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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第2章 安息の先に
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5

 一流ブランドのスーツをそれとなく着こなしている陸、海、空それぞれの軍の長官に統合作戦本部(JCS)の専任議長、国家安全保障局(NSA)長官が小さなテーブルを、今期の合衆国大統領と共に囲んでいる。

 着任してから一ヶ月そこらの新米の合衆国大統領は、当選の時は白かった肌を早々に浅黒くゴルフ焼けさせている。普段なら気さくな態度を崩さないが、今日という日は違うようでしきりに貧乏揺すりをし、あからさまに不機嫌そうな色を覗かせている。

 若いな、と思う一方で仕方あるまいと頷いている自分もいる。着任して一ヶ月かそこらで、このような問題を押し付けられれば自分とて同じような態度を取ってしまうかも分からない。そこまで考えてから、安物の着古したスーツで身を包んでいるようなNASAの一社員と比較して収まるような相手じゃないな、と思い直したブライアンは内心に苦笑をもらした。

 ペットボトルの水を口に含みながらブライアンは、手元のA4判の文書に目を落とす。数十ページほどにわたって綴られているそれは、ペンタゴンが保有するスーパーコンピュータが外部からハッキングを受けた事への説明から始まっていた。ハッキング事件について簡単に事を述べれば、厳重な警備システムがコンピュータ内に幾重にも走らされていたにも関わらず、ペンタゴンのスーパーコンピュータが正体不明のハッカーにより、落城した。言ってしまえばたったそれだけのことなのだが、落とされたスーパーコンピュータが置かれていた場所が場所だ。

 ペンタゴンが落とされたことは、アメリカの最高機密情報が好き勝手に閲覧されることと同義。それなりに腹黒いこともやってきているのだろうことは、長官やら専任議長やらの憔悴しきった顔からも想像がつく。面倒なことに巻き込まれたものだと今さらながら思い始めた矢先、「では、NASAからも話を聞かせてもらおう」という大統領の声が響いた。

「は……」と応じたのは、ブライアンを面倒事に巻き込んだ張本人であり、NASA局長の椅子を占有しているドレッドだ。局長という立場にも関わらず、上の人間と話すと口下手になってしまう彼の代役として連れて来られたブライアンを、ドレッドがテーブルの下で小突く。本当にやらせるのかと横目で訴えながらも立ち上がったブライアンは、持参したスーツケースをテーブルの上に載せる。

 家が近いということもあり、プライベートでも十年に及ぶ交流があるブライアンとドレッドは堅い友情で結ばれ、互いに最も信頼の置ける友人と認識している。そういう裏事情も含めて、ドレッドは今朝唐突に政府から呼び出された際も、今年のボーナスアップを餌にブライアンをこうして引っ張ってきたのだろう。スーツケースから、また別な文書を、人数分取り出したブライアンは、一人一人に渡して回る。

 仕事関連での頼み事など、今までしてきた試しのないドレッドが話を持ちかけてきた時点で、きな臭さのかけらも感じなかった自分の愚かさ加減が頭にくる。

 ドレッドの行為は職権濫用甚だしいが、終始おっさんがどもっているよりは若い者がスラスラと説明した方が、時間に追われているのであろう政府としても好都合に決まっている、と勝手極まる解釈で自分を騙して溜飲を下げる。


「資料の二十八ページをご覧ください。今回のハッキングによって、我々NASAと政府が共同で運用していた隕石迎撃衛星にも不正なアクセスをされた痕跡がありました」

「不正なアクセスというと?」


 ブライアンの言葉に空軍長官が急いで訊き返す。


「率直に申し上げますと、勝手に衛星が動き出したのです」


 ざわと空気が揺れる。「といっても、待機宙域付近にある火星に墜落させらたり、迎撃機能を使用された訳ではありません。膨大なデータが送られただけです」と続けられたブライアンの声に、ややほっとした空気が漂う中で大統領だけが一人だけ緊張した面持ちを崩さずに、堪えているように見えた。若いが流石は大統領か……そう思ったがその手が小刻みに震えているのを見て、ブライアンは大統領の印象を見栄を張りたがる肝っ玉の小さい奴と書き換えた。


