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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第2章 安息の先に
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 ごとん。床から脚へ、脚から体全体へと振動が伝播でんぱする。その振動は通常ブリッジから戦闘ブリッジへと移行したことをデュークに伝える。本来ならブリッジは艦体から突起のように頭一つ飛び出ているのだが、戦闘時や亜光速航行、超空間転移の際は被弾やデブリとの接触を避けるために、ブリッジを艦体に密着させる。その上でブリッジの中身は丸ごと比較的安全な艦の中心部——正確には本当の中心部より少しだけ上にずれている——へと移動するのだ。

 航宙戦艦、《フリングホルニ》。それが現在デュークが搭乗している艦であり、彼が艦長を務めている艦だ。全幅六キロ、全長三十キロの白亜の装甲を持つ《フリングホルニ》は、この時は脇に固定された強襲揚陸艦ともども艦体の上に小惑星のホログラムを被っていた。

 推進力はもっぱら重力制御装置に依存しているが、一応サブとして核パルス推進が搭載されている。しかしそれが使用されることはここ数百年間とんとない。付けているだけ無駄という幹部たちの声も受け、近々撤去することになっている。


(超電導電力貯蔵庫より電力を超空間転移装置へ。全艦、予備電源へ移行)

(航路の最終確認完了)

(超空間転移装置、出力安定。ワームホール形成域臨界点まで、あと十、九……)

(これより超空間転移を行う。総員、衝撃に備えよ。繰り返す……)

(三、二……ワームホール形成域臨界点に到達)

「空間繋留装置解除。突入せよ」


 デュークの声と共に今にも艦を吸い込まんとするワームホールに呑まれぬよう、《フリングホルニ》を文字通り空間に繋ぎ止めていた空間繋留装置が解除される。ストッパーを無くした《フリングホルニ》は、ブレーキの効かなくなった列車のように凄まじい速度でワームホールに突っ込んでいった。

 刹那、防眩フィルターでも減殺仕切れないほどの光が、外の映像を戦闘ブリッジに伝える前方のモニターを塗りつぶした。激しいGに、身体がシートに押しつけられる。潰れかけた肺から、カハッ、と乾いた音が出る。実際に転移しているのはほんの数秒の間なのだが、体感では何十時間も経った気がする。苦しみの時間は、苦しければ苦しいほど長く感じるらしい。つくづく人間とは不便な生き物だ。

 そろそろ意識が飛びそうになってきた頃、艦がワームホールを抜け、唐突に前方からのGが和らぐ。入れ替わりに押し寄せてきた後ろからのGで、目が飛び出すのではないか、という不安に駆られて硬く目を閉じた。後方からのGもおさまり、若干充血をした目を正面に開けると、軽いめまいを覚える。貧血だ。

 部下の手前、飲み込んだため息を鼻から出したデュークは宇宙服上半身だけ宇宙服を脱ぎ、そのポシェットに備えてある注射式の抗貧血薬を取り出す。着苦しい軍服の袖口をまくり上げ、静脈に薬を打ち込む。浸透圧の無痛注射であり、痛みは全くと言っていいほどなかった。注射を打ったばかりの腕部を無意識のうちに揉みながら、デュークは無線を駆け抜ける各部からの報告に耳を傾けた。


(超空間転移終了。現地点は目標の惑星より一惑星手前。転移地の誤差、許容範囲内)

(各部に損傷なし)

(超電導電力貯蔵庫、残量ゼロ。電力供給開始)

(主機出力安定。通常航行に移行する)


 こうなってしまえば、もう艦長がすることはない。あの方の命令一つ下りさえすれば、ここから地球まで半時間もかかるまい。もうすぐ大気の匂いを嗅ぐことができる。その事実は途轍もない高揚感を伴って、デュークの胸に広がっていった。本物の空気を吸ったのはいつだったか。記憶の棚をひっくり返す。ざっくばらんに広げられた記憶の中から、やっとの思いで見つけ出し拾い上げた記憶が言うには数千年前のものだった。

 遣る瀬無い思いを泥水のように飲み下し、ぐるりとブリッジを見渡してみる。そこにいる当直のオペレーターたちは皆、寸分の(たが)いなく同じ顔をしていた。先天的な遺伝子操作により彼らに生殖機能など元より無く、いわゆる中性だった。また、前線で戦う兵士には肉体改造による筋力や三半規管の強化を。オペレーターらには、情報処理能力向上のために脳の一部をブランクにするなどといった遺伝子操作も施されている。

 クローンの致命的欠点であった寿命も、クローニングの過程で細胞の自己修復を促し、その数に合わせ自己増殖も行なうナノマシンを投与することで解決した。たまに欠陥を持った者もいるが、それは何万体に一体の確率だ。

 クローン人間がずらりと並ぶのは軍では珍しくない当たり前の光景だが、母親の(はら)から産み落とされてこその生命だというのが自論のデュークにとっては、見ていて気持ちの良いものではなかった。これが差別というやつか。一人苦笑したデュークは、期せずしてまた一つ増えた遣る瀬無い思いを抱えた。唐突に上がってきた報告にあらかたの指示を出し終えてから、“オリジナル”の副長に後を任せるとデュークは戦闘ブリッジを去った。

