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 穴を掘るという作業は単純だが、その実は力も体力もいる過酷なものだった。《八九式》の車体に固定されていたものを拝借したスコップは軽く、扱いやすいが、それで作業で酷使される疲労が減るわけでもない。

 精神は磨り減り、身体は疲労で重い。それでも加代は身体を動かし続ける。少なくとも、休みなく動かしていれば何も考えずに済む。

 不思議な幾何学模様が浮かんでいる頬は、埃と涙を塗り重ねた結果で、瓦解寸前の感情の堰の有様を如実に表していた。

 土が硬くなり始めたところで穴から出て、スコップを地面に突き刺した加代は小休止をとるでもなく、《八九式》の隣で横たわる奏に近づいていった。穴を掘り出す前に綺麗にした顔には、最後に浮かべた静かな笑みが残っている。


「奏、動かすよ」


 せっかく整えた身なりを無闇に汚さないよう、そっと手を背中に差し入れて、お姫様抱っこの要領で抱き上げる。意思が抜けた身体は重く、踏み出そうとした足で思わずたたらを踏んでしまう。


「っと……危ない危ない。さては奏、ダイエットサボってたでしょ……よし」


 足腰に力を入れ直すと、今度は慎重に歩みを進めていく。穴は《八九式》から少し離れた所に生えた木の根元近くに掘った。奏は自然が好きだったから、木の下ならば喜ぶだろうと考えたからだ。

 膝の高さほどまでの穴は奏がすっぽり入るほどの大きさだった。しっかりと収まってくれたことにほっとしつつ、加代は横たわった奏の上に土をかけ始めた。

 掘る作業とは裏腹に埋める作業はあっという間に終わった。奏を見つめるのが辛く、必然的に作業の手が早まったのかもしれないが終わってしまった今となっては推し量りようもなかった。

 周囲よりも土の色が淡く、小さな山になっているだけの簡易な墓に正対した加代は、用済みとなったスコップを放ると正対したまま、その場に座り込んだ。ガランガランと耳障りな音が鳴ったが、加代の耳には届かなかった。

 涙は流れなかった。流し切ったと評した方が正しいかもしれない。カヨが温めてくれたはずの心は鉛を呑んだかのように重く、冷えきっていた。加代、と呼ぶ奏の声が耳元で今にも聞こえる気がする。

 温かく慈愛に満ちた声で。


――加代


 麗らかな春の陽射しのような笑顔で。


――加代


 そう、ちょうどこんな風に。

 ゆっくりと面を上げる。上げた目の前には光になった奏の姿があった。


「奏……」


 みるみるうちに見開かれた目が映すものを理解する間も惜しく、奏に手を伸ばすが伸ばした手は空を切るばかりで、触れることはできない。

 そこに"在る"のに触れられないもどかしさに加代が顔を歪めるのを見た奏は、空を掴んでいる加代の手を自らの手で優しく包んだ。

 実際に触れられているわけではないのに、温かい。不思議な感覚が手にあったが、深く考えている余裕はなかった。


「わたしの力が足りなかったから助けられなかった……ごめん、なんて言ったら良いのか……」


 言葉を紡ぐ度に、もう奏は死んでしまったのだという事実が加代の中で実体を持ち始める。そうして涙ぐむ加代の両の頬に手を添えて、自身と目を合わせるようにした奏はゆっくりとかぶりを振った。


――謝らんで、加代。こればっかりは仕方のないことじゃけえね。

「でも……!」

――過ぎたことを悔いてもなにも始まらんよ? うちの死はやり直せん。


 少しだけ困った顔で告げた奏に、鼻の奥がツンとする。節操なく溢れてくる涙を見られるのを嫌って、加代は顔を伏せた。それから歯を食いしばり、呼吸を束の間に止めて感情の波を皮一枚で堪えた顔を上げると、


「だけど、わたしは苦しいよ……」


 ポツと零すように言葉を発する。

 今度は奏が顔をうつむける素ぶりを見せたのも一瞬、加代を見つめ直した。


――加代なら大丈夫。うちが()らんくなっても、きっと前を向いて進んでいける。

「そんなの分からない! 奏、わたしの側にいて。わたしを、一人にしないで……!」


 無理な話だと、ただのワガママだと頭では理解している。でも心はそう上手くいかない。むしろ上手くいくほうがどうかしている。近しい人の死をどうして簡単に割り切れよう?


――加代は優しいからなんでも抱え込んでしまうけど、たまには抱え込まんと、割り切ることも大切なことよ。

「そんな……割り切るなんて、できないよ」

――死者と生者は相容れないものなんよ。生きてる加代が死んだうちに感情を傾け過ぎると、加代が自分から死を呼びかねない。

「それなら、」


 奏と一緒に居られるのならば本望だ。いっそ今すぐにでも追いかけて……


――死んだ先に自由があるわけじゃない


 先を読んでかけられた言葉に思わず目を見開く。見下ろす奏の眼は窘める色を含んだもので、加代は行き過ぎた思考に終始を打つと「ごめん」と、軽く顔をうつむけた。

 奏は真実、加代の身を案じているのだ。でも、それと同じくらいに加代は奏のことを想っている。互いに理解しているからこそ、責め難く、退き難い。


「ねえ、奏」


 続くはずだった言葉は、次第に薄れていく奏の身体を見て失われた。薄れていくのは見た目だけではない。奏という個の存在が世界から消えつつあるのだ。理解した途端に、今度こそ言葉が出なくなる。


――ごめんね。できることなら、うちも離れとうない……けど、もう行かなくちゃ


 奏の声が響いた直後、するりと何かがすり抜ける感触があった。触れてはいないのだが、確かに在った感触に奏を見ると、その身体は徐々に光を失っていた。


――加代。絶対に諦めんでね。加代なら絶対に、大丈夫じゃけえ


 今度こそ行ってしまう。カヨから得た力でも感知しきれないほどに遠くへ。


「奏!」


 咄嗟に手を伸ばした時には遅く、手は霧散した光を搔きまわすことに終始した。微細な光の粒子は周囲に広がりながら舞い降りる。

 すくうように受け止めようとするが、光は肌に触れた端から、それこそ雪のように溶けていく。

 空をかいた手を胸元でかき合わせる。それでようやく、失ったのだという感慨を覚えて、加代は目尻で結実した熱がつうと頬に沿って落ちていくのを感じた。

 その一筋に全てが詰められていたのか、奏が憂いを拭っていってくれたのか。涙も嗚咽も次第に落ち着いていった。鼻と目尻をぐいと擦り、両の頬を叩いて喝を入れた加代は「よし」と前へ進むための気合の息を吐いた。

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