「データの中身は」

「データは即消去されましたので、掠め取ったものしかありません」


 本当だな、と目で問うた大統領に目で頷き返したドレッドがブライアンに正面モニターに、掠め取ったデータを表示するよう指示する。ブライアンがケーブルでモニターに繋がっている、自前のノートパソコンを操作すると眠っていたモニターが起動し、文字化けした文字の羅列を表示した。


「……文字化け?」

「何かの暗号か?」


 何かしらの機密文書を想定していたのか、大統領は呆気に取られたようだった。若く経験も浅い大統領よりも、長年専任議長の椅子を譲らない男の時代錯誤に聞こえる問いは、薄暗い世界で生きてきた者ならではのものだったがブライアンは首を横に振った。


「我々も換字式暗号かと疑い、調べてみましたが違うようです。暗号鍵とも違いました」

「では何なのだ」

「分かりません……が、唯一この数列と関係があると思われるものと我々人類はすでに接触していると思われます」


 再びブライアンがノートパソコンを操作する。動画再生機能が立ち上げられ、部屋の電気が消えるのを待ってから何の説明もなく動画が再生される。ブライアンも数時間前に初めて観せられた、NASAでも一握りの人間しか見ていないNASAの、いや国家、世界の最重要機密ーー。

 映し出されたのは月面のクレーターだった。映像が揺れているのは、カメラが宇宙飛行士のヘルメットに備え付けられているからだ。上空から振り下ろされた二本の探照灯の明かりが、クレーターの底を照らす。そこにはーー。


「人……いや、ロボット?」


 誰かが呟く。驚くのはまだだ、胸中に呟くうちに仲間の宇宙飛行士が映されていた画面の奥に一筋の臙脂色の光が走る。次いで画面上方が一瞬だけ明るくなる。カメラが上方に向けられると、そこには辛うじて調査艇のものと判別出来る残骸があった。ひとまず着陸艇に戻ろうとしたのか、視界が反転した直後に二度目の光が駆ける。着陸艇に宇宙飛行士の背後から伸びた光線が突き刺さり、爆発の炎を吹き上げさせる。景色が横にぶれ、光線の源を探るべく宇宙飛行士が後ろを振り向いたことを伝える。

 犯人はすぐに分かった。画面の中央に据えられ、東洋に伝わる仏像などで見られる後光のようなものを背負っている人型の物体。まさしく先ほどクレーターの底にいたロボットだ。そして光線はそいつが居たところから伸びてきたということだから、光線を放ったのはこいつと断定できる。動画はそこでストップされ、照明が再び灯る。


「この場にいた二人の宇宙飛行士は、この後にロボットによるミサイル攻撃を受けて死亡したと思われます」


 大統領が挙手をして、疑点を糾す。


「このロボットはどこの国が作ったものだ」

「ロボットーーXとでも呼称しましょうか。Xは推進力として推進剤を使っている様には見えず、着陸艇や調査艇を撃ち抜いたものも視覚で捉えることができることから、レーザーではなくビームの確率が高いでしょう」

「つまり、どういうことかね」


 なかなか結論を言い出さないブライアンに痺れを切らしたのか、大統領が机を叩きながら苛立った声を出す。神経質な人なのだな。そう察したブライアンは自らも、内心荒波を立たせながらくちびるに舌を這わせる。そしてただ一言、「宇宙人です」と言った。目をぱちくりさせるお偉いさんたちを見て、ブライアンはもう一度繰り返した。