 ブリッジを出てすぐのエレベーターホールまで、床を蹴った反動で進む。ゆっくりと慣性に身を任せて流れていると、戸口に立った時にタイミング良くエレベーターが着いた。ドアがスライド開放してすぐに、艦長の姿があることに気づいたクローン兵は、即座に入り口を開けると機械的に敬礼をする。こちらも軽く敬礼を返しつつ、クルーと入れ替わりにエレベーターに乗り込む。

 操作パネルにある生体認証システム(バイオメトリクス)に手をかざす。システムがデュークの体を認識して、空中にウィンドウが現れた。クローニングで生み出された人間では通常は開けることができない、“オリジナル”の遺伝子を持つ者——幹部だけが開くことが出来る仕掛けだった。目的地を中央フロアに設定する。

 微動するエレベーターの中で息をつく。艦長という役職上一人になれる時間はほとんどなく、慣れるとしたら長期冷凍睡眠のときに睡眠カプセルに入る時と、カプセルから出ている時に自室で通常の睡眠を取るときだけ。そして顔を合わせる者の大体が、同じ顔の奴ばかり。正直、気がおかしくなりそうだ。

 最上階層に着いたことを報せる電子音が鳴る。階層に足を踏み入れると、途端に1Gほどの重力が身体にのしかかってきた。思わずたたらを踏みそうになった身を何とか立て直すと、今度こそ一歩ずつ足を前へと踏み出していく。

 中央フロアはここの主であるあの方——ロベルトの意向により、重力デバイスを使い局所的に重力を発生させている。重力波を放射する機械による擬似的な空間に過ぎないが、放っておけば滞留してしまう空気を掻き回すために常にエアコンさえ回していれば、重力環境下とほぼ同じ環境を整えることは出来た。

 無重力に慣れきった身体が、突然浴びせかけられた重力に悲鳴をあげる。慣れるまでの辛抱だった。見た目は木だが実際は鉄で造られているドアの前に立ち、上部に付いているカメラに顔を向けた。


「《フリングホルニ》艦長、デューク•ワーグナー。暗証番号230915」


 管理システムが声紋や、虹彩、暗証番号を瞬時に認証する。施錠が外れる音が連続して響いた。開閉時に電動アシスト機能が作動する鉄製のドアは、とても小さな力で開けることができた。


 ***


 部屋の壁や床には一面にモニターパネルが貼られている。恐ろしいほどの高解像度を示すそれらはこの時は、蒼く輝く一つの惑星を映し出していた。


「美しい……なんと美しい惑星だ。そう思わんか、デューク」

「は、ロベルト様。私もそう感じます」

「この蒼く見えるのは全て水なのか?」

「そのようです。コーディネイターからの報告と、ここからの観測で採取したデータを照らし合わせたところ、惑星の七割が水で覆われているという情報は確かなようです」

「7割……か。大気も問題ないのだな?」


 デュークが肯定すると、ロベルトはにんまりと笑みを浮かべた。


「よし。移住先はこの惑星にすることを承認しよう」

「は。しかし、この惑星の住人は如何致しましょう?」


 そう尋ねられたロベルトは愚問をわらい、分かりきった事を聞くなと目で伝える。


「そんな……それでは虐殺です!」


 ロベルトが思い描いていることを理解したのか、拳を握りしめたデュークが一歩前へ出る。怒気の色を見せるデュークを無視して立ち上がったロベルトは、一見ただのモニターパネルにしか見えない壁に手をかざした。生体認証システムが作動し、ロベルトが手をかざした部分にあったパネルが、音もなく上方に移動する。

 開け放たれた隠し扉の裏側にあったのは大量の書物だった。“何でも電子化するのが当然であり、紙などスペースばかりを必要とする非効率的な存在”というのが、紙という概念すら薄れつつある今を生きる人々の、書物に対する意見だった。

 背表紙を指でなぞりながら、本棚を見渡す。探していたものが見つかったのか、およそ百冊はあるであろう本棚から、たった一冊の本を取り出す。取り出した本のページをめくりながら、ロベルトが一時は離れたソファに再び座る。


「デューク。貴様、お伽話は好きか?」

「……はぁ。子どもの頃に母親に聞かされたきりですが」


 ロベルトが口角を吊り上げる。開いた本からかびと、ほこりの臭いがごちゃまぜになって立ち昇る。これだから紙は、と顔をしかめるデュークを無視して、ロベルトは朗読を始める。


『人類は水と空気と植物に恵まれた星に生まれた。彼らは神より授けられたその頭脳を存分に活かして、高い科学技術を手に入れた。空を、時をも翔けることを可能とした科学の力は神にも等しい力だったが、愚かな人類は自らの生み出した力を制御しきることが出来なかった。

 核の雨が毎日のように降り注ぎ、太陽よりも激しい光がこの世の全てを呑み込み、焼き尽くした。やがて、美しかったはずの蒼い惑星ほしは、醜く荒れ果てた焦土の惑星と化した。そのことに心を痛め、堪え兼ねたある国の者たちは一隻の舟を作った。

