみるも、どの局もこの二日の間で“月の大華たいか”と渾名されるようになった、月での事故に関する緊急生放送ばかり。「飽きないねぇ」と我知らぬ内に呟く。内容もこれといった進展も見せず、前から知っていた身としては暇つぶしにもならない。仕方ないので録画していた刑事ドラマを観ることにした。

 食事を終え、ドラマも観終わると、むーと言いながら背を伸ばす。そのまま仰向けに倒れると、急に重くなった瞼が視界を覆った。




 虚無。


 光も闇も、上下もない虚無が、加代を包んでいる。


『ここはどこ?』


 胸中に叫ぶ。


(どこだと思う?)


 焦るばかりの加代に、嗤うような口調で誰かが返す。『誰?』


(誰だろうね)


『誰でもいい。教えて、ここはどこ。わたしを帰して』


(どこだと思う?)


 先刻と同じ質問に戸惑いと苛立ちを感じながらも、仕方なく『宇宙?』と返す。


(ならここは宇宙だ)


『なにを言って……』


 言い終える前に絶句した。先ほどまでは本当に何もなかったところに、幾万、幾億もの星々がさんざめいているのだ。呼吸が出来ないのではないか、と思い口を塞ごうとしたが腕はなかった。それどころか脚も、胴体もなかった。何がなんだか分からない。


『あたしの身体はどこにいったの?』


(肉体が欲しいのかい? あんな魂が無ければ醜態を晒すだけの非効率的なもの、望んで手に入れるべきものじゃない。宇宙や海の底では生身で生きることもできない、面倒な肉塊を)


『非効率なものだとしても、人と触れ合うには肉が必要。言葉を交わすには肉が必要。子孫を残すにも肉が必要。ほら、使い道はちゃんとある』


 何故むきになって言い返したのかーー今まで自分が在るべきと信じてきたものを否定されたからだろうか。


(意識体になってしまえば、人と触れ合うのにも、言葉を交わすにも肉体は要らない。いいかい? きみは意識体よりも前のフェーズで止まっているんだ。言ってみれば原始人だよ)

『相手の顔を見て話せないような存在なんか嫌だ』

(相手なんて無いよ。言ってしまえば自分という存在も無きに等しい)


 顔の見えない相手を今度は加代が嗤った。


『何言ってるの。あなたはこうしてあたしと話してるじゃない』

(わたしたちの話。わたしたちは意識の集合体。一つの大きな存在の中に小さな存在が無数に存在する。けど、それらは本当の意味での個ではない。個でありながらの全なんだ)

『わけがわからない』

(だろうね。だけどそれはきみが意識体になっても尚、個としての人格を保ち続けているからなんだ。普通、意識体になった人間は抵抗する間も無くわたしたちの側に来るはずなんだけど……。やはりきみは特別らしい)

『特別? あたしが?』

(そうさ。きみは特別なんだ。たまにいるんだよ。普通の人よりも頭一つ分飛び抜けて感応波が強い人間が。きみはその中でも突出している)


 加代は相手のさも当然かのような口ぶりに、不信感を募らせるより先にたじろいだ。ここまではっきりと断言されるとは思っていなかったのだ。何とか常人であることを相手にも、どこかで疑いかけている自分自身にも認めさせようと必死の抗弁を叩きつける。


『でもあたしは、テレビに出てくるような超能力者がやっている、千里眼とか透視もできない』

(世間で持ち上げられるような能力者の感応波は常人に毛が生えたようなもの、感応波とも呼べない。真に能力を持つ者は感応波を好き勝手にはいじれないが、その代わりに莫大な力を持っている)


 抗弁しようとする自分がいる一方で、顔の見えない相手の言うことをそうなのだろうと納得している自分もいる。どれが本当の自分なのか。自分の本心はどう感じているのか。加代の思考が散り散りになっていく。


(そう、その気になれば歴史すら変えられるほどのね。加代、きみは最近不思議な夢を見なかったかい?)

『……』

(その様子だと見たようだね。その夢を見てわたしたちとコンタクトを取ったことこそ、きみが真の能力者である何よりの裏付けだ。わたしたちとコンタクトを取れるのは真の能力者だけだからね)

『……あたしに何をしろって言うの』


 相手が自分に何かをさせようとしていることは容易に察しがついていた。加代の飲み込みが早く、事態が早く進んでいることが嬉しいのか、相手は欣悦きんえつを噛み殺した声で答えた。


(そうだなぁ……。ひとまず、これ以上沙耶とは関わらないことだ。彼女は普通じゃない)

『何で沙耶ちゃんなの?』


 身構えた割にはあまりにも拍子抜けするような内容だった。しかもよりによって相手が沙耶とは。これから先、会う予定も、可能性もないというのに。


(いいかい? 彼女はこれまでの過去の時間軸では存在しなかった存在なんだ。……正確には存在してはいたんだけど、立ち位置が今とは全く違う異質な存在。因果が絡んだ結果とはいえ、ここまで変容するのは異常なんだよ。宇宙からの脅威は中身そのものが変容し、きみたちが騒いでいる月での惨事だって過去では起こらなかった)


 そんな加代の様子は意に介さずに説明をする相手の口調が、加代のペースを崩していく。ペースは譲らないらしい。


『過去の時間軸? 存在しなかった存在?』

(混乱するのはわかる。今は詳細を話せないし、話しても無駄骨だろう。だけどこれだけは信じて。彼女は普通じゃない。今までは何も起こらなかったが、成り行き上、複数の因果に絡め取られているきみがこれ以上彼女に接触すれば正直言って、何が起こるかわからない。未知の領域が大きすぎるんだ。そしてこれは憶測だがおそらく、彼女……も感……て……)