「宇宙からの脅威が迫っています」


 ***


 小さな会議を終え、ブライアンはドレッドの愛車の助手席で背伸びをしていた。やはり会議というものは性に合わない。コンビニに寄った際に買ったビールを口に含む。


「おまえ、相当性格捻くれてるよな」


 正面に据えた視線を動かさずに、ドレッドが言う。声に出して笑ったブライアンは、「あんたに言われるとは思わなかった」と返した。ドレッドは顔をしかめると、おれはそんなに捻くれた人間じゃないと唇を尖らせる。若い女がやれば違和感を感じないことも、五十もいいとこのおっさんがやると吐き気を催す。


「人をこき使った挙句の臨時ボーナスで、ビール一本しか寄越さない奴のどこが捻くれてないって言えるんだ」

「そんなに金が欲しいか? ジャップと一緒だな」

「局長さん、おれは働きに見合うだけの対価が欲しいんだよ。ジャップとは違う」


 勢いで返してしまってから、差別的な意味合いで言葉を使ってしまった我が身を忌み嫌う。口をすすぎたい衝動に駆られたブライアンは、取り敢えずビールを喉に流し込んだ。炭酸とアルコールが喉を炙るのを感じつつ、窓の外に視線をやった。

 現れては流れ、流れては現れる景色が、変わっているが代わり映えすることがないままループする。ただ下りだった気分がより下がっていくのを感じながら、不意にブライアンが「ここで良い、止めてくれ」と言う。指示通りに路肩に車を止めたドレッドが訝しげな視線を寄越す。それもそのはず。この街はブライアンの住んでいる街ではないし、ビジネス街から外れたここで仕事関係の何かがあるはずもない。


「何でここなんだ?」


 ブライアンが降りて、車のドアを閉めようとした時にドレッドが訊ねた。「ちょっと女がな」と返すと、ドレッドが目を丸くする。


「この辺に風俗はないぞ」

「風俗じゃない、職場の女だ」


 ますます目を丸くしたドレッドの表情は、次の瞬間には下品な笑みに変わった。「名前教えろよ」と重ねられた質問を「送ってくれてありがとう」と言ってぶった切る。スーツケースを片手にぶら下げたブライアンはドレッドの方は振り返らずに、携帯電話を取り出す。連絡先から、待ち合わせをしている女の携帯電話に発信すると、相手が三コール目でとる。


(もしもし)

「今着いた。何処にいる」


 電話越し答えを待ったブライアンは、唐突に後ろで弾けた「後ろだよ」という生の声に飛び上がりそうになった肩を、どうにかして抑える。振り向くと相変わらず短いスカートで、でかい尻を強調するスーザンの姿があった。やはり穢らしい。これからスーザンの自宅のベッドで、彼女を満足させなければならない。

 本来ならばこんな穢らしい女と寝るどころか、同じ空気も共有したくもなかったが会議で使った迎撃衛星に使われたデータは、スーザンが持っていたデータのコピー。そのコピーを譲って貰う条件が、彼女を満足させることだと言って譲らないのだから仕方がないことだ。

 たとえ望まない行為だとしても、仕事のうちと割り切るしかない。思えば溜まりに溜まった欲求を晴らそうにもこの所、連日仕事が立て込んでいてそうも行かなかった。時刻はまだ午後の二時を回ったところ。せいぜいこの機会に明日の朝まで、鬱憤を晴らさせてもらおう。聞けば、避妊薬を飲んでいるというから、避妊具を買い込む必要もない。

 ニーナの顔が脳裏をよぎったが、目の前まで迫った快楽への期待に染められた頭は、会いに行くのは明日でも構わない、明日は日曜だし、明日まで行為が及ぶようなら明後日の仕事帰りに行けば良いだろうという判断を下した。僅かに残った理性が悲しいな、と呟いたがその呟きは『何が』という主語が結ばれないまま霧散した。


 ***


 同日に退院した加代は、奏主催の加代の退院祝いのパーティーが開かれるまでの間、病院近くの公園で何をするでもなくぶらぶらしていた。特に行くところがないという沙耶も結果として、一緒にぶらぶらしている。