 《フリングホルニ》と名付けられたそれは、国中の選ばれた人々を乗せて、宇宙(そら)へと上がった。選ばれた人々は蒼い惑星に残る人々の為にと、軌道上から再生用ナノマシンをばら撒いた。惑星の自然を再生させようと思ったのだろうが、本当のところは宇宙に上がった人々は自らの心を癒すためでもあった。

 宇宙へ上がった人々は、自分達は二度と同じ過ちを繰り返してはならないと誓った』


 ロベルトの朗読が終わる。お伽話と言いつつも中身は子供が読むような話ではないことは確かだが、これが一体全体何だというのだ。


「前々回の冷凍睡眠から目覚めた時、ふと自分たちはどこから来たのか気になってね。様々な文献を調べてみたんだが、どれも長い歴史の中で、明らかに改変を加えられている。そんな中、わたしが最も信憑性(しんぴょうせい)が高いと判定したのがこれだよ」

「ですが、お伽話など……」

「お伽話なんかが真実なわけがない。否定する材料もないのに、そう言い切るのはおかしいと思わないか?」

「……」


 モニターに映し出された地球はまるで芸術品のように美しかった。この目で本物を見てみたい、無条件にそう思った。


「おそらくあの惑星ーー地球か? あれは我々の祖先が住んでいた惑星だ。この本の言う通りなら、祖先は自らの汚点でもある、地球のことを祖先が我々に伝えずに途方も無い惑星探しをさせたからには、よほど地球から逃げたことを隠蔽いんぺいしたかったんだろうな」

「そして存在を隠蔽されていた地球を偶然にもコーディネイターが見つけた……」


 先を読んで物を言うデュークに、ロベルトが満足気に頷いてみせる。


「コーディネイター作戦自体、あまり当てにはされていなかったがな。実際、報告が上がっているのはS-3752のみ。それでも二百年はかかったか」

「居住に適した惑星を探すためとはいえ、オリジナルの遺伝子を持つ人間を機械人形オートマタに乗せて単独ワープさせるというのは荒っぽいものでしたね」


とデューク。

 苦々しげに言った彼に気負うなよと告げたロベルトは、ソファの脇のテーブルに置かれていた飲料水のチューブを口にする。無重力下だと飲み込む度に食道が蠕動するのがよく分かるが、重力下であればそのような感触はない。十分に及ぶ沈黙を破ったのはロベルトだった。


「お前はあの惑星に住みたいとは思わないのか?」


 ロベルトの有無を言わさぬ口調にぐっと息がつまったようにデュークの顔が歪み、そして肺に溜め込まれた空気がゆっくりと吐き出されていく。


「……直ちに攻撃部隊の編成の準備を」


 デュークは深々と頭を下げた。靴がコツコツと床を打つ音が徐々に離れていき、ドアが閉まる音が部屋の中に響き渡った。

 オートマタ部隊の装備の重力下仕様への換装、点検。全オートマタのパイロット達への圧縮学習装置による情報の詰め込み作業や、侵攻作戦の案を練る時間を考えると全てが終わるのは少し先のことになるだろう。

 宇宙を無限に広がるキャンパスと例えるなら星はそのキャンパスを多様に彩るアーティストだ。アーティストは自らの生命と引き換えに美しい光を放つ。途絶えることのない光こそ彼らの生命そのもの。それの何と美しいことか。

 数え切れぬほどの惑星がこの宇宙には存在するが、その星々で生命体が発生する確率はバラバラになって海に散った腕時計が、潮の流れに乗って偶然組み合わさり腕時計の形になって、偶然時報ぴったりの時刻で動き出すくらいのものだ。

 俄かには信じがたい話だが今こうして生きている生き物は実際にそのくらいの確率で生まれた。

 果たしてこの世に偶然というものは存在するのか。例えば何かしらの失敗を起こしたとしよう。しかし結果的にはそれが最善だった。これは偶然なのか必然なのか。偶然だ、と大半の者は言う。

 生命が誕生したこと、己という存在が誕生したこと、果てにはこの宇宙が誕生したこと等の起こりうる全てのことが必然だというのがロベルトの言い分で、つまり全ては仕組まれているということだ。

 誰によって仕組まれたか——それは分からない。

 分からないが、分からないからこそ感じることがある。生き物という存在の脆さ、不確実性。生き物などという不安要素の多いものに存在する意味など毛頭ない。少なくとも宇宙は生き物がいなくとも、活動を続けることができるだろう。

 生き物がどれほど高度な文明を築きあげ、生まれ育った銀河から飛び出そうとも自然の暴力的なエネルギーの前では赤子同然。それは生きているからこそ、存在しているからこそ分かることだ。


——もし己の生が神によって創造されたものなら……。


「本当に神が存在しうるなら、この手をその血で染め上げ私がこの世の王に君臨するとしよう」


 乾いた笑い声が連続して喉から溢れ出し、ソファとテーブル以外何もない部屋にぐわんと響き渡った。

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