 声が唐突に途切れ途切れになり、遂には聴こえなくなる。まるでラジオの周波数を変えたかのようだ。何がどうなっているのかもわからずに居ると、(面倒よね。生きることって。大きな使命を担う者は特に)という声が響いた。凛と響くこの声は先ほどまでの相手ではない、この声の主はーー。


『沙耶……ちゃん?』


 宇宙の真ん中に陰が凝縮して、人の形を形作る。細い手足に腰まで届く髪、シルエットだけだがそれは確かに沙耶だった。


(危ないところだったわね。あなた、もう少しで取り込まれるところだったわよ?)


 腰に手を当てながら言う沙耶は、昼間別れるときまでの彼女とはまるで違う印象だった。頼りなさげな少女と固定されていた観念を覆すような口調にやや戸惑いながらも、加代は口を開く。


『取り込まれる?』

(まさかとは思ったけど、ここまで自覚していないとはね。まぁ良いわ。さっきのことはみんな忘れなさい。それが一番)


 沙耶のシルエットが散り散りになって消える。腕も何もない加代には手を伸ばすことも、追いかけることもできない。言い表しようのないもどかしさが、加代を苛ませる。


『待って‼︎』




 伸ばした腕が虚空をかく感覚に、加代は目を覚ました。硬直していた全身の筋肉が緩み、一つ息をつく。半身を起こすと冷や汗で、下着までぐっしょり濡れていることに気づいた。時計の針は0時を回っていた。着替えをもった加代はのっそりと風呂場へと向かった。


 ***


 全力で駆けてきたかのように、肩で息をしているのが何とも情けない。海岸から海へと突出している波止の先に立っていると、感応波を最大共振させた弊害である頭痛が素知らぬ顔でやってきて沙耶は舌打ちをする。いつもより酷い頭痛だ。苦い唾を吐き出し、頭痛を抑えるタブレットを飲み込む。

 病院にいるときも、微弱ながら感応波を発していることに気がついてはいたが、よもや加代の感応波があそこまで強いものだったとは。地球の人間は感応波の存在にすら気づいていないから、彼女は自分のように強化をされたわけではあるまい。人間があそこまでの感応波を、自然に得ることなど到底不可能。

 介入する前に話していたやつのことを計算に入れると、彼女の能力は巨大な何かによって与えられたのだろう。その何かが何なのかは全く想像がつかない。可能ならば、加代の深層心理にまで介入して彼女自身も気づいていないことがないか調べたいところだが、無理だということはわかっていた。

 自分よりも感応波の強力な人間の深層心理に無理に介入しようとすれば、逆に自らが相手に呑まれると、感応波を強化された際に散々言って聞かされたからだ。

 ため息をこぼした沙耶は、栓のない思索をそこで打ち止めた。目の前には広大な海が広がっている。しかし、今は夜中のためその海は黒く濁り、さながらなにもかも飲み下す虚無のようだ。絶え間なく吹いているはずの潮風は止み、海面の虚無を一層引き立てている。

 ーー来た。

 第六感が告げると、海面の波が消えて鏡面のようになる。天の星々の輝きを引き写したそれに見惚れるのも束の間、海面が大蛇の如くうね始める。確かな質量を持った何かがその存在を水面下に凝らせると、水飛沫と共に“それ”は飛び出した。

 数メートル飛び上がった“それ”は、背負った六枚のトンボの羽のようなものから仄かな光を発しながら、ゆっくりと沙耶の脇に降下した。銀河間渡航型強行偵察用オートマタX-3752、《ケイオス》。羽のようなものは重力制御ユニットで、全高八メートルの《ケイオス》の周囲に独自の重力場を形成することで、人型のオートマタが宇宙空間はもちろん、大気圏内での飛行さえも可能としている。

 《ケイオス》はアクチュエーターの独特の駆動音を響かせながら、片膝をつくと沙耶に向かって手を差し出した。プログラムが正常に稼動していることにほっとしながら、沙耶はマニュピレーターの上に乗る。重量感知センサーが沙耶が乗ったことを認識すると、沙耶を背中にまで移動させる。

 人でいう首と背中の付け根辺りから張り出したコックピットに収まった沙耶は、コックピット内に湧き出したバイオメトリクスの緑色の光が、全身を走査し認証するのを待ってから、全天周モニターを起動させる。全天周といっても、常に球状のモニターに映像が表示されるわけではない。コックピット内に設置されたカメラが捉えた、パイロットの目の動きに応じてその視界領域のみ、映像が表示される仕組みだ。

 感応波を受け取り、それを機体の制御に反映するヘッドセットを着け、アームレイカーを握った沙耶はフットペダルを踏み込んだ。重力制御ユニットの輝きが増すと同時に、航空力学を無視した機体が上昇を始めた。高度はどんどん上がり、成層圏、中間圏を超えてもなお、機体の速度は変わらない。フットペダルを更に踏み込んだ沙耶は、空が宇宙そらに変わるのを見た。

『ora orade shitori egumo』

 加代に借りた本の一節が脳裏によぎる。その片隅で、沙耶は本をまだ返してなかったことを今更のように思い出した。

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