「はい、これ」


 手に持っているホットドッグを沙耶に渡す。おずおずと出した手で受け取った沙耶は、ホットドッグを鼻に少しだけ近づけて匂いを嗅いだ。


「美味しそう」


 沙耶の呟きに「美味しそうじゃなくて美味しいの」と訂正を加えた加代は、自らの手に持っているホットドッグにかぶりついた。歯を突き立てると身がぷつんと弾け、中から旨みの凝縮された肉汁を溢れ出させるソーセージは絶品だ。

 このソーセージはホットドッグを売っている移動屋台の店主の実家で作られているもので、増粘剤や着色料は一切入れていないという。一個百五十円というボリュームと味を無視した値段も、バイトを校則で禁止されている学生にとっては有り難い。思わず顔を綻ばせながら咀嚼する加代は、沙耶がなかなか食べ出せずにいることに多少のじれったさを感じる。


「別に毒じゃないんだからさ。ほら」


 おっかなびっくり頬張る沙耶の様はまるで小動物のようで何だか可愛い。くちに入ったホットドッグを飲み込んだのを見届ける。目を見開いた沙耶は一心不乱に食べ続けた。感想は聞くまでもなかった。どうやら気に入ったらしい。加代が二口目を飲み込んだときには沙耶は既に食べ終えていて、物足りなさげに包装紙を小さく折りたたんでいた。


「食べかけだけど、わたしの食べる?」


 ぱっと目を輝かせた沙耶は素直に受け取るとかぶりつき、また直ぐに食べ終えてしまった。胃に食べ物が入って安心したのか、沙耶は辺りをきょろきょろと見渡すと、「なんで所々に瓦礫が?」と訊ねた。その言葉に加代は目を見開く。退院してからこの公園まで歩いてくるときに話しただけでも、沙耶が一般的な知識に疎いことは何となく感じ取っていたが、よもやここまでとは。

 "東京平和記念公園"と名付けられたこの公園は、国家防衛軍がまだ自衛隊と呼ばれていた頃ーー五十六年前に起きた、クーデターによる死者への弔い及び、その惨状を忘れぬ為に作られた。鮮血のクリスマスと語り継がれるその惨劇は、日本国民なら小学校から授業で教えられるほど有名な事件だ。六年前に行なわれた慰霊祭も、記憶に新しい。

 惨劇の裏でアメリカの影がちらほらとしていたという噂もあるが、詳しいことは全て闇のなかだった。クーデターから6年後には日本国民は、政治家らがそれまで通りに国を運営する傘の下で、それまで通りの生活を送れるようになった。

 自分がクーデターの首謀者であると名乗りを上げた自衛隊員の男は、日本に、そして世界に革命を起こしたかったのだと言ったらしい。無血で誰一人として傷つくことのない善意のある革命なら、まだ良い。だが人命が失われるというのであれば、血で塗りたくられた革命のどこに善意があると言えるのか。もしそれで永遠の平和を築けるのだとしても、首謀者と名乗る自衛隊員の考えを、加代が理解するには無限の時間が必要と思われた。

 加代の意見を交えながらの話を聞かされた沙耶は、ふうんと言うと顔を俯けた。何気なく腕時計に目をやると、奏が加代の退院祝いをすると言っていた十三時まであと三十分だった。「やっば」と口にしながら立ち上がった加代は、「じゃ、あたしそろそろ行くね」と沙耶に声をかけた。

 顔を上げた沙耶は、首を小さく縦に振る。もう会うことはないだろうな、と思いながら背を向けると、「あの……」とか細い声が耳に飛び込んでくる。振り返ると、沙耶がいつの間にか立ち上がっていた。


「ごちそうさまでした」


 深々と綺麗なお辞儀をした沙耶に、照れ臭さから「良いって、良いって」と言う。


「元気でね」


 逡巡して出た言葉がそれか、と我ながら情けなく感じながらも、加代は言った。「はい」とはにかみながら答えた沙耶の顔は、世辞抜きでとても可愛らしかった